第7話 理不尽な市役所で前を向く事は大変で
――叶えたい夢があった。
――望んでいた未来があった。
――誰にも奪われることなく、誰にも迷惑をかけることなく。
ただ、普通に過ごして大人になり。
ただ、普通に家族を大事にして。
ただ、普通に年を取っていきたかった。
いつか、結婚して。
いつか、子が生まれて。
いつか、老いた親を看取って。
そうやって、自分の人生は『当たり前に』過ぎていくのだと、信じて疑わなかった。
けれど、その『当たり前』は『当たり前』ではなく。
いつどこで終わるかも知れない尊いものだと知ったときは、もう遅くって。
――考えれば考えるほど……息が詰まる。
奪われた自分の命を。
奪われた自分の未来を。
家族との時間を。
もう、取り戻す事は出来ないのだと――。
手が震え、俺は涙が止まらなくて、その場にうずくまった。
その後、たまたま通りかかった谷崎さんのおかげで、俺は自分の部屋へとその日は帰ることが出来て、暫く仕事をお休みして良いと連絡を受けたのが夜だった。
心配した栗崎と谷崎さんが部屋に訪れ、むせび泣く俺を前に、静かに見守り、背中をトントンと叩いてくれた……。
泣くだけ泣いたら、少しはスッキリすることが出来た。
けれど、心のモヤは晴れそうに無い。
自分の人生というものに踏ん切りがつかないのだろうと、谷崎さんは言ってくれた。
「そりゃお前、死にたくて死んだ訳じゃ無い上に、巻き込まれて死んだんだってなったら、混乱もするし困惑もする。情けないし、悔しいし、頭がパンクしそうになるのは当たり前だろ」
そう言って頭を優しく撫でる谷崎さんに、俺は小さく頷いた。
まるで親戚のお兄さんに慰められているような感覚。
どこか懐かしく、更に涙が溢れてくる。
「まぁ、人間なんていつポックリ死んじゃうか分かんないんだから。後悔ばかりしてもしょうがないけどね」
「栗崎、お前はもう少し空気を読め」
「なによー! いい? 死ぬって事はね? 諦めも肝心なのよ? もう死んだ事実は変えられないのに、一体これ以上何をどうしろっていうのよ」
「馬鹿、心の問題だ。自分の死を受け入れるだけの心の準備なんて、出来てる人間がいるなら見てみてぇわ。誰だって自殺以外の死――あとは老衰な? それ以外で死ぬ時ってのは、何かしら未練があったりするんだよ。それくらいお前だって分かるだろうが」
「そうだけど……」
「他人から奪われた命ってのはな、思いのほか未練ってのがデカいんだよ」
強く俺の頭を撫で回した谷崎さんに、俺は流れる涙をそのままに顔を上げた。
視界はぼやけてるけれど、心配そうな表情の谷崎さんと、困った表情の栗崎が俺を見つめている。
「谷崎さん……栗崎……俺……っ」
「中島が悪い事なんてなにもないわよ。ただ……ほんの少し、運が悪かっただけ。死ぬ予定じゃなかったのかもしれないけど、死んじゃったのは運が悪かったの」
「だから言い方!」
「うっさいメグミちゃん!」
「名字で呼べって言ってんだろうが!」
あわや部屋で大喧嘩勃発しそうになった時、玄関のチャイムが鳴り、栗崎が溜息を吐きながら対応してくれた。
すると聞こえてきたのは栗崎の喜ぶ声と「大丈夫ですか?」と優しく語りかける声。
声の主は坂本さんだった。
「少々気になったので、様子を見に来ました」
「坂本さん……」
「死……というものについて、随分と悩まれていらっしゃるようでしたので」
「そういや、坂本さんってその辺り凄いドライだよな」
「そりゃそうですよ。私は伊達に大正生まれではありません」
思わぬ言葉に目を開けて坂本さんを見ると、穏やかに微笑んでいる彼の顔が少しだけ愁いを帯びていた。
「理不尽に、中島君は命を奪われました。無差別に、無作為に」
「……」
「この市役所は、そんな理不尽で成り立っています。とても働きやすい環境とは言えません。やり甲斐のある仕事とも、私は言えないでしょうね。ですが、理不尽に命を奪われたのなら、私は誰に対しても全力でサポートします」
柔らかく微笑んでくれた坂本さんに、俺は涙を一筋流し、小さく頷いた。
その返事に、坂本さんは「ですが」と口にして人差し指を口に当てる。
「人を痛めつけて、ここにやってきたというのであれば、容赦なく鉄槌を下します。話は戻しますが……。この市役所は、理不尽で出来ています」
――その言葉を聞いて、俺はようやく腑に落ちた。
坂本さんは呆れた様子で谷崎さんと栗崎を見つめ、二人は苦笑いしながらも坂本さんから目を逸らしていた。
彼らにも、何かしらの理不尽があったということだろうか?
「……確かに理不尽だよね。過労死であっても病死でも、最後は霊柩車に乗せられて〝命の選別〟されるなんて」
「異世界トラック課って、霊柩車も分類に入ってるしな」
「動く乗り物ならなんでも繋がってる所も理不尽よね」
「私が言っているのは、あなた方の死因でもあるんですけどね」
「え?」
思わぬ言葉に俺が谷崎さんと栗崎を見ると、二人は慌てて目を逸らした。
あからさまに死因を聞かれたくないという感じだろうか?
「この市役所は……谷崎さんとか栗崎は、元からこの世界の住人じゃないんですか?」
「何を仰います。この市役所で働いている人間は全員、元は死者ですよ?」
「じゃあ……二人とも」
「死んでますけど、何か?」
「盗んだバイクでちょっとな」
まさか、この市役所で働いている皆が元は死者であるとは思いもよらず、口を開いて驚いていると、栗崎は大きく溜息を吐いて俺に詰め寄ってきた。
「そうですそうですー。私達は死んでますー。それのどこが悪いんですかー?」
「え、いや……」
急にずいっと近づいてきた栗崎に、思わず後退りしたけれど、「バン!」と壁ドンされて身動きが出来ない。
思わず目を逸らしたが……栗崎の言葉が重くのしかかる。
だが栗崎は怒っているのに、どこか泣きそうだった……。
「事故死ならまだいいじゃない。転生出来るだけまだマシじゃない。我が儘っていうのよ、少しは反省しなさいよ」
「そんな理不尽な」
「坂本さんも言ってたでしょ? この市役所は理不尽で出来てるの。中島、アンタには転生っていう未来も、中島ハルアキとしての死も残されてるの。私たち職員から見れば、恵まれすぎって思う訳よ。分かる?」
一体何がそんなに恵まれているっていうのか理解できなかったけれど、逆ギレしている栗崎に反論するのは危険だと判断できるくらいには冷静になれた。
「ここで働く職員には、もう転生も生まれ変わりさえも残されてないの。理不尽に働いて、転生可能者をサッサと転生させて、そんな日々の繰り返しなの。終わりが無いの。分かる?」
「栗崎、そろそろ落ち着いとけ」
「なによ――!」
(……栗崎さんも、終わらない苦しみの中で働いているんだ)
詰め寄りすぎた栗崎をヒョイッと抱き上げて俺から離した谷崎さんは、苦笑いしながら「悪いな」と謝罪してくれた。
「死んだ事実を変えることは出来ません。貴方の後ろに落ちているものでも何でも無く、触ろうとしても泡のように消えるだけ。その上で再度聞きます。中島ハルアキとしての死を迎えますか? それとも、転生する道を選びますか? 未来を決めるのは、貴方です。ここでは進路を決めるための相談が出来る親もいるわけではありません。ご自分で未来を決めなさい」
胸の奥で、何かが音もなく崩れ落ちた。
――そうだ。もう、頼れる保護者もいない。
この世界では、自分の選ぶ道が自分の歩む道になる。
中島ハルアキとしての死を選ぶのも。
転生して異世界で新しい人生を歩むのも。
……全部、一人で決めないといけない。
自分自身に覚悟が無いと先には進めない世界にいるんだ。
いつまでも死んだことにしがみついているわけには、いかないんだ――。
「どちらを、選びますか?」
「……俺は、まだ決めきれません。でもその前に、もっと自分自身への覚悟を決めないと駄目なんだと気づきました。それに……神田に謝らないと」
「よろしい。吹っ切れたのなら何よりです」
そう言って嬉しそうに微笑んだ坂本さんの後ろには、今にも泣き出しそうな顔の谷崎さんと、少し困ったように笑う栗崎がいて……。
彼らの思っていることはなんとなく伝わって。
「俺も、前を向きますね。立ち止まってたらきっと駄目なんだ」
「その通りだよー? もう、私を困らせちゃ駄目だからね?」
「うん。谷崎さんがこれ以上苦労しないように、俺も頑張るよ」
「俺かよ」
「栗崎のことで苦労してそうなので」
「あながち間違いじゃ無い」
「なによー!」
そう言って笑い合えた俺は、やっと自分の死を受け入れられた。
――進みたかった未来。
――成しえたかった想い。
それらはもう、取り戻すことは出来ない。
けれど、失ったからこそ、立ち止まってはいられないのだと――。
ようやく、分かった。
頼れる保護者もいない世界で、俺は俺自身の足で、道を選ばなければならない。
理不尽でも、悲しくても、それを抱えたまま進むしかない。
……そう思えた瞬間、胸の奥で、何かが静かにほどけた。
それと同時に――まだ揺れている自分がいた。
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世の中ってのは理不尽で成り立っているものだ……。
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