第159話 狂獣と氷剣
晩餐会のざわめきの中、あちこちで歓談が弾けていた。
ガラスの盃が触れ合う音、楽団による、会話を邪魔しない程度の落ち着いた演奏、酒と料理の匂いが入り混じる。
笑い声が響くその片隅で、低く野太い声がツェットを呼び止めた。
「いよぉ、氷剣。久しぶりだな」
聞き覚えのある粗い声に、ツェットは振り返った。
長身の影が立っている。燭台の明かりに照らされ、頬に走る古傷が赤い光を反射していた。
一瞬、誰かと思ったが──すぐに口をついて出た。
「誰だお前? ……って、貴様アウルバリか!」
ツェットの目が驚きと笑みの間で揺れる。
十日前、スケイグ攻防戦で刃を交えた好敵手。
互いの剣が擦れ合った感触が、まだ掌に残っている気がした。
「お前との決着をつけたかったが、まさか今度は共に戦うことになるとはな」
「フッ、決着はつけない方が良かったんじゃないか? 狂獣の名に傷が付くぞ」
ツェットの挑発に、アウルバリは豪快に歯を見せて笑った。
傷跡のある顔が一瞬、少年のように無邪気に見える。
「言うねぇ。どちらにしても、お前には借りがあるからな」
「いつでも返しに来い。この戦いが終わったら、いくらでも相手してやるよ……」
ツェットは笑みを浮かべつつも、じっと相手の目を見た。
戦士同士の視線が交錯する。
だがふと、思い出したように眉を寄せる。
「……ってそう言えば、お前、ギャブレクの手下だったよな。よく許されたな」
アウルバリは肩をすくめて、盃の酒をあおった。
「俺はもともとシュカリラに仕える兵だ。姫を誑かす君側の奸を討つ、って話を信じてただけさ。まあ……騙されてたってことだな」
そう言って、からからと笑う。その笑いに陰りはない。
信じて戦い、裏切られ、それでも剣を握り続ける──そんな男の潔さがあった。
ツェットは目を細め、盃の中の泡が弾けるのを見つめながら思う。
「そういえば、ギャブレクとその倅はどうなった? 国に置いて大丈夫なのか?」
問いかけに、アウルバリの顔から笑みが消えた。
「ああ、あの二人なら死んだよ」
「……えっ? もう処刑したのか?」
「いや、牢番に殺された。そいつはギャブレクに妻子を処刑されてな……スケイグから逃げようとしただけでだぜ。で、復讐のために食事に毒を盛ったのさ」
アウルバリの声には、怒りでも悲しみでもない、乾いた響きがあった。
その光景を思い浮かべたのか、ツェットは唇を引き結ぶ。
「……そうか」
「牢番は二人が息絶えたのを見届けると、自分も毒を飲んだ。遺書を残しててな、それで事情がわかったんだ。──まあ、この件はそれで終わりさ」
ツェットはしばらく言葉を失った。
杯の中でゆらめく灯火が、まるで彼らの末路のように揺れている。
「無惨だな……奴らにしてみれば、相応しい死に方だったのだろうが……」
「そうだな。けど、あれで宰相派は根絶やしになった。おかげでシュカリラは一つにまとまった。……皮肉なもんだよ」
アウルバリはそう言って笑った。
その笑いには戦士の誇りと、ほんのわずかな疲れが混じっていた。
「なるほど」
ツェットは短く答え、盃を掲げた。
二人の間に沈黙が落ちる。
その沈黙は重くもあり、妙に心地よくもあった。
敵として出会い、味方として再会した戦士たちの間にだけ流れる、静かな絆のように。
その静けさを破るように、アウルバリがふと顔を上げる。頬の古傷が橙の光を受けて鈍く浮かび上がった。
「ところでよ……今度の戦、正直なところ勝ち目はあるのか?」
その声音には、豪胆さとは違う重みがあった。
ツェットは、グラス越しに男の目を見据える。
「なんだ、狂獣でもさすがに勝ち負けは気になるのか?」
軽く笑って受け流すように言ったが、アウルバリの眉は動かなかった。
彼は苦く笑って、肩を竦める。
「十日前に負けたばかりだからな。連敗ってのはどうも気に入らねえ」
その言葉には、戦士としての矜持が滲む。
ツェットもすぐに言葉を返さず、天井を仰いだ。
見上げれば、シャンデリアが星のように散っている。
シュカリラが合流したとはいえ、戦力差は依然として大きい。
ヤマト陣営のオウガ総数は一千四百七十五。
対するヤドックラディは二千三百四十。
ラバス城を背にして戦っても、数で劣ることに変わりはない。
指揮官でなくとも、冷静に見れば勝率は低い。
──だが、それでも。
ツェットはゆっくりと視線を戻した。
燭火に照らされた彼女の瞳は、氷のように澄みきっている。
「心配いらないさ」
「……その根拠は?」
「ウチの軍師が作戦を練った。あいつが『勝つ』って言ってるんだ。それで負けるなら、現場の兵が怠けたってことさ」
アウルバリはしばらく無言で見つめた。
彼女の声には、妙な迫力があった。まるで迷いが一片もない。
「ずいぶん信頼してるんだな」
「僅か三ヶ月でラバスを傘下に入れ、シュカリラの援軍を引き出したのはあの女だ。奇跡でも何でもない。全部、理屈で導き出した勝ち筋だ。──なら、信じるしかないだろ?」
ツェットの言葉は静かだったが、胸の奥に火を灯すような力があった。
アウルバリは思わず笑みを零す。
「なるほどな。そいつは頼もしい」
短くそう言って、腰の剣に手を置く。柄の感触がいつもよりも重く感じた。
だが、それは悪い重みではない。
──ヤマトという国の兵は、確かに強い。
この軍の一員として戦うのなら、きっと惨めな敗北はない。
たとえ死んでも、誇れる戦になる。
アウルバリはそう確信すると、燭火を見つめながら、低く呟いた。
「だったら負ける気がしねえな、今度の戦は」
互いに静かな笑いを交わしていたその時、背後から落ち着いた声がした。
低く、それでいてよく通る声だ。
「ずいぶんと楽しそうだな。シュカリラの将と打ち解けたようで何よりだ」
振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
銀糸のような髪がシャンデリアの明かりを受けて柔らかく光を放ち、背筋は一分の隙もなく伸びている。
華麗な軍服をまとい、まるで鍛え上げられた剣そのもののような佇まい。
ヤマトの若き騎士──メシュードラ・レーヴェン。
「ああ、メシュードラ。こいつ、アウルバリだよ」
「おお、シュカリラの狂獣が参戦とは心強い」
メシュードラが微笑を浮かべて礼を取ると、アウルバリは苦笑して頭を掻いた。
「よしてくれよ。俺はお前らに散々やられたんだぞ。なあ……シュトルム・デュパン、いや、本当の名はメシュードラ・レーヴェンか」
からかうように言いながら、アウルバリの口元に悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
その声音には、かつて敵として刃を交えた者だけが持つ、奇妙な親しみが混じっていた。
メシュードラは一瞬だけ目を伏せる。
あの名──シュトルム・デュパン。
それは彼がシュカリラ内戦のただ中で使った偽名だった。
だがその名は、皮肉にも今では「伝説の剣士」として独り歩きしている。
「……それはもう済んだことだ。その名で呼ぶのはよしてくれ」
静かな言葉の裏に、うっすらと後悔の影が差している。
アウルバリはその表情を見て、口角を上げた。
「だったらピルムに一言、詫びを入れておくんだな」
「ピルム殿に?」
メシュードラが目を見開く。ピルム──シュカリラ王女シルフィーアを支えた忠義の武将。
スケイグの決戦では、シュトルム・デュパンを名乗り、彼のオウガ、ガレランの姿で戦場に立った男だ。
「あいつな、いつの間にか『シュトルム・デュパン』ってことにされてよ。オウガもまだガレランの装甲のままなんだぜ。挙げ句の果てに、機体名まで『アダラード』から『ガレラン』に変えさせられたんだ」
アウルバリが豪快に笑う。その声が燭台の群れの中に響き渡る。
だが、メシュードラの表情は曇ったままだった。
「そうか……ピルム殿に詫びなければ……」
うなだれる彼を見て、アウルバリは腹を抱えて笑った。
「いやいや、そこまで深刻になる事じゃねえよ! あいつ今じゃ救国の英雄だ。女どもに囲まれて鼻の下を伸ばしてやがる。本人は『困った困った』なんて言いながら、ホクホク顔してやがるからな」
「そ、そうか……ならいいんだが……」
メシュードラはほっとしたように息を漏らした。
その仕草があまりに生真面目で、アウルバリはまた笑いをこらえきれなかった。
お読みくださり、ありがとうございました。
ギャブレクはアウルバリをはじめ、シュカリラの有力な戦士たちに虚偽の情報を吹き込み、自分の指示に従わせていました。
しかし、内戦の終結後にその事実が明るみに出ると、宰相派に従っていた戦士たちはシルフィーアによって赦されました。
彼らにとって今回の遠征は、自らが背負ってしまった不名誉を返上する絶好の機会であり、そのため戦意をいっそう高めているのです。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




