生立つ
清須に戻ってきた翌日、俺は信長様に挨拶するため、清洲城に登城した。
全面的に那古野城に移るのは一、二年後となるが、清洲城は防御に関係のない一郭ですでに解体が始まっている。
そんな光景を横目に見つつ、俺は新次郎を連れて城内を歩く。
「殿は次にどのようなお役目を頂くのでしょうね?」
「那古野城に関係するだろうが、普請の奉行にはまだなれないだろうな。普請関係だとしても、下っ端で駆け回るだけさ」
「では、人手が必要になるのではありませんか?」
新次郎が期待した顔で俺を見てくる。
そこで、ふと去年に新次郎が道祖家に残りたいと言っていたことを思い出す。
何だかんだとあって、新次郎のことを林佐渡守秀貞に相談するのをすっかり忘れていた。
まあ、林家の方でも新次郎の元服前だというのに、何も言ってこないのだから、もしかしたらすんなりと話が通るのかもしれない。
「わかったわかった。今日にでも林様にお会いして、お前のことを聞いておいてやるから」
「本当ですね? 絶対ですよ!」
「ああ、必ず林様に聞いておいてやる。だが、前にも言った通りに、うちに残れるかはわからないからな」
「ありがとうございます!」
うれしそうにする新次郎に、俺は苦笑を漏らしながら歩を進める。
すると、ちょうど前方からやって来る集団に気が付く。俺ははしゃぐ新次郎を制し、脇に寄って集団に道を開ける。
集団は、簗田四郎左衛門政綱を先頭に、悠然と歩いてくる。それに続くのは、簗田左衛門太郎広正と塙九郎左衛門尉直政、そして幾人かの信長様の直臣たちだ。
俺と新次郎は、城持ちである簗田政綱に頭を下げて、集団が通り過ぎるのを待つ。足だけが見える視線の先で、次々と通り過ぎていく中、一人だけが俺の前で立ち止まる。
思わず舌打ちしたくなる気持ちをおさえて、ゆっくりと頭を上げると、そこにいるのはやはり塙直政であった。
「久しいな、長三郎」
「九郎左衛門殿はお忙しそうですから。お邪魔しては、申し訳ないと思っていたもので……」
「以前にも言ったであろう。我らは親類のようなものだ。遠慮などいらん」
親しげに肩を叩いてくるが、塙直政の目は笑ってはいない。敵意こそないが、とても親類だという相手に向ける目つきではなかった。
「左様ですか。では、次からは改めましょう。それで……最近は簗田様とご一緒におられることが多いようですが?」
「うむ。簗田様は殿より密命を帯びているので、その手伝いだ」
なるほど。佐々成政が言っていて通り、沓掛城周辺の足場固めというわけか。それで、与力として塙直政ら直臣たちが与力として貸し与えられたのだろう。
「沓掛ですか……」
「何だ、知っておったのか。領地に引っ込んでいたというのに、存外耳が早いな」
意外そうな顔をする塙直政。俺としても自分の行動が筒抜けなのを、内心で驚きつつ、おくびにも出さないで口を開く。
「そうなると、次の今川との戦いは簗田様が先鋒を務められるということになりますね」
俺がそう言うと、塙直政はにやりと笑った。そして、ついっと身を翻して簗田政綱を追いかけていった。
俺に手柄を渡す気はないということか。目くじらを立てるほど、差が縮まっているわけではあるまいに。
十分に塙直政が離れたところで、大きく息を吐きだす。
「殿……」
新次郎が心配するように、声をかけてくる。
「心配しなくていい」
まだ、ただのじゃれ合いだ。
後の言葉を飲み込んで、俺は足早に歩き出した。
俺は旧知の池田勝三郎恒興に案内されて、信長様の居室に入った。場所としては、もとは斯波家の屋敷であったところだ。
さっさと取り壊すと思っていたが、清洲城内にある織田家の屋敷として活用されている。
ちなみに陪臣である新次郎は、城の中枢には入れないので、屋敷の入口で待たせていた。
「戻ったのか」
「はっ。本日は帰還のご挨拶に罷り越しました」
「うむ」
信長様は俺に顔を向けず、じっと絵図に見入っている。
そして、おもむろに顔をあげると、小姓の一人である佐脇藤八郎良之を声をかける。
「藤八郎、これを長三郎に」
「ははっ」
佐脇良之が、信長様が見ていた絵図をさっと手にとって、俺のもとまで持ってきた。
絵図を手に取り、見てみると改築中の那古野城周辺の絵図らしい。そこには、俺たち家臣団の居住地となる場所が描かれている。
「それに決めた」
俺たち家臣団の家を、どこに配置するかで家老たちの意見は分かれていた。信長様がそれを決めたということは、城の普請が今以上に進められるということだ。
居住地は、那古野城の南にある大手門から東側にかけての場所になるようだった。北と西には、大きめの堀があるので、それで守りを固めている。南と東を家臣たちの家で城を守ろうというのだろう。
じっと見つめていた絵図から顔を上げ、信長様を見ると、ちょうど目が合う。すると、信長様が小姓や近習に退室するように手で示した。静かに小姓たちが退室すると、信長様が顎をしゃくってみせる。
「美濃には守勢で臨まれるのですね」
「その通りだ。新五郎らが調べた話だと、新九郎めは帝から治部大輔に任じられたらしい。子細はわからぬが、京の連中はわしよりも新九郎を選んだということだ。だから今は、こちらから新九郎と事を構える訳にはいかん」
斎藤新九郎高政が、治部大輔に任命された。この地域で斎藤高政を治部大輔にするということは、京都の方では今川義元への対抗に信長様ではなく斎藤高政を考えているということだろう。
「公方様はまだ京ではなく、朽木谷の方にいらしたはず。となれば、三好ですか?」
「そして、伊勢守だろうな」
幕府の政所執事を務める、伊勢伊勢守貞孝。足利家の家臣でありながら、将軍である足利義輝に従わず、将軍を追い出して京都を手中にしている三好長慶と行動をともにしている人物だ。
今、将軍の権威と幕府の政治機構は分離した状態にある。そのため、三好は有力な大名を取り込むために朝廷を、帝を動かした。
わざわざ今川義元が名乗る治部大輔に、斎藤高政を任命したのだ。いずれ今川義元が勢力を伸ばしたら、その頭を押さえる役目を斎藤高政にさせるつもりなのだろう。
今川義元が聞きつけたら怒り狂うに違いなかった。
「織田家を無視しているのか、それとも斯波家を追い出したので扱いに困っているかのどちらかでしょうね」
「どちらにしても、捨て置かれたことに変わりはない。斎藤ではなく、今川には織田が当たるということを示す」
信長様が獰猛の笑みを浮かべ、握りこぶしを見せる。
「なるほど。簗田様が動かれているのは、そのためというわけですか」
「その通りだ。四郎左衛門は斯波家の家臣であったから、あれで顔が広いでな」
「しかし、まだ虎の尾を踏む必要はないのではないでしょうか? もしかしたら、京では織田と今川の共倒れを狙っているやもしれません。那古野城の築城を終えるまでは、このまま守りを固めるべきかと」
無視された織田家、官位を取られた今川家。己の証明のために、両者が戦い、そして疲弊するのを待つ。よくある漁夫の利というやつだ。せめて、万全な防備を敷いてから仕掛けても遅くはない。
「心配するな。まだ地固めだと四郎左衛門には言い含めておる。だが、来年あたりにでも鳴海城を落とすつもりだ。安祥や岡崎には、それからとなろう」
「来年ですか……では、那古野の普請を急がねばなりませんね」
鳴海城を落とせば、ずっと尾張に突き刺さっていた厄介な刃物を取り除くということ。尾張を征した織田家は、守勢ではなく、攻勢に移ることが出来る。
「田植えが終わり次第、家臣たちの領内に夫役を課す。堀などの城周りを完成させれば、職人の仕事となろう」
「承知しました。それで……俺を呼び戻されたということは、普請と何か関係があると推察しますが?」
「うむ、道普請だ。奉行の一人として差配せよ」
城の普請ではなく、道普請を行う。思ってもいなかった言葉に、俺は開いた口が塞がらなかった。
「道でございますか? この城作りで忙しいという時に?」
「そう言ったであろう。道普請をしたのも随分と前のことだ。すでに傷んでおる道もある。尾張一国を支配する今となっては、ゆくゆくは良い道を国中に広める必要があるのだ」
確かに、前に道普請が行われたのは、今川に包囲網を敷かれる前だから三年は経っている。そして、熱田・津島と那古野間の道普請は五年以上前になるので、道が悪くなっていることだろう。
「城の普請の最中では、人手も金もありません。今年中には、とてもご満足いく仕上がりにはなりません」
「阿呆。全てを一度に完成させよなどと言っておらん。尾張中に道を張り巡らせるのだ。城作りよりも、長く時がかかろう。その端緒をつけよ」
「はっ。申し訳ありません」
確かに、信長様はゆくゆくと言った。ということは、しばらくは道の普請奉行として働くことになる。村作りでは済まない、一国規模の治世を経験する時が来たのだ。
かつて信長様は、俺が奉行として差配するようになると言った。だから、俺がついに道普請の奉行を務めるように命じられるということは、それに値するところまで成長したとお考えになっている証だ。
この期待には、何が何でも答えなければならない。
じっと俺を見る信長様を、俺は意思を込めた目で見つめ返す。
「道祖長三郎、必ずや信長様のご期待に報いてみせます。後の世にまで残る道を、作ってみせましょう」
「うむ。詳しくは追って沙汰を下す。励めよ、長三郎!」
「かしこまりました!」
深く、信長様に対して平伏する。やがて、顔をあげると、信長様は満足そうにしていた。
そして、信長様は悠然と立ち上がる。
「久しぶりに奇妙に会ってゆけ。帰蝶も喜ぼう」
「はっ。では、お言葉に甘えまして」
機嫌よく信長様が歩き出したので、俺は先回りして障子を開けた。部屋から出ると、小姓たちが離れたところで待っている。
それに構わず、信長様は屋敷の奥に向かっていく。
「奇妙丸様は、大きくなられたのでしょうね」
「じっとしていられない奴だ。佐渡も苦労しておるわ」
どうやら林秀貞だけでなく、信長様も苦労しているようだ。しかし、それがうれしくもあるという顔をされていた。
「それは、殿に似られたということでしょう?」
俺がしたり顔でそう口にすると、信長様が怖い目つきで俺を見る。
「それはわしが赤子と同じであったということか、長三郎?」
「じっとされずに、馬を乗り回しておられたことは、この長三郎が最も身にしみておりますので。奇妙丸様に誰かをつける時には、走りが早い者が良いでしょうね」
そこまで言ったところで、信長様に頭を小突かれた。
そして、大声で信長様が笑い、俺も一緒になって笑い声をあげる。
後ろからついてきている小姓たちが、池田恒興を除いて不思議そうな顔をしていた。




