43 再会
6年ぶりのシャナーン王都は秋の収穫祭を終え、冬支度が始まっていた。
ヴィエイラ共和国御用商会フランク商会の伝手で商業ギルドから宿を手配してもらう事にしたルー達イーウィニー人とアイリはギルドの前で案内をしてくれる人を待っていた。ヨシュアとラモンは元のヨシュアのパン屋のあった下町に潜伏すると言う。カトリーヌ聖女を探るのに別行動をとるのだが、危険ではないのかと心配するアイリ達に、今更、聖徒教会がヨシュアの自宅周辺を見張っているはずも無い、戻ってきたとバレたところで、どうにでもなる、とヨシュアは聞く耳を持たなかった。
「俺様も一緒だから、危ないことなんてないぜ。」
《いや、危ないことしか想像できない。》
「えぇーっと、本当はどこかにじっくり腰を落ち着けて、スライムの研究をしたいのですが。王都の冒険者ギルドで魔物の研究資料を閲覧させてもらえたり、は無理でしょうか?」
《いや、シモンが研究に没頭したら、誰がヨシュアを守るんだ。》
「守ってもらう必要なんてありませんよ。元自宅の近所には知り合いも多いですし。」
《いや、だから、それが不安なんじゃないか。》
一々最もなルーのツッコミが入るが、どうしよう、ラモンもシモンもヨシュアまで、好き勝手しそうで、不安でしかない。
ただでさえ、王都、聖徒教会のお膝元で、緊張しているのに、余計なストレスがかかりそう。
体格に勝るイーウィニー人は、異国人の少ないシャナーン王国内では目立つ。商業ギルドで揉めるのも困ると思って、周囲を伺うと、案の定、受付ロビーにいた人たちがこちらを見ていた。
と、その中から、真っ白い何かが、すごいスピードで走ってきて、シモンに飛びついた。
「《シモンさん!》」
勢い余って尻餅を付いていたシモンに張り付いていたのは、真っ白い猿。5歳児ぐらいの大きさのその猿は、シモンの体をがっしりと掴んで、歯を剥き出している。
「やめろ、ピノ!」
慌てて駆け寄る少年と呼ばれた白猿の名に、アイリは覚えがあった。
「こら、何してる!すみません、こいつ、いつもは大人しいんです、って、え?シモンさん?」
青い顔をして猿をシモンから引き離し、頭を下げた少年は、倒れている人の顔を見て、目を丸くした。キッキッと嬉しそうに鳴いて猿が頭をシモンの腹に擦り付ける。
「本当にシモンさん?うっわぁー、久しぶり。ナキムです。ほら、6年前、この猿のピノを助けてもらった。キャラバンの。覚えてます?」
「ええーっと、勿論覚えていますよ。ナキムさん。こんな所で、お会いするなんて、驚きですね。ピノも元気そうで。」
シモンの目が不自然に泳ぎ、こっちを見た。『見ないでー!』アイリは心の中で悲鳴をあげ、慌ててルーの影に隠れた。今、アイリはルーの侍女なのだ。こんな大勢の商人達の前で、正体がバレるわけにはいかない。
ルーもナキムとしばらく一緒に過ごしたことがあり、アイリがヴィエイラに残る事に怒った彼が、別れる前にとった態度や投げつけた言葉に彼女がひどく傷ついていた事を知っていた。そして、他のキャラバンのメンバーと違い、ナキムがスン村を訪れないことを気に病んでいる事も。
「デハ、私たち、ココデ、サヨナラね。」咄嗟に片言のコルドー語に切り替えて、ルーはアイリを促して、出て行こうとする。
「?あの、あなたはもしかして」
そう言いかけたナキムに向かって、ポン、と銅貨が一枚飛ばされた。
「よ、ひっさしぶり、ガキんちょ。これで、どっか、メシの旨いとこ、案内しろよ。」
「・・・ラモン、か?」
「おー怖い、怖い。何だぁ、久しぶりの再会が嬉しくないのか?」
絡んでくるラモンに頭に血が昇ったナキムは、ルーに覚えた既視感を一瞬で忘れた。指先の動きだけで、さっさと行け、と合図をしたラモンは、さらにナキムを揶揄う。
「ガキんちょはいつまで経ってもガキんちょだな。ちゅーか、なんでお前みたいなガキんちょがこんな所にいるんだ?迷子でちゅか?」
《助かった。だが、煽りすぎだろ、ラモン。》
小声でルーが呟いた。アイリも旅行用のマントを深く被り、俯いて早足で歩く。まだ、心臓がドキドキしていた。
『ナキム。ピノ。』
『元気そうだった。大きくなったなあ。・・・まだ私の事、嫌い、かなあ。』
《大丈夫だ。アイリは最初から嫌われてなんていない。》
《え?私、声に出してた?》
ルーは励ますように笑った。とても照れくさく、頬が熱を持った。
ギルドの外で待っていた調査団の一行にルーが二言三言囁くと、数人がその場から散っていった。《ちょっと、買い出しに行ってもらった。》何でも無いようにルーは言ったが、表情が少し硬い様な気がした。
手配してもらった宿は大通りに面した上品な佇まいの、最高級では無いものの外国の貴族が逗留するに相応しい格式のある宿だった。部屋の作りも体の大きなイーウィニーの大人の男達でも、十分寛げる広さで、さすが商業ギルドの紹介だと納得できた。部屋に入ると、ルーは窓から外を覗き周囲を確認し、剣から自分の精霊を呼び出して、近くに他の精霊の気配を探らせた。自ら異常がないことを確認して、やっとルーは大きく息を吐いてソファに腰を下ろした。
《?ルー?何か気になることあったの?やけに神経質になってるけど。》
《ここは、ある意味、敵地だからな。注意するに越したことは無い。それに、来て早々、何年も会っていなかった知り合いに会う、など偶然にしては出来過ぎだ。》
考えすぎ、と笑うことは出来なかった。ルーは自分には向いていない、と言うが、理由もなく海賊貴族の次期当主に推された訳ではない。例えアイリには甘々であっても、必要であればどこまでも冷徹になれるし、信義に叛く政治的駆け引きも厭わなかった。そのルーの感覚が『何か、油断がならない』と警鐘を鳴らしていた。
それに加え、砂漠でアイリの精霊が解放された事で、アイリに対し、益々過保護になっている。
《アイリ、王都にいる間だけでも、変装しないか?》
《変装?これ以上?》
《いや、アイリ、それは、服装を変えただけで、変装とは言わないから。とりあえず、男の子になってみよう。》
《男の子?》
数分後、赤紫を差し色にしたスカーフを頭に巻いた、10歳前後の少年が、宿の玄関に立った。赤銅色の肌にオレンジの瞳、スラリと伸びた手足は細く、話す声も綺麗なボーイソプラノだ。
あら、こんな男の子、お客さんにいたかしら?と訝る宿の従業員に、笑顔で手を振って、少年は賑やかなイーウィニーの海の男達に囲まれて、街にくり出していった。
《似合ってるぞー、アイル》
ルーに代わり、アイリの護衛を任されたのは、今回の調査団の副団長を務めるムハ。ブラフ海賊団でも古株でルーを“お嬢“と呼ぶ、壮年の操舵士だ。アイリに船のノウハウを教えたのもこの男で、孫の様な歳のアイリをルーに負けじと可愛がっていた。長い航海で舵を取り続けた節張った手で、ちょうど腰の辺りにあるその少年アイル=アイリの頭をくしゃくしゃと撫でた。
《ちょっとー、ムハさん、髪の毛見えちゃうじゃ無いですかー。》
慌てて頭を押さえるアイリ=アイルに、他のクルー達も笑顔だ。
スライムに遭遇してから、時々、アイリが苦しそうな表情をして黙り込むのを、彼らは知っていた。更に、シャナーン王国に入ってからは、ずっと周囲を気にして、小さな物音にも敏感に反応するのを見て、心配もしていた。その彼女の久しぶりの笑顔に彼らは安堵すると共に、彼女の笑顔がこれからも曇ることのない様に守りたい、と思うのだった。
《おう、アイル、何か食うか?こっちに市場があるらしいぞ》
《いやいや、食うなら、酒場だろ。》
《それを言うなら、食堂だ。お前らアイルがいるんだから、酒はテキトーに控えろよ。》
《陸の酒なんて、俺らにとっちゃ、果実水みたいなもんさ。》
《飲まない、って言う選択肢は無いんだねー。》
《《《無い!》》》
笑い声が市場の人混みに紛れていった。




