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告白

 十二月初め、登校時の息も白くなり、街はクリスマスの雰囲気を見せ始めた。

 リョウもひびきもあの川の事件以来、運命の相手のことを口にしなくなっていた。

「各務野さん、もうずっと学校来てないって」

麻里が言った。

「そう」

「このままじゃ、留年しちゃうって」

麻里は、はあっとため息をついた。

「もうこのまま学校やめちゃうのかなあ。このまま会えないのかな。ねぇ、ひびき、どうしよう。私にできることないかなあ」

いつも元気な麻里がひびきにこんなことを言う。各務野と一度も話したことがない分、麻里の中で各務野は余計に大きく育ってしまっていた。

「各務野さんのおうちに行ってみたら?」

ひびきは麻里に言った。

「ええっ。だって、私、話したこともないんだよ。顔だってこっちが一方的に知ってるだけで、そんな、いきなり行ったらびっくりするわよ」

麻里はあわてている。

「それは、そうだけど‥。でも、話してみないとなんにもわかんないじゃない」

麻里はひびきの顔を見た。

「なんか、ひびき、変わったね」

「え」

麻里はひびきを初めて見るように言った。

「なんか、変わったよ」

 

 帰り道、校門の前で安藤に呼び止められた。

「森山さん」

部活の途中か、安藤はユニフォームにスパイクをはいていた。ひびきが振り返ると、いつもの明るい表情とは違った顔で安藤が立っていた。

「あの」

「安藤くん。どうしたの?」

「あの、俺とつき合ってほしいんだけど」

ひびきは胸のあたりがきゅうっと冷たくなるのを感じた。

「友達じゃなくて、つき合ってほしいんだ」

安藤はうつむいた。沈黙が流れた。校門を何人かの生徒が笑いながら通って行った。

「安藤くん、私、好きな人がいるの」

ひびきは言った。安藤は顔を上げた。

「私‥、ごめんなさい」

ひびきはそう言って深くおじぎをした。

「あ、そっか。そうかあ」

安藤は頭に手をやりながら、泣き笑いの表情でそう言った。

「ごめんなさい」

もう一度ひびきは謝った。

「‥どんなやつ?」

安藤が尋ねた。ひびきは少し考えてこう言った。

「いつも、となりにいるように感じる人なの」

まっすぐなひびきの目を見て、安藤はうなずいた。

「‥そっか。わかった。それじゃ」

スパイクをカッカッと鳴らしながら、安藤は去って行った。

「まあ、あいつもいいやつだな」

帰り道、リョウが言った。

「あいつって?」

「安藤」

「嫌いだって言ってたくせに」

ひびきは笑ってリョウを見た。


 クリスマスに年末年始。楽しい時はあっという間に過ぎた。その間リョウは、聞こえてくる声をいつも頭の片隅に押しやっていた。でもそれは、時が経つにつれてだんだん大きくなってきた。

 お前には未来はない、だが、森山ひびきにはある。リョウは神の言った言葉を何度となく頭で繰り返していた。どうしようもない。とりあえず、運命の相手は見つかっている。でもそれは、麻里があんなにも慕っている各務野だ。ひびきが各務野を意識するようにするというのは、とても無理な話だった。

 早く消えた方がいい。神の言葉が頭の中で何度も鳴っている。どうすればいいんだ。ひびきは楽しそうにしている。自分も今のままが楽しい。でも、三月のあの日までもう一カ月を切った。二月初め、街はバレンタインデーに突入しようとしていた。

「私、告白する!」

麻里が固い顔でひびきに言った。昼休み、教室の窓はくもっていた。

「えっ」

「私、バレンタインに各務野さんに告白する」

三学期になってからも、各務野は学校に来ていないということだった。麻里の予想通り、このまま学校をやめてしまうかもしれないと、各務野の担任が言っているのを麻里は聞いていた。

「おうちはもう調べてあるの。チョコレートの材料買いに行くから、ひびきつき合ってくれない?」

「うん」

やっと麻里らしいところが戻った、とひびきは思った。女達であふれているチョコレート売り場に二人は乗り込んで行った。

「ひびきも作ったら?」

麻里が言う。

「そうね。作ろうかな、たかしに」

「安藤くんは?」

麻里には安藤のことは話していなかった。安藤もあの後も変わらずにひびきと接していた。

「だから違うって」

ひびきは言った。隣ではリョウが女の子の多さに目を丸くしていた。

 二月十三日、学校が休みの土曜日だった。麻里の家でひびきは一緒にチョコレートを作った。たかしの分とそしてもうひとつ。

「あ、それ、誰の?」

麻里の問いにひびきは言った。

「お父さんの」

「ほんと?ねぇ、ひびき、ちゃんと好きな人いるんじゃないの?」

「うーん、もうちょっとしたら教えるから」

「えー、誰よ、ねぇ」

溶かしたチョコレートをかき混ぜながら、麻里は目を輝かせた。内緒、と言ってひびきも生クリームを混ぜていた。そんなひびきを見て、リョウはなんともいえない気持ちだった。

 二月十四日。よく晴れた午後、麻里が一人で行けないと言うので、ひびきも各務野の家について行くことになった。

「どうしよう、ひびき」

告白する、と宣言した時の勢いはどこに行ってしまったのか、麻里は弱気な言葉を繰り返していた。

「大丈夫よ。チョコはうまくできたんだし。あとは渡さなきゃ」

各務野の家に行く途中、ひびきは何度も麻里に言った。その度に麻里はうなずいて、手袋の手に持ったチョコレートをじっと見つめた。

 玄関に各務野が現れると、麻里は下を向いたままきれいにラッピングされたチョコを差し出した。

「あの、これ、受け取ってください!」

真っ直ぐに両手を伸ばして、麻里は固まっていた。各務野は困惑の表情で、麻里を見た。

「あの、チョコレートです。私、去年の体育祭で各務野さんを見て、それで‥」

麻里はまだうつむいてしゃべった。各務野は包みを受け取ろうとはしなかった。

「お願いします」

後ろでひびきが言った。各務野はひびきとリョウを見た。

「ごめん、俺、今なんかいろいろあって、人を好きになれるような気分じゃないんだ」

各務野が麻里に言った。麻里は初めて顔を上げた。

「いいんです。好きになってくれなくても。受け取ってくれたら、それでいいんです」

麻里の真剣な表情に、各務野も負けたようだった。

「じゃあ」

そう言って各務野は受け取った。

「どうも、ありがとう」

「あの、各務野さん、学校やめちゃうんですか」

麻里が聞いた。各務野は首をかしげて、

「そう‥かな」

と言った。麻里はそれ以上何も言わずに立っていた。各務野はもう一度ありがとうと言うと、ドアを閉めてしまった。

「麻里」

ひびきが麻里の肩をたたいた。

「ひびき」

麻里は少し泣いた。

「各務野さんも今、考えてるんだね」

麻里と別れてから帰り道、ひびきがリョウに言った。

「みんな、いろいろあるな」

リョウが言った。みんなそうやって生きていく。リョウは思った。もう少し、生きたかった。冷たい風がリョウとひびきの頬を吹いていった。別れの時が近づいていた。

「はい、これ」

家に帰ってから、ひびきはリョウに包みを差し出した。

「バレンタイン」

はい、と言ってひびきはリョウに渡した。リョウは黙って受け取ったが、

「俺、受け取れない」

そう言ってひびきに返そうとした。驚いて見ているひびきにリョウは言った。

「俺じゃないんだ」

「え」

「各務野なんだ」

リョウはひびきの目を見て言った。

「体育祭のバレーボールの時も、川で溺れた時も、各務野が助けてくれたんだ」

ひびきは大きく口を開けた。

「どうして」

「ごめん、俺言えなかった」

リョウはうつむいた。ひびきも驚いた顔で黙ってしまった。

「私、お礼言ってない」

しばらくしてひびきが言った。

「さっき会ったのに。お礼言わなきゃ」

ひびきは慌ただしく家を出た。辺りはもう薄暗くなっていた。ひびきは今帰ってきた道を小走りで引き返した。

「各務野さん」

玄関に出てきた各務野にひびきはいきなり言った。

「あの、私知らなくて。各務野さんが助けてくれたって。ありがとうございました。あの、お礼が遅れてごめんなさい」

ひびきは深々と頭を下げた。各務野はあっけにとられていた。

「いや、そんな別に」

ひびきが顔を上げると、各務野は困った顔でひびきを見ていた。辺りは時が止まったように静かだった。

 各務野はリョウの方を見た。リョウも各務野の目をじっと見つめた。

「あ、あの、各務野さん。ほんとに学校やめるんですか?」

ひびきが言った。各務野は前と同じように首をひねった。

「あの、私‥、私もなんで高校行ってるのか、わからないんですけど、それで弟に聞かれても答えられなかったんですけど。将来のこともまだよくわからなくて、三年のクラスも麻里と同じ文系にしちゃったんですけど」

ひびきは何を言っているのか自分でもよくわからなくなっていた。が、言葉は次々とあふれてきた。

「でも、これから見つければいいかなって。探してればなんか見つかるかなって。そう思うんですけど‥、あの‥」

ひびきは各務野の顔をおそるおそる見た。各務野は黙っていたが、ひびきを見てふっと笑った。それは、初めて見る各務野の笑顔だった。恐そうないつもの表情からは想像もできない優しい笑顔だった。

「あんた、名前は?」

「あ、森山です。森山ひびき」

「いい名前だな」

そう言って各務野はドアを閉めた。ひびきはしばらくその場に立ちつくしていた。

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