87 五重塔ダンジョン
「僕はここ、滅びた王国の簡易な地図をダブリスの傭兵ギルドで購入していましたし、シモンさんにも見てもらって、手を入れたので、シル君の話から、リン達が何処にいるのか検討がついたのですよ。」
そう言って広げた地図には、幾つかシモンの字で書き込みがあり、ラモンの豆知識的な情報も書き込まれていた。
ここは滅びた王国と通称されているが、60年以上前には一つの王国が存在していた。ラモン・シモンの故郷であり、ヴィエイラ共和国元傭兵ギルド長ミケーラの故郷でもある国だ。権力争いによる国の荒廃で滅びたのち、魔物の跋扈する南の大森林が天然の防壁となり、滅びた王国を訪れる者は、そう多くは無い。国が滅びる時に、貴族達の多くは私財を持って逃げ出しており、その前から、傾きつつあった王国に残された富などほとんど残っておらず、この時は放棄された。
カイの入手した地図も王国末期のもので、以降、改訂されてはいない、かなり、古い物であった。
「これ、ダンジョンの場所も書いてあったりします?」
「それは・・・、ここだね。今いる、‘太極殿‘から見て北東にある‘五重塔‘がダンジョンと書かれている。」
カイが指差す先、ラモンの文字で‘ダンジョン‘、‘オーガ‘と書き込まれていた。
「オーガ?」
「人型の魔物ですが、人より2〜3倍大きく、その分、力も強い。知能は人並みと考えられており、武器を持って戦う魔物の総称です。ここは、そのオーガのダンジョンらしいですね。」
そう聞いて、アイリは首を傾げた。
‘五重塔‘と言うからには、それは塔、なのだろう。上層にいくほど敵が強くなくタイプのダンジョンのようだ。オーガしか出ないダンジョンの最上階のダンジョン主が魔人スライム?
かつて、初代アイリが魔人征伐に向かったのは‘魔人の巣窟‘。例えではなく、本当に山を削り出して造られたような建物だった。それが滅びた国のダンジョンだと思っていたのだが、違うのだろうか?
「他にもダンジョンはあるのですか?」
「んー、地図によると、この五重塔だけみたいだね。でも、未知のダンジョンがあってもおかしくは無いよ。」
「この滅びた王国は、独自の文化を持っていたみたいで、建物も町割りも中央国家のどこにも似たものが無くて、殆どが燃えてしまっていたけど、とても興味深いんだ。海と大森林に挟まれた国土のせいで人や物の交流が無いのだろうか?」
そう言うとカイはもっと広範囲の地図を取り出し並べる。コルドー大陸の南端に位置するこの土地は、海と森に囲まれている。
「文化は別物なのに言葉はコルドー大陸の標準語なのも、面白いよね。」
「リンも聞いてたと思うけど、旅の間、ミケーラさんから教えてもらったこの国の昔話を歌にしてみたんだよ。」
カイの話し方はとても耳に心地よい。流石は吟遊詩人だ。彼らの進んできた道や、その途中で見聞きした事を聞いているうちに、アイリの意識はカイの声のみに惹かれていった。
!?
肩にかかる重みにカイは、言葉を失った。そろり、と横を見ると、小さな赤みがかった金髪の頭がある。
焚き火の向こうのブラフの面々が、生暖かい目をして唇に指を立てた。
《安心したんだ。ずっと、眠れてなかったから。》
小声でそう伝えてきた。
《もう少しだけ、そのままでいてやってくれ。》
カイは小さく頷き、緊張していた体から力を抜いた。体格の良い無骨な男が、そおっとアイリに毛布をかける。彼らが、この少女をとても大切にしていることが、その動作一つで良く分かった。
《シルを連れ戻してくれて、本当にありがとう。》
「お役に立てたなら良かったです。」
夜はゆっくりと更けていった。
翌朝、目が覚めた時、アイリは自分が魔導車の中で眠っている事に驚いた。いつの間に移動したのだろう。確か、カイと地図を見ながら、と思い出すにつれ、じわじわと頬が熱くなっていった。
『ひょっとして、私、あのまま眠っちゃったのでは・・・。』
《アイリ、起きてる?》
「ひゃ、ひゃい!」
ドアを開けて覗いたのは一緒に旅をしてきたブラフ海賊の一人、イーウィニー大陸に渡ってから、ルーの側近として復帰し、必然的にアイリと行動を共にすることの多くなった女性。ルーをお嬢、と読んでいたブラフ海賊暗部の長ムニの孫娘のシュミだった。
《昼ご飯できた。》
《え!?ちょっと待って、昼?》
《そう、アイリもだけど、ミルもシルも全然起きてこないから。》
《起こしてよー。》
《愛だよ、愛。頭領達も日暮れまでには着くって。》
ルーにはシルキスがカイと一緒に戻って来たことは知らせていた。きっと安心して、それでも、大急ぎでこちらに向かっているのだろう。また、久しぶりにみんなが揃う事がとても嬉しかった。
その日はアイリもそうだが、ミルナスもシルキスを視線から外す事が出来なかった。シルキスは居心地が悪そうではあったが、流石に文句は言わなかった。因みに、アイリを心配した彼女の契約精霊テセウスが小さな火の精霊をこっそりシルキスに貼り付かせていたのは、彼には内緒だ。そして、風の精霊ウィンディラもミルナスに同じ事をしている。彼の契約精霊である梟は気がついている様だが。
その日の午後も雨が降っていた。この滅びた王国に入ってから、雨天が多い。
「この時期の雨を慈雨と言って、これから収穫期に向かう植物にとって最後の成熟に大切な雨らしいですよ。」
魔導車の間を大きな防水布で繋いで、雨除けとした屋外で、カイがリュートを手にしながら言った。
「雨って言えば、俺が鳥居をくぐった時も降ってたけど、鳥居と鳥居の間は濡れてなかったなー。不思議ー。」
「あの鳥居で何があったの?シルキス。」
「さあ、俺にもわかんないよ。強くなりたいと思って行ってみたは良いけど、近づくと気分悪くなって、それでも頑張って鳥居をくぐったり、戻ってみたり、色々してたら、いつの間にか、変な所にいたんだって。」
「シモンさんと合流したら、再調査だね。」
「噂をすれば、だよ、姉さん。」
ミルナスが指差す先に次第に大きくなる数台の車影が見えた。
「アイリ!ミルナス!シルキス!」
「全く、心配させる。無事で良かった。」
魔導車から、転がるように出てきたブラフ海賊貴族現当主ブラフ・ルー・ヴィシュ・ザ・フィフスが、次々と少年たちを抱きしめた。
マリを抱っこしたラモンが次に降りてきた。
《あーしゃん、ミルにい、シルにい。》グーッとアイリ達に向けて、身を乗り出した娘に、苦笑しながら、ラモンは彼女を地面に下ろした。タッと駆け出す幼女。
「転ぶなよ、マリ。よぉ、愛し子ちゃん、毎度毎度、やらかして、!?マリっ!」
駆け出すマリの後ろを歩いて来たラモンだったが、目の前でマリが足をもつれさせたのか、顔から倒れていくのを見て大慌てで手を伸ばした。
しかし、べちゃっと倒れるはずのマリは、しっかりと吟遊詩人の腕に抱きとられ、そのまま、ぎゅっと首にしがみついた。
《カイしゃん!》「怪我はない、小さなお姫様?」
こくこくと真っ赤な顔で頷く娘を見て、「嫁にはやらん。」とつぶやくラモンの
脇腹に鈍い音を立てて、ルーの肘が入った。




