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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第三章 桶狭間の坂道
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未熟者

 威勢の良い声があちらこちらから響いてくる。


 鍬や(すき)が振るわれて土が崩され、その土が(もっこ)によって運ばれていく。普請ではありふれた光景がそこにあった。

 だが、その光景には普通の普請では見かけない物が行ったり来たりしている。


弧輪車(ひとつわぐるま)はやっぱり目立っているな」


 俺がこぼすと、そばにいた篠岡八右衛門が()もありなんとうなずく。


「上手く扱えているようで、拙者も一安心しました。村で扱ったときには、うまく動かなかったり、倒して土をばら撒けたりしたものです」


「動かないことは今でもあるようだぞ」


 俺が示した先では、柔らかい土に嵌ったのか、必死に押しても弧輪車が動いていない。何度か押すとようやく諦めて、弧輪車の先端を少し持ち上げて車輪をずらしている。


「まあ……あれは良くあることです。それでも、畚で土を運ぶより楽な上に早いですよ」


 車輪に溝などはついていないので、どうしても空転する時があるようだ。雨のときなども、使い勝手は急激に悪くなるだろう。


 そして、やはりまだ耐久性に難があるようだ。普請場から端の方に目をやると、一台の弧輪車の傍で座り込んでいる道杉の姿がある。


「村で使っているときは壊れなかったのか?」


「いえ、何度も壊れております。ただ、壊れるのは車輪の周りばかりですが」


「いっそ鉄で作ったほうが良いか」


「しかし、何かあれば直しようがありませんぞ。それに鍛冶師や鋳物師(いもじ)が来てくれるとは思いません」


 鉄を扱う職人たちは、わざわざ村にこなくても仕事はいくらでもある。家老などならともかく、馬廻りの領地にいつくような者はいない。


「八右衛門の言うとおりだな。それに、鉄で作る前に、車輪や軸を轆轤師に頼んでみたほうが良いだろうし」


「はい。道杉も、そのほうがやる気を出すでしょう。あいつは、なんとしても弧輪車を完成させる気でいますから、どうか長い目で見てやってください」


「ああ……さっきは少し気が逸っただけだ。すぐにできあがるなんて思っていないから、心配するな」


「はっ」


 篠岡八右衛門が俺に頭を下げると、何やら木が折れる音が聞こえてきた。


 道杉からそちらに顔を向けると、弧輪車が壊れて横倒しになっている。わらわらと周囲から人夫が集まってきて様子をうかがおうとしていた。


「お前たち、何でもないから作業に戻るんだ!」


 俺が声を張り上げると、蜘蛛の子を散らして作業に戻っていく。篠岡八右衛門は弧輪車に駆け寄り、横倒しになっている弧輪車を操っていた人夫と協力して持ち上げて道杉のもとへ運んでいった。


 そして、篠岡八右衛門と入れ替わって前田孫十郎基勝がやって来た。


「殿、ご相談があるのですが……」


「どうした?」


「それが……勘定をしたところ、どうも人夫に払う銭が足らないようなのです。拙者と八右衛門が流民を雇うと進言ばかりに、申し訳ありません」


 今回、村から連れてきた人夫には流民を多く雇い入れている。村の治安維持を兼ねてのことだったけれど、銭が足らないというのは大問題だった。


「事前に勘案(かんあん)していただろう。どうして、銭が足らない状態になった?」


「どうも、我らが人夫を雇い入れていることを聞きつけた他の流民が、少なからず紛れこんでいたようなのです」


「そいつらはちゃんと作業をしていたのだろうな」


「それは(しか)と確認しております。普請には、取り組んでおりました」


「では、もはやどうしようもあるまい。村にはまだ蓄えがあっただろう。それを持ってくるしかあるまい」


 道祖家は余裕がある。それは、篠岡八右衛門と前田基勝の二人しか家臣がいないことと、道杉にはちょっとした禄だけで済んでいるからだ。道家兄弟もいるが、召し抱えるよりも断然安く済んでいる。それに、蒲黄(ほおう)の売却益があるのも大きかった。


「戦のときの蓄えでありますが……よろしいのですか?」


「背に腹は代えられない。この普請を戦と思って当たらなければならない。次は油断するな」


「はっ。それでは、早速村へ助十郎にでも取りに行かせましょう」


「ああでは、清十郎を連れて行くぞ。そろそろ、他の普請を見に行かなければならないから」


 いつまでも自分の村の人夫がいる所だけを監督する訳にはいかない。奉行として、滞りなく作業が進んでいるのか、他の箇所も見て回る必要がある。


「八右衛門に事情を説明した後に、拙者もお伴いたします」


「わかった。八右衛門には弧輪車ばかり構わずに監督も怠りなくするように伝えてくれ」


「かしこまりました」


 前田基勝が駆け去っていく。


 初めての奉行に、自分だけでなく家臣たちもどこか浮ついてしまっているようだ。今回は自家だけの問題で済んでよかった。


 俺は、作業の様子を眺めながら、見回りのため足早に歩き出した。









 那古野城の改築と熱田までの道普請が行われる中、時は永禄元年の(うるう)六月になっていた。


 道普請は大まかの形が整い、秋の収穫までにはどうにか普請を終わらせる目処が立とうとしている。


 そして、遂に信長様による視察が行われた。


「長三郎、あれは何だ?」


「我が領で作った弧輪車という、土を運ぶ道具でございます。まだ壊れることが多く、畚よりも少し多く土を運べる程度でしかありません」


「ほう……そう言えば、お前はわっぱの頃からおかしな物を作っておった。あれもその一つというわけか」


「はっ。いずれより良いものが出来上がれば、殿にご覧に入れます」


 弧輪車は幾度となく故障を起こしている。その度に直すのだが、直す度に脆くなってしまっているようであった。故障する回数が増え、車輪以外にも壊れるところが出ていた。

 現状では、とても信長様に自信をもって見せられるようなものではない。


 そんな俺の気持ちを汲み取ってくれたのか、信長様は深く追求してくることはなかった。


「熱田には紀伊から木材が届いておる。基礎固めが終わり次第、城の作事に移らせようかと思っておる」


「堀の完成はまだ少し先と聞いておりますが……」


「駿府で動きがあった。こちらも急がなくてはならん」


 密やかに信長様がささやいた。俺は、周囲にいた篠岡八右衛門たち家臣に手で示して遠ざける。


「今川にどのような動きが?」


「義元が隠居し、嫡男の五郎((今川氏真))を当主にするつもりだ。そして、三河に居を移すのだという……」


 今川義元が三河に移動してくる。それは、これまで動けなかった海道一の弓取りに、自由が与えられたということを示す。太原雪斎に任せざるを得なかった状況を、とうとう改善したのだろう。


 前回の評定の段階で、三河は今川にとって未だ盤石な地ではないと考えていた。その状況を改善するために、今川義元自身が出張ってくる。


 まだ確定でなくても、この噂が流れるだけで尾三国境は動揺する。


「また、向こうに先手を打たれましたね」


「ああ。流石に楽をさせてくれん。緒川城の藤四郎((水野信元))には、これまで以上に踏みとどまってもらわねばならん」


「問題は、向こうがどのように動いてくるかでしょう。太原雪斎と同様に少しずつ侵略してくるのか、それとも一気に踏み潰しにくるか……。どちらにも対応できるように――」


「もはや待つ戦をするべきではない。今川が動く前に、奴らに攻め入るぞ。忘れるな、すでに尾張一国は織田家のものぞ」


「はっ、承知しました」


 これからは守るのではなく、攻めていくという信長様の意思表示だ。どうも俺は、昔から切羽詰まらないと攻めれないところがあるようだ。


「これまでの攻めとは、一線を画しましょう。先の浮野での戦いのように、ご家老衆と連携した戦をしなければなりません」


「うむ。そのために、馬廻りより母衣武者を選ぶことにする」


 母衣武者は、大名直属の精鋭と言って差し支えのない武者だ。特殊な目立つ旗指し物を持ち、本陣と前線を結ぶ伝令を務めたりする。とてつもない名誉が与えられるとともに、その重責は生半端なものではない。


 信長様の馬廻りは、主に家を継げない武士の次男三男や尾張に流れてきた者を採用しているので、唯でさえ功名心が高いものが多い。

 その中から選ばれるとあっては、競争が激しいものとなるだろう。


「俺にそのことを漏らしても良かったのですか?」


「構わん。まだ誰を選ぶかは考えておるが、お前は入っていないし、噂でも広がれば犯人は長三郎だとわかる」


「まあ、そうだとは思っておりました」


 俺が母衣武者に入っていれば、信長様はそれを明かさないで俺を驚かせようとするはずだ。


「母衣武者のことは黙っておきます。では、殿はいったいどうしろとお考えで?」


 視察に乗じて、わざわざ俺のところに来たのだ。母衣武者以外にも、何かあるはずだ。


「知れておろう。鳴海城をどう落とすかだ」


 織田家の力は以前と比べても段違いに大きくなっているが、それでも鳴海城が単純な力押しで落ちるならとっくに落ちていることだろう。


「力押しでは、やはり消耗するだけです。ここは、信長様が岩倉城で使った手を用いるのがよろしいかと……」


「鳴海城を囲うか。だが、今回は木曽川はないぞ」


 三河から尾張では遮る物が少ない。今川からの援軍は簡単に来ることが出来る。


「はい。つまり……釣り上げるのですよ、大きな魚を」


 まだ三河が不安定な内に今川義元を引きずり出して、その首を貰い受ける。


「そううまくいくか?」


 半信半疑のような信長様に、俺はうなずく。


「では、賽を振って確かめるしかあるまいな」


 結果、俺は信長様に賽子勝負で負けた。









 織田信長の母衣衆は、黒母衣衆・赤母衣衆として有名である。道祖長通は、そのうちでも赤母衣衆の一員だと信じられてきた。

 それは『道祖実記』に記されている赤母衣衆の一員の最後に、道祖長通と記されていたからだ。しかし、近年では、後になって名前が付け足されたものだと判明した。そのため、これまで考えられていた武勇に秀で、知略に満ちていたという人物像の見直しが図られている。

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