64 ギルド長の過去
南の大森林の紅蓮の魔女。
アイリがこの呼び名を教わったのは、三度目のやり直しで目覚め、シャナーン国王の在位20周年祭が終わった翌日。母と二人で衣装の片付けをしていた時の事だった。多分、この名はミルナスもシルキスも知らない。ひょっとして姉のユーリも知らないかもしれない。この呼び名は、受け継がれていく類のものなのだろうか?ひんやりとした予感めいたものを感じつつ、アイリは耳を傾ける。
《ある戦場で、私と兄は、敵に囲まれたまま取り残されました。傭兵団の中ではよくあることでした。怪我をした足手纏いは捨てていく。そうしなければ、全滅もあり得るからです。ですが、私と兄は必死で戦い、何とか逃げ延びました。そうしてたどり着いたのが、魔女の住むといわれた森でした。》
昼なお暗い鬱蒼とした木々の中、ミケーラは前からやってくる人影に、倒れそうな気力を奮い立たせて、杖代わりにしていた剣を構えた。
「あらぁ、意外と元気ねぇ。こんにちわぁ、お嬢さん。南の大森林にようこそぉ。」
あちこちから血を流し、ボロボロの革鎧を纏った女に声をかけたのは、炎の様に真っ赤な髪の人とは思えぬ美しさの女だった。その瞬間にミケーラが思った事は、世界は理不尽だ、と言う事だった。同じぐらいの年に見えた。自分はしたくもない殺し合いをして、毎日毎日、死と隣り合わせでギリギリの中を生きている。なのに目の前の女は、綺麗な服を着て、なんの苦労もなく生きている。何と言っても、その間の伸びた話し方が癇に障った。
「食い物をよこせ。服もだ。金目のものは全てよこせ!」
震える足を、手を、必死に誤魔化して、女に剣を向けた。
「ふふっ、あなたが今、欲しいものは、そんな物じゃ無いでしょう?」
「うるさい!さっさと寄越せ。言う事を聞かなければ、殺すぞ!」
「どおしようかなぁ。」
女は実に楽しそうに人差し指でふっくらとした口元をトントンと叩く。赤い口唇に視線が吸い寄せられる。
「あんまりぃ、のんびりお話している余裕は無いと思うのぉ。」
「何を言って、」
「あなたのお連れさん、死にかけてるわよぉ」
にこっ、と笑った顔をしばらく夢に見た。
《そう言われてから周囲を見回すと、私と一緒にいたはずの兄の姿がどこにも見当たりませんでした。私は、女に斬りかかりましたが、簡単にかわされ、額をこう、軽く突かれたのです。軽く触れられただけなのに、その一瞬、火の鉄棒を押し付けられたかのような熱さを感じました。そして、私に見えていた世界が、ガラリと変わったのです。そこは鬱蒼と暗い森ではなく、木漏れ日が溢れた小さな泉の側でした。兄は近くの木に寄りかかるように眠っており、傷は綺麗に手当てされていました。何が起こったのかわからず、呆然とする私に、彼女は、紅蓮の魔女と名乗り、私には人並外れた魔力があるから、と魔力の使い方を教えてくれたのです。》
アイリを見るラモンの目が痛い。あの口調、どう考えても、母、そのものだ。普通に考えて、老女と言えるほどの傭兵ギルド長より年上、なら、見た目は若くとも、20歳近い娘の母親であるテラとは、年齢が合わない。なのに、直感が告げるのだ、ミケーラの言う紅蓮の魔女と母は同一人物だ、と。
《10年近く、私は紅蓮の魔女について魔力を磨きました。その後、兄と共に森を出て、傭兵稼業をしながら、各地を旅し、使い捨てにされる傭兵達を守りたい、と思うようになったのです。そして、このヴィエイラで、傭兵に理解を示す夫や共感してくれる友を得て、この傭兵ギルドを立ち上げました。子供のいない私たち夫婦にとって、傭兵ギルドに庇護を求めてやってくる者は皆、我が子のように可愛かった。その盲信が、今回の不祥事に気づけなかった最大の原因なのでしょう。ですが、どうか、ギルドの最後の仕事を依頼人への殺人未遂と言う不名誉極まりない物にさせないでください。お願いします。》
傭兵ギルドギルド長ミケーラ・チェルリは深々と頭を下げた。
《貴女の仰る事はよくわかる。アタシも貴族と呼ばれていても、荒くれた海賊どもを束ねているから、中には、碌でも無い奴が入り込む事だってある。だけど、そんな奴を野放しにしてしまったのは、貴女と貴女の作ったギルドの誤りだ。そのせいで何人が犠牲になった?その人たちの遺族に貴女は、アタシに言った事と同じことを言えるのか?》
深くため息をついて、ルーは続けた。
《それに今更だ。今から、馬で追いかけたところで、家畜を連れたインディーには追いつけない。護衛対象に追いつけない護衛など意味がない。》
「私たちは特別な車を使っています。それは新しい技術で、今回の輸送はその検証も兼ねているのです。成功すれば、陸上の物流に革命を起こします。」
それまで、ずっと、何も言わずに控えていたヨシュアが告げた。
「革命?」
のろのろと頭を上げたギルド長は、これまで支えていた何かが折れたように、力無く椅子に座り込んだ。彼女は年相応に小さく、疲れ果てたように見えた。
アイリはそんな老女に心が痛んだ。あの傭兵の罪は彼に負わされるべきもので、目の前の女性や真面目に働いている他の傭兵に肩代わりをさせるべき物ではない。だけど、彼女は一人の罪も全体で償おうと決めた。なら、最後の仕事はきちんと勤めさせてやりたい。それに、南の大森林と紅蓮の魔女、大森林の向こうの滅びた国、傭兵団。どれもアイリの周囲の人に関係のある単語ばかりだ。きついことを言っていても、席を立たないのだから、ルーもラモンも気になっているのだろう。
「あの、」「それでは」
アイリが言いかけた言葉にもう一つの言葉が重なった。
「「え?」」
アイリとカイは顔を見合わせた。
「えっと、私は元々、ギルドに大森林までの護衛をお願いするつもりで、あの場にいたので。」
「そうなのですか?僕の依頼は大森林の向こう、それこそ、ギルド長のおっしゃった廃墟の国に行きたい、だったのです。その依頼は、まだ生きてますよね。」
奇しくも、未達成の依頼と新たな依頼の目的地が同じである事に、傭兵ギルド長の目に光が戻った。
「その依頼、是非、受けさせてください!」




