22 送還
お店に入ると爽やかな顔をした青年が、いらっしゃいませと愛想良く言った。
小さなテーブル席に、お待たせしましたとコーヒーを置き、カウンターへ戻ろうとするその店員に近づくと、用ありげな僕の態度に、なんでしょうかと足をとめた。
「あのう、外のアルバイト募集の張り紙を見たんですけど」
「あっ、面接ですか」
「そうです」
「じゃあ、あちらの席に座ってお待ち下さい」
店員が奥の席をさして言った。
僕はバッグを両腕で抱きしめて、カウンターとテーブルの間を歩いた。
カウンターでコーヒーを飲んでいた、四十過ぎの太ったおじさんが不審な顔で僕を見る。
僕は一番奥の席に座り、足元にバッグを置いた。
すぐに三十代後半にみえるマスターが急ぎ足でやってきた。
「面接ですか」
向かいの席に座りながら穏やかな笑みで聞いた。
「はい、そうです」
「じゃあ履歴書みせてくれるかな」
半可な僕は焦った。面接に履歴書が必要だとすら知らなかったのだ。
「すみません、持ってきてないです」
僕はつかえた顔で答えた。
マスターは驚いた顔をした後に、じゃあちょっと待ってて、いそいで言ってカウンターの中に戻った。
常連らしき太ったおじさんの、警察に通報しろよ、という囁きが聞こえた。
やさしい顔をしたマスターは、大丈夫だからと小さな声でこたえた。
若い僕は、警察が来たところで嘘を通せば大丈夫だと思いこんだ。
マスターが白い紙を手に戻ってきた。
「じゃあこれ書いて」
テーブルに履歴書を置き、ボールペンを手渡した。
すみませんと答え、僕はまっさらな履歴書を見た。
生まれて初めて見る履歴書の空白が、何一つ誇るもののない自分の人生に思えて、気後れした。
「コーヒーでいいかな」
マスターが穏和に聞いた。
「はい、お願いします」
僕が答えるとマスターはカウンターの中に戻っていった。
履歴書の名前欄に偽りなく名前を書き入れた所で、住所欄にペンが止まった。
『どうしよう』
考えるが良案が浮かばない。
とりあえず住所欄を飛ばして、年齢を一つさばよみ、三月に高校卒業予定にした。
履歴に小学校、中学校、高校を書き入れる間ずっと住所をどうしようかと考えるが、妙案が出てこない。
嘘の住所を書くにしても東京にある架空の住所の見当がつかずに書けなかった。
特技や得意な科目を書き、住所欄以外を書き終わった所で答えを決めた。
住所は、兄のアパートに住むんだけど、上京したばかりでこれから兄のアパートに行くのでまだ分かりません、にした。
思い返すに、恥ずかしいほどにすぐに分かる嘘である。
だけれどもマスターは優しい人だった。
履歴書を書き終わったと見るや席にやってきて、僕の話を丁寧に聞いてくれた。
おそらく僕がつくろう嘘を、嘘と分かっていながらも何も否定しなかった。
「じゃあさ、採用するにしてもなんにしても、住所が分からないとこちらも雇えないから、住所が分かったらまた来てくれるかな」
優しい口調で言った。
「はい、すみません。住所がはっきりしたらまた来ます」
僕はそう答えてコーヒー代を払おうとした。
「いや、お金はいいよ」
マスターが笑って言った。
「えっ、いや、飲んだものは払います」
僕は律義に言った。
「本当にいいから」
マスターの言葉に、すみません、ありがとうございます、とお礼を言った。
緊張から解放されてお店を出ると、すぐそこにカウンターにいた太ったおじさんと警察が立っていた。
おじさんが警察に何か言うと、険しい目をした警官が頷いて近づいてきた。
僕は無力だった。
死のうかと思った。
僕の身柄は埼玉に住む叔父宅に預けられ、尾島に帰される事になった。
三つ上の従兄弟があまりの無謀さに呆れていた。
尾島に向かう機内では、墜落して自分だけ死んでくれと、ずっと願っていた。
結局、計画性のない暴挙ともいえる旅立ちは、惨憺たる結末で幕を下ろした。




