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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第三章 桶狭間の坂道
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年の差

 妙の妊娠と大蔵藤十郎を預かることになり、道祖家が準備で大わらわの中、信長様が馬廻りの中から母衣武者を選びだした。

 寝耳に水の事態に、馬廻り衆は驚愕するとともに大いに一喜一憂することになる。


 そして、俺の周囲では佐々内蔵助成政と前田又左衛門利家が母衣武者に選ばれていた。また、前田利家の弟の佐脇藤八郎良之なども母衣衆に選出されている。


 親しい友人たちが揃って母衣武者になったことで、どうして俺は選ばれていないのかなどと噂になった。やはり生まれがどうとか陰口を言われたけれど、無視して三人を祝う。


 佐々成政と前田利家は、最初は同じ馬廻りの俺だけが母衣武者になれなかったことを気にしていた。しかし、気にしていない態度を貫いていると向こうも気をつかわなくなった。


「いや、それにしても良いことが続くな。殿には御子が相次いでお生まれになり、我らの妻も懐妊した。そして、こうして母衣武者への出世よ」


「まったくですね、内蔵助様。この藤吉郎、お二人の出世を我が事のように喜んでおります」


「考えてみれば、三郎五郎様が言った清須は縁起が悪いというのは、本当のことだったのだろうな。織田家縁の那古野に移ると決まってから、慶事ばかりなのだから」


「それは言えておりますな。では、本格的に那古野に移れば、さらに良いことがありましょう」


 佐々成政と木下藤吉郎が、食事の前にすでに酒を酌み交わして、すっかり出来上がってしまっている。


 酒を飲まない俺は、そんな二人を呆れ顔で見ていると、そばに座っている藤十郎が困惑した表情を浮かべていた。


「そう構えなくてもいい。ただ飯を食って喋るだけだから」


「はあ。わかりました……」


 藤十郎は、雰囲気に慣れていないためか曖昧にうなずくだけだ。

 連れてきた道祖家の面々は、佐々成政の家は勝手知ったるもので、思い思いに過ごしている。それを見ると、緊張している藤十郎がかわいそうになり、前田孫十郎や道家清十郎がいる方を指差して、手でそっちに行ってこいと示す。藤十郎は少し安堵して、そそくさと佐々成政や木下藤吉郎から離れていく背中を見送る。


 そうしていると、佐々成政の妻のお香が膳を運んできた。


「長三郎様、お妙殿は清須に戻られないのですか?」


「ええ、こちらに戻っても、またすぐ那古野に移るかもしれない。心配なので、那古野の新居ができてから、そちらに戻らせるつもりでいる」


「そうですか。色々とお話をしたかったのですが……」


 お香は、膳を俺の前に置くと、手を頬に添えて首を傾げる。


(ふみ)があれば、いつでも預かろう。領地とはやり取りをしているので、その時に文を運ばせたら良いので」


「まあ! ありがとうございます。それでは、文を書いたら内蔵助様に届けていただきますね」


「承知した。妻もお香殿から文が届けば喜ぶ」


 楽しそうに手紙の内容を考え始めるお香の隣から、これまた膳を運ぶ寧々が顔を見せた。


「あの……私も文をお渡ししてよろしいでしょうか?」


「もちろんだ。いつでも持ってくると良い」


「ありがとうございます!」


 寧々が俺に礼を言いながら、木下藤吉郎に膳を運ぶ。木下藤吉郎は、それまで佐々成政に酒を注いでいた姿から一変、寧々に恐縮した態度を見せている。その仕草が滑稽で、寧々は袖で口元を隠しながらおかしげに笑った。

 史実の夫婦は、順調に仲を育んでいるようだ。


 そこでふと、まだ前田利家とまつが来ていないことに気がつく。前田家家臣の村井長八郎も姿が見えない。


「内蔵助、又左衛門はどうしたんだ?」


「ああ、何でも荒子に呼ばれておるらしい。昨日帰っていったが、今日の夕刻には戻ると言っておったから、もう直に来るのではないか?」


「そうか……」


「まあまあ、先に食って待っていようではないか」


 そう言って、佐々成政は女中が運んできた膳に手を付け始める。だから、俺も食事に手を伸ばした。


 だが、いくら待っても前田家の者たちが来ることはなかった。









 前田利家が清須に戻ってきたのは、それから三日後のことだ。


 心配して佐脇良之にも聞きに行ったのだが、前田利家と同様に荒子に戻ってしまっていた。


 さすがに荒子まで様子を見に行こうかと思っていた矢先、前田利家はまつを伴って、いきなり道祖家の庭先に姿を見せる。


「又左! 荒子からようやく戻ったのか!?」


「おお、さっき戻った。何かとやることが多くてな……」


 疲れた表情を見せる前田利家が、ぼやきつつ縁側に乱暴に座った。


「何かあったのか? 兄上殿が病気とか……」


「いやいや、兄上は元気だ。しかし、昔よりも気難しくなってしまってな。あらぬことを考えたりしているようだ」


「あらぬこと?」


 呆れた顔を浮かべる前田利家。俺が繰り言のように聞き返すと、立ち上がってまつの傍らに立った。


「わしが有力な他家の娘と結婚して、お家を乗っ取るのではないかと言い出した。まったく、馬鹿げたことを言うものだ」


「それは……いくら何でも……」


 前田利家が乗っ取りなど考えるわけない。俺はそう思っても、実兄から見ると順調に出世を遂げる弟を恐怖に感じているのかもしれない。前田利家の兄、前田蔵人利久は、信長様に逆らった林美作守に与した過去がある。


 父親に泥をかぶってもらったらしいけれど、自分の地位が心配になってきたということか。


「だから疑いを晴らすために荒子で祝言を挙げてきた」


「はあ!?」


 俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。


「妻となったまつだ。改めてよろしく頼むぞ、長三郎」


 まつの肩を抱き寄せて、結婚の報告をする前田利家。


 状況がわからずに、仲睦まじい二人を交互に見やる。史実では結婚しているので、そのうちそうなるのだろうと二人を見守っていたが、急すぎるにもほどがあった。


「あ、ああ……そう、なのか……おめでとう、又左衛門。それにまつも……」


「ありがとうございます、長三郎様。夫の又左衛門ともども、これからもお付き合いください」


 幸せそうに笑顔のまつ。前田利家は、あっさり宣言した割には、どこか恥ずかしそうに目をそらした。


 他家と結んで荒子を乗っ取る疑いを晴らすために、前田利家は何の力もない従姉妹のまつと結婚した。そういったらまつを利用したように聞こえるが、嬉しげにしている二人を見ていると、元々そのつもりであったのだろう。


 急なことで驚いたが、これはちゃんと祝いをしてやらないといけない。


「そうかぁ、二人が夫婦に……。これは早く(たえ)に伝えてやらないとな」


「お妙殿はやはり領地か?」


「ああ、那古野に移るまでは領地にいる。そうだ、ま……まつ殿も妙に文を書いてやってくれないか? お香殿と寧々からはすでに預かっているんだ。おい、藤十郎! 文を書く用意をしてくれ!」


 俺は、家の中にいる藤十郎に命令する。


「良いのですか? では、お言葉に甘えまして」


 そう言って、まつは弾んだ足取りで縁側から家に入っていった。


 それを見送ると、再び前田利家が縁側に座って、俺に並ぶ。


「兄上殿は落ち着かれたのか?」


「ああ、今はな……。だが、またぞろ何を言い出すかわかったものではない。わしは兄嫁が怪しいと思っているのだが、荒子にいる間は尻尾を見せなんだわ」


「確か……滝川((一益))様の縁者だったか。滝川様が他家の乗っ取りを考えるとは思えないぞ」


「わしも、そう思いたい」


 地理的に蟹江城は荒子に近い。蟹江城を東に少し行ったところだ。海西群の服部党と睨み合っている滝川一益が、後背に信頼できる味方を欲しがるのはわかる。だけど、そのために他家の乗っ取りをさせるような人物ではない。


「いざとなったら殿にお縋りしたら良いさ。もしくは、又左衛門が滝川様に匹敵するくらいに出世したら良いのだ。そうしたら、向こうも引き下がるしかないだろう」


「ふっ、出世か。そうだな……長三郎の言う通りだ。さっさと出世してしまって、殿より城を賜ってしまえば良い。兄上は安心するだろうし、もし他家が前田家を乗っ取ろうとしても、食い止めることができよう」


 元気を取り戻した前田利家が、拳で俺の肩を叩く。


 俺は、あまりの痛さに思わず前田利家を睨みつける。しかし、前田利家は意に介することなく大笑して、刀の(つば)辺りに手を添える。


 俺は思わず身構えそうになるが、その前に鍔から棒状の物を抜いて頭を掻くのを見て止める。


「それは、(こうがい)か?」


 笄は、先端が細くなっていて髪を整えたり、髪を乱すことなく頭を掻くときに使ったりする。他にも耳かきや薬をすくったりと用途は幅広い。また、味方の介錯にすら使われることすらある、刀の付属とは思えない代物だ。


「うむ。まつから貰ったのだ。元々は、亡くなられた岳父殿の物だったらしい」


 よく見ると、細かい模様が彫られた上等な物に見える。


「そんな大事なもの、おいそれと刀に指しておくなよ。斬り合いで壊れでもしたら、目も当てられん」


「それもそうか。では、しばらくは他に持っておくしかないな」


 笄を回して、模様を俺に見せつける。結婚した男が、妻からの贈り物を見せびらかしているようだ。


「さっさとしまえ、鬱陶しい」


「まあそう言うな。この笄をもっとじっくり見てみろ」


 面倒になって、突き放そうとするが、今度はがっしりと肩を掴んで俺を離そうとしない。


 腕を捻り上げようとするが、前田利家も腕に力を入れててこでも腕を動かそうとしない。


 そうしたやり取りをしていると、静かな足音が近づいてくる。すると、前田利家はぱっと手を離して、笄も元の位置に戻す。


「長三郎様、文を書けましたよ」


「あ、ああ。わかった、近いうちに妙に届けておく」


 まつが再び姿を現すと、前田利家はさっきまでのことが嘘のように立ち上がって澄ました顔をしている。


「まつ、そろそろ行くぞ。内蔵助などにも挨拶せねばならんからな」


「はい、すぐに参ります。では、こちらをよろしくお願いします」


 前田利家がさっさと歩き出してしまうので、まつが慌てて俺に書いたばかりの手紙を渡す。


 そして深々と頭を下げつつ、小さな声で俺にささやいた。


「あんな夫ではありますが、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます」


 前田利家は誤魔化していたが、どうやらさっきのやり取りはこっそり見られていたらしい。


 俺は笑いを噛み殺しながら、口を開く。


「ああ、こちらこそよろしく頼む。さあ、夫に置いていかれるぞ」


「ええ。それでは失礼いたします」


 もう一度丁寧に頭を下げて、まつは小走りで夫を追いかけていった。


 わずか十二歳で、二十二歳の夫よりもしっかりしている。驚くような年齢差だが、それでも夫よりも年下の妻のほうが強かそうだ。

 噛み殺していた笑いが我慢できなくなって、俺は声を上げて笑い声をあげた。


 藤十郎が何事かとやって来るけれど、構わず俺は笑い続けた。

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