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生命は廻り世界は続く  作者: 桜坂 春
三章 〜淡路遠征〜
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第八話

 風が強くなってきた。

 湿った雨の気配を感じ、白花は空の彼方を仰いだ。西の空に浮かんでいる橙に染まった雲が、徐々に近づいてくるのが見える。

「雨、降らんとええなぁ」

 白花の隣で、彼女と同じように空を仰いだ権兵衛が呟いた。彼の言葉に小さく頷き、白花は鍛冶場への道を再び歩き始める。何かを喚きながら権兵衛もその後を追いかけた。

 強い風が、白花の黒髪を遊ばせている。時を追うごとに色濃くなっていく雨の気配は、彼女の体をしつこく包み込んでいる。祖父が言っていた通り、もうすぐ雨が降り出すかもしれない。それより先に鍛冶場に着ければいいのだが。

 ふと白花は、脳裏を掠めた疑問を口にした。

「あのさ、権兵衛」

「なんでぇ?」

「……権兵衛は、私達が魔導師だと分かっても、なんとも思わないの?」

 その疑問には何の他意も無かった。白花は普段通り、素直な口調で尋ねる。だがそれを受けた権兵衛は、なぜかその足をぴたりと止めてしまった。

「……権兵衛?」

「あ、いや……何でもねぇでさ」

 その堀の深い顔に苦笑いを浮かべ、権兵衛はぎこちなく歩き始めた。彼の笑みは、何かを隠しているようにも思える。

 首を傾げた白花は、すたすたと歩いていく権兵衛の後を追いかけた。

 

 

 

「ーー白花。早速じゃが、お前さんには例の最終調整をしてもらおうかの」

 祖父の部屋に呼び出された白花は、戸を開けるなりそう言われた。

「へ?」

 立ったまま呆ける白花を見やり、文机の前に座っている老人は顎をしゃくった。

「そろそろ雨が降る。その前に終わらせて来い」

「う、うん……?」

 早く行けと言わんばかりに手を払う赤松に、白花は戸惑いながらも頷く。失礼しますと声をかけて、戸を閉めようとした。だがその寸前に、赤松が声を上げた。

「その前にひとつ、聞きたい事があるんじゃが」

「なに?」

 その瞬間、赤松の朗らかな笑みに陰りが見えたような気がした。

「……色葉の事、お前さんは好きか?」

「何言ってるのおじいちゃん、大好きに決まってるじゃん」

「…………そうか」

 それきり黙り込んでしまった祖父に頭を下げ、白花は完全に戸を閉めた。

(当たり前でしょ。私の、お兄ちゃんなんだから)

 小さく笑みを湛え、白花は廊下を歩き始めた。

 

 

 

 目的の鍛冶場が見えてきた。相変わらず雑草は伸び放題で、汚いというよりむしろ怖い。だが、その異様な雰囲気にももう慣れた。

 自らの頬を叩いた白花は、輝くような笑顔を広げた。

「さてとっ、仕事しますか!」

 左腕にはめた腕輪に視線を落とし、彼女は口の中で何かを呟いた。そしてぎゅっと口を引き結び、再び地面の若草を踏みしめた。

 

 

 

「……?」

 部屋の壁に背中を預けていた色葉は不意に顔を上げた。どこからか声が聞こえた気がしたのだ。気のせいかと首を捻り、再び目の前で寝ている蛍に視線を戻す。

 宿に着いてからかれこれ数時間が過ぎた。しかし、魔力切れ寸前にまで衰弱していた彼女は、全く目を覚ます気配が無い。自らの魔力を少し分けてやった色葉には、ただ彼女の寝顔を見ているだけしかできなかった。

「相当消耗してたみたいだね〜、この子」

 色葉のすぐ足元で胡坐をかいていた道風が、真っ直ぐこちらを見上げてくる。

「……何があったのか、目を覚ましたらちゃんと聞かないと」

 それまでは、彼女のそばにいてやろう。

 そう思ったその時。

「色葉?」

 部屋の外から氷波の声が聞こえてきた。今の考えは暇そうな道風に託す事にし、彼の頭を軽く叩いて部屋を出た。背後で間の抜けた声が聞こえてきたが、無視した。

「どうかした?」

「……ちょっと」

 手招きをする氷波に、色葉は背後を一瞥して行くまいか逡巡した。だがすぐに氷波に向き直り、小さな微笑を浮かべる。蛍には道風が付いているし、間もなく水望達も帰ってくるだろう。宿主は仕事があるらしく夜まで帰ってこないが、ここならば安心だ。

 色葉は彼女に向かってしっかりと頷いた。

「小雨になったみたいだし、もう外でも大丈夫だよ」

「ありがとう」

 あまり浮いた表情ではない氷波は、伏せ気味の視線を色葉に向けた。

 何かあったのかは分からないが、彼女がこんな顔をするのは久しぶりだ。幾ばくかの不安を抱いた色葉は、階段を下りていく氷波に黙ったまま付いていった。

 簡素な階段を下りると、そこでは雨宿りしていた町人達が世間話に花を咲かせていた。広めの玄関だがそれなりに混雑している。

「っ……」

 彼らの視線が、一瞬色葉達に向けられた。無粋に集まった視線と眼が合いそうになったが、慌てて意識を氷波の背中に集中させる。

(……やっぱり、人混みは苦手だ)

 その場を何とかやり過ごして、色葉と氷波は宿の外へ出た。

「大丈夫だった? 今の」

「うん。氷波のおかげでなんとか」

「そっか……よかった」

 安堵したような笑みを浮かべ、氷波はそのまま大通りに出た。色葉も後を追う。

 あれだけ激しかった豪雨も、すでに小降りとなっていた。ほんの僅かに空も明るくなっている。この調子で完全に止んでくれるといいのだが。

「で、何かあったの?」

 宿屋の主人から借りた深紅の傘を広げながら、隣を歩く氷波に尋ねた。すると彼女は、どこか痛みを堪えるような表情を浮かべ、両手を握り締めた。

「…………もう、後戻りはできない」

 しばらくの沈黙の後、氷波はそう呟いた。彼女の横顔は、どこか憂いを帯びているようにも見える。

「今ならまだ間に合う。だから、これ以上世界の光には手を出さないで」

「氷波?」

「……私ね、このままでもいいと思うんだ。みんなと一緒にいられて。それだけで、いいんだよ」

「ちょっと氷波、何言って」

「お願い!」

 突然声を荒げた氷波は、その場で足を止めた。まくし立てるようなその口調からは、焦りのようなものさえ感じられた。

 立ち止まった氷波の瞳をしばらく見つめた色葉は、不意に傘を持ち替え、空いた右手を差し出した。

「……ちょっと、歩こう?」

 そう優しげに言った色葉に、氷波は黙ったまま頷いた。

 

 

 

 ずいぶんと遠くまで歩いてきた。海が近いのか、波の音が風に乗って聞こえてくる。長い間降り続いていた雨も、歩いている間にいつの間にか止んでいた。雲の切れ間から覗く陽光が、あちこちに出来た水溜りに反射して少し眩しい。

 色葉は傘を閉じた。相変わらず氷波の顔には緊張が見られるが、つないだ手はしっかりと握られている。そんな彼女の横顔をちらりと窺いながら、色葉は可憐な笑みを浮かべた。

「俺も、みんなと一緒がいいよ。こんな生活初めてだしさ。ちょっと疲れるけど……やっぱり、楽しいから」

 そして小さく笑い、楽しいなんてらしくないけどね、と色葉は続けた。

「だったらこれ以上……」

「分かってる。氷波には迷惑かけないから」

 反射する橙色の光に目を細めながら、色葉はそう言った。そんな彼の耳に、氷波の小さな溜め息が届く。

「違う。色葉は何も分かってない。ううん、何も分かって欲しくない」

「どういう、意味?」

「……知らない方がいい事もある。その方が、幸せだから」

 握る手の力が僅かに強められた。

「…………これ以上、不幸にならないで……」

 今にも消え入りそうなその声に、色葉は彼女と同じくらいの力で手を握り返した。

「ありがとう。でも、俺は決めたから。光は、誰にも渡さない」

「何でそんなに世界の光にこだわるの?」

「……何でだろ、俺にも分からない。けど俺は決めたんだ、この世界を変えるって」

 海が見えてきた。荒れていたであろう波も、すでに細やかな光を反射させているだけになっている。日も暮れかけているのか、空も海も、徐々に赤く染まり始めていた。

「あのさ、氷波」

 視線を海に向けたまま、色葉は口を開いた。

「……氷波は、何を知ってるの?」

 今の様子といい、過去の様々な発言といい、彼女の行動にはおかしな点ばかりだ。『世界の光』について何か知っているのかもしれない。だが、その氷波は無言のまま何も答えようとしなかった。

 色葉は苦笑いを浮かべ、ようやく視線を彼女へと向けた。

「読めないんだよね。氷波の過去が」

 氷波が自分に近しい存在だという事は分かっている。しかし氷波とは、水望と同様に直接的な血の繋がりはないはずだ。それなのになぜ、彼女の過去が読めないのか。自分と彼女との関係は、いったいどのようなものなのか。

 色葉の言葉の裏に隠れた、そういった疑問を汲み取ったのか、突然氷波は手を振り解いて走り出した。そして岸壁の手前で立ち止まり、色葉を振り返る。

「色葉はさ、白花ちゃんと食べたたこ焼き、憶えてる?」

 満面の笑みを見せながら、唐突に氷波は尋ねた。

「憶えてるよ。近くの市に職人が来た時だよね」

「そうそう。三人いるのに八個入りしかなくて、白花ちゃんに一つずつあげたんだよね。そしたら白花ちゃん、自分の分を私達にくれて……結局色葉が二個食べたんだっけ」

 楽しそうに思い出を語った氷波は、ふと表情を真面目なものへと変えた。

「私の過去は、色葉も知ってる。だったらさ、これ以上色葉が読めなくてもいいと思うんだ。それに……」

 色葉から視線を外し、海の方を向き直る。そして彼女は言葉を続けた。

「それに…………私も、色葉の気持ちは分からないよ……?」

 囁くようなその声は、波の音にかき消されそうになりながらも、しっかりと色葉の耳朶に届いた。だが色葉は意図を掴みあぐね、何も返す事ができない。

 小さく首を振った氷波は、帰ろう、と呟いた。その彼女の後ろ姿が、色葉にはなぜかとても、寂しそうに見えた。

 

 

 

「あっ、遅いよ二人とも〜!」

 宿へと戻った色葉と氷波を出迎えたのは、どこか困ったような表情を浮かべた道風だった。夜のとばりが迫ってくる中、健気にも宿先で待っていたらしい。

「ごめんごめん。蛍は……まだ目を覚ましてないよね」

 黙ったまま頷いた道風に、色葉はお疲れ様とでも言いたげに彼の肩を叩いた。そのまま宿の中に入っていく。

「あ、ちょっと待ってよ〜」

 道風の声を背中に受けながら、色葉は借りていた傘を戸口に置いた。誰もいないーーはずなのだが、物音が聞こえるのは気のせいだろうかーー建物の奥に向かって頭を下げる。あれだけ賑わっていたこの場所も、この時間となれば静かなものだ。後をついてきた氷波と道風と共に脇の階段を上がっていく。ぎしぎしという板の軋む音を聞きながら、色葉は二番目の部屋の戸を開けた。

「おかえり、色葉」

 部屋の中心に寝かされた蛍のそばに座っていた水望が、色葉達を振り返って微笑んだ。

「ありがとう、彼女の面倒を見てくれて」

「いいよそんなの。それより、もういいの?」

 ちらりと氷波の方を見た水望は、微笑を湛えたまま尋ねる。問われた色葉は、その意味を理解してないながらも頷いた。

「今、陸が夕餉を作ってくれてるから、もうすぐしたら食べられるよ」

 そう言いながら、水望は寝床の中で眠る少女に顔を向けた。さっきの物音は陸が料理をしている音だったのか。それ以前に、陸は料理ができるという事を今初めて知った。

 妙な感銘を受けながら、色葉も水望の隣に腰を下ろした。随分と穏やかになった蛍の顔に視線を落とす。

「……この子も、私達と同じ魔導師なんだよね」

 水望の言葉に、無言のまま色葉は頷いた。

(俺達と同じ……本当にそうなのかな)

 ちょうどその時、階下から陸の声が聞こえてきた。途端に、道風がやけに嬉しそうな声を上げる。

「やっとご飯出来たみたいだよ〜。僕もうお腹空いちゃってさ〜」

 先に行くね〜、と手を振りながら、道風は一人階段を下りていった。色葉も苦笑いを浮かべながら部屋を出ようと立ち上がる。

「氷波、どうしたの?

 どこか一点を凝視しながら、氷波は動こうとしなかった。だが色葉の声に気が付いたのか、ふっと表情を和らげて首を傾げた。

「何でもないよ」

「そう? ならいいや」

「二人ともっ、折角陸が作ってくれたご飯が冷めちゃうよ! 早く行こ?」

 二人の間に割り込んだ水望が、元気な笑顔を浮かべながら二人を急かした。

「そうだね、早く食べようか」

 色葉達はそのまま、白米の炊けた匂いが漂っている階段を下りていった。

 その瞬間ーー

 

 

 

 鐘楼しょうろうの上で瞑目していたみすじは、苛立ちと共に舌を鳴らした。

「どこにも気配は感じられない、か……」

 どこかに潜伏しているであろう彼女らの気配は、結界でも張ってあるのか全く感じられなかった。送り出した追っ手からは逃れられるし、こうして現在の居場所さえも隠される。どれもこれも、あの鬼の子のせいだ。

 夜陰に紛れる漆黒の服を翻して、みすじは鐘楼の中に入った。

「それにしても、藤神の介入を阻止しろだの、『切り札』を奪還しろだの……あの方は本当に人使いが荒い。私は一人しかいないのだぞ」

 そう言って、みすじは口元に僅かな笑みを見せた。

 文句を垂れていても仕方が無いので、町の中を駆けずり回っている者達の報告を待つことにしよう。それまではここで休憩していても何も言われないはずだ。

 そう考えたみすじは、鐘楼の手すりに背中を預け、再び目を閉じた。

 その瞬間。

 港の方角から、爆音が聞こえてきた。その方向には一瞥もくれず、みすじはまた舌打ちをする。

「少しは私を休ませろ。馬鹿者」

 誰に聞かせるでもなくそう言い、突然彼女は背中から身を投げた。だがその身体は、音もなく夜闇へと消えていった。

 

 

 

 身もすくむような少女の魔力は、再び堺の町を震撼させた。


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