『奥様』
色々と足りなかった部分を補完出来ていたらいいなあと思います(願望)。
一応短編版までの展開を奥様視点で。
「はああ……」
「シャルロッテ様……」
わたくしは無意識に溜息をついてしまっていたらしい。気遣わしげな侍女の呼び声で気付く。
ああ、何と我が身の不甲斐無い事か。
「今日は例の方がとうとう到着するのね……」
わたくしの名はシャルロッテ。夫の1人も繋ぎ止めておけない、無能な妻。
わたくしと旦那様は、なるべくしてなった夫婦だった。年齢も家格も、旦那様しか釣り合う方がいらっしゃらなかったから。
それでもわたくしは、旦那様のお姿を拝見して以来、婚儀の日を楽しみにしていた。あんな素敵な方が旦那様になるなんて夢のよう、そう思っていた。
きっと初恋だったのだ。
わたくしは自分で言うのも何だけれど、旦那様の隣に立っても恥ずかしくないくらいの容姿は持っていると自負している。旦那様を認識して以来、磨きに磨いたこの容姿はよく、妖精のようと評されていた。
……自惚れていたのかもしれない。結局、わたくしが恋した方がわたくしを愛してくださる、そんな奇跡は起こらなかったんだもの。
婚儀の最中は旦那様は紳士的でお優しくて、わたくしはこれからの幸せな日々を夢想してすらいた。
その優しさが表面上のものでしかないと理解したのは、初夜の寝台の上で、寝台に近付こうとすらしない旦那様の冷め切った目を見た時。
その言葉をわたくしは今でも忘れられない。
『私は女など嫌いだ。これから先、貴女に手を出す事は無いだろう』
旦那様はそれだけ言って、呆然とするわたくしを放って寝室から出て行かれた。
いつもよりも更に念入りに磨き上げてもらった身体が虚しさを倍増させ、悩みに悩んで身に着けたとっておきの夜着が泣いているようだった。
……そうして、お飾りでしかない妻という役目を当て嵌められたわたくしの、無味乾燥な生活が始まった。
1年目は泣き暮らした。旦那様とは最低限の接触しか持てず、ひたすら悲しかった。
2年目になると、屋敷の者達が親身になってくれている事に気付く余裕が出来た。彼等から見て、わたくしは『夫に冷遇されている可哀想な妻』だった。この見た目も一役買って、か弱そうに見えていたようだ。
3年目……一向に妊娠しないわたくしを口さがなく言う者達が現れ始めた。
4年目にはその声が無視できない程大きくなっており、旦那様も何らかの動きを見せる必要があった。
そして5年目、旦那様は妾として、少女を引き取る事になされた。
旦那様は女性が嫌いでいらっしゃるので、出来るだけ時間稼ぎが出来るように12歳の少女を、当家との縁に期待させぬ代わりに多大な金銭を払って買った。
旦那様はきっと周囲の圧力に負けて、年頃になった少女に子を産ませるのだろう。わたくしは少女にも負けるのかと、わたくしの存在意義は何だったのかと、しばらく枕を涙で濡らした。
申し訳ない事に侍女達にも随分当たってしまったが、彼女達はわたくしに同情的だった。
そしてやって来た少女は、愛らしかった。
金色の三つ編みが尻尾のように、少女が動く度に跳ね、大きな翡翠の瞳をきらきら輝かせ。
その少女は見目も悪くなかったし、何よりわたくし……否、貴族の令嬢には出来ない、好意を全開にして挨拶するという技を持っていた。
旦那様がこの少女を好ましく思う……その光景を幻視して、わたくしは浮かびそうになる涙を押し留めて目一杯少女を睨め付けた。
しかし、わたくしの虚勢は長続きしなかった。
誰も呼んでくれなかった『奥様』呼び、そして心底わたくしに見惚れているのを隠そうともしない……わたくしはそのアンジュという少女に敵意を持ち続けられなくなり、すごすごと撤退した。
わたくしに同情的だった屋敷の者達さえ、アンジュを好ましく思わずにはいられない、そんな様子を見てわたくしは確信した。
アンジュはかなりの人たらしだ、と。
言動は頭が悪そうなのに、不思議と和んでしまう、このわたくしでさえ。
これはまずい……アンジュに旦那様を会わせてはいけない。女性に興味が無いだけあって、アンジュの顔も見に行っていないらしい旦那様はともかく、旦那様に会いに行く様子さえ見られない……というかわたくしに付き纏っているアンジュは理解出来ない。
けれど、わたくしはアンジュにみっともなく「わたくしから旦那様を取らないで!」と言ってしまいそうになる程、余裕が無かった。
わたくしの後を着いて回るアンジュ、彼女を敵視している筈のわたくしですら可愛く思うから、余計に。
それにしてもアンジュは、今日で5回目の遭遇なのに堂々と「奇遇ですね奥様!」って……奇遇なんてものではないと思うのだけれど。貴女わたくしを尾け回しているの、ばればれよ?
アンジュがわたくしの後を雛鳥のように着いて歩くのが当たり前になった頃、わたくしはやっとこのままではいけないと気付いた。
もうすっかり可愛らしくしか見えないアンジュを、心を鬼にして睨む。
「何なのよ貴女!鬱陶しい!」
わたくしの言葉にアンジュがしゅんとした。
「申し訳ありません奥様……」
わたくしは腕を組み、萎えそうになる心を叱咤する。
「わたくしに構っている暇があったら、旦那様に媚びてきなさいよ!無駄でしょうけど!」
そんな心にも無いことを言いながら、わたくしは段々分からなくなってきていた。
わたくしは何故、決して振り向いてくれない旦那様の為にアンジュを傷付けているの?
「何故無駄と言い切れるのですか?」
「……よ」
「え?」
ああ、いけない。泣いてしまいそう。
「旦那様は女性に興味が無いからよ!」
言ってしまった。
そこからは、今まで誰にも言えなかった嘆きをぶちまける事に躊躇いも無く、わたくしは9歳も年の離れた少女に喚き散らしていた。
アンジェは驚いていた。その驚きをあえて無視して、叫ぶ。
……わたくしが言いたい事を言い終え心なしか爽快感を感じて、ふと気付くとアンジェの目が据わっていた。
「私、旦那様なんて顔も知らないし会った事も無いので興味がありませんでしたが」
「えっ?」
薄々そうではないかと思っていたけれど、やはりアンジュは旦那様に興味が無かったらしい。
「ちょっとお話する必要性を感じました」
そしてアンジュは颯爽と去って行った。……旦那様の執務室の方へ。
わたくしは……藪を突いて蛇を出してしまったのだろうか。
聞き耳を立てるなんてはしたない事、するべきではない。そんな事分かっている。
それでもわたくしは、執務室の僅かに開いた扉の隙間に耳を寄せた。
「……で、貴様は何が言いたい……?」
聴こえてきたのは、とても久しぶりに聴く旦那様の声。
「奥様、泣いておられましたよ。旦那様は自分の事が嫌いなんだろうって」
わたくしは羞恥で頬が染まるのを感じ、反論しようとしてしまう身体を押し留めた。
泣いていない、わたくしは断じて泣いていないのに……!
しかし、旦那様が「だから何だ」とでも仰ると思っていたわたくしは、旦那様の反応に思わず驚きの声が漏れそうになった。
「な、そんな事は……」
何故?何故貴方はそんな反応をなさるの?まるでわたくしを嫌っていないかのような……。
「初夜なんていう女性側は緊張真っ盛りな時に暴言を吐いたそうじゃないですか。最低だと思います」
「それは……っ!好いている男から引き離してしまったから、せめてと……」
……一体何の、誰の話をなさっているんだろう。好いている男?まさかわたくしに……?
丁度疑問に思ったらしいアンジュが問い掛けてくれた。
「好いている男?奥様に?」
「ああ」
訳が分からない。わたくしが好きなのは、今も昔も……。
「その辺り、どうなのですか?奥様」
まさか気付かれていると思っていなかったわたくしは、息を呑む。
アンジュは確信を持ってわたくしを呼んでいるようだし、逃げられない。でも、旦那様に聞き耳を立てるようなはしたない女だと思われたくない。
「っあ……」
旦那様、そう、わたくしはまず、旦那様の誤解を解かなければいけない。
わたくしは意を決して、執務室に足を踏み入れた。
「……わ、わたくし……好きな方なんておりませんわ!」
「しかし!侍女が『好きな方と引き離されるのね、お可哀想に』と……」
「わたくし……わたくしが愛しているのはっ!今も昔も旦那様ただ1人ですっ!」
……わたくしは今、何を口走って……?
驚きで固まる旦那様を直視出来ずに、わたくしは俯く。
執務室には奇妙な沈黙が降り、わたくしは居た堪れなくなって身を翻そうとした。けれど、旦那様に手首を優しく掴まれ、動きが止まる。
「……ねえ、その言葉は本当かい?」
旦那様の優しい声。わたくしは、初めて触れる旦那様の体温に鼓動を速めながら、頷く。
「本当です……。ごめんなさい、旦那様は女性がお嫌いなのに……」
「それは……」
旦那様はふーっと息を吐き出すと、とても言い辛そうに仰った。
「それは……ええと、その……違うんだ。……好きな男がいる君は、私と夫婦になるのは嫌だったのではないか、と……。そのまま言ったら君は優しいから、無理して私を受け入れようとすると思ったんだ」
「そんな事……!」
「ああ、そうだな。全ては勇気の無かった私が悪い」
旦那様はそっとわたくしの手首を離し、わたくしの前に跪いた。
「君が好きなんだ。5年も悲しませてすまない。改めて、私と夫婦になってほしい」
わたくしは、自らのだらしなく笑み崩れた顔、その頬に流れる涙の熱さを生涯忘れないだろう。花束も指輪も無い、殺風景な執務室だなんて関係無い。わたくしは確かに、この瞬間、世界で一番幸せだと断言出来た。
「っはい!」
旦那様とわたくしの関係の修復がなされた事は、瞬く間に屋敷中に知れ渡った。
侍女も執事も、今ばかりは祝いの言葉をくれる。旦那様は少し、ばつが悪そうだったけれど。
わたくし達は寄り添って、2人で話し合った計画を、セバスに打ち明けた。
「おお……おお……それは非常に素晴らしい計画かと存じます!」
「そう言ってくれるか、セバス」
「勿論です。ではわたくしめは早速準備をして参ります」
「後は本人ね」
わたくしは侍女の1人に、アンジュを呼んでくるよう頼んだ。
アンジュは相変わらずの呑気そうな顔でやって来た。
もうこの子は敵などでは無いのだから、大っぴらに可愛がれる。その事がとても嬉しい。
「アンジュ」
「はい、奥様!」
わたくしは試しに、遠回しに訊いてみる事にした。
「わたくしね、子供が欲しいの」
「旦那様と仲直りなさいましたもんね!奥様と旦那様の御子ならさぞかし可愛いんでしょうねー!」
「そうね。でもね、アンジュ。子はすぐには出来ないの」
アンジュが不思議そうに頷く。
「そうですね?」
「だからね、アンジュ。貴女をわたくしの子だと思って接してもいいかしら?」
「私が、奥様の……子……」
考え込むアンジュを見て、早まったかと少し心配する。親子にしては歳が近いし、アンジュの亡くなったお母様に失礼と考えられてしまっただろうか。
その心配は、アンジュの満面の笑みで杞憂だったと悟る。
「お母様が奥様って最高です!いいんですか!?」
「勿論」
この様子なら計画……『アンジュを養子にしよう作戦』は上手くいきそうだとわたくしは密かにほくそ笑んだ。
わたくしも屋敷の者も、皆アンジュの魅力にやられているのだ、とっくに。例外はアンジュに会った事が無かった旦那様くらい。そして旦那様もこの計画には好意的だった。
わたくしは、アンジュをもっとずっと可愛がりたい。しかしわたくし達が子を授かれば、アンジュはお役御免とばかりに実家に帰ってしまうかもしれない。
我が儘と言いたくば言うがいい。わたくしの後ろをアンジュが着いて回らない生活など御免だ。
「……そういえば旦那様、先程は何故アンジュと一言も言葉を交わさなかったのです?」
「何だかよく分からない内によく分からない理屈で丸め込まれるのが怖くて……」
「あらあら、ふふふ」
次回は旦那様の両親視点の予定です(書きあがれば)。