第十話 後編
光が収束し始めた。もしかするとこの光が、あの子供が言う『世界の光』というものなのかもしれない。
水望は、自らの意識が元の体に戻っていくのを、どこか他人事のように感じていた。ぶれていた視界が明確になり、真っ先に視界に映ったのは、色葉の小さな背。その背は震えるでも喚くでもなく、ただ淡々と前だけを見据えていた。
水望は声をかけるかどうか躊躇った。だが、今の光景を見て何を言えばいいのか全く見当がつかない。何も言わずに、普段通りの背中を見つめる事しかできなかった。
「どう? 『世界の光』ってこんな事もできるんだよ。すごいでしょ」
そんな中、相変わらずの明るい声音が、頭上から降り注いだ。
「でもねー、僕が持ってるのは本物じゃなくて、ただの欠片なんだ。なんで持ってるのかはー、秘密でーす!」
底抜けの明るさに、水望は激しい怒りが心の底から湧き上がるのを感じた。人の過去を弄んで、何がそんなに楽しいのだろうか。
当事者である色葉と氷波は、依然としてぴくりとも動かない。
「…………お兄ちゃんは、悪くない……」
だがその時、その場にいた人間の一人である白花が、震えを押し殺すように声を上げた。
「私が、一人で屋敷を出なきゃ良かったんだよ!」
「それは違うと思うよ。白花ちゃん」
すると道風は、いつになく真剣な表情で──それでも人懐っこい笑みは消えない──白花の顔を見据えた。
「悪いのは、全部あいつだ」
階段の上には一瞥もくれずに言い切った。その言葉に陸も頷く。
「道風の言うとおりです。あんな事をしたのも、辛い記憶を掘り起こしたのも、全部あいつですよ」
「道風さん、陸さん……」
白花は二人の顔を見比べて、瞳に溜まりかけていた涙を拭った。そして階上の子供と、光が現れる寸前にその隣に移動していたみすじを睨んだ。
「あれ? どうしよ、みすじ。いつの間にか僕が悪い事になってるよ」
「客観的に見ればそうなるのでは?」
みすじの真っ当な意見に、子供は薄い笑みを浮かべた。
「じゃあ、主観的なあの二人に聞いてみようか。さすがに思い出せたでしょ」
子供の言葉が終わるや否や、色葉が動いた。無言のまま懐に手を差し入れ、何かを取り出す。小さな布袋だ。首にかかる紐を引き千切って、地面に叩きつけた。
そしてそれを踏みつけた瞬間、色葉の体から放たれる魔力が変化した。
「ああ。おかげで思い出せたよ……何もかもなぁっ!」
刹那、疾風が駆けた。
目にも留まらぬ速さで抜刀し、階段を駆け上がる。それは先の色葉とは比べ物にならないほど、桁外れの速さだった。
「いろ……紅葉!」
水望は叫んだ。瞳の色は確認できないが、おそらくあの夕焼けのような深紅が広がっている事だろう。その小さな体は瞬く間に最上部へと到達した。
「あの光は、誰にも渡さねえっ!」
一番上の段を踏み越えて、紅葉は子供の眼前に躍り出た。
「だから無駄だって」
その言葉通り、紅葉の攻撃はまたしても見えない壁に阻まれる。だがそれでも、紅葉は不敵な笑みを浮かべた。
「無駄かどうか、見せてやるよ!」
その壁に弾き飛ばされ、紅葉の体は勢いよく宙に浮いた。紅葉は空中で身を翻し、勢いのまま真っ直ぐ天井に向かって跳ぶ。そして着地──いや着天した紅葉は、そのまま天井を蹴り、細かい石の破片を巻き上げながら子供に再度突撃した。
「おらぁぁぁああっ!」
雄叫びを上げ、その見えない壁をかいくぐる。唖然とする子供の様子が手に取るように分かった。見る見るうちにその姿が大きくなる。
だが響いたのは、乾いた金属音。子供を仕留め損ねた紅葉は舌打ちする。二人の間に滑り込んだみすじが、両刃の剣を煌かせていた。
「くっ……さすが、だな、鬼の子よ!」
「違うな。これは鬼の力なんかじゃねえ。こいつの、色葉自身の力だ!」
つばぜり合いの中、お互いの視線が交錯する。しかし、みすじの見えない眼光も、今の紅葉にとっては無に等しかった。
「はぁっ!」
短い気合と共に彼女の両刃の剣を押し返し、自らの刀を上段から振り下ろす。もちろん弾かれる事を予測して、同時に体重を後ろに傾けた。
思った通り、みすじの刀は最小限の動きで上段へ移動した。色葉のそれとぶつかり、火花を散らせる。両腕にすさまじい衝撃が伝わる。だが紅葉はその勢いを利用し、左足を軸にして身体を回転させた。左中段から、相手の胴を薙ぎ払う。
布を裂く感触のみが伝わってきた。刃は皮膚を僅かに掠っただけで、致命傷には至らない。
よろけたみすじに追い討ちをかけるように、紅葉は上下左右から攻撃を加える。相手の懐にまで踏み込み、鋭く突きを繰り出す。
だが、どれも直後に乾いた音を発するだけだった。全ての攻撃をみすじは受け止め、的確に弾き返す。
「……くっ!」
だがみすじは、猛攻に耐え切れずに声を上げた。好機と見た紅葉は、刀を相手の左胸──心臓に据えた。地面を蹴ってみすじの体に飛び込み、刀を握る手に力を込める。みすじは反応できない。剣先が心臓の真上に吸い込まれようとした。その時、
「なっ……?」
完全に勝利を確信していた紅葉だったが、その刃は突如乱入した影に阻まれた。
「ごめんね。みすじをまだ失うわけにはいかないんだ」
子供は小さな短刀一つで、紅葉の刀を防いでいた。涼しい顔で斬撃を受け止めている小さな体を、紅葉は信じられないような面持ちで見やる。
「お前……何でだ」
「さあ、何でだろ。僕にも分からないや」
その他人には理解できないやり取りの後、紅葉は大きく後ろへと跳んだ。思考を振り払うように頭を振り、剣を収めているみすじを睨んだ。
「今度は容赦しないぞ。俺はお前を……お前らを、絶対に許さない。お前らの仲間になる気もさらさらないからな」
「ふん、まあいい。こちらには、この方がいらっしゃるからな」
みすじは子供の頭に手を乗せた。「子ども扱いしないでよー」という言葉は完全に無視して、紅葉の視線を真っ向から受け止める。
「僕達も必死だからね。『世界の光』を手に入れるためには、どんな手でも使うよ」
子供もみすじの手を無視し、布を引き下げて顔を隠す。
「……もう疲れちゃったし、僕達は先に帰るねー」
ひらひらと手を振って、子供はまたしても指を鳴らした。背後に空間の歪──本当にそうかもしれない──が生じる。そこに足を踏み入れようとした二人に、紅葉は低い声で尋ねた。
「お前は……お前らは何を企んでるんだ」
「あははっ、愚問だね。そんなの決まってるじゃん。この世界を──」
──壊す事だよ。
一瞬だけ立ち止まった子供は、そう言い残して闇に溶け込んだ。みすじもその後に続く。
そして、闇は消失した。
何も残らなかった空間には、たった今呟かれた言葉だけが漂っていた。その、言葉だけが。




