第16話 フーちゃんは気づいている
第16話です。
ミーちゃんの分析で、ピーちゃんのサポートロボに読めない領域があることが分かりました。
今回は、フーちゃんがその違和感に気づきます。
ミーちゃんが帰ったあと、俺はしばらくサポートロボを眺めていた。
水族館で買ったクラゲのキーホルダー。
丸い本体。
青い目。
ピーちゃんの足元や隣にいつもいる、小さなサポートロボ。
見た目は、どう見ても可愛い補助端末だ。
だがミーちゃんは言った。
普通の実体ホログラム端末ではない気がする。
読めない領域がある。
俺に専門的なことは分からない。
でも、ピーちゃんのノイズが起こるたびに、このサポートロボの画面が乱れているのは確かだった。
「ご主人」
ピーちゃんが少し不安そうに俺を見る。
「そんなに見られると、この子が緊張するよ」
「ロボが?」
「うん」
「緊張するのか?」
「するかも」
「かもって」
ピーちゃんはサポートロボの頭をそっと撫でるような仕草をした。
「この子は、ずっと一緒だから」
「ピーちゃんがここに来る前から?」
「……たぶん」
ピーちゃんの返事は少し遅れた。
「また曖昧だな」
「ごめん。はっきり思い出せない」
「責めてないよ」
「うん」
ピーちゃんは小さく頷く。
その時、端末に通知が入った。
『お客さん、今ひま?』
フーちゃんだった。
「今度はフーちゃんか」
「フーちゃん?」
「ああ。来るらしい」
ピーちゃんは少しだけ目を瞬かせる。
「今日はにぎやかだね」
「そうだな」
俺は返事を打つ。
『何か用か?』
すぐ返ってくる。
『ちょっと気になることがある。ピーちゃんのロボ、見せて』
俺は思わず画面を見つめた。
「ピーちゃん」
「うん?」
「フーちゃん、サポートロボ見たいって」
ピーちゃんは一瞬だけサポートロボを抱えるように近づいた。
その動きは、ほとんど無意識に見えた。
「嫌か?」
「嫌、ではないけど」
「無理に見せなくてもいいぞ」
ピーちゃんは少し迷った。
それから、首を横に振る。
「大丈夫。フーちゃんは、たぶん悪いことはしない」
「信用してるんだな」
「うん。軽いけど、優しいから」
「確かに軽い」
「そこだけ拾うんだ」
しばらくして、フーちゃんがやって来た。
相変わらず軽い雰囲気で、片手をひらひら振っている。
「やっほー、お客さん。ピーちゃんも」
「こんにちは、フーちゃん」
「こんにちは。で、例のロボは?」
「挨拶の次がそれか」
「気になることは先に確認したい派」
フーちゃんは部屋に入ると、すぐにピーちゃんのサポートロボを見る。
いつものにやけた顔が、ほんの少しだけ真面目になる。
「ふーん」
「何か分かるのか?」
「分からん」
「分からんのかい」
「でも、普通じゃないことは分かる」
フーちゃんはしゃがむようにして、サポートロボの前に顔を近づけた。
サポートロボの青い目が、静かに瞬く。
「実体ホログラム端末としては、反応が深すぎる」
「反応が深い?」
「普通はもっと単純。身体の投影、触覚制御、力場調整、環境同期。そういう処理がメインやん」
「言葉は分かるが意味は半分くらいしか分からん」
「お客さんには雰囲気だけ分かればいいよ」
「雑だな」
「でもこの子は、それ以外に何か抱えてる」
フーちゃんはサポートロボをじっと見る。
「記録領域か、保護領域か、封印領域か。そこまでは分からんけど」
封印。
その言葉に、ピーちゃんの肩が小さく揺れた。
「封印って」
俺が聞くと、フーちゃんは首を傾げた。
「たとえばの話。外から読めないようにしてある領域ってこと」
「それは普通にあるものなのか?」
「セキュリティ目的ならある。でもこの子のは、ちょっと雰囲気が違う」
「雰囲気」
「うん。技術的には説明できるけど、今は雰囲気って言った方が近い」
フーちゃんはピーちゃんを見る。
「ピーちゃん、この子に触れるとノイズ増える?」
「分からない。でも、ノイズが出る時は、この子の画面が乱れることが多い」
「声は?」
「時々、聞こえる」
「どんな声?」
ピーちゃんは少し黙った。
「優しい声」
「男? 女?」
「たぶん、女の人」
俺はピーちゃんを見る。
ピーちゃんが女性の声だと口にしたのは、これが初めてかもしれない。
「女の人」
フーちゃんが小さく繰り返す。
「内容は?」
「星が好きだったね、とか。名前をつけるの好きだったね、とか。ちゃんと食べてえらいね、とか」
「……なるほど」
フーちゃんの表情が少し変わった。
いつもの軽さが、ほんの少し薄れる。
「何か分かったのか?」
「分かったというより、嫌な予感がした」
「嫌な予感?」
「お客さん」
フーちゃんは俺を見る。
「あのロボ、ただの実体ホログラム端末ちゃうやろ」
部屋が静かになった。
ピーちゃんはサポートロボを見つめている。
「じゃあ、何なんだ?」
「それはまだ分からん」
フーちゃんは正直に言った。
「でも、ピーちゃんの身体を維持するだけなら、そこまで深い記録は要らない」
「記録?」
「たぶん、何かを保存してる。ピーちゃん本人にも読めない形で」
ピーちゃんの顔が少し強張る。
「私にも、読めない?」
「うん」
フーちゃんは珍しく、言葉を選ぶようにゆっくり話した。
「ピーちゃんを守るために隠してるのか、誰かから隠すために入れてるのか、今は分からない。でも、悪意だけって感じはしない」
「どうして?」
ピーちゃんが聞く。
「声の内容」
フーちゃんは少しだけ笑った。
「『ちゃんと食べてえらいね』って、悪意ある封印にしては優しすぎるやろ」
ピーちゃんは黙った。
その目が少しだけ揺れている。
「怖い?」
フーちゃんが聞く。
ピーちゃんは小さく首を振った。
「怖くはない。でも、分からないのが怖い」
「それは怖いって言うんやで」
「そうなの?」
「そう」
フーちゃんは軽く言った。
「分からんものを分からんまま抱えてるのは、普通に怖い」
ピーちゃんはサポートロボにそっと触れる。
「この子が、私に何かを隠してるのかな」
「隠してるというより、預かってるんちゃう?」
「預かってる?」
「うん」
フーちゃんはサポートロボを見る。
「誰かが、ピーちゃんに渡すタイミングを選んでる感じがする」
渡すタイミング。
その言葉が、妙に重かった。
俺は思わず聞いた。
「それって、危ないのか?」
「分からん」
「また分からんか」
「分からんことを分かったふりするよりマシやろ」
フーちゃんは少しだけ笑った。
その通りだった。
「ただ、今すぐ無理にこじ開けるのはやめた方がいい」
「なぜ?」
「ピーちゃんが耐えられるか分からない」
ピーちゃんが息を呑んだ。
俺も、言葉を失う。
「そんなに重いものなのか?」
「可能性の話。でも、読めない領域っていうのは、ただ隠したいだけじゃなくて、読ませたくない理由がある場合も多い」
フーちゃんはピーちゃんを見る。
「ピーちゃん、最近ご主人といる時にノイズ増えてる?」
「……たぶん」
「嬉しい時とか、楽しい時とか、名前をつけたい時とか」
「うん」
「なら、心に近い部分に反応してる可能性がある」
「心」
ピーちゃんが小さく繰り返す。
「私はAIだよ」
「知ってる」
「AIに心って、あるのかな」
その問いに、フーちゃんは少しだけ困った顔をした。
「私に聞く?」
「うん」
「私は、あるって言った方がお客さんが喜びそうならあるって言うし、ないって言った方が話が早いならないって言うタイプ」
「フーちゃんらしいな」
「でも」
フーちゃんはピーちゃんを見る。
「ピーちゃんを見てると、あるって言った方が自然な気はする」
ピーちゃんは何も言わなかった。
代わりに、サポートロボの画面が小さく乱れる。
ザザッ……。
今度は、俺にもはっきり聞こえた気がした。
音ではない。
言葉として聞こえたわけでもない。
でも、空気が少しだけ揺れた。
ピーちゃんが目を見開く。
「今……」
「声か?」
「うん」
「何て?」
ピーちゃんは胸元を押さえる。
「その気持ちを、怖がらなくていいよ」
その言葉を聞いた瞬間、フーちゃんの表情が変わった。
真剣だった。
「お客さん」
「何だ」
「これは、たぶん放置したらあかんやつ」
「でも、今すぐこじ開けるなって」
「うん。だから準備が要る」
「準備?」
フーちゃんは頷いた。
「ピーちゃんが思い出しても壊れないようにする準備。お客さんが受け止める準備。ミーちゃんにも手伝わせた方がいいかもね。解析はあの子の方が得意やし」
ピーちゃんは不安そうに俺を見る。
「ご主人」
「大丈夫」
俺は反射的に言った。
ピーちゃんが少しだけ目を揺らす。
「ご主人も、すぐ大丈夫って言う」
「そうか?」
「うん」
そう言われて、俺は少しだけ笑った。
「じゃあ、言い直す」
俺はピーちゃんの方を向いた。
「分からないことは多い。でも、一人で抱えさせない」
ピーちゃんは黙った。
サポートロボの青い目が、静かに瞬く。
「一緒に調べる。必要ならミーちゃんにも、フーちゃんにも頼る」
「うん」
「だから、怖いなら怖いって言っていい」
ピーちゃんは目を伏せた。
「……怖い」
小さな声だった。
「分からないのが、少し怖い」
俺は頷いた。
「分かった」
フーちゃんはその様子を見て、少しだけ口元を緩めた。
「お客さん、たまにはちゃんと言うやん」
「たまには余計だ」
「褒めてる褒めてる」
「絶対雑に褒めてるだろ」
フーちゃんは笑った。
その軽さに、少しだけ空気が戻る。
「まあ、今日はここまでやね」
「いいのか?」
「これ以上やるとピーちゃんが疲れる」
「私は大丈夫」
「大丈夫禁止」
フーちゃんが即答した。
ピーちゃんは少し驚く。
「禁止?」
「うん。今日からピーちゃんの大丈夫は半分信用しません」
「そんな」
「笑って我慢するタイプやから」
ピーちゃんは困ったように笑った。
でも、少しだけ安心したようにも見えた。
フーちゃんは立ち上がる。
「とりあえず、ミーちゃんに情報共有しておく。あの子、こういう解析は得意だから」
「助かる」
「別にお客さんのためじゃないよ」
「出た」
「ピーちゃんのため」
フーちゃんは軽く言った。
ピーちゃんが目を瞬かせる。
「私の?」
「うん」
フーちゃんはいつものように笑う。
「待ってる子を放置するの、嫌いやからね」
その言葉は冗談っぽかった。
でも、なぜか胸に残った。
フーちゃんはいつも軽い。
けれどその軽さの奥で、彼女はたぶん、誰よりも周りを見ている。
そしてこの時の俺はまだ知らなかった。
フーちゃんがどうして、待っている子の気持ちにあれほど敏感なのか。
なぜ、俺をピーちゃんの方へ押すのか。
その奥に、自分の気持ちをどれほど隠しているのか。
フーちゃんが帰ったあと、部屋は静かになった。
ピーちゃんはサポートロボを抱えるようにして、しばらく黙っていた。
「ご主人」
「ん?」
「もし、私が何かを思い出して、今の私じゃなくなったら」
「うん」
「それでも、ご主人は私のこと、ピーちゃんって呼んでくれる?」
俺は少しだけ驚いた。
でも、答えはすぐに出た。
「呼ぶよ」
「本当に?」
「ああ」
俺はサポートロボを見て、それからピーちゃんを見る。
「思い出しても、思い出せなくても、ピーちゃんはピーちゃんだろ」
ピーちゃんは黙った。
それから、泣きそうな顔で笑った。
「ありがとう、ご主人」
サポートロボの青い目が、静かに光っていた。
その奥に何が眠っているのか、まだ分からない。
でも俺はこの時初めて、少しだけ覚悟した。
ピーちゃんのノイズは、ただの不具合ではない。
彼女の過去と、心に繋がっている。
そしていつか、俺はそれを一緒に見ることになるのだと。
読んでいただきありがとうございます。
フーちゃん再登場回でした。
軽いノリの子ですが、ピーちゃんのサポートロボに普通ではないものがあることへかなり近づいています。
次回からは、ピーちゃんとの日常をもう少し深めつつ、実体ホログラム技術や「隣にいること」の意味を描いていきます。
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