第107話 約束
◇
――俺は、カティアから事の詳細を聞いた。
なんとなく想像はしていたけれど、リンの両親がすでに帰らぬ人となっていたという事実。その残酷な真実を、いまだ両親の帰りを信じて待っていたリンに、直接伝えていただなんて……。
しかも、GODSが私利私欲のために嬲り殺しにしたという残酷な真実を聞かされたのであれば、リンの心が壊れてしまっていても不思議ではない。
あの球体の内側で、リンは心を閉ざしてしまっているのだろう。これ以上の悲しみを生み出さないように、なにも考えず、なにも感じないようにと、あらゆる感覚を絶っている状態なのかもしれない。
だとしたら、俺たちにできることはなんなのだろう?
――いや、考えるまでもない。できることなんて、ひとつしかない。
リンに、俺たちの想いをぶつけよう。聞こえていないのなら、聞こえるまで。届かないなら、届くまで。何度も、何度でも。
それが今の俺たちにできる唯一のことなのだから。
◇
――まっくら。なにも見えない。
ここは夢の中?
なんでリンはここにいるんだっけ?
まっくらなのは夜だからなのかな、まだ朝にならないのかな。
……さみしい。どこになにがあるのかもわからないよ。
パパ、ママ。ここはどこなの?
リンを迎えに来てよ。ひとりぼっちにしないでよ。
いっぱい遊んでれば、早く帰ってくるって約束したよね。たくさん、たーーくさん遊んで、お利口さんにして待ってたのに、まだ帰ってきてくれないの?
リンのこと、嫌いになっちゃったの……?
『――だから夫妻を投獄し、無理矢理奪ったのだ』
――っ!
頭がずきっとして、聞き馴染みのない声が頭のなかに響いた。
まっくらでなにもないのに、その声だけはっきりと聞こえる。
でも、この声は聞いちゃいけない気がする。頭のなかで思い出すのだって、ダメって感じがする。
『――結局、死ぬまで口を割らないとは思わなんだ』
それでも、どうやっても声は聞こえてくる。目をつぶっても、耳をふさいでも、リンが聞こえないふりをしていても、何度も、何度も。
『ありとあらゆる拷問を試していたのだが、途中で耐えきれなかったのか自決してしまってな』
やめて、もうやめて……!
聞きたくない、聞きたくないよ……!
ずきん。ずきずき。
声が聞こえるたびに、心が削り取られるように痛い。
こんなに痛いなら、もうなにも感じられなくなったっていい。こんなに苦しいなら、もうなにも考えられなくなったって……!
『『リン』』
「――っ!」
嫌な声のかわりに、とつぜん聞こえたのは、あたたかくて、なつかしくて……ずっと、ずっと聞きたかった声。
「パパ、ママっ!?」
どこ?
どこにいるの?
今のはぜったいにパパとママの声だった。
さっきまで痛かったのなんか全部忘れて、匂いをかいで、光を探し、耳をそばだて、なにかにさわろうと、なんでもいいから手がかりを得ようと、必死になって手を伸ばした。
「リンはここだよ! ここにいるよっ!」
こつん、となにか硬いものに手があたる。
その場所がぼんやりと光り、やがてどんどん大きくなって、人の形になった。
『リン、自分をしっかり保つんだ。苦しいからって、全部捨てちゃいけないよ』
パパの声だ。なでなでしてくれるときの、優しくてあったかい、大好きなパパの声。
『リン、あなたは強い子でしょ? あんな言葉に負けちゃダメよ』
ママの声だ。怒ると怖いけど、でもちゃんとリンのことを見てくれている。きびしいけど、大好きなママの声。
「――会いたかった、会いたかったよぉ!」
これが夢の中だろうとなんだっていい。ずっと溜め込んでいた思いを込めて、おもいっきり抱き締めようと光へ飛び込む。
すかっ、すかっ、すかっ。
何度さわろうとしても、抱き締めようとしても、この手は大好きな人をすり抜けていく。
「なんでっ! なんでなのっ!? これがリンの夢の中なら、もっと思いどおりになってくれてもいいのに! う、うぅ……!」
ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。
確かにそこにいるのに、声だって聞こえるのに、どうしたって触れさせてはくれなかった。
ぬくもりを感じたい。頭をなでてほしい。そうしたら、リンも大好きだよって伝えるの。それだけでいいの。それだけを、ずっと……!
『……ごめんなさい、リン。もう私たちはあなたを抱き締めることができないの』
「――っ! なんで……どうして!? いやだよっ、いやぁっ! リンのこと嫌いになっちゃったの!? リンが悪い子だったから!?」
『リンはとっても良い子だったよ。パパとママが保証する。悪いのは僕たちだ。ごめんねリン、約束を守れなくって』
「まもっ……守れなくていいからっ! もうちょっと遅くなってもいいから! だから必ず帰ってきてよ! リンのところに、かえ……って、きてよぉ……」
『『…………』』
パパとママからの返事がない。
どうしてなにも言ってくれないの?
謝ってばっかりじゃ、リンはなにもわからないよ。
「……ねぇ、なにか言ってよ。リン、もっともっといい子にしてるから、約束してよっ!」
『――リン、私たちはね、ずっとずっと遠くに行っちゃうの。だからね、もうリンのところへは帰れないわ』
「じゃ……じゃあ、リンも連れてって! こっちにこれないなら、リンがそっちに行くよ!」
『それは駄目だ、リンはまだこちらに来てはいけないよ』
「――っ!」
どうして……どうしてそんなひどいこと言うの?
リンはただパパとママといっしょにいたいだけなのに、会えるならぜんぶ捨てたっていいのに。
『いいかい? よーく聞くんだ。僕たちのいるところに来たら、今リンのことを呼んでいる人とは、もう会えなくなっちゃうんだよ? それでもいいのかい?』
「リンを……呼んでる?」
だれかがリンのことを呼んでるの?
でも、なにも聞こえないよ。パパとママの声と、頭がずきってなるあの嫌な声以外は、なにも……。
『『リンっ!!』』
「――あっ」
聞き覚えのある声。リンの大好きな人の声。
「カーちゃん……ケーくん……!」
ふたりが、呼んでる。リンのことを呼んでる。
パパとママのところへ行ったら、ふたりに会えなくなるの?
……それはぜったいにいや。
でも、どっちかしか選べないなんておかしいよ。なんでみんな仲良くいっしょじゃいけないの……?
『リン、新しく約束をしましょう?』
「やく……そく?」
『そうよ、今度の約束は絶対の絶対に守るわ』
「……ほんと? ぜったい?」
『ええ、もちろん』
「……どんなやくそく?」
『いつか必ず、リンが大好きになった人が、リンのことを大好きって……『家族になりたい』言ってくれる日が来るわ。
そしたら、大人になっても、大好きな人といっしょにずーっとずーっと、幸せに暮らすの。そうやって幸な時間を過ごして、リンの大好きな人がどんどん増えて、おばあちゃんになって……。
そうして、リンがいっぱい幸せになったら、私たちがリンのことを迎えにいくわ、約束する。
だから、今はリンのことを必要とする人のところへ帰ってあげて。今度会ったときには、リンと家族になった大好きな人の話とか、どんな経験をしたかとか……うーんと聞かせてね?』
「……ほんと? 迎えにきてくれる?」
『ええ、必ず』
「……うん。わかった」
おばあちゃんになるまで待つのはたいへんだけど、ぜったいに迎えにきてくれるって、今度はぜったいに約束を守るって言ってくれた。
これならカーちゃんとケーくんとお別れしなくていいんだよね?
さみしいけど、リンはがまんできるよ。
みんながそろってるほうがいいもんね。
「……でも、リンはどうすればいいの?」
『簡単だよ。リンを呼ぶ声のする方へ行けばいい。さ、時間が惜しい。走りなさい』
「う、うん。じゃあ……パパ、ママ、またねっ!」
『『またね、リン』』
『愛してるわ』『愛してるよ』
言われたとおり、カーちゃんとケーくんの声がするほうに走り出す。
後ろは振り返らない。振り返ったら、もう走れない気がしたから。
走っていると、前に光ってる扉みたいなのが見えてきた。
これに入ればいいのかな。扉の前で立ち止まって少し考える。
『『リン!!』』
扉のむこうから、カーちゃんとケーくんの声がはっきりと聞こえる。ここに行けばふたりに会えそう。
「えいっ!」
迷っててもしかたないよね。パパとママを信じて、おもいっきりジャンプしながら光の中へ飛び込んだ――。