99 舞台の罠
「流石は吟遊詩人。床の音の違いとか、俺ら分かんねーわ。」
早めの夕食を摂りながら、ニヤニヤとルーを見つつ、ラモンが言う。
《これは、別にお前の手柄でも何でもないだろう。そう自慢げな顔をするな。》
《カイしゃ、しゅごいね。》
「嫁にはやらんぞ。って。」
足を踏まれた様だ。
降っていた雨も上がり、空には雲がまばらに残っている程度で、星灯りもチカチカとしている。
「これは期待できるんじゃない?」
「そだねー、晴れている方が、光は強いから。」
ミルナスとシルキスは楽しそうに話している。
夜のダンジョンに挑むのは、合計14名。一応、カイとラモンは‘舞台‘の謎が解けた時点で、脱出予定だ。
《では、そろそろ行くか。》
ルーの掛け声と共に、皆、立ち上がった。
昼と同じように左右両開きの扉がゆっくりと開かれる。そして、中央に上からの光に照らされた‘舞台‘。
「え?最初から明るいよ。」
戸惑うアイリに、やはり、今度もシルキスが一声かけて駆け出した。
「じゃあ、サクッと攻略しますか。」
《ったく。ガンジとデリはそのままここで三人の護衛。後の連中は、シルを追いかけるぞ!》
扉を開けた二人にアイリ達の護衛を任せて、ルーも駆け出した。
《最上階の階層主を倒すと、一旦、塔全体の明かりが落ちるんだ。その後にまた明かりが戻る時に、ここが照らされる。俺らの出番はその時だな。》
《何度も攻略してるから、中抜けしていきなり最上階に行けるんだ。ほら、もう、戦いは始まってる。》
上方から、剣戟の音、叫び声が届く。
「さっき、行ったばかりだろ、早すぎ。」呆れた声でラモンが呟いた。
カイは‘舞台‘の周囲をゆっくり見て回っている。‘舞台‘上で足音を立てていないので、この階に魔物は出てこない。昼は調べられなかった‘舞台‘の側面をラモンも興味深く観察する。
「よっしゃあー!」
シルキスの声が響くと同時に、塔の中の灯りが一斉に落ちた。
「ねーちゃん、始まるよー」
「全員、‘舞台‘に上がれ!」
事前の打合せ通り、アイリ、ラモン、カイ、そしてガンジが‘舞台‘の四隅に立つ。暗闇の中、ルー達が、駆け降りてくる足音だけが響く。アイリは息を潜めて、光が降るのを待った。
「来た。」
アイリの目の前、三歩の所にキラキラと一条の光が差した。足音を立てずにその場に移動し、ドン、と思い切り足を鳴らす。
「次っ!」
ガンジの左、《よし!》。片足で、音を鳴らすと、ガンジは次に備えて、元の位置に戻った。
「カイさん!」
舞台の中央より、ややカイよりの所、と言える程度の遠く、あそこまで足音を立てずに移動する、しかも次の光が降りて来る前に。
アイリ達の緊張とは裏腹に、カイは静かに歩を進めた。そして、最後の一歩を軽く跳ねるように飛んで、着地。軽やかな音が響いた次の瞬間、その真横に四つめの光が降りてきた。
「助かった。」
ギリギリじゃねーか、とラモン。
そうして、ラモンも舞台に引き出され、降り注ぐ光に、デリも加わり五人が必死に追いついて床を踏み鳴らす。
最後に残った暗闇にカイが立ち、そこに光が降りて来た。誘うように伸ばされた手を何気に取ったアイリをカイは引き寄せ、両脇に手を入れて抱き上げると、「完成。」
と言いながら、床に下ろした。小さな足音がトン、と鳴った。
しばらくの静寂の後、これまで、アイリ達が踏み鳴らした床が、光の降りた順に音を奏で始めた。そうして、最後、アイリとカイが手を取り合って立つ床から音が鳴った瞬間、‘舞台‘の床は、消えた。
「え!?」
その時、舞台の上に残っていたのはアイリとカイの二人だけだった。ラモン達は、舞台全体が光に包まれた時、幸いにしてそこを降りていた。最上階の階層主を倒したルー達は、階段を駆け下りつつ、舞台の様子を見ていたが、舞台のほとんどが光に包まれた時、上でも下でもどちらにダンジョン主の階層が現れても良いように、三階の回廊から下を覗き込んでいた。
一瞬の浮遊感の後、アイリとカイは奈落の底に向かって落下していた。
《アイリ!カイ!》「姉さん!」「ねーちゃん!!」
驚愕に震える声が頭上から降ってくる。
【ウィンディラ!アスクレイトス!】
風の精霊に落下速度を落としてもらい、土の精霊には壁から足場を伸ばしてもらう。そうして、ふわりと着地することに成功した。が、心臓はまだバクバクしたままだ。精霊達がいれば、何としてでも助けてくれるとは思っていたが、流石にカイと二人ではウィンディラだけでは引き上げることは不可能だ。
【テセウス、灯りを】【はい、主。】
クレイが作ってくれた足場に抱き合ったまま座り込む二人の周囲に、火の精霊テセウスの灯した炎が浮かんだ。
《アイリ!無事か?》
《ルー!大丈夫。ウィンとクレイに助けてもらった。》
「姉さん!すぐ助けに行きます。」
「ミル!この下が、多分、ダンジョン主の部屋。階段があるの、わかる?」
「あった!うっわー、これ俺じゃ手が届かない。誰か、もっと大きい人ー。」
崩れ落ちた‘舞台‘の縁から覗き込むシルキスが、盛大に顔を引きつらせた。
アイリの場所からも、壁に沿って作られた階段が見える。しかし、その最上段は、抜け落ちた舞台からは離れており、直接、降りることは出来ない作りになっていた。シルキスが届かない、と言うのも仕方がない。そうこうしているうちに、シルキスに代わって、顔を覗かせたブラフの一人が、舞台の縁にぶら下がって階段に向かって勢いをつけて飛び出した。隣でカイが息を飲んだのが分かる。
ブラフは海賊だ。揺れる船の上、マストを身一つで登り、ヤードを走り、シュラウドに飛び移る。当然、命綱など結んでいるはずも無く。それが出来る事が、船に乗る最低の資格。それがブラフだ。だから、多少距離があっても、アイリの精霊の出した灯りがあり、しっかり掴むことの出来る手がかりがあり、着地先が、ヤードやシュラウドに比べ遥かに広い土の階段ならば、ブラフにとって、それは、全く、危険なことではなかった。
腰に結んだロープを短剣に括り付けて、しっかり壁に叩きつける。その上で自分の腰に二重に巻いたロープを両手で支え、男は《いいぞー》と叫んだ。
その声を受けて、次々と男達がロープを伝って、降りてくる。その中にはミルナスとシルキスもいて、アイリに手を振ると、そのまま、階段を駆け下りて、階下のダンジョン主の元へ向かっていく。最後にルーが降りてきた。
《二人は、上でラモンと待っていてくれ。カイ。今回の、一番の功労者は、君だ。それに免じて、その状況は許してやろう。》
ニッと笑って、大剣を引き抜き、ルーも階段を駆け下りていった。そう言われて初めて、アイリは自分とカイがしっかりと抱き合ったままでいる事に気がついたのだった。