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夏休み

「お母さん、私アルバイトしていい?」

梅雨もそろそろ明ける頃だった。期末試験が終わってからひびきは横浜行きの旅費をためるため、アルバイトを始めた。

「姉ちゃんのバイトってどこ?」

「駅前のコンビニだって。夏休みに入ってからにしなさいって言ったんだけど、八月の終わりには横浜のおばさんのとこに行くって言うから。急にどうしたのかしらね」

「ふうん。なんか姉ちゃん最近変だよね」

夕食を食べながらたかしが言った。

「変っていうより、なんか変わったわね」

母も不思議そうに首をかしげる。

「カレシできたんじゃない?」

たかしがしょうゆに手を伸ばしながら早口で言った。

「彼氏?」

「安藤ってやつ。よく電話かかるじゃん。違うの?」

「ああ、あの子は違うみたいよ」

母は手を振りながら安心したように答える。

「ただいまー」

その時ひびきがアルバイトから帰って来た。たかしはひびきに何も言わず、テレビを見始めた。母もいつものようにひびきのアルバイトの様子を聞いている。

「木下さんって大学生の人がいてね、おもしろい人なの」

ひびきは一緒に働いている青年のことを話しながら夕食を食べ始めた。

「姉ちゃん静かにして。テレビ聞こえない」

「は、あ、い」

わざとらしく返事をして、ひびきは黙って食べていた。その時、

「あれっ?」

たかしが声をあげた。テレビが消えたのだ。

「うそなんで?」

たかしがもう一度つけても、またすぐに消えてしまった。

「あら、壊れたのかしら」

母も目を丸くしてテレビの方に寄って行った。ひびきは急いで夕食をすませ、逃げるように自分の部屋へ上がった。

「なんであんなことするの?」

犯人はリョウだった。リモコンで消したのだ。

「心臓に悪いからやめてよね。たかしやお母さんになんて説明すれば‥」

ひびきの話を聞いているのかいないのか、リョウはうつむいていた。

「リョウ!」

ひびきが叫ぶとリョウはぽつりと言った。

「俺が出るはずだったんだ」

「えっ」

「あのドラマ、俺が主役だった」

ひびきはリョウの顔を見た。

「他の配役も決まって、台本ももらってて」

リョウは力なく笑って続けた。

「当たり前か。俺死んじゃったんだから。そうだよな。他の役はいるわけだし。中止にするわけにもいかないもんな」

はあっとため息をついて、リョウはひびきを見た。

「ごめん、もうしない、こんなこと。ごめんな」

もう一度ため息をついてリョウはうつむいた。思い出したようにリョウはまた続けた。

「俺のことなんか、みんなもう忘れてるかもな」

「え」

「会いに行ったって意味ないのかもな」

「リョウ」

 しばらくひびきは黙っていたが、投げやりなリョウの態度に自分でも知らずに腹が立ってきた。

「そんなことないよ。忘れるわけない。みんなちゃんと覚えてるよ。意味ないことなんてない。どうしてそんな悲しいこと言うの?どうして信じないの?‥リョウは私に人のこと信じすぎるって言ったよね。でもそれはいけないことなの?信じて何が悪いの?どうして信じられないの?」

ひびきはいつのまにか泣いていた。小さい頃から“芸能界”という特殊な世界で育ったリョウ。移り変わりの早い世界。消えた人物は忘れられる。リョウがそう考えるのも当然だった。それでも、ひびきは思った。それでもリョウのことを大切に思っていた人たちは忘れない。私のように忘れないファンもきっといる。そんな人たちのことをリョウが否定しているようで、悲しかった。

「姉ちゃん?何言ってんの?」

いつのまにかたかしが部屋の前に来ていた。

「誰と話してんの?」

トントンとたかしがノックする。ひびきは鏡を一度のぞいてからドアを開けた。

「なんでもない」

ドアの隙間からそう言ってひびきは閉めようとしたが、たかしの声にドキリとした。

「姉ちゃんの隣、誰かいる?」

ドアを開けるとたかしは真面目な顔をしている。

「な、何言ってんの。いるわけないじゃない、そんな」

「だって、さっきなんか見えたからさ」

「な、何が」

「なんか、髪の毛みたいな、光ったんだ」

「見間違いよ、そんな。違う、違う」

ひびきは急いでドアを閉めた。たかしはドアの向こうを見るように、じっとしばらく目を凝らしていた。

 

 夏休みに入って、ひびきは一日中アルバイトに精を出した。あの日から何日かリョウは元気がなかったが、ひびきは気にせずにてきぱきと働いた。

 ひびきと一緒にレジに入る木下は留年中の大学二年生だった。おしゃべりで、ひびきをよく笑わせた。

 ある日、レジも暇な午後、二人は商品の並べ替えをしながら話していた。

「木下さんは、大学で何を勉強してるんですか?」

何気なくひびきは聞いてみた。

「俺、今勉強してないの。留年だから」

木下はいつもの調子で答えた。

「えー、そうじゃなくって」

ひびきは困ったように言った。

「うそうそ。俺?俺はね、生物学」

「生物?ほんとですか?」

「ホント。でも全然わかんなくってさ。俺ほんとは物理学科志望だったんだ」

木下の言うことはどこまでが本当なのかわからなかった。

「入学試験の成績悪くて、生物学科にまわされたんだよ」

「そんなことあるんですか?」

ひびきは目を丸くした。木下は続けた。

「ホントホント。俺、高校で生物とってなくてまったくわかんなくてさぁ。で、留年しちゃったワケよ」

その口調はどうやら本当らしかった。

「だから、今、何しよっかなぁって考えてるところ。これからどうしよっかなぁってさ」

いつもいいかげんだと思っていた木下が急に年上の顔に見えた。ひびきが黙っていると、木下が言った。

「ひびきちゃんは?」

「え?」

「将来、なんになるの?理系?文系?」

「ええと、私は‥」

「なんかあんでしょ、夢。あ、もしかして、お嫁さんとか?」

陽気ないつもの木下に戻っていた。

 将来。ひびきは考えた。自分は何になるんだろう。リョウの話だとテレビ局に勤めることになっていたが、リョウが死んで、ひびきの将来も変わるはずだ。だとしたら?今まであまりちゃんと考えたことがなかった。理系の方ではないと思う。普通に短大あたりに行って、OLになるのだろうか。自分の将来があまりにも漠然としていることにひびきはあらためて気がついた。


「夢?」

セミの声が響き渡る八月の最初の登校日、ひびきは麻里に聞いてみた。

「私の夢はねぇ、翻訳家になること」

麻里は得意そうに言った。

「翻訳家?」

「そう、外国の絵本とかさ、翻訳するの」

「へぇ」

呆然とひびきは答えた。麻里の夢など初めて聞いた。毎日学校で会っているのに、ひびきは意外と麻里のことを知らないのだということに気がついた。麻里にも夢がある。同い年の友人の顔がなんだか遠く見えた。

「どうしたの、急に」

麻里はそんなひびきの様子に気づかずに明るく言った。

「ああ、もうすぐ理系とか文系とか決めないといけないでしょ。それで」

「ああ、そうよねぇ。受験だもんねぇ」

ジュケン、と麻里は外国語のような発音で言った。

「でもね、それよりも今の私には、各務野さんとどうやって話をするかの方が問題なのよね」

はあっと麻里はため息をついた。各務野とは学校の廊下ですれ違うくらいで、話す機会などまったくなかった。体育祭以来の麻里の片思いはまだ続いていた。

「ねぇ、なにかいい方法ないかな」

ひびきはうーんとうなるだけで、よい答えは見つからなかった。


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