番外編 遠距離直前
――離れる前に、言っておきたいこと
春の終わりは、少しだけ切なかった。
校門前の桜はすでに葉桜になり、風が吹くたびに若い緑が揺れている。
進学。
その二文字が、二人の間に静かに影を落としていた。
陽斗は、東京の大学へ。
透花は、地元に残る。
決まったとき、どちらもすぐには言葉を出せなかった。
嬉しさと寂しさが、同じ場所に存在していたから。
◇
放課後の図書室。
いつも座っていた窓際の席。
今日は、本を開いていても、文字が頭に入ってこなかった。
「……もうすぐ、ですね」
透花がぽつりと言った。
「はい」
陽斗は頷く。
「あと、二週間」
カレンダーの数字が、急に重く感じられた。
「遠い、ですか?」
透花の問いに、陽斗は少し考えてから答える。
「距離は……遠いです」
「心は?」
その問いに、即答できなかった。
だからこそ、正直に言った。
「……不安です」
透花は、少し驚いたように目を瞬かせる。
「僕、強くなったつもりでしたけど……」
言葉を探しながら続ける。
「離れるって思った瞬間、急に弱くなりました」
透花は、静かに微笑んだ。
「それ、私もです」
◇
帰り道。
夕焼けが街を包む。
並んで歩く距離が、いつもより近い。
「周りからは、“大丈夫だよ”って言われます」
透花が言う。
「今は連絡も取れるし、会えないわけじゃないって」
「……はい」
「でも、問題はそこじゃないんですよね」
陽斗は頷いた。
会えるかどうかじゃない。
同じ時間を生きられるかどうか。
「私ね」
透花が足を止める。
「もし、気持ちが離れたらどうしようって、考えちゃうんです」
風が、二人の間を通り抜ける。
「離れてる間に、変わってしまったら……」
陽斗は、拳をぎゅっと握った。
「変わると思います」
透花が驚いたように彼を見る。
「でも……変わっても、終わりじゃないって思いたいです」
陽斗は、まっすぐ彼女を見た。
「変わった自分同士で、また選び直せばいい」
その言葉に、透花の目が潤む。
「……そんなふうに考えられるようになったんですね」
「透花さんと一緒にいたからです」
◇
別れの前日。
二人は、川沿いのベンチに並んで座っていた。
夜風が少し冷たい。
街の灯りが、水面に揺れている。
「明日、ですね」
「はい」
それ以上の言葉が続かない。
沈黙が、やけに重い。
「……泣かないって決めてたんです」
透花が小さく言う。
「でも、たぶん無理です」
陽斗は、少し笑った。
「僕も……同じです」
透花は、彼の袖をぎゅっと掴んだ。
「離れるの、怖いです」
「僕もです」
「でも……別れたいわけじゃない」
その言葉に、陽斗ははっきり頷いた。
「絶対に、違います」
◇
夜空を見上げる。
星が、いくつか瞬いている。
「同じ空ですね」
透花が言った。
「はい。東京でも……きっと同じです」
「見上げたら、思い出してください」
「毎日、思い出します」
陽斗は、そっと彼女の手を握った。
「約束しましょう」
「何を?」
「離れても……一人で決めないこと」
透花は、少し考えてから頷いた。
「はい。一緒に悩みましょう」
それが、二人なりの“遠距離の約束”だった。
◇
翌朝。
駅のホーム。
発車時刻が近づいている。
「……行ってきます」
陽斗が言う。
「……行ってらっしゃい」
透花の声は、少し震えていた。
抱きしめたい衝動を、ぎりぎりで抑える。
代わりに、そっと額を寄せた。
「離れてても……好きです」
透花の瞳から、涙がこぼれる。
「……私も」
電車のドアが閉まる。
ゆっくりと、動き出す。
窓越しに、手を振る。
姿が小さくなっていく。
それでも。
空は、同じだった。
あの日と同じように、広くて、優しかった。
離れても、終わらない。
これは、別れじゃない。
“続いていくための距離”。
そう信じて、二人はそれぞれの空の下を歩き出した。
⸻
遠距離直前編 完




