メトゥール・ヴァルセロナ
先に言います。読者の皆様の気分を害する表現があるので、ご注意ください。
あぁその日は、ほんの少しの食い違い。神様のいたずらか、はたまた『世界』がそうすべきと判断したのか、真相は分からない。
ただ、取り返しのつかない化け物が産まれたと、そう記そう。
「どうやら最近、俺の噂が流れてるみたいだな」
ヘルプスト歌劇団……メトゥール達が立ち上げた花の名前からとった劇団の、とある一室でメトゥールが椅子に腰を落としていた。
「えぇそうなの。でも誰がこんな事してるんだろう……」
自然と彼女はメトゥールの背後に周り、後ろから抱きしめるように腕を回す。
「十中八九、【魔術協会】の連中または、俺個人に恨みがある人物」
「大変ねぇ〜」
俺は静かに首を縦に振った。別に俺は何を言われようが気にはしない。
ーーメトゥールは、亜人族と裏で繋がっている。
ーーメトゥールは、実は亜人族側に送られた間者の疑いがある。
正直、くだらない内容の噂がほとんど。おそらく俺と彼女の関係を見て流した噂だろう。
彼女は人間族に限り無く近いエルフの少女なのだが、亜人族には変わりは無くこの噂な妙な信憑性を持ってしまった。
「何か、ごめんね?私のせいで……」
「いやいや、貴女のせいではありませんよ。俺に対する妨害の仕方が少し意外だっただけです」
「うん……ありがとう。じゃあ、今日の晩御飯はメトゥールの好きな物にするね」
「ふふっ、ありがとうございます。貴女が作った物は全部美味しいですからね」
ただただ、お互いに笑みをこぼして、一緒に眠る。そんな毎日が続けばよかったのに。
ーーねぇ?
【魔術協会】による嫌がらせ、それによって次々と離れていくパトロン。資金不足によって中止になって行く劇。
徐々に溜め込んでいった怒りが、不満が出てしまったのだろう。
「あぁあ!!クソッ!!ふざけやがって……また断られた。これで五件目だぞ!?」
「うん……ごめん、なさい。私のせいで」
「ーー何度も言いますが、貴女のせいでは絶対にありません。何処の阿保が言いふらしたかは知りませんが、『亜人の間者がいる』などと言う噂のせいでは無く単純に……俺の“才”が無いだけですよ」
「そんな事はッーー」
「ーーうるせぇ。いい加減に、うるせぇんだよ!!【天才】のお前に何が分かる!!」
「大した信念も無く!ただただそこに居るってだけでチヤホヤされて!!そんなお前に俺が劣等感を抱かねぇとでも?あぁそうさ、ずっとずっとずーっと持ってたよ。お前が!俺を連れ出したあの日からずっとだ!!」
早口に、自分が抱えていた本音を目の前の、同じように傷付いている彼女に、よりにもよって一番聞かせたくなかった人に、最悪の言葉を送ってしまった。
「ーーぅん。ごめん。生きてて、ごめんなさい。ずっと、ずっと苦しかったんだよねぇ……気付いてあげられなくて、ごめんねぇ」
両目から大粒の涙をポロポロと溢しながら、彼女は何処かに走って行った。
「【さようなら】」
その言葉を最後に、貴女は消えてしまった。
ーーそこから数日、俺は何をしていたのか、今でも思い出せない。
その日は曇り空だった。正確にはあともう少しで、雨が降ってきそうな、じめじめとした感覚が肌に染み渡っていた事だけは覚えている。
少しぬかるんだ、舗装されて無い剥き出しの地面。
一歩。歩けばべちゃりと不快な音を立てて、体が前に進む。
目的は無く、ただゆっくり彼女と過ごした劇団では無く、自分が住んでいたスラムに歩みを進めていた。
ふと、鼻に臭いを感じた。
いつも、隣にいた彼女の匂い。
いるはずが無い。こんな場所に、彼女が来るはずが無い。
否定的な気持ちとは反対に、体は軽いステップを踏んで、生き生きと走っている。
走って、走って、さらに薄暗い路地に走った先で……
ーー彼女は遺体となって見知らぬ男が彼女の体に、下半身を露出させて覆い被さっていた。
思考が、酷く澱む。体の先から熱が奪われ、震えている。
視界が、彼女の暴行によって歪んだ顔に固定され、視界の端が白く濁っていってる。
「何を……してる?」
何とか絞り出せたのが、その言葉だけだった。
すると、こちらの声に気づいたのか、俺の方にその男がやって来た。
鼻息は荒く、手にはナニカで薄汚れた棍棒を一本。持っていた。
そしてそれを振り上げてーー
俺が目を覚ました時には、雨が降っていた。
おそらくあの一撃で気絶してしまったんだろう。
頭から血がいまだに流れて、体に上手く力が入らない。
何とか這いずって、彼女の所に行く。物言わぬ土塊となった彼女は、ほぼ裸の様な格好で横たわっており、美しかった赤髪は引き千切られ、顔は原型が分からないくらい歪んでいた。
あれほど劇で見た彼女の四肢は、へし折られ骨が見えている。
ーーもう既に柔らかい部分から腐敗が進んでいた。
「だめ、だめ……」
必死の思いで彼女の体に縋り付き、湧いたウジやハエ、死肉を食いに来た鳥などを追い払う。
ーーずきり
俺の右腕が、痛みを発した。
見てみると、肘から先が骨が砕けて、わずかに残った肉でしか繋がっていなかった。
ーーおれは迷わずそれを千切った。
ゴミとなったそれを無造作に投げ捨て、またハエを追い払う。
ふと、おれに最悪の考えが頭をよぎる。
「ーーだれかに、食われるくらいなら……」
オレガ食ワナキャ。
グチャ、グチャ、ゴリッ
ビチャ、ビチャ、ボトッ
マズイ、マズイ、デモクワナキャ。
彼女の右腕を落として、僕の腕にゆっくりと丁寧に縫い付ける。
アアこれで、ずぅっとずっと。
「一緒ですね」
ザーザーと雨が降る。落ちた水滴が、頭に付いて、輪郭を辿って、下に落ちる。
雨水は僕の涙と混ざって、下に一つ落ちる。
雨水は僕の悲しみと一緒に、下に一つ落ちる。
落ちて、落ちて、落ちて、ずり落ちて、最後に残ったのは……溢れんばかりの【笑み】でした。
自分が笑っていると気付くのに、そう長くはかからなかった。
「ーー【開演】」
最愛を失った少年は、薄暗い笑みを貼り付けて、今日も舞台に上がる。




