誰も救われない
あれから1週間が経った。
志穂は須川の自殺を見届けた後、泣き崩れ、気を失った。
それからすぐに警察がやってきて、須川の死体を回収し、志穂を救急車で病院に運んだ。
家族が見舞いにやってくる。父と母は、戻ってきた志穂に歓喜し、妹は志穂に抱きつきながらずっと泣きっぱなしだった。
妹はあの後、犯人が須川だと知り、ずっと志穂に謝り続けた。
志穂はあなたのせいではないと言うが、妹は自分のせいだと言い張り続けた。
自分と関わりを持ったことで、それが姉に及んだと思っている。
実際にそうなのだが、妹に悪いとこは無いと知っているため怒るなんてもってのほかだった。
あれはただの須川の自己満足の為に動いたに過ぎないのだから。それに志穂と妹が使われただけだった。
志穂当人は、起きてから、家族がお見舞いのフルーツを持って来たり、妹がりんごの皮を剥いて食べやすく切ってくれたり、警察の人や、取材にきた人たちの相手をしたあと、1週間入院するだけの日々を送っていた。
体の方は、足首に痣が残っているだけだった。心の方も、特に問題ないと指摘された。
もう、志穂はすぐにでも退院出来る状態だった。
今日も横になりながら窓の葉っぱを見ている。だがそれもすぐに視線を外すことになる。
ガラガラと部屋の扉が開かれる。
「やぁ、志穂ちゃん元気にしてた?」
扉を開けて入ってきたのは、志穂が所属しているサッカー部の先輩。そして、志穂を襲おうとしている飯塚桂介その人だった。
「先輩……」
「心配したよ。知らないおっさんにいきなり誘拐されたんだって? 大丈夫? 何かされなかった?」
これは確認。志穂が未だに処女かどうか疑っているのだ。
志穂は至って冷静に対応する。
「いえ、特に何かされたというのはないです。ただ、足枷をつけられてたので足首に痣が少々」
事実だけを口にする。実際に何かされたという認識は志穂にはない。
「そうか、それなら良かった。しかし、元気そうで何よりだ」
「はい、ご迷惑おかけしてすみません。デートもできなくなってしまって……」
その言葉に飯塚は笑う。それはとても人を落ち着かせる優しい笑顔だ。
その笑顔に、志穂は内心、吐き気がしていた。
もとより飯塚さえいなければ、須川が志穂を監禁することなんて無かったし、須川も死ぬことなんて無かった。
「いいよいいよ。デートならいつでも出来るからね。なんなら、退院した後にでもいいよ」
至って普通、だが分かる。決行日に出来なかったことで、飯塚はそれなりに溜まっているのだ。それも抑えられないほどに。
飯塚の顔も、どこか焦りを感じさせる汗が所々見える。
「先輩、ここの病院、屋上が開いてるんですよ。一緒に行きませんか?」
誘うならここだった。志穂は入院当初から、ここの屋上が気になっていた。
「え? あ、いいよ。うん、行こう!」
いきなりの提案に少し戸惑いながらも了承した。
それが志穂との最初で最後のデートとは知らずに、志穂の隠し持ったモノにも気付かないまま屋上に行くことにした。
屋上に着いた2人は颯爽と吹き抜ける風に心地よくあたっていた。
周りには2人以外は誰もいない。一時の独占状態だ。
「へぇ〜、いい場所だね」
「そうですよね! 前からここに来たいと思ってたんです。先輩と」
少し照れた顔で飯塚に寄る。
もちろん、これは演技だ。いまここに、名女優の金沢志穂が誕生した。
「ふーん、そう言ってくれるってことは俺に気があったりしてね」
「ま、まぁ……はは……」
演技半分呆れ半分といった感じだ。志穂は、飯塚の勘違いに付け込むことにした。
「否定しないってことは……まさか本当かい?」
「先輩さえ、良ければですけど」
ラブシーンの誕生だ。屋上と2人の男女に吹き抜ける風。
シチュエーションとしては完璧だ。観客として見ればだが。
「全然! むしろ俺でよければ! いや良かったー。前々から志穂ちゃんのことが気になってたんだ」
決して好きとは言わない。志穂は知っている、それが好意ではなく行為をする為にしか気にしてないことに。
「ホントですか!?」
「本当だよ。志穂ちゃん他のマネージャーの人達と違っていつも一生懸命だもん。だから俺もそんな志穂ちゃんをどんどん目で追いかけるようになって。そしたらいつしか……」
こちらも名演技だ。一体どの口がそれを言わせるんだと思う志穂。
今だ。
名演技に心に打たれたのか、いきなり飯塚の体に抱きついた。
「おっと、はは、志穂ちゃんって結構大胆なんだね」
「こういうことするの、先輩にだけですよ」
とても甘い言葉。人を惑わす魅惑の一言。
「それはとても嬉しいね」
互いに抱きしめ合う。お互いの体温を確かめ合うように。
愛のない愛をぶつけ合っている。
「先輩はわたしのどこが好きですか?」
志穂は問う。どの答えも偽りのものだとしても。
「そうだね、優しいとことか、真面目なとこかな。これからもっと、志穂ちゃんのこと知りたいな」
上っ面だけでなんでもないこと。好きなとこなんて無いから、もっと知りたいで誤魔化す。
「ふふっ、先輩はわたしのことを知らなさすぎです」
「だから、もっと知りたいのさ」
飯塚の手が、志穂の胸に近づいていた。
それは志穂にとって死んでもお断りしたいことだ。
あの人にも、1度も触らせたことも無いのだから。
胸に近づく手を左手で掴み、そのまま掌を合わせ指を1本1本絡ませる。
いわゆる恋人つなぎというものだ。
「先輩、まだ早いですよ」
「ははっ、ごめんごめん。志穂ちゃんが俺を惑わしてくるからさ」
さわやかに言う飯塚だが、どこか苛立った様子が伺える。プライドが高い飯塚は、誰かに主導権を握られるのを嫌う。
繋いでいる手が、少し震えている。それがどちらの手のものか、一体どんな感情で震えているのか、お互いに分からない。
「志穂ちゃん、もしかして緊張してるの?」
「……先輩はしないんですか? わたしはこういうの経験は無いんですけど、先輩はあったりするんですか?」
この問いに意味などない。狙うは機会。
「……実は俺も無いんだよね。一応これでもサッカー一筋でやってきたからさ」
「一筋って、かっこいい。とても素敵です……」
互いの唇の距離が近づく。
このまま流れに任せれば、唇が重なり2人は幸せの第1歩を踏み出せるだろう。
観客から見ればの話だが。
このまま飯塚について行けば、志穂は地獄行き片道切符を手に出発することになる。
そもそも何故、ここに飯塚を連れて来たのか。
決してここでラブロマンスを繰り広げるために連れて来たわけではない。
「……」
「……」
志穂はギリギリまで唇を近づける。
まだ、まだだ。
1つ、志穂はまだ確認しなければならないことがあった。
「先輩は、わたしをどうしたいですか?」
息が当たるほどの近くで志穂は問う。
この質問にどう答えても志穂のやることは変わらない。
須川が出来なかったことを、今度は志穂自身が行うだけ。
「……どうにかしちゃいたいかも」
これは本心だ。飯塚初めて出した本性。
曖昧な問いだからこそ、本性を出しやすくなる。
今まで腹の中で溜まっていた黒い部分が漏れ出した瞬間だった。
もうここからは、自分を隠す必要はない。
「そうですか。わたしも殺したいほど先輩を思っています」
「ん? それは愛情として受けとっ――」
今まさに唇を重ねようとしていた時だ。
志穂は、隠し持っていた包丁で飯塚の腹部を突き刺さしていた。
「なに……を……ぐっ!」
相手が抵抗する暇も無く、包丁を一度抜いたあと、もう一度力任せに心臓あたりを突き刺す。
そしてもう一度離れる。そしてもう一度。もう一度。
3度刺したとこで、今度は飯塚に猶予を与える。
「……心臓を狙ったつもりだったんですが、外しましたか」
志穂には、須川と違って飯塚を殺すことに何とも思わない。
どうせ犯されるなら、先に殺ってしまった方がいい。
ただ、それだけだった。
「て、てめえ、ど……ういう……つもり……だ」
出血が多く、もう喋るのもキツイだろう。
完全に本性を現した。いや、強制的に出せられた。
今死ぬかもしれないというのに、何も隠すことなんて無いのだから。
「どういうつもりと言われても、こういうつもりですが? 言ったじゃないですか、殺したいほど先輩を思っていますって……」
今の志穂は、とても冷酷で、残忍で、監禁する前には見なかった新たな一面が表に出てる。
それは、最初に出会った須川にもとても酷似している。
「ふざ……ける……な。てん、めえ……お……」
「お? もしかして、俺の事が好きじゃなかったのか? って言いたいんですか? ええ、好きでしたよ。1ヶ月前まではですけど」
何が志穂をここまで変えたのかは語るまでも無い。
それを飯塚に説明してやる必要も感じていなかった。
「人って腹の中に何を隠してるか分からないですからね。先輩も、わたしも」
視線を落とし、志穂は蹲る飯塚を蹴り上げ、無防備になった傷口を強く踏みつける。
もう志穂の病衣は、飯塚の返り血で染められていた。
「アァ……ァァ……ァアアアアァァァァ……」
朦朧としていた意識を強制的に呼び起こされる。
「まだ、死なないでください。もっとわたしの話を聞いてください」
「ハァ……アァ……ウゥ……」
腹から足をどけると、呼吸を整えまだ生きようとする。
生に執着し続ける飯塚の目は、見下す志穂を睨み付ける。
「すごいですね。まだ生きようとするんですか。すごいすごーい」
「……なァ…………ぜェ……」
飯塚はまだ、志穂が何故自分を殺そうとしているのか理解できていなかった。
心当たりはあるはずなのだが、それが本人にバレてるなど考えもつかない。悟られるようなことは何ひとつしていないのだから。
「なぁぜぇ? そりゃあなたがわたしをレ○プしようと企んでたからじゃないですか。だからこうしてやられる前にやってるんですよ。心当たりありますよね?」
飯塚の閉じかけている瞳孔が、大きく開いた。
「あれ? その目の開き方。どうして、バレてるの? って言いたそうな目をしてますね。知ってるんですよ全て。わたしの最愛の人が、あなたの悪行を暴いてくれました」
今はもう亡き人の顔を浮かべる。あれだけ酷い別れをしても、志穂はまだ彼を思っている。
もう、終わりにしようとする。これ以上やっても、何にも面白くないから。
「……た……ぅ……て……」
「もう何言ってるか分かんないですね。たぶん助けてって言ってるんでしょうけど、まぁそのまま助けを請いながら死んでいったらいいんじゃないですか? でも安心してください。わたしもすぐ追いかけますんで、あの世でわたしを犯せたらいいですね」
もう、意識も無くなりかけてる飯塚に、志穂は包丁を持った手で大きく腕を上げる。
「……ぁ……て……」
「……流石にもう分かんないですね。まぁ、もう介錯してあげるのがわたしの運命ですね」
もうやる事はやったのか、振り上げた腕を飯塚に無情に下ろす。
今度はしっかり、心臓に命中した。
しばらく痙攣したあと、飯塚の呼吸がふっと止まった。
鮮血の病人と、血だまりに浮かぶ1つの肉塊。
屋上にまた颯爽と風が吹き抜ける。
それはとても暖かい。今日という日にぴったりの風だ。
心地よく死ねる最高の気分だった。
「こんなことに、なんの意味なんてない」
入院していた志穂はこんなにも壊れてはいなかった。否、正常のように振舞っていただけだった。
志穂の中には、須川の最期の顔だけが鮮明に残っていた。
それ以外は、もうただのゴミみたいなものだった。
父も母も、妹も、飯塚も全部がゴミにしか思えなかった。
特に飯塚は最大級のゴミだった。自分の手で処分しなければならないほどに、このゴミはわたしの中に侵食していたからだ。
生理的嫌悪が一番近い感情だった。何故こんな奴を好きになってしまったのか、何故こんな奴に自分は狙われてしまったのか。何故こんな奴のせいで須川が苦労しなければならなかったのか。
須川は殺すのが怖いといった。だから志穂は、せめて最後まで出来なかった須川の仕事を、自分で行うことにした。
そして、志穂にとって最大級のゴミがもう1人いた。
妹だ。そもそもの原因がこの妹だから。
須川を誘惑して、あそこまで悩ませて、須川が犯人と分かれば自分のせいだと泣く。
その通りだった。妹と須川が出会ったことで発展したのが今回の事件だからだ。
志穂が許せないのは、須川をもう犯罪者という認識しかしていないから。
あれだけ、思われて、優しくして、そして裏切ってく。
これは志穂の屁理屈だ。志穂自身も、妹には何にも非が無いのは分かっている。
それでも、昂ぶる感情が妹をゴミと判断する。その感情は、殺意に近い。
だが決して妹を殺すことは絶対にしない。
妹だからではない、須川の恩人だから。殺したらきっと、須川にもっと嫌われてしまうから。
包丁を手から離し、屋上に付けられているフェンスの前まで足を動かす。
フェンス越しに見る景色は、とても赤い。
飯塚からあふれた血が、志穂の目に入り込んでいたからだ。
「あぁ、綺麗」
赤い景色を眺めながら、フェンスを登っていく。
「よいしょっと……」
志穂の登るフェンスは高い。過去に飛び降り自殺をした人が何人もいたからだそうだ。
返り血が、濡れた手と足と登攀の邪魔になっている。
よく、滑るのだ。
少しでも集中を乱せば、そのまま地面に急降下だ。
「まぁ、もとよりそのつもりだし、もういいかな」
フェンスの一番てっぺんのとこまで登り終えると、少なすぎる足場で立ち上がろうとする。
志穂は平衡感覚が特別良いわけではない。
「おっとっと……あっ……」
無事に立ち上がるなんて事が出来る筈もなく、志穂は滑り落ちた。
見事にこのまま地面に急降下ルートだ。
「お? あっはっはっはははははははは!」
可笑しくて、切なくて、1人の男に翻弄された哀れな少女の大きな笑い声。
誰も救うことが出来ず、救われることも出来ず、人を殺し、何も報われない、どうしようもない人間に成り下がった、囚われの姫君。
まさに、悲劇のヒロインの言葉がぴったりの少女。
「あぁ、正義くん、今会いに行くからね」
決して独りぼっちにはしない。もう一度拒絶されようとも何度もぶつかっていこう。
その言葉を最期に、金沢志穂の悲劇の物語は幕を閉じた。




