第1話 なくしたもの
人類が感情を持ってから今日に至るまで、人は嘘によって他人を惑わせ、自身の過ちや行動を後悔する。それがこの世の真理だ、と言いきったのは現在机に突っ伏して脱力しきった男子高校生、長森翔太だ。
「そう落ち込むなよ。また違う出会いがあるかもしれないだろ」
慰めの言葉をかけるのは、長森と同じクラスの男子、八前千秋。長森とは最近になって仲良くなったが、数少ない友人ということもあり、とても心配していた。
彼がこうなったのは、数ヶ月付き合っていた相手が長森を含めて現時点で三股していたことが発覚したからだ。
「僕、魅力ないのかな……」
「いえいえ。長森さんは十分魅力があると思いますよ」
千秋や長森と同じくクラスメイトの女子、九条日向がそう言うと、途端に長森が起き上がり机を強く叩く。
「なら僕と付き合っ――」
「それはダメです」
再度力を抜いた長森は机に頭をぶつけて動かなくなった。
わたしには好きな人がいるので、と日向は追い打ちをかける。
そんな日向に続いて、椅子の背もたれ側を向いて、椅子に跨いで座るもう一人のクラスメイトの男子、楠佑斗も一言述べる。
「翔太は純愛を望んでるんだから、九条さんじゃ駄目だろ」
長森は机にへばりついたまま、猫が唸ったような声を出した。
日向は前から好きな人がいると明言していたので、こればかりは咎められても仕方がない。
一時的な感情で行動した長森は誰からも賛同を得られず、駄々をこねる。
「誰か純愛な彼女を作る方法を教えてよ!」
投げやりに言う長森に、楠がそっと肩に手を置く。
「あれだ。たしか……水35L、炭素20kg―」
「それは人体錬成! 僕にこれ以上何を失えって言うのさ!」
バンバンと机に拳を叩きつける長森を三人は苦笑して見守っていた。
少なくとも、ごく普通に時を過ごす高校生は色恋を求めるものなのだ。
まだ育ち盛りの高校生は間違いを犯すことで学び、次にそれを生かすのだ。
全ての物事を失敗しない人はいない。その失敗をどう修正するか、どう次に繋げるかが成長の第一歩だ。
そこで止まれば、成長は訪れない。
「とにかく、今回は相手が悪かったんだ。後悔するのは今日までにしよう」
「千秋は女の子にフラれたことないからそう言うこと言えるんでしょ!」
「いや、あるぞ」
「ほらある……え?」
「俺だってフラれたことくらいあるさ」
千秋が放った言葉を信じられない長森は、まじまじと千秋を見る。
「意外か?」
「だって千秋、全然女の子に興味なさそうだったじゃん」
「……そうかもな」
千秋は日向を見て少し考えてから言う。
もちろん日向はそれに対してムッとする。
「わたしを見て言うのはどうかと思うよ?」
「不快にさせたなら謝る。ごめん」
「……もう。今回は許してあげるけど、次からは本当にダメだからね」
千秋と日向が二人でやり取りしていると、取り残された男子二人が気まずそうに話しかける。
「あの~。二人で話すのもいいんだけどさ、僕から一ついい?」
「オレも聞きたいことがあるんだけど」
「何が聞きたい?」
千秋が訊ねると、二人は顔を見合せる。
短いやり取りで質問の順番を決め、長森から質問する。
「誰にフラれたの?」
「地元の同級生だよ」
「名前は?」
「言っても分からないだろうし、プライバシーの侵害だから言わない」
「可愛かった?」
「それはもちろん」
「その子の写真とか持ってない?」
「当時は俺がスマホ持ってなかったから持ってない。親のスマホにはあると思うけど」
中学生の頃の写真だから今はもう別人だろうけど、と千秋が言うと、長森はそれでも見たいと懇願する。
何はともあれ、長森も自身の失恋のことはもう考えてもいないようだった。
懇願が聞き入れられない長森を気にせず、今度は楠から質問される。
「それで、フラれた原因は?」
「それ気になるか?」
「もちろん。そこが一番気になるだろ」
「……はぁ。長くは話さないからな」
千秋は三人に近くに集まるように手招きする。
三人は千秋の近くに寄り、千秋の発言を聞き逃さないように耳を澄ませ、他の生徒に聞かれないように小さな声で話す千秋の言葉を聞く。
「当時の彼女の他にも俺に思いを寄せる子がいて、自分よりその子の方が俺を幸せにできるから、って彼女から別れを切り出された」
「その思いを寄せていた子とは付き合ったのか?」
「いや、すぐに卒業だったから付き合ってない。それに、引っ越しの準備とかで全然余裕がなかったのもある」
千秋の過去を知り、自分と同じ立場だと分かった長森がニヤリとした表情で呟く。
「へぇ。それで今は彼女募集中と」
「そんなことは一言も言ってないんだが」
長森と楠の質問攻めが一区切りすると、楠が興味深そうに千秋と日向を交互に見ていた。
「そういえば、九条さんも引っ越してきた人だよな? 千秋のこと『七くん』って呼んでるくらい仲がいいし、もしかして――」
「ううん。わたしと七くんはそういう関係じゃないよ」
「もしかしたらと思ったんだけどな」
「でも、わたしが七くんと仲が良いのは確かだよ。小さい頃から一緒にいたから、よくそう見られちゃうこともあるんだ」
日向の言葉で何かに気がついた二人は千秋と日向から離れて、ボソボソと二人きりで相談する。
「(相手の子が九条さんのこと勘違いして別れてないかこれ?)」
「(僕も思ったけど、九条さん全然悪気なさそうだよ!?)」
放っておいても誰も困らないので、千秋は敢えて口出ししなかった。
「二人ともどうしたのかな」
「日向は気にしなくていいの」
「…?」
相談を終えた後の二人の苦笑いでも日向はピンとこないようで、首を傾げていた。
一つの話題を消費し、違う話を持ち出そうとしていた長森が急に廊下の方を向き、すぐに千秋たちの方へ向き直して訊ねる。
「なんか足音聞こえない?」
「え? 足音?」
長森の怪しむ姿につられて耳を澄ませてみると、廊下で誰かが走っているのか、リズム良く音が響いている。
それも、その音源はだんだん近くなってきている。
音が近くなるにつれ、四人とも閉められた教室のドアに注目する。
音源が教室の前の廊下を通り過ぎるはずのタイミングで、教室の前のドアがピシャリと開かれた。
「ヤバイよ千秋くん!」
忙しくなく叫ぶ女子生徒は、開けたドアを支えにして切れた息を整えていた。
「一ノ瀬?」
彼女の名は一ノ瀬心海。
この学園、私立七原高等学園における、第25回生徒会の生徒会書記だ。
「すぅぅ――はぁぁ……」
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃないよ! だって、選挙の投票用紙500枚が消えちゃったんだよ!?」
一ノ瀬の報告に、千秋は深いため息と共に頭を抱えた。




