孤輪車
「殿、細工師にどんな物を作らせるおつもりなのですか?」
新次郎が俺の傍らに寄ってきて聞いてくる。
「もう四年か五年前になるのだがな、熱田と津島の道普請があっただろう。殿にお供して廻ったのだが、あのときにもっと楽に土を運べないかと思っていた。もう随分前になるのだけど、それをふと思い出したんだ」
「では、土を運ぶためのものをお作りに?」
「そうだ。土を多く運べれば、それだけ普請などが捗るだろう」
新次郎がつまらなそうな顔をする。どうやら新次郎的には面白くないようだ。
だが、気分が乗っているのにそんな顔をされると腹が立ってきた。だから、新次郎の額を親指で押さえ込んだ中指で弾いてやる。
「いたっ!」
油断していた新次郎が、思わず声を上げて額を両手でおさえた。そんな新次郎に俺は、手で軽く追い払う仕草をする。
「ほれ、どうせ聞いていてもつまらないぞ。もっと面白いところに行ってこい」
「いえ、そんな! 殿のお側にいます!」
「いやいや、いいんだいいんだ。ほれ、行って来い」
ここにいる、他へ行けというやり取りをして進次郎とじゃれ合っていると、篠岡八右衛門が一人の若い男を連れて戻ってきた。
「何をされているのですか、殿は?」
「ちょっとした暇つぶしだ。それで、その男が細工師か?」
「まあ、細工師と言えば細工師です。こやつは弟子の一人でして、師は手が離せないそうなのです」
篠岡八右衛門が困ったように頭を掻く後ろで、細工師の弟子が申し訳なさそうにちょっと頭を下げる。
どこか頼りなさげな男であるけれど、背に腹は代えられない。
「そうか、では仕方ないな。名は何という?」
「どうすぎと申します」
「どうすぎ? いったいどのような字を書く?」
「道に、木の杉と書いて、道杉と読みます」
「変わった名前だな。まるで坊主のようだ」
俺がそう言うと、道杉はさらに小さくなって頭を下げた。
「申し訳ございません。この名は、父が旅の僧侶からそのまま貰ったらしく、あっしにはどうにも……」
「いやいや、貶めるつもりはない。すまなかった」
「とんでもございません。あの……それで何かご入用の物があるとか……」
「ああ、そうだな。実は作って貰いたい物がある。一輪車、いや手押し車かな?」
俺がそう言うと、道杉、篠岡八右衛門、新次郎の三人が困惑した顔になった。
それでも、道杉がおずおずと俺に尋ねる。
「その、ておしぐるまという物は知りませんが……押すと回る物なのでしょうか?」
「そうそう、そういう物だ。土を多く運ぶための道具で、これからの普請に役に立つのではないかと思っている」
「はあ……」
気のない返事をする道杉。名前からはまったくどういう物か想像できていないのだろう。
「話だけでは形がわからないだろうから、簡単な図を描く。それに、作るのは手伝うから心配するな」
「そんな!? お手を煩わせるなんて、とんでもないことです!」
「絶対に口だけでは無理なのだ。ほら、ついて来い。八右衛門と新次郎は、幾つか材木を持ってついてきてくれ」
戸惑う道杉を連れて、妙のもとまで戻っていく。俺がまた何か作るのだというと、呆れた顔をしていた。
俺が、道杉にあれこれと指示しながら一輪車こと手押し車を作成すること数日、どうにか形にすることが出来た。ちなみに、名称についてはいつの間にか孤輪車と呼ぶようになっていた。
俺の知っている一輪車は角のない丸っこい印象だったのだが、出来上がったのはかなり角々しい物になってしまっている。
台形に作った箱をひっくり返して、それに短めの足を二つ付ける。そして、前方には車輪を組み込めるように棒をつけた。次に持ち手の部分を斜めに取り付ける。そこまでは大丈夫だったが、やはり車輪と車軸が難航した。
道杉は、車輪の作り方を一応知っていた。しかし、車輪は本来なら車作という職人が作るものだ。それに、牛車用の大きいものが普通なので、孤輪車みたいな小型の車輪は見たことがないらしい。そして、車軸となる棒についても、滑らかな円柱を作るのに苦労した。
そんな慣れない代物が数日で出来上がったのは、道杉が必死に頑張ってくれたお陰だ。
「よし、では試してみろ」
俺の命令に、篠岡八右衛門が取手を手にして、後部の足を浮かせる。たったそれだけで、堀作りの手を止めて見に来ている農民たちが歓声を上げた。
篠岡八右衛門が、ぎこちなくゆっくりと歩き始める。車輪はちゃんと回転してはいるけれど、篠岡八右衛門が力を入れて押して動かしているようだ。とても滑らかに回っているとは言えない。
農民たちが喜んでいる中、俺としてはとても喜べる出来ではなかった。あれでは、土を入れたらより強い力を入れて押す必要がある。
「八右衛門、ぐるっと回って見せてくれ」
俺が指示すると、篠岡八右衛門はゆっくりと大回りで回ってくる。車輪が平たいので、そうしないと回れないようだ。
「駄目かな、これは……」
ぽつりとつぶやく。すると、そばにいた道杉が情けない顔をしてうなだれてしまう。
俺はそんな道杉に構わず、次の指示を出す。
「次は土を載せてから、動いてみるんだ」
「わかりました。お前たち、そこの土をこの中に入れよ」
すると、農民たちが鋤を使って孤輪車に土を盛っていく。鋤は平たく、円匙のようにすくうために匙の形になっていないので、ぼろぼろとこぼしている。これについても、普請に使うならいずれは何とかしなければならないだろう。
どうにか土が盛られたところで、篠岡八右衛門に対してうなずきかける。
すると、篠岡八右衛門がまた取手を持って、孤輪車の後部を持ち上げた。少し重そうな素振りを見せるけれども、支障はなさそうだ。
そして、そのままゆっくりと前に進み始める。
「八右衛門、どんな様子だ?」
「だいぶ力が必要ですが、問題はありませんな。畚よりも多くの土を一人で運べるというのは、良いのではないでしょうか」
「じゃあ、ちょっと代わってくれ。試してみよう」
俺が進み出ると、篠岡八右衛門が取手を持ち上げたまま渡してくれた。ちょっとした重みが両腕にかかる。平たい車輪のため、左右に傾きにくいので倒れる心配はなさそうだった。
何度か取手を上げ下げして、持ち上げるのに支障がないかを確認する。そうしてから、一気に取っ手を持ち上げて、積んでいた土を前方に落とす。軽くなったところで下げてみると、まだ中には土がそれなりに残っている。どうやら形をもっと考えなければならないらしい。
「もう一度土を載せろ」
見守っていた農民たちが、急いで土を載せてくれる。
すぐに土が載せ終わり、今度は歩き出すと、引っ掛かりを感じながらだが、どうにか歩くことは出来る。また、さっき指示したようにぐるっと回ってみたりもしてみる。やはり一輪車に比べて、旋回はしにくいという印象だ。
そして、今度は力を込めて駆け足になって孤輪車を動かす。がたがたと振動が孤輪車から伝わってきた。そのまま、勢いをつけてちょっとした石に車輪をぶつけてみる。
すると、車輪辺りから木の折れる音がして、孤輪車が前方に傾く。俺の体は、つんのめって倒れそうになるが、なんとか堪えてこけずに済んだ。
「殿! ご無事ですか!?」
篠岡八右衛門だけでなく、家臣たちが一斉に走り寄ってくる。
「ああ、大事ない。やはり、色々と問題が出てきたか」
「道祖様! 申し訳ありません!!」
道杉も走ってきて、地面に両膝をついて俺に頭を下げる。
「そんなに頭を下げなくてもいい。いきなり上手くはいかないだろうとは思っていたのだ」
「し、しかし……」
「それよりも、これが直るのか見てくれ。すぐに直せそうなら、また試してみよう」
「はい! す、すぐに!」
道杉が慌てて孤輪車を改め始める。
俺はもう一度家臣たちに何ともないと手を降ってみせ、離れて様子をうかがっていた道杉の師匠のところに歩いていく。
「弟子が、未熟な仕事をいたしました」
「道杉にも言ったが、一度で上手くいくとは思っていなかったのだ。だから気にする必要はない」
そう言って、頭を下げる細工師に頭を上げさせる。
素人仕事だったとは言え、千歯扱きに数年かけたのだから、再現するのが難しいのは心得ていた。
「あやつは一番古い弟子なのですが、どうも気が小さく……細工にその臆病さが出るのです。だから、弟弟子たちにも腕前を次々と追い抜かれていきました」
細工師が作業をしている道杉を見つめている。
「道祖様のご依頼を達成すれば、自信をつけるかと思ったのですが……」
「それはすまないことをしたな。こちらの考えを伝えておくべきだった」
「とんでもないことでございます。むしろ道祖様には申し訳ないことをいたしました。勝手にあやつの試しに使ってしまったのですから」
また頭を下げようとする細工師に、俺は手でそれを制した。
「詫びる必要はない。しかし、どうしても気にするというのなら、道杉をこの道祖長三郎に任せてもらえないだろうか?」
「それは……一体どういうことでしょうか?」
「今、あの孤輪車を作れるのは道杉だけだ。これから孤輪車を手直しをして、より良い物を作るのにあいつが必要だと思っている。決して悪いようにはしないと誓おう。禄を与えて召し抱えても良い」
細工師が、俺と作業をしている道杉を交互に見る。
「どうだろうか?」
「あやつの腕は、良くありませんぞ。お望みの物が、出来ないこともありましょう」
「師であるそなたからしたら道杉の腕が悪くても、我らより良いのは確かだ。それに、これから腕を磨けばいいだけではないか」
俺がそう言うと、細工師は深々と頭を下げた。
「承知しました。この村を離れるときには、あやつを置いていきましょう。どうか、宜しくお願い申し上げます」
「ありがとう。任せてくれ」
細工師を召し抱えられないかと思っていたが、それを思いがけず叶えられた。これで孤輪車だけでなく、千歯扱きをさらに良くしたり、いずれは唐箕を作ることが可能になるだろう。
「一つ、お教えいたしましょう。あやつから話を聞いただけなので確実とはいえませんが、轆轤師がいれば、あの孤輪車という物を作りやすいかもしれません」
「轆轤師か……なるほど。気が付かなかった」
轆轤師は、轆轤、旋盤をつかって物を回転させ、それを刃物などで削り曲線を出す。木の椀などを作る者たちで、木地師とも呼ばれている。
轆轤師なら、孤輪車の部品だけでなく円匙を作ることができそうだ。
俺は、孤輪車を直そうとしている道杉に、分かりもしないのにあれこれと口を出している家臣たちを眺める。その周囲には、農民たちも集まっている。
段々と人が集まってきていることに、ふいに嬉しさが湧き上がっていた。
「まったく。あいつらは邪魔をして……」
口調とは裏腹に、自分でも笑ってしまっていることに気が付きながら、俺は仕事に戻らせようと口を開いた。




