表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
犬の檻  作者: 物部がたり
12/16

十二話 救済のノクターン

 いつの間にか眠ってしまっていた。最近よくあることだ。

 気付かないうちに眠ってしまっていて、おかしな夢を見ることが。いつから眠ってしまったのかも分からない。これもあの犬が見せている夢なのだと思う。


 あの犬は夢で覚悟はできている、といっていた。私も覚悟はできた。決行は今夜だ。草木さへも眠る、深夜に決行する。

 それまでに準備を整えなければならない。


 一階に降りると、母が夕食の支度をしていた。私は夕飯を作る母の背中を見た。私が今夜しようとしている、ことを知ったらなんと思うだろうか。


 やめなさい! と怒るだろうか。


 そのとき、私は夢で見たことを思い出す。善悪の判断は自分がするものだ。他者に左右される善悪など、善悪ではなく周りに流されているだけで、本当の善悪ではない。


 私は黙って椅子についた。母はふりかえり、

「あら、少し待ってね。もうすぐできるから」

と、手を休めることなく、いった。


 私は両手をテーブルに乗せたまま、

「うん、ゆっくりでいいよ」

と、答える。心は落ち着いている。

 こんな澄み切った、心持ちは初めての体験だ。思えば、私はいつもなにかに怯えていた。

 

 どうして、私はこんなに弱いのか、どうしてこんなに怯えているのか、分からなかったが、いまなら分かる気がする。

 それは誰かの判断で生きていたからだ。自分の判断で生きている、いまは怖いと思わない。


 誰かの判断で生きるとは辛いものだ。自分が操り人形のように思える。

 自分の判断で生きれる人に、私はなりたい。


「はい」


 母はできたばかりの料理をテーブルに並べ始めた。

 味噌汁と白ご飯、ほうれん草のごま和え。そして、メインのから揚げ。すべてを並べ終えると、母は、

「さ、食べましょうか」

と手を合わせた。


「父さんは今日も遅いの?」


 私が聞くと、

「え、ええ……お父さんは遅くなるから先に食べてましょう」

母は味噌汁に口をつけ、いった。


 会話もなく静かに夕飯はすんだ。母と一緒にいても会話らしい、会話はない。暗い性格の両親に似て、私も暗いから明るい会話が成立するはずない。

 会話をしたところで、場の雰囲気が暗くなるぐらいなら、初めから会話などしないほうがいいのだ。

 

 食器を洗うのは私の役目。今日はから揚げだった。大皿はから揚げの脂がべっとりとこびりつき、洗剤ではなかなか落ちない。


 二~三回洗剤をつけて、流してを繰り返すうちになんとか指を食器に這わすとキュウっ、キュウっ、と音が出るまでになった。


 食器を洗い終えると、私は風呂に入る。いつもと同じ繰り返しだ。変わることもなく、変えようとも思わない。生活リズム。

 風呂をあがると、あとは歯磨きだけ。もう、あとは眠るだけだ。


 そう、ここに越してくるまではそれの繰り返しだったが、いまは違う。私には使命できたから。しかし、それも今夜で終わる。犬を救えば、終わりになるんだ。


 やっと私は解放される。

 そう思うと、囚われていたのは自分だったのではないか、と思うようになった。檻に入っていなくても、人間は何かに囚われて生きているのではないか。

 もし、今夜犬を救うことで私も救われるのなら、本当に救われるのなら、どれほど良いことか。


 あとは待つだけ。すべてが眠る、草木さへ眠る深夜まで待つだけだ。


 私がまばたきをしたときだ、白い空間に私は立っていた。私の目の前には当然のように犬がいる。犬は私を見上げている。空間が色を取り戻していき、気付くと私は工場にいた。

 

 工場の犬の檻の前に立っていた。鉄格子のすき間から、犬は私を見上げ、

「キューン、キューン」

と、鼻を笛のようにして泣いていた。


 いま助けてあげるから、いま助けてあげるから。私の頬に熱い雫が流れた。どうやら、私は泣いているようだ。

 どうして、泣いているんだろう。いまから犬を救うと言うのに、涙が止まらない。

 

 犬の泣き声を聞くと、涙が止まらない。私は持ってきていた、ハムに今日学校から盗んできた薬品を入れる。ハムのあいだに包丁で切り込みをいれており、その切れ込みの中に薬品をいれたのだ。


 犬は、「キューン」と甲高く泣いた。

 もう、犬はしゃべることはなかったが、私には犬のいっていること分かった。助けて、助けて、と脳の髄から聞こえてくるのだから。


 私はゆっくりと、ハムを鉄格子に近づけた。犬は鼻をひくつかせながら、ハムに噛み付く。私はその光景を無心に見つめた。犬は大きな口でハムを食べている。


 ここまで、食べ物を旨そうに食べることができるのは犬だけだ。ハムを食べ終えると、犬はまだ満足しないのか、物欲しそうな顔をした。


 なにも起きない。ドラマなどでは口にいれた刹那に、症状があらわれていたのに。2~3グラムでは少なすぎたのだろうか。

 と、思ったとき、それは起きた。

 

 犬は突然、苦しみだしたのだ。体を檻にぶつけて、倒れ込んだ。白い泡が口からあふれ出る。すると、犬は何かを吐き出した。胃の中の内容物をすべて吐き出す勢いで、犬は吐いた。


 小刻みに体が痙攣している。え? どうしてそんなに、苦しんでいるの、私は戸惑った。ドラマでは口に含んですぐに、死んでいたじゃないか。


 苦しむのは一瞬だったじゃないか。なのに、犬は苦しみながら白い泡を口いっぱいに浮かべていた。血走った目で私を見る。蛇に睨まれた蛙のように私は動けなくなった。


 どうして、救われるのに、そんな苦しそうなの?

 どうして、救ってあげたのにそんな目で、私を睨む。


 目をそらせなかった。

 死に()くその目に見つめられ、私は動けなかった。まだ、声が聞こえる。助けてという声が聞こえる。どうして、まだ聞こえるんだ。

 いま助けてやってるんじゃないか。


 それなのに、この声は消えることはない。どうして、どうして、どうして、どうして、僕は助けてやったじゃないか。

 

 私は耳を塞いだ。犬は私を見つめたまま、光を失った。

 光を失った目は私を見つめている。どこに逃げようとその視線から逃れることはできない。私は犬を助けたのに、この罪悪感はなんなんだ。

 

 私は善を行ったのに、この罪悪感はなんなんだ!

 私は迷える犬を救済したのに、この罪悪感はなんなんだ!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ