十三話 思想は常に人間よりも現実的である
私は覚醒した。ここはどこだろうか。私はどこにいるのだろうか。天井、そう、天井が見える。
首をかたむけると、机があった。
そうか、私は布団にもぐっているようだ。どうやら、私は眠ってしまっていたようだ。最近よくある。気付けば寝てしまっていて、いつ眠ったのかも思い出せないことが。
私は布団にもぐったまま、天井の木目を見つめて目をぱちぱちさせ考える。なにか、とんでもなく恐ろしい夢を見ていた気がする、と。
私がいままで生きてきた中で、一番恐ろしい夢を見ていた気がする。しかし、思い出せない。夢とはそういうものだ。目覚めたときには思い出せない。そういうものだ。
人間が赤ちゃんのときの記憶を思い出せないように、夢とは思い出せないのだ。しかし、思い出せなくても、心の奥底に記憶させている。
夢とはそういうものだ。そんなことを考えながら木目を見つめる。そこでふと思う、まるで目のようだ、と。天井の木目が目のように見えた。
木の目と書くのだから、当然といえば当然だ。
魂のない目のように、私を見つめ返していた。
その目に私は引っ掛かりを覚えた。魂のない、眼差し。そのとき脳の奥とでもいうのだろうか、奥底から何かが浮上しくる感覚が脳内を駆け巡る。
度忘れをふとした瞬間に思い出すのと同じ感覚だ。
私は浮上した記憶を脳内で理解すると、
「わぁあぁあぁーァあぁアあぁアぁアアァ!」
そう叫び、飛び起きた。
飛び起きづにはいられなかった。
悪夢。ここまでの悪夢を見たのは初めてだ。いや、もしかしたら以前にも見たことがあるかもしれないが、思い出したのは初めてだ。
つまり、僕はやり遂げたのか! しかし、いつ私は戻ってきたんだ。
いつ、この部屋に戻ってきたのだろうか。いったい、いつから夢を見ていたのか。私は最近よくあるのだ。いつから夢を見ていたのか、どこからが夢なのか、現実なのか分からなくなることが。
つまり、あれは夢だったのだろうか。
あんなもの見てしまえば夢であって欲しいと、思う。私はいったいなんてことを考えていたのだろうか。
犬を殺すなど、馬鹿な考え。殺すことが救うことになる訳ないじゃないか。そこで私は自分が考えていたことを恐ろしさをやっと実感した。
死こそが、檻に囚われた犬を救う唯一の方法とばかり、思いこんでいた。
しかし、あの夢で見た、犬の苦しもだえる顔。苦しみに身をよじる姿。私を見つめる、光を失った目。なにから、なにまで、鮮明に目に焼き付いている。
殺すことが……命を奪うことが救いになる訳ないじゃないか。
そこで、私は初めて自分が犯そうとしたことの恐ろしさを実感した。
やめよう、もう、この計画はやめよう。そう、私は決意した。しかし、不安に思うことがある。本当に私はしていないのだろうか。あの、薬を犬に盛っていないだろうか。
本当にあれは夢だったのか。不安になった。
私は飛び上がるように起き上がり机に駆け寄った。
引き出しを乱暴に開ける。壊れそうなほど乱暴だった。
刹那、私の頭から血が一斉に引くのを感じた。くらりと、ふらつく貧血に似た症状だ。ない……ここに入れていた、あの薬物がない……いったいどこにいったんだ。
やはり、あの夢は現実だったのか。ああ、なんということだ! 私はなんてことをしてしまったんだ!
頭を抱え、私は叫んだ。心臓の鼓動が早まり、冷や汗が体をつたう。私はなんてことをしてしまったんだ! ああ、ああ、ああ!
あの、苦しみもだえる犬の顔を思い出し、私は取り返しのつかない、過ちを犯してしまったと理解した。ふと、頭をよぎる。あの男が警察に通報したら、私は捕まってしまうのだ、と。
警察に捕まったら、私は終わりだ。犬の死体を調べれば、どんなもので殺されたかなどすぐに分かってしまう。そうなれば、あの薬品がどこにあったものかも調べられる。
誰が持ち出したかも、時間の問題でばれてしまう。
私はどうすればいい、どうすれば、私は助かる。そのとき、自分がいかにいやらしいか、いかに姑息なことを考えているのか、自分で自分が嫌になる。
これじゃあ、責任を他人に押し付ける大人たちと同じじゃないか。私が薄汚い、大人に近づいていることを感じた。
どうして、こんなに苦しんでいるんだ。どうして、こんなに苦しんだ!
私はあのときの感情を思い出す。私がしたことは悪いことだったとしても、犬は一瞬だけ苦しんだとしても、結果として救われたんじゃないか。
そうだよ、苦しいのは一瞬だ。もう、犬はこの汚い世界から解放されたんじゃないか。
そうだよ、そうなんだ。結果的には救われたんじゃないか。あんな狭い糞尿まみれの檻に一生閉じ込められているよりは死んだ方がましだ。
犬はあの檻から解放され、この世のしがらみからも解放され、救われたじゃないか。救済されたじゃないか。そうだよ、そうなんだ!
私は開き直った。自分は悪いことなどしていないじゃないか。私が悪いことをしたというなら、なにも行動に移さず見て見ぬふりをしていた奴らはどうなんだ。
その方がよっぽどたちが悪いじゃないか。見てみぬふりをしていた奴は悪くないのに、犬を救った私が悪いのはおかしいじゃないか。
私は悪くない、私は悪くない。悪いのはなにもしなかった、村人たちじゃないか。犬をあんな檻に閉じ込めた工場の人間じゃないか。
そうだ、もとをただせば、犬を閉じ込めた、工場の人間が悪い。
面倒もみれない奴らが、生き物を飼うのが悪いんだ。私は犬を救ったんだ。と、自分を必死に正当化しようとするが、どうしても、死に逝く犬の顔が頭から離れない。
そもそも、私は本当に犬を殺したのだろうか。最近私は現実のような夢を見るじゃないか。工場から帰って、布団に入った記憶がないじゃないか。
そうだよ、ただの夢じゃないか。ただ妙に鮮明な夢じゃないか。
そう、自分を安心させる。
自分を安心させないとどうにかなってしまいそうだったのだ。




