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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第二章 尾張統一の道程
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国譲り 弐

 信長様直属の馬廻りは、見事に殿(しんがり)を果たして、美濃三人衆の追撃を阻むことが出来た。先に撤退した味方に追いつき、美濃の木曽川沿いを南下して尾張を目指す。


 時折、後方から落ち武者狩りなどを逃れた斎藤道三配下の武将が追いついてくる。土田弥平次と同様に泥にまみれ、凄惨な負け戦を物語っていた。

 信長様は、斎藤道三が追いついてこないかと気にしていたが、とうとう凶報が届けられる。


「では、岳父殿は討ち取られたというのだな?」


「はっ。乱戦の最中(さなか)……無念にも首を落とされてしまいました」


 信長様の前で、鎧すら逃げる途中で脱ぎ捨てたであろう男、猪子(いのこ)兵介高就(たかなり)が報告する。

 聖徳寺での会談にも、斎藤道三に付き添った近習であり、長良川での戦いも斎藤道三の近くで戦っていたらしい。主君を救えなかった苦しみを抱えて、どうにか追いついてきたのだ。


「そうか。……今はお前たちも尾張まで来るがいい。いずれ岳父殿の弔い合戦では、先鋒を務めてもらう」


「承知しました。織田上総介様に、全てを委ねまする」


 猪子高就が頭を下げる。信長様がうなずき、馬を前に進める。そして俺は、昔のように信長様の馬の手綱を引いていた。


「勘十郎めが喜び勇んでおる姿が目に浮かぶわ。家臣共にも勘十郎に味方するのが増えるだろう」


「約定した休戦は、八月には終わります。すぐさま勝負を決する必要があります」


「小折城に迎えを出す件がある。ついでに犬山の十郎左衛門((織田信清))にも使いを出す。美濃と伊勢守信安に圧を加えさせる」


「犬山城の負担が大きいですが、致し方ありません」


 美濃を制した斎藤新九郎利尚が((義龍))、どう動くかわからない。自ら尾張を狙うかもしれないし、信長様の敵対勢力を援助する可能性だってある。ただ、斎藤道三が逃した家族を信長様が匿う限り、決して和議を結ぶことはない。


 今川のように尾張諸勢力と手を結ばれる前に、各個に撃破してしまう必要がある。


「岩倉城は簡単に落ちないでしょう。まずはやはり末森から始めるべきです」


 以前戦った守護代家の力は、なかなか侮れない。岩倉城も、話に聞く限りでは簡単に落ちないだろう。北に全力を注ぐためにも、後顧の憂いは取り去っておくに限る。


「良かろう。休戦が明け次第に勘十郎から仕留める。そのために、清洲城へ戻らずにもう一戦しておくか」


「はい。伊勢守家も去年の力を幾分なりとも取り戻しているはずです。こちらが引き上げると見せかけて、奇襲をしておくのが宜しいかと」


 幸い、今回はまだ小当り程度で、余力は十分にある。


 ふと前を見やると、篠岡八右衛門が何かを伝えたそうにしていた。俺はうなずき、離れていた藤吉郎を呼んで手綱引きを交代してもらう。









「いつの間にか、息をしておりませんでした」


「そうか……。やはり、鉄砲か?」


 先程の戦いで倒れてしまった足軽が、眠るように横たわっている。馬に載せるようにしてここまで連れてきたが、安全なところまで()ってくれなかった。


「はい。背中に穴がありました。胸から抜けていない様なので、体内にまだあるかと……。取り出しますか?」


「しなくていい。そんなことをしても、こいつは戻ってこない」


 俺は死んだ足軽の傍らに腰を下ろし、かつて父の仲間がそうしたように、家臣の亡骸から髪を一房切り取る。

 これから木曽川を渡るうえに、もう一戦戦うことになる。だから、遺体は連れて行くことは出来ない。


 生き残ったもう一人の足軽が、涙を流して嗚咽を漏らす。


「今、供養してやれない俺を許してくれ。だが、村にいるお前の家族には、必ず報いてやるから心配するな」


 切り取った髪を紐で縛り、無くさないよう大切にしまう。


 そして、三人で手を合わせ、冥福を祈る。なんと唱えていいのかもわからなかったけれど、南無阿弥陀仏とだけ何回も唱える。


 すると、背後で静かにお経を唱える声が聞こえてきた。驚いて背後を見ると、一人の男が経を唱えながら立っている。


 こちらに歩いてくるので、場所を譲ると、男が屍の隣に腰を下ろして、供養を施してくれる。撤退中の中、異様な感じになっているが、俺たちは男の後ろに座って静かに手を合わせた。


 ひとしきり経を唱え終わると、男が座ったままこちらに向く。


「突然失礼仕った。あまりにも熱心に手を合わせていたので、及ばずながら些少の供養をして差し上げようと思った次第」


 鎧などをしていないということは、逃れてきた斎藤道三の配下であろう。


「いや、我が家の者のために、感謝申し上げる。織田上総介が家臣、道祖長三郎と申します」


「拙者は斎藤家家臣、前田孫十郎基勝。この春までは、叡山で修行をしていました」


 前田基勝は、自らの禿頭(とくとう)をなでながら少し頭を下げる。俺と同年代と思われるその容姿は、確かに鎧兜よりは袈裟の方が似合っていそうであった。









 追いついてきた斎藤道三の家臣たちを吸収し、再び木曽川を越えて尾張に無事戻ることが出来た。そして、そのまま清洲城に戻るのではなく、岩倉城に兵を進めた。


 伊勢守家でも、斎藤道三討ち死にの報が伝わっていたらしく、恐らく清洲城に向かおうという兵を出してきたところに行きあう。

 敗戦の鬱憤(うっぷん)を晴らすように、斎藤道三の家臣たちも予備の具足を与えられてよく戦った。瞬く間に敵を壊乱させ、岩倉城の城下町を焼き払う。しかも、それだけに飽き足らず、周辺にある伊勢守家の知行地を襲い回った。


 しばらく岩倉城とにらみ合いを続け、その間に池田勝三郎恒興が小折城に遣わされる。


 逃れた斎藤道三の家族は、無事に到着していた。そこで、犬山城の織田信清の協力で厳重に守られて岩倉城を囲う弾正忠家の軍に合流できた。


 連れられてきた斎藤道三の家族の中には、聖徳寺で会った斎藤新五郎や想という姫の姿もある。また、小折城城主の娘である生駒家の吉乃という女性も付き添っていた。話に聞いた、土田弥平次の妻だろう。


 そして、父の討ち死にに沈む家族を連れ、清洲城に引き上げるのであった。清洲城では、帰蝶様や織田信広がわざわざ出迎えに出てきていた。


「殿、ご無事のご帰城、帰蝶は嬉しゅうございます」


「すまぬ。岳父殿は、間に合わなんだ」


「これも、定めでございましょう。どうか、お気になさいませぬように。わたくしは、この子たちを連れてきてくれただけで……」


 帰蝶様は気丈に振る舞いつつ、家族との再会を喜ぶ。


「姉上……父上をお守りできずに、おめおめと生き恥をさらすこと、お許し下さい」


「新五郎、何を言うのですか。貴方は立派に、弟妹や女衆を逃したのです。生き恥などではありません」


「しかし……」


 斎藤新五郎は、尚も悔しそうに肩を震わせている。そんな斎藤新五郎の震えを止めさせるかのように、信長様が肩に手を置いた。


「帰蝶の申す通りだ。憎き新九郎((斎藤利尚))めとの戦いはまだ始まったばかり。今すぐというわけには行かぬが、美濃の奪還には、この上総介が力添えしよう」


「ありがとうございます。しかし……美濃は……どうか上総介様がお取り下さいますよう」


 斎藤新五郎の言葉に、周囲が顔を見合わせ、ざわつき出す。


「新九郎が謀反を起こし、父を殺めた以上、我らに美濃を統べる力はございません。これは、亡き父の遺言でもあります」


「岳父殿の……遺言だと?」


「父から、美濃一国を譲り渡す旨の遺言状を預かっております」


 斉藤新五郎が跪き、懐から書状を取り出す。そして、恭しく信長様に差し出した。


 信長様も居住まいを正し、両手で書状を受け取る。受け取った書状を裏返し、確かに斎藤道三からのものと確かめてから、封を開けた。


 周囲が固唾を呑んで見守る中、信長様が遺言状を読み進める。そして、読み終わったのか再び封をして、帰蝶様に渡した。


「岳父殿の遺言、確かに承った。斎藤山城入道道三が持ちし美濃は、憎き新九郎利尚から奪い返し、この織田上総介信長が貰い受ける!」


 尾張を統一し、東に進んで上総にまで弾正忠家の旗を立てる。そう宣言していた大方針を転換する。目指すは尾張のすぐ北にある美濃。


 壮大さでは欠けるが、長年の仇敵と再び戦う時がきたのだ。かつて尾張の武士たちは、美濃の武士たちに苦汁をなめさせられた。信長様と帰蝶様が祝言をあげたことで、閉ざされた復仇の道が再び開かれたのだ。年配の者たちほど、次こそはと気炎を上げる。

 また、逃れてきた斎藤道三の家臣たちも、奪われた領地を取り戻す戦いが始まるのだ。しかも、旗頭は揃っている。生き延びた斎藤新五郎に、亡き斎藤道三による信長様への国譲りの遺言状。疲れていた顔に、力が戻っていくのが見て取れる。


 かつては敵同士であったはずの尾張と美濃の武士たちが、濃尾を統一するという目的で、動き出した。


 だが、その前にまずは尾張を統一しなければならない。勢力を強め続ける織田弾正忠達成に、強固な城に籠もる織田伊勢守信安。

 そして、駿府の今川義元も虎視眈々と尾張に狙いを定め、着々と準備を進めているはずだ。斎藤利尚も指を咥えて弾正忠家の思い通りにさせないだろう。


 士気をみなぎらせ、鬨の声を上げる皆を他所に、俺はまず末森を落とす方法を考えていた。


 後に斎藤新五郎は清洲城で元服、信長様から知行と偏諱を受けて斉藤新五郎長龍として、いつかくる美濃攻めの下地作りに奔走する。そして、同じ頃美濃では、斎藤利尚はその名を高政と改め、美濃を手早くまとめていった。

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