終わりもまた絶望
『どう、最近元気にしてた? 前見てた時は目がすげえ死んでたからな』
『あぁ、これ? お姉ちゃんがね、行方不明になっちゃって、いま探してるの』
『ねえ、なんでもいいの。お姉ちゃんのこと何か知らない?』
『うん、いいの。ごめんねなんか』
『お姉ちゃんの事? そりゃ大好きだよ。私のたった1人のお姉ちゃんだもの』
『今頃、何してるかな。何もされてなきゃいいなー』
『あ、うん。私たちの事は気にしなくてもいいよ。警察の人も探してくれてるし』
『うん、ありがとう。それじゃ、元気でね』
須川から聞かされる妹の言葉の数々。
「やはり、君の妹は強いね。商店街やいろんなとこでビラを配ってたよ。それもすごい遅くまでね」
志穂の妹はとても正義感の強い子だ。妹自信は自分の事をそんな風には思ってはいないが、志穂は知っている。弱い自分とは違って、とても強い自慢の妹。
決してそれをひけらかすことはしない。だからこそ、憧れてしまう事もある。
「妹さんから君の事を聞かれ、僕はなんて答えたと思う?」
「……」
「知らないって答えたんだ。僕は、生まれて初めて嘘をついたよ。初めての嘘を恩人についたんだ。そうさ、妹さんは恩人だ。僕は恩人に対して、最悪の恩返しをしたんだ! 君を拉致するって方法でね!」
ここからはもう、彼の独壇場だ。
「元気にしてた? お姉さんを連れ去って超ハッピーでした! いま探してる? 僕の家の地下室で今頃漫画でも読んでるんじゃないかな? 何か知らない? 僕が全て知ってるよ! ごめんね? 僕の方こそごめんなさい。お姉ちゃんの事が大好き? 僕も大好きだったさ! 何もされてなきゃいいな? お腹を蹴り上げてしまいました! 警察の人? あいつら無能だからあてにしちゃダメだよ。それじゃ、元気でね? もう、無理みたいだ……」
感情的に、あの時言えなかった言葉を吐露していく。
志穂はもう、何も言えなかった。もとより、何も言えてなかった。
須川が言った痴漢物語からずっと。
今こそ、いま何か言わなければ、須川はきっと遠くへ行ってしまう。
それはもう、遠くに遠くに。だから今、
「あ……まっ……」
言わなければならなかった。だが声がのどから外に出てくれない。
何も言わない志穂を気にする事なく、全てを正直に言い終えた須川は、手に持っていたロープを天井にぶら下げていた。
その形は、人の顔が1人分は入る程のわっかが作られていた。
「ま、待って! 待って正義くn――」
「その名で僕を呼ぶなぁぁぁぁぁ!」
これは否定。もう、戻れない程に、須川の心にはあるものが浸食していた。
それは後悔、仇、迷惑、罪悪感、空虚、いろんなものが須川の心を吸い尽くしている。
もう須川には、死ぬの選択肢しか見えていなかった。
「君は何も悪くないよ。悪いのは全部僕さ。僕が勝手に勘違いして、勝手に君を拉致してきたんだ」
須川の首には、もうロープがそこまで迫っていた。
止めなければならない。今度は、自分がこの人を救う番だ。
「……それでも、あなたはわたしを救ってくれた。先輩から守ってくれたじゃない! わたしはとても感謝しているの! わたしには、あなたに恩があるの。だから今度はわたしが恩を返す番。だ、だから死ぬのだけは、それだけは本当に……やめて……」
涙が止まらない。これで流すのは2度目だ。
今回はあの時と違い、相手の危機に涙を流している。
「……知ったことか。僕は妹さんの為にこれまで費やしてきていたんだ。いや、そのつもりだった。君を妹さんだと思ってたから接してきただけだよ。君のことなんてこれっぽっちも興味もなかったし、もうどうでもいいよ」
共に過ごしてきた女の涙は、須川の心に1ミリも入ることはなかった。
「まぁ、でも安心しなよ。もう警察は呼んどいたからさ。君は無事ここから出られるよ」
そうではない、そうではない。頭の中で何度も唱える。
その言葉は志穂の体を突き動かす。言葉が無理なら、自力で止めるしかない。だが、
「うっ……あっ……」
ガチャリと足につけたままだった枷が、志穂を邪魔する。
もう須川のロープは首にはまっている。あとは足を離すだけだ。
「あぁ、足枷の鍵はどっかにあるから警察の人が多分やってくれるよ」
「そ、そうじゃないの! ねえ、やめて、お願いだから! わたしを……わたしを置いてかないで……」
志穂の必死な願い。志穂はもう、須川に依存している部分があった。
もう、須川以上に素敵な人などいないと思う程に。
須川も今の言葉でどこかそれを感じていた。
「……知ったことか」
2度目の同じ拒絶。もう須川の目には志穂は映っていない。
互いに向き合い合っているのに、志穂だけが相手を見えている。
それも、最悪の形で。
志穂はもう何も出来ない。言葉も届かないし、手も届かない。
いや、1つだけ出来ることがある。それは、須川の自殺を見届けること。
望まぬことでも、目をそらせられない。今後志穂の頭には、何度も何度も須川の死に顔が出てくるに違いない。
須川はもう、懺悔しても仕切れない程に、妹への謝罪を繰り返している。
須川の生きがいは、スタートから崩れていたのだ。
恩を仇で返す、まさにこの言葉がふさわしすぎるほどに。それも最高で最悪の形で。
「はぁ、僕ってホント馬鹿だな」
その言葉を最期に、須川正義の恩返しは幕を閉じた。