見える!
ひびきが旅行から帰ってから、たかしとはしばらく顔を合わせなかった。高校受験のことは父親から一喝されたらしく、しぶしぶ塾には通っていて帰りも遅く、帰ってもすぐに自分の部屋にこもってしまうのだった。勉強はしていないらしく、CDを聴きながらふて寝しているようだった。
二学期が始まって、ひびきも文化祭の準備や夏休み明けのテストに追われて、しばらくたかしと話すこともなかった。
「各務野さん、学校来てないらしいの」
心配そうに言う麻里の言葉を聞いた。
「なんか、家庭の事情で二学期になってからずっと来てないって。近所の先輩に聞いたの」
ふうん、とひびきは言うだけだった。どの人にもいろんなことがあるものだな、と思った。急にたかしのことが、ますます心配になった。帰って話してみよう。そう思った。
「たかし、いる?」
部屋にそうっと呼びかける。返事はないが、少し物音がした。寝ていたらしい。
「入るね」
ドアを開けると、部屋は暗いままだった。たかしは目をこすりながらひびきを見た。
「電気くらいつけなさいよ」
そう言ってひびきが電気をつけると、たかしはうわっと声をあげた。
「姉ちゃん!」
たかしはベッドの上で腰を抜かさんばかりに驚いていた。
「どうしたの?」
ひびきが言うとたかしはひびきを指さして言った。
「姉ちゃん、そいつ誰?」
ひびきも驚いた。
「そいつって‥見えるの?」
うんうんとたかしはうなずいている。リョウもあぜんとしていた。
ひびきはすべてをたかしに話した。たかしはリョウがしゃべる声も聞こえ、リョウが何か言う度に少しびくびくしていた。幽霊と自分の姉が一緒に住んでいたなんて。なかなか信じがたい事実だったが、見えるものは仕方がない。話を聞き終わってようやく納得したようだった。
「すげぇ」
たかしはしばらく他の言葉を思いつかないようだった。
「でもどうしてたかしに見えるようになったのかしら」
「それは俺にもわからない」
ひびきもリョウも首をかしげた。たかしは二人の自然な様子を黙って見ていた。
「そんなことより、たかしくんの高校のことなんじゃないの?」
ふとリョウが思い出して言った。
「あ、そうだった。たかし‥」
ひびきが言いかけると、たかしは急に不機嫌な顔になった。
「ねぇ、どうして高校行きたくないの?」
ひびきはもう一度聞いてみた。たかしは答えない。
「ねぇったら。何か理由があるんだったら、ちゃんと話してよ。そしたらお父さんだって‥」
黙っているたかしにひびきは次々言葉を投げて詰め寄った。
「そんなこと言われたってわかんないよな」
そんなひびきを見ていたリョウが隣で言った。たかしはリョウの顔を見た。
「どうしてなんて、わかってたら親父さんにもちゃんと言うだろ」
リョウもたかしの目を見て言った。
「大人に話を聞いてもらうにはさ、まずきちんとした理由とか、筋とかが通ってないとだめなんだよな。でもそんな簡単に言えるもんじゃない、自分の気持ちなんか。後から気がつくことの方が多いんだよな」
リョウは真面目な顔でそんなことを言った。たかしはうつむいた。時計を見ると、もう十二時を過ぎていた。ひびきとリョウはそのまま黙ってたかしの部屋を出た。
その日から数日、たかしはひびきと話そうとしなかった。顔を合わせてもリョウの方をちらりと見るだけで、何も言わなかった。
ひびきはリョウがたかしに言った言葉を思い出していた。あんな真面目な顔をするんだ、と思った。リョウの中には、あとどれくらいひびきの知らない顔が隠れているのだろう。リョウと出会ってからもう七カ月。ひびきにとってリョウはますます不思議な存在だった。
真夜中、二時をまわった頃、ひびきの隣で寝ていたリョウはふと目が覚めた。部屋の空気がいつもと違っていた。十月初めにしては肌寒かった。
「!」
起き上がってドアの所を見ると、白い人が立っている。
「お前‥」
リョウは小声で言った。寿命の神だった。ひびきはぐっすりと眠っていた。
「だいぶ長居をしているようだな」
寿命の神が言った。
「‥まだ、見つからないんだよ」
リョウが言うと、神はこう言った。
「探しているのか?」
リョウは黙っていた。
「探していないのではないか?」
神はため息をついて続けた。
「お前がしたことはすべて見ていた。それは許そう。私にも責任があることだからな。だが、お前がここに来た肝心の理由を忘れてもらっては困る」
「忘れてないよ」
「ならば、なぜ探そうとしない?ひびきという子にすべて話してなぜ探そうとしないのだ」
「すべて話してって‥あんた簡単に言うけどな。生きてる人間にとっては、未来なんてわからない方がいいんだ。少なくとも俺はそう思うよ」
リョウは声が大きくなるのに気がついて途中でやめた。
「なぜそう言い切れる?それはお前の都合だろう。ひびきという子はそうは思っていないかもしれぬ」
「それは‥そうだけど‥」
リョウは反論できずに黙った。神はまた続けた。
「それだけか?」
「え?」
「お前が探そうとしないのはその理由だけか?他にあるのではないか?」
「他ってなんだよ」
リョウが低い声で言った。神が黙っているので、リョウは続けて言った。
「そういえば、あんたに聞きたかったんだ。なんでたかしに俺が見えるんだ?」
「私にも初めてのことだが‥おそらくここ数カ月の間にお前とひびきという子の結びつきが強くなったせいだろう。その子にとってはお前は将来兄となるはずだったのだ。それで見えるようになったと考えるのが自然だろうな。しかし、声まで聞こえるようになるとは‥」
神は考えこんだ。
「そっか。弟と結婚できるわけないもんな」
リョウは納得した。神は顔を上げてまたリョウに言った。
「まあ、いい。とにかく探すことだ。探して、ひびきという子がその相手を意識するようにすることだ。そうすれば、お前は消える。早く消えた方がいい。その方がお前のためにも、ひびきという子のためにもいいことだ」
お前の気持ちにお前自身が気づかないうちに。神はそう言おうとしてやめた。そう言うことで、リョウが自分の気持ちに気がつくのを恐れた。
神はもう足の方から消え始めていた。
「お前に言われなくてもわかってるよ」
リョウは神に向かって叫んだ。
「これだけは忘れるな。お前さんには未来はない。だが、森山ひびきにはある。このことはもう動かしようのない事実なのだ」
リョウはドアに向かって枕を投げつけた。神はすでに声だけを残して消えていた。
俺が探そうとしない他の理由?それは‥。そんな簡単に言えるもんじゃない。自分の気持ちなんか。自分がたかしに言った言葉を思い出した。後から気がつくことの方が多い‥。リョウは寝ているひびきの顔をじっと見た。俺が探そうとしないのは‥。
とその時、隣の部屋のドアが開く音がして、ひびきの部屋のドアが細く開いた。たかしだった。
「リョウ‥さん?」
「あ、ごめん、起こしちゃったか?」
リョウは小声で言った。
「姉ちゃんは?寝てんの?」
「ああ」
ドアが開いてたかしが顔を見せた。
「あのさ、俺‥」
言いかけてたかしはやめた。リョウは黙っていた。
「あの、リョウさんは高校ってどう思う?」
たかしは真面目な顔で言った。
「俺?俺は‥そうだな。俺、仕事であんまり学校行けなかったからな。でも、今ひびきと学校行ってて、わりと楽しいんだ」
たかしは黙って聞いていた。
「行事とか参加して、俺はみんなには見えてないんだけど、なんかクラスの一員って感じするしさ」
リョウは楽しそうに話した。
「そっか。楽しいかぁ」
たかしは力無く言った。リョウはそんなたかしをじっと見て言った。
「なあ、高校行かないこともひとつの選択だと俺は思うよ。でも、行ってみるのもさ、なんかあると思う。うまく言えないけどさ。友達ができるとかそういう単純なことじゃなくて、なんかあると思う」
たかしは黙ってうなずいた。リョウもうなずいた。足元にころがっている枕をたかしはリョウに投げた。リョウが受け取ると、おやすみと言ってドアを閉めた。リョウもおやすみと言いながら、再び眠りについた。
「どうしたの?」
リョウは最近、何か考えこんでいることが多くなった。ひびきが聞いても笑って、なんでもないと言うだけだ。出会った頃なら、ひびきも気にしなかっただろう。リョウもあの頃よりは、作り笑いが下手になっていた。
「何かあるんじゃないの?」
学校帰り、ひびきはもう一度聞いた。リョウは黙っている。ふと思いついてひびきは言った。
「あの河原に行こうか」
リョウは首を横に振りかけたが、黙ってひびきに従った。
二人は久しぶりに河原にやって来た。四月の終わりに来た時は菜の花が黄色い彩りを添えていたのだが、今は薄茶色い草が緑の間にちらほらと秋をにおわせている。川も草地も変わらずに広く、秋晴れの風が右から左へと渡っている。
「ここ、いいよなあ」
リョウも明るい顔で見下ろしていた。
「今日は川岸まで行ってみる?」
ひびきは笑ってそう言った。二人は広い草地を横切って川岸に腰を下ろした。川は光を反射しながら流れていて、浅いのか深いのかよくわからなかった。魚がいないかと二人はしばらく目を凝らした。
「‥ねぇ、どうしたの」
ひびきはまた聞いた。リョウは話し始めた。
「‥運命の相手のことなんだけどさ」
ひびきは黙って聞いていた。
「探さなきゃ。探さないと、俺、いつまでたっても消えられない」
うん、とひびきはうなずいた。
「あ、『いつまでたっても』ってのは違うけど。三月のあの日になりゃ、ちゃんと消えるけど」
うん、とまたひびきはうなずいた。顔は川の水面を見ていた。
「あの、俺も早く消えた方がいいかなと思って。ほら、たかしだって気が散るだろうし。風呂だって目隠しなしで入れるようになるし」
ひびきは黙っていた。
「あの、ひびきにはほんと感謝してる。バイトまでして、わざわざ横浜まで連れてってくれて。ほんと感謝してるんだ。だから今度は俺が探さなきゃ‥」
言葉が切れてしまった。こんなことを言いたいんじゃない。本当は。俺が探さない本当の理由は。俺は‥。
二人の間に沈黙が流れた。さあっと草が風になびく音がした。
「あの、ひびき、俺‥」
リョウがいいかけた時、二人の後ろで低いうなり声が聞こえた。ひびきが振り向くと、三匹の野良犬がいつの間にか二人のすぐ後ろに来ていた。犬はリョウの気配を感じ取り、闘争心をむき出しにして、低い体勢でうなっていた。二人が立ち上がろうとした時、犬は三匹とも一度にひびきに飛びかかった。
「きゃあ!」
「ひびき!」
犬をよけようとして、二人は川へ落ちてしまった。川は思いのほか深く、足が着かなかった。
「助けて!」
ひびきが暴れるほど水はひびきの口に入ってきた。
「ひびき!つかまれ!」
かろうじて体勢を保っているリョウが水面をたたいているひびきの手を握ろうとした。
「!」
リョウの手はひびきの手を通り抜けて、空を切った。リョウは愕然とした。ひびきは沈みかけていた。
「誰か!誰か助けてくれ!」
リョウが叫んだ時、ドボンという音がして、誰かがこっちへ泳いできた。ひびきはその男に抱えられ、川岸へ上げられた。
ひびきは気を失っていた。男は荒い息をしながら、リョウに向かって叫んだ。
「ばかやろう!なんで助けないんだ!」
各務野だった。
「お前‥俺が見えるのか?」
「何言ってるんだ?」
「俺が見えるんだな?」
リョウは各務野にもう一度言った。各務野は不思議そうな顔でうなずいた。リョウの息も各務野の息もおさまってきていた。
「なあ、頼みがあるんだ。俺が見えること、こいつには黙っててくれないか?」
リョウはひびきを指さして言った。各務野はリョウの顔をじっと見ていた。
「なあ、頼む。あと、こいつのこと、守ってやってくれないか?」
「お前、何言ってるんだ?」
各務野はリョウの言葉が呑み込めずに、怪しげな表情でリョウを見た。
「お前が守ればいいだろ」
各務野は言った。リョウは決心したように言った。
「俺じゃ守れないんだ」
各務野はしばらくリョウの目をじっと見ていたが、ひびきの方を見て、
「救急車、呼んでくる」
と走って行った。リョウはひびきの横で、ただ川風に吹かれていた。
救急車が来た時には各務野の姿はなかった。ひびきは病院に運ばれ、ベッドの上で目を開けた。
「‥リョウ」
「ひびき、大丈夫か?」
うなずいてひびきは言った。
「リョウが助けてくれたのね」
「‥いや、俺は‥」
「ありがとう‥」
そう言ってひびきはまた目を閉じた。リョウは各務野のことをどうしても話せなかった。




