雲行き
三月となると、俺は妙と新次郎、そして護衛の前田孫十郎基勝と道家兄弟とともに清須に戻ってきた。しかし、護衛である三人はとんぼ返りですぐに村に戻っていく。篠岡八右衛門が収穫や田植えについて指揮するので、それを補佐するのだ。
俺も本当なら、畑の収穫を見届けてから戻るつもりだった。しかし、信長様から清須に戻れとのお達しが来たのだから仕方がない。
そして、清須に戻ってきた俺たちを出迎えたのが、佐々内蔵助成政だった。
「おお、長三郎。ようやく戻ったのか」
「できればもっと向こうにいたかったよ。しかし、殿から戻れと言われれば、そういう訳にはいかないだろう。そのことで、何か聞いているか?」
「今回ばかりはわしは聞いておらんな。しかし、長三郎のように在地に出向いていた何人かが呼び戻されている。もしかしたら、ご命令が下されるのやもしれんな」
織田家と敵対している大名は、北の斎藤新九郎高政と東の今川治部大輔義元の両名だ。北の斎藤高政に対しては、同盟者となっている犬山城の織田十郎左衛門信清が木曽川を挟んで対峙しているから、すぐに戦いが始まることはない。
次に戦うとしたら、不気味な沈黙を保っている今川義元になるはずだ。太原雪斎の死から、もうそろそろ二年余りになろうとしている。何らかの理由で、今川義元は本国である駿河を動けないと考えているが、いい加減動きがあるだろう。
「やはり、今川に対して何か行動を起こされるのかな」
俺がそうこぼすと、佐々成政がわからないとばかりに肩をすくめてみせる。
「そうかもしれんし、そうでないかもしれん。那古野城の普請もあることだし、大きく兵を動かすとも考えられん」
「では、明日にでも登城して殿にお考えを伺ってくるとしよう。帰還の挨拶をしなければならんしな」
「任せたぞ。そうだ、今夜うちで飯を食わんか? 妻がお妙殿に会いたがっておったのだ」
俺が妙を振り返ると、うれしそうにうなずいている。
「わかった、そうしよう。いつものように、又左衛門と藤吉郎にも声をかけておく」
「頼んだ。わしは妻に、夕餉は大人数だと伝えておこう」
そう言うと、佐々成政は自分の家の方に帰っていった。
「殿、旅装を解いたら、お香殿のお手伝いに参ってよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない。新次郎は又左衛門と藤吉郎に伝えてきてくれ。その後は、妙について内蔵助の家に行っておけ」
「承知しました」
新次郎が早速、二人に伝えるために走っていく。
俺は妙とともに、家の門をくぐっていった。
佐々成政宅での食事は、つつがなく始まった。
「藤吉郎お前、家名を決めたんだってな?」
「ええ。これからは、木下藤吉郎と名乗ることにしました」
俺が尋ねると、嬉しそうに話す木下藤吉郎。
村に行く前に、武士になったと聞かされた時は驚いたものだ。どうやら、清洲城で働いている幾人かが武士に取り立てられたようだ。清洲城は廃城にされるので、人員の整理をしているのだろう。
ともあれ、藤吉郎はようやく念願の武士になったのだ。
「まだ知行はなく、禄を頂いている身ですが、浅野様が面倒をみてくださっています」
「浅野と言うと、岩倉城で一緒だった浅野又右衛門殿か」
思わず女衆の方を見ると、浅野長勝の養女寧々は、楽しそうにおしゃべりをしている。
「ええ、左様です。寧々殿のお父上だと知ったときは、驚いたものでした」
木下藤吉郎と寧々との関係は、浅野長勝との縁で生まれたものか。
心の中だけで独白し、何食わぬ顔で料理に箸を伸ばす。とっくに知っていたのだろう、前田利家と佐々成政に特別驚いた様子はなかった。
「そういえば、新たに同朋衆に加わった拾阿弥をご覧になられましたか?」
同朋衆は、芸能で仕える一芸に特化した者たちのことだ。芸を伝授したり、主君が客の饗応の際に活躍したりする。
「いや、見たことがないし、そんな話は知らなかった。どのような人物なのだ?」
木下藤吉郎が俺に、話を振る。
どうやら村に行っている間に、色々と変化があったようだ。
「嫌な奴だ。会わない方が良いぞ」
「内蔵助の言うとおり。殿が何故、あのような者を登用されたのか、まったくわからん」
思い出しただけで気分が悪いと、食事をかっこむ二人。
「お二人の言うとおり、お会いにならない方がいいですよ。口から出てくる言葉は悪口ばかりですからな。特に、前田様はよく突っかかられてお困りなのですわ」
「ふん。あのような小物になぞ、わしは困っておらん」
「よく言うわ。この前など、刀に手をかけようとしたではないか。大事に至る前に止めに入ったわしに、感謝するのだな」
「いや、佐々様、あの拾阿弥は一度斬られたほうが良いのではないですか?」
「斬られたほうが良いというのは、確かだな。しかし、我らが手を出す訳にはいかん。いっそ殿が手打ちにしてくださったら良いのだが……」
武士の絶対的な規則に、喧嘩両成敗がある。理由の如何によらず、喧嘩をすれば両方に罰が下されるのだ。基本、暴力集団の武士が内部で喧嘩せずにまとまれているのは、この規則があるからだ。
「ともかく、拾阿弥とかいうのには会わないに限る。登城するのなら、それを覚えて置くことだ」
「そんな面倒なのが同朋衆に加わったのか」
三人の様子を見るに、会わないほうがいいらしい。怖いもの見たさはあるが、三人とも会いたくない様子なので、近寄らないほうがいいだろう。会っても、頭にきて斬り殺してしまわないようにしないといけないようだし。
「同朋衆と言えば、新たに猿楽師が来ていたな。播磨の方から流れてきたそうだが……」
「大和ではなくて、播磨からなのか?」
「元は大和の春日社に供奉していたらしいが、詳しくは知らん。殿は、その猿楽師をしばらく尾張に留めておくそうだ」
佐々成政が、手酌で盃に酒を満たす。そして、前田利家や木下藤吉郎の盃にも注いでいく。
「猿楽か。これからは、そういった者たちも多く来るようになるのだろうな」
「それだけ、殿の権勢が増しておるということだ。弾正忠家、いや織田家はますます栄えていくことになる」
佐々成政の言うとおり、戦いに明け暮れた尾張が変化し、信長様が力をつけている証拠だろう。
しかし、さっき話していた拾阿弥のような嫌われる存在も入り込んでくるはずだ。それとなくにでも、信長様に注意しておこう。
汁物を口に含んで考えていると、佐々成政が前田利家に話を振る。
「長三郎が留守の間、あとは何があったかな?」
「ほれ、前に会った簗田様のことがあるだろう」
明日のことに意識を向けていたので、急に出てきた簗田の名前に俺は思わずむせてしまった。
数度咳をすると、木下藤吉郎が椀に水を入れて差し出してくれる。俺はその水を一息にのみ、どうにか落ち着いた。
「大丈夫か?」
「ああ、すまない。それで、簗田様とは、あの九坪城主の簗田四郎左衛門様か?」
「その通り。岩倉城攻めの前に会ったであろう。簗田様が、沓掛周辺の土豪たちを説得して回っているらしい。噂だが、岡崎城の方への足がかりを作るためだそうだ」
簗田四郎左衛門政綱。簗田政綱の息子が、塙九郎左衛門尉直政と親しくしている様子だった。そんな人物が、対今川で動きを見せている。
これは、確認しておいたほうが良さそうだった。
信長様に会って、色々と確かめなければならないことが増えた。しかし、清須に戻ってきて早めに情勢を知れたのは助かった。
恐らく、佐々成政が気を回してくれたお陰だろう。
俺は、佐々成政への感謝を胸の内だけにしまっておき、酒を飲み干した面々に酒を注いでいく。
「それにしても、わしも早くお三方のように知行持ちになって追いつきたいものです」
「藤吉郎とは言え、そう簡単に追いつかれてたまるものか。命がけでここまで出世したのだからな。のう、長三郎、内蔵助!」
「又左の言うとおりだ。武士となったからには、しっかりと槍働きをすることが肝要。次の戦では、名のしれた者の首級をあげてみろ」
前田又左衛門利家と佐々成政が、意地の悪い顔をして酒をあおる。
「そんなことを言って、本当に追い抜かれるときが来るぞ」
なんせ、日本の歴史で最も出世を果たした人物なのだ。美濃攻略での墨俣での築城が有名だが、それを任されるだけの信用を勝ち取っているはずなので、史実では何かしらの手柄を立てたはずだ。
「なんじゃ、藤吉郎の肩を持つのか、長三郎」
「油断をするなと言っているんだ。油断をしていると、今度こそ命を落としてせっかくの加増が台無しになるぞ」
酔いに任せてつっかかってくる前田利家に、俺は冷水をあびせる。
前田利家は、顔に矢を受けながらも戦った戦功を高く評価されて、百貫文の加増を受けていた。今、俺たちの中で最も知行が多いのは、この前田利家だ。
「心配はいらん。わしは天下に並ぶ者のない槍の使い手だ。次は、手傷を負うことなく手柄を立ててくれるわ。普請ならともかく、戦働きで藤吉郎には負けんぞ。無論、長三郎や内蔵助にもの」
「面白いことを言ってくれる。では、次の戦で、誰が一番大きな手柄を立てるのか、競おうではないか」
佐々成政の提案に、前田利家と木下藤吉郎が受けて立つとばかりに盃を前に突き出す。
「長三郎はどうだ? 乗らんのか?」
佐々成政も盃を持った手を前に出しながら、俺に視線を送ってくる。
三人以外にも、成り行きを見守っている家臣たちや女衆が俺を見ていた。
断れそうにない雰囲気に、俺はため息をつきながら、水で満たした盃を突き出す。
「よし、これで揃ったな。では、次の戦は競争だ。抜け駆けは無し、正々堂々と戦おう」
佐々成政の宣言を受け、各自が盃を乾した。




