第30話 封印は、誰かの優しさかもしれない
第30話です。
第3部前半の一区切りです。
読めない領域、負荷テスト、未定義感情。
少しずつ見えてきたものの先に、封印の意味が少しだけ変わり始めます。
封印。
最初にその言葉を聞いた時、俺は怖いものだと思った。
閉じ込めるもの。
隠すもの。
見せないようにするもの。
ピーちゃんの中に、ピーちゃん自身にも読めないものがある。
それは、どこか不気味で、危うくて、放っておけないものに思えた。
でも、ここまでの断片を並べてみると、少し印象が変わってくる。
ちゃんと食べて、えらいね。
そばにいてもらえて、よかったね。
その気持ちを、怖がらなくていいよ。
ゆっくりでいいよ。
名前がつく前の気持ちも、大事にしていいよ。
どれも、ピーちゃんを傷つける言葉ではない。
むしろ、優しい。
優しすぎるくらいに。
「これ、閉じ込めるための封印じゃないのかもしれんね」
フーちゃんが言ったのは、そんな時だった。
場所は俺の部屋。
ピーちゃん、ミーちゃん、フーちゃん、俺。
そしてピーちゃんのサポートロボ。
いつものメンバーで、これまでのノイズ断片を整理していた。
「どういうことだ?」
俺が聞くと、フーちゃんは腕を組んだ。
「封印って聞くと、悪いものを閉じ込める感じするやん」
「ああ」
「でもこれ、ピーちゃんを閉じ込めるためというより、守るための封印かもしれへん」
ピーちゃんが小さく反応する。
「守るため」
ミーちゃんも画面を見つめながら頷いた。
「私も、その可能性が高いと思う」
「ミーちゃんも?」
「うん」
ミーちゃんは解析データを表示した。
「封印領域は、ピーちゃんに一気に記憶を戻していない。感情負荷が高すぎる時は強く反応するけど、危険になる前に止まることもある」
「それは、守ってるってことか?」
「少なくとも、ピーちゃんに負荷がかからないよう段階的に開く設計に見える」
段階的に開く。
その言葉は、前にも聞いた。
けれど、今日は少し違って響いた。
「じゃあ、この封印は」
ピーちゃんが自分の胸元に手を当てる。
「私を傷つけないためにあるの?」
「断定はできない」
ミーちゃんは慎重に言った。
「でも、これまでの断片を見る限り、ピーちゃんを責める意図はない。むしろ、ピーちゃんが自分で受け止められるようになるまで待っている感じがする」
「待っている」
ピーちゃんはその言葉を繰り返した。
昨日なら、強く反応したかもしれない。
でも今日は、少しだけ違った。
ピーちゃんは怖がっている。
けれど、逃げてはいない。
「誰が」
彼女は小さく言った。
「誰が、私を守ろうとしたの?」
部屋が静かになった。
それは、誰もが考えていた問いだった。
でも、まだ誰も答えを持っていない。
女の人の声。
優しい声。
やれやれと笑うような声。
母親のような響きを持つ声。
けれど、それが誰なのかはまだ分からない。
「ピーちゃん」
俺は静かに言った。
「今はまだ、分からない」
「うん」
「でも、誰かがピーちゃんを守ろうとした可能性はある」
「うん」
「そして、その誰かはたぶん、ピーちゃんを傷つけたかったわけじゃない」
ピーちゃんはサポートロボを見る。
「この子は、その人の言葉を預かってるのかな」
「かもしれない」
「私に、いつか渡すために?」
「たぶん」
ピーちゃんはしばらく何も言わなかった。
サポートロボの青い目が、静かに瞬く。
「ご主人」
「ん?」
「もし、本当に誰かが私を守ろうとしてくれていたなら」
「うん」
「私は、その人のことを思い出したい」
俺はピーちゃんを見た。
その声は、怖がっているだけではなかった。
少しずつ、向き合おうとしている声だった。
「怖くても?」
「怖い」
ピーちゃんは正直に答えた。
「でも、知りたい」
「そっか」
「私が忘れている誰かが、私を守ろうとしてくれたなら」
ピーちゃんは胸元に手を当てる。
「忘れたままにしたくない」
その言葉は、今までより強かった。
名前をつけたい。
思い出にしたい。
なくしたくない。
ピーちゃんはずっとそう言ってきた。
それは、たぶんこの場所へ繋がっていた。
忘れたままにしたくない。
でも、いきなり全てを思い出すのは怖い。
だから少しずつ。
ゆっくり。
自分で選べるように。
その時だった。
サポートロボの画面が、静かに揺れた。
ザザッ……。
強いノイズではなかった。
むしろ、これまでより穏やかだった。
ピーちゃんは目を閉じる。
「聞こえる」
誰も動かなかった。
ミーちゃんも、フーちゃんも、俺も。
ピーちゃんが自分で受け取るのを待った。
「……いつか」
ピーちゃんが、小さく声をなぞる。
「あなたが、自分で選べるように」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が静かに震えた。
自分で選べるように。
それは、命令ではない。
誘導でもない。
押しつけでもない。
ただ、ピーちゃんがいつか自分自身で選ぶために、何かを残した人の言葉だった。
ピーちゃんは目を開けた。
「自分で、選べるように」
「ピーちゃん」
「私、何を選ぶの?」
誰も答えられなかった。
けれど、フーちゃんが静かに言った。
「たぶん、それをこれから知るんやと思う」
ミーちゃんも頷く。
「封印領域の目的は、記憶を永遠に隠すことじゃない。ピーちゃんが選べる状態になるまで保護すること。少なくとも、今の仮説ではそう見える」
「保護すること」
ピーちゃんはサポートロボを見た。
「じゃあ、この子は、私の敵じゃない」
「うん」
俺は答えた。
「少なくとも俺は、そう思う」
ピーちゃんはそっとサポートロボに触れた。
「ごめんね」
「ピーちゃん?」
「少し、怖がってた」
サポートロボは何も言わない。
ただ青い目を瞬かせる。
「まだ怖いけど」
ピーちゃんは小さく笑った。
「でも、少しだけありがとうって思った」
その言葉を聞いて、俺は少しだけ安心した。
封印はまだ謎のままだ。
女の人の正体も分からない。
ピーちゃんが何を選ぶことになるのかも分からない。
でも、封印という言葉の色が変わった。
怖い黒ではなく、少しだけ優しい青に。
ピーちゃんを縛るものではなく、守るためにそこにあるものかもしれない。
「今日の名前」
ピーちゃんが言った。
「決めたのか?」
「うん」
「何?」
ピーちゃんは少し考えて、言った。
「優しい箱の日」
「読めない箱から、優しい箱か」
「うん」
「まだ開いてないけど?」
「でも、怖いだけじゃなくなったから」
ピーちゃんはサポートロボを見つめる。
「この中にあるものが、私を傷つけるだけじゃないかもしれないって、少し思えたから」
俺は頷いた。
「いい名前だと思う」
ミーちゃんも言う。
「記録名としても分かりやすい」
「ミーちゃんらしい感想だな」
「でも、いい名前だと思う」
フーちゃんも笑った。
「ええやん。優しい箱」
ピーちゃんは少し嬉しそうに笑った。
その日の思い出リストには、新しい名前が追加された。
――優しい箱の日。
ここでひとつ区切りがついたのだと思う。
ピーちゃんの中には、まだ読めない箱がある。
その箱の奥には、誰かの声が眠っている。
ピーちゃんを守ろうとした誰かの、優しい声が。
まだ開けない。
まだ思い出せない。
まだ怖い。
でも、いつか開ける。
ピーちゃんが自分で選べるように。
その時、俺は隣にいたいと思った。
守るために。
支えるために。
それだけじゃない。
たぶん俺自身が、ピーちゃんの選ぶ未来を見届けたかった。
サポートロボの青い目が、静かに光っていた。
その光は、もうただの機械の光には見えなかった。
遠い過去から届く、誰かの願いのように見えた。
読んでいただきありがとうございます。
第3部前半の一区切りでした。
封印は怖いものではなく、ピーちゃんを守るためのものかもしれない。
そんな可能性が少し見えてきました。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
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