体育祭
ひびきの学校では、五月に体育祭が行われることになっていた。新しいクラスになって一カ月。親睦を深めるにはちょうどいいイベントだった。
「今度の日曜日、看板作りにみんな協力してくれよ」
安藤が教壇に立って話している。体育祭は一年から三年までの同クラスが一チームとなって、クラス対抗で行われる。看板は各チームの応援席のバックに飾られる大きな絵で、それも競技と同様に得点となるため、どのチームもデザインに凝ったり、色に工夫を凝らしたりと力を入れていた。体育祭を彩る目玉でもあった。
写真のことがあってから、安藤はなんとなく皆の信頼を集めた。責任感の強そうな太い眉をしていて、色黒で笑うと白い歯の光る、どこから見ても体育会系の少年だった。
日曜日、どうしよう。ひびきは窓際の席にいる麻里の方を向こうとした。
「森山さんって美術とか得意だろ」
突然名前を呼ばれてひびきは振り返った。壇上の安藤がひびきをじっと見ている。
「え、私はそんな‥」
しどろもどろになりながらひびきは顔を赤くした。男の子としゃべるのは苦手だ。というよりも、女の子とでも親しくなるのに時間がかかる。クラスでうまくやっていけているのは、ほとんど麻里のおかげだった。
「来てくれよな。俺、待ってるから」
かまわずに安藤は大声で言った。教室のあちこちから、驚きや冷やかしの声があがり、ひびきは顔から火を噴きそうだった。
「いいじゃない、安藤くん」
放課後、麻里はさらりと言った。
「い、いいじゃないって、何が」
ひびきはまた赤面しながら麻里を見た。
「だってほら、写真の時もひびきのこと助けてくれたし、優しそうで体育会系で、いいじゃん」
「でも、別に安藤くんは‥」
「あれは、ひびきに気があると見た」
「麻里!何言って‥」
麻里は強引に続けた。
「もう、ひびきは鈍いんだから。でも絶対そうよ。あんだけわかりやすいのってないわよ」
うん、と麻里はうなずいている。日曜日は必ず二人で看板作りに参加しようと約束させられた。
「日曜まで学校行くの?俺、やだな」
帰り道、リョウが言った。学校にいる時、リョウはあまりしゃべらない。周りに気づかれると、ひびきの独り言としか聞こえないからだ。
「でもクラスの行事だし、手伝わなきゃ悪いでしょ」
ひびきはなるべく人のいない時に小声で話す。
「安藤ってやつ、なんか嫌いだ」
「どうして。いい人じゃない」
安藤の肩を持つつもりはなかったが、リョウが露骨に嫌うので、ついそう言ってしまった。リョウはそれにかまわず続けた。
「なんか、写真の時も自信たっぷりでさぁ。心霊写真なんか理由がないことが多い、なんて、偉そうに。理由ならここにいるじゃん」
自分を指さしながらリョウは口をとがらせた。
「あれは、私のために‥」
小学生の集団とすれ違って、ひびきは途中で話をやめた。そのまま二人は無言で家に帰った。
「姉ちゃん、電話」
夕食の途中に電話が鳴った。たかしが出て、ひびきに受話器を差し出す。
「誰?」
「安藤とかいう人」
「えっ」
ひびきはお茶を一口飲んで、おそるおそる受話器をとった。
「もしもし」
「あ、森山さん?安藤です」
安藤の明るい声が聞こえた。リョウは横で聞き耳をたてた。
「今日、ごめんね、看板のこと」
「え」
「友達が言うからさ。今日冷やかされて、森山さん困ったんじゃないかって」
「ああ、ううん、そんなことないよ」
ひびきは右手を振りながら、答える。
「そう?俺、ちょっと無神経だってよく言われるからさ。気になって」
「気にしないで。大丈夫」
ひびきがにこにこと笑いながら答える。
「あ、じゃあ日曜日、待ってるか」
安藤の声が急に消えて、プーッという電子音に変わった。
「も、もしもし?安藤くん?」
言いながらリョウの方をにらんでいた。リョウの人差し指が電話を切ったのを見ていたのだ。リョウは横を向いている。安藤からまたかかるかと思ったが、電話は鳴らなかった。
「ちょっと、どういうつもり?」
ひびきは部屋に戻ってリョウに叫んだ。たかしはまだ食卓でテレビを見ている。
「なんで勝手に切ったりするの」
リョウは黙っている。
「わざわざ謝ってくれたのに」
「すいませんねぇ」
ふてくされたリョウの態度にひびきはむっとして言った。
「なに、その態度。どうしてリョウが怒るの?私が怒ってるのに。‥日曜日、学校行くからね」
「あんなの、信じてんの?」
ふんと鼻で笑ってリョウが言う。
「あんなのって、何?」
「『俺、待ってるから』なんて、そんなわけねぇじゃん」
「どうして」
「あんなの、人集めるために決まってんじゃん。ああ言っとけばみんな好奇心で日曜日集まるだろ?こずるいやつだよなぁ、あいつ」
リョウはいつもの素直な笑顔からは想像もつかないような表情で話していた。大人の世界で育った、大人の子供の顔だった。
「安藤くんはそんな人じゃないわよ」
「へぇー。ンなことなんでお前にわかるんだよ。前から言おうと思ってたけどさぁ、お前、他人をあんまり信用しすぎるんじゃない?」
「そんな、私はただ‥」
「俺の話だってすぐ信じるし」
「えっ?」
リョウはすました顔でそう言った。
「どういうこと?あの話、うそなの?」
リョウは黙っている。ひびきはわからなくなった。考えてみると、見ず知らずの自分のためになぜリョウがやって来たのか、その理由はなんだか別の所にあるような気がしてきた。
「ねぇ、どうして私のところに来たの?」
その質問には答えずにリョウはまた意地悪く言った。
「安藤だったらどうする?」
「何が?」
「運命の相手」
ひびきが赤面するのをリョウは楽しそうに見ていた。
なんでこんなに意地悪なの?ベッドに入ってからもひびきはずっと考えていた。リョウの表情がはっきりと思い出されて悔しかった。こんな人とは思わなかった。テレビで憧れていた頃がなんだか懐かしい。憧れはやっぱり憧れのままの方がよかったのだろうか。
隣で寝息をたてているリョウの顔を見ながらひびきは考えた。リョウは本当は何をしに来たんだろう。今日のリョウの態度を考えると、ますます自分のためとは思えなかった。リョウの本当の目的は?そのことばかり気になって、安藤のことなどすっかり忘れてしまっているひびきだった。
日曜日、看板作りが開始された。下絵はすでに出来上がっていて、ひびきたちは色塗りをまかされた。もとになる絵があり、その配色をまねて色を塗ることになっていたが、ポスターカラーを混ぜ合わせて微妙な色彩を作り出すことはなかなか容易ではなかった。
「んー、ちょっと違うかなぁ」
もと絵と見比べながら、皆それぞれ相談しながら作業は進んだ。リョウの言ったとおりなら、安藤の作戦は成功だった。クラスメートはほとんど集まり、初めのうちは安藤をからかう者もいた。が、作業が進むにつれて、皆そんなことは忘れてしまっていた。
「違う、そうじゃなくて」
リョウも時々、ひびきの作業に口を出した。
「そんなに白混ぜたら白すぎるって」
美術が得意なのはリョウの方だったようで、
「あーもう、見ててイライラする」
と言い出した。
「じゃあ、リョウやる?」
ひびきは小声でそう言って筆を少し短く持ち、上の方をリョウに持たせた。
「森山さん、さすがぁ。うまいねぇ」
リョウと一緒に描き始めると、皆口々に褒め出した。ひびきは謙遜しながらリョウを時々見た。リョウは満足そうな顔で、目を輝かせて次の色を塗り足していった。
「楽しかったね」
帰り道、ひびきはリョウと話しながら帰った。リョウも機嫌よく話している。
「私、こんなにみんなと仲良くなったの、初めて。今までなんか話せなくって」
ひびきはうれしそうに言った。
「リョウのおかげ。ありがとう」
それには答えずにリョウは優しく笑って言った。
「俺も、クラスの行事に参加したのなんて初めてかな」
仕事ばかりで、授業もろくに受けられなかった。それでも、リョウは仲の良かった友達のことを思い出していた。
「美術の才能あるってわかったし」
ふふとひびきは笑って言った。
「俺、天才かもしんないぞ」
「それは言いすぎ」
二人は声を合わせて笑った。見上げると、暮れかけた空を鳥が二羽並んで飛んで行った。二人はそれを同じように眺めていた。
「ねぇ、リョウがここに来た理由って何?」
ひびきは静かに言った。リョウはしばらく黙っていたが、少しずつ話し始めた。
寿命の神に聞いた時は、その女の子かわいそうだな、と思った。でも、俺は自分のために来た。寿命の神の手違いの処理なんてするもんかと思ったから、俺はただ自分のために来た。
「自分のためって何?」
先をひびきは促した。リョウは言いにくそうに頭をかきながら続けた。
「会いたいんだよ」
「誰に?」
「‥おふくろとか、親父とか、弟、妹、あと、友達。こんなに急に会えなくなるなんて、思ってなかったからさ。最後に会ったの、いつだったかなぁ、なんて思ってさ。みんなどうしてるかなって。空からも見えるんだけど、ちゃんと目の前に行って、会いたいんだよ」
「リョウは辛くないの?目の前に行っても相手には見えないんだよ?」
「いいんだ、あいつら元気なら」
リョウの目を見た。本気だ。いつも冗談ばかり言っていたリョウの、これが初めての本気。そんな気がした。
「そうだ。今日のお礼に私、リョウのおうちに行くわ」
「えっ」
「そうよ、横浜にね、おばさんがいるの。そこに何日か泊めてもらって、リョウの会いたい人全部に会いに行こう」
「だって、学校どうすんの」
「あ、だから、夏休みになっちゃうけど。それまで待っててよ。消えないでね」
消えないでね、そういう笑顔をリョウはまっすぐに見られなかった。皆に会いに行ける。そのことがうれしいのか、ひびきが消えないでと言ってくれたのがうれしいのか、リョウにはわからなくなっていた。
体育祭当日には、ちょっとしたハプニングがあった。
「ひびき、あの人かっこいい!」
入場行進の体系に並んでいると、麻里が後ろから言った。麻里の指さす方には三年生が並んでいた。
「どの人?」
「あの、ほら、一番こっち側の。あ、今手あげた人の左側」
「えー、あの人?」
「あっ、こっち見た」
目の大きな黒い髪の少年がちらりとこっちを見た。ひびき達に気づいたわけではないようで、また友人と話し始めた。
「なんか、こわそうな人」
ひびきはつぶやいた。人なつこいリョウとはまったく反対のタイプのようだ。近寄りがたく、あまり笑わないような印象を受けた。
「かっこいいよ、絶対。私、あの人狙っちゃおうかな」
麻里が赤い顔をして言う。
「ひびきにも、安藤くんがいることだし」
「関係ないよ、安藤くんは」
看板の時以来、ひびきは安藤とよく話すようになったが、特別な感情は持っていなかった。
「あの人、名前なんていうのかな。ちょっといろいろ調べなくちゃ」
ひびきの話などかまわずに麻里は続けた。そうして、昼休みまでにはあっけなくその名前やクラスを調べてきた。その少年は各務野といった。
ひびきのクラスは三位入賞という成績で、体育祭は無事に終了した。看板の評判も良く、応援席ではリョウも皆に混ざって大声で応援した。日も暮れかけた頃、グランドは昼間の熱気だけを残してがらんとした。何人かが競技に使ったバレーボールで遊んでいる。ひびきは看板を写真におさめようと校庭にひき返して来た。
ひびきがカメラを構えて撮ろうとしたその瞬間、
「危ない!」
と後ろから声がした。ひびきが振り返る前にバレーボールがひびきの頭を直撃し、ひびきはその場に倒れてしまった。リョウは呆然としてひびきを見下ろしていたが、大丈夫かと叫びながら近づいて来る少年の顔を見て、はっとした。各務野だった。各務野はすぐにひびきを抱きかかえ、保健室へ運んだ。
軽い脳震盪だった。リョウはベッドの横でひびき、ひびきと名前を呼びながら立っていた。各務野はじっとリョウの方を見ていたが、ひびきがううん、と声を出すと、黙って保健室を出て行った。
あいつ、俺が見えてる?各務野はリョウの方をちゃんと見ていた。でもまさか。リョウは首を振ってひびきを見た。話を聞いて、各務野と入れ違いに麻里がやって来た。
リョウは各務野のことをひびきに話さなかった。




