表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
生命は廻り世界は続く  作者: 桜坂 春
二章 〜垣間見える過去〜
17/79

第一話

 現在いまがあれば、必ず過去がある。対を成すその二つは、決して切り離す事はできない。

 ──過去から逃れる事は、不可能なのだ。


 


 ──4月

 すっかり桜の花も散り、新緑が芽吹き始めた。いよいよ春も盛りに入り、色とりどりの花が地面を彩り始める。

「うわぁ〜、きれいなお花〜」

 中庭の隅に、小さな白い花を見つけた。道風はその癒しのそばにしゃがみ込み、名も無い花を眺めいる。

 だがその時、背後から深い溜め息が聞こえた。慌てて背後を振り返ると、そこには何かの書物を手にした水望が立っていた。

「休んでる暇があるんだったら、早く仕事しなさいよ」

「僕の仕事は全部終わったよ〜」

 水望の言葉にふてくされたように口を尖らせた道風は、中庭の端に集められた雑草の山を指差した。その先を見やった水望は苦笑いを浮かべる。

「草むしり……結構大変そうだね……」

「そうだよ〜。でも水望ちゃんの方が大変じゃない?」

 魔法の指導、と続ける道風に、水望は肩をすくめた。

「大変だけど、私は楽しいって思ってるよ。みんな優しいし」

「楽しいんだ〜、いいな〜」

 仰向けに地面に寝転がり、視界の端に映り込む山を恨めしそうに睨む。あの作業には楽しいの「た」の字も無かった。

「じゃあ私、そろそろ戻るね。お疲れ様」

 労いの言葉をかけてくれた水望に、道風は感謝の気持ちを込めて手を振った。だがその後ろ姿が消えると同時にその気力も潰えた。地面に倒れ込み、大きく息を吐く。

「あ〜……。眠い」

 

 

 

 藤神家が旧領地を全て手中に収めてから、早くも三週間が過ぎた。現在の方針は、他家からの侵攻を防いだり、領地を広げたりするための軍備増強が主なものだ。それと同時に、国力を底上げするために内政の充実も行っている。

 その中心を担っているのが、色葉を始めとした六人の子供達だ。今はまだ特に決まった役職はないが、各自で自分にできる事を考えて行動している。陸は主に軍事、水望は魔導師関連といった仕事だ。

 とりあえず差し迫って大きな戦をする予定は無いので、当面は平和な状況が続いている。

 のだが。

 

 

 

「──お兄ちゃーん!」

 怒りを少しばかり含んだ声が、昼過ぎの廊下を駆け抜けた。

「……どこ行っちゃったんだろ」

 ついさっきまで、色葉は自分の部屋で何かの仕事をしていたはずなのだが、用があって訪れてみると、きれいさっぱりその姿が消えていたのだ。また勝手に屋敷を抜け出したに違いない。

「どうかされましたか?」

 その時、廊下の向こうから落ち着いた声が聞こえた。先日新たに色葉の配下になった、山村陸という少年だ。その姿を見て、白花はその高い場所にある彼の顔を見上げた。

「ちょうど良いところに陸さん。お兄ちゃん見ませんでしたか?」

「色葉様ですか? 私は存じてませんね、申し訳ありません」

「そうですか……」

 二人とも立ち止まって、お互いが手にしているものに視線を移した。白花は色葉に見せる文書を、陸は戦に使う大きな槍を持っていた。

「白花様は、色葉様に御用なのですか?」

「陸さん、様付けはやめて下さいよ……なんだか恥ずかしいです」

 苦笑いを浮かべて顔を伏せる。

 彼の敬語癖は全く直らない。氷波と同じだ。水望や道風といった打ち解けやすい人とは親身になって話せるものの、あの二人、特に日が浅い陸とは思うように会話ができない。

「ちょっとお兄ちゃんに見せるものが……陸さんは?」

「私はこれから少し休憩です。昼餉を食べたらまた訓練ですよ。では」

 手にした槍を少し振って、陸は歩き出した。

「兵の鍛錬か……私にはできないな」

 あれほど適材適所という言葉がぴったりな役目はないだろう。つい最近まで、あの山村家を治めていたのだ。今では祖父と並んで、双璧の鬼教官と呼ばれているらしい。統率力が高い人には憧れる。

「それよりもお兄ちゃんだよ」

 白花は首を振って、再び廊下を歩き出した。

 

 

 

 さらに廊下を進むと、何かを抱えた様子の水望の背中が見えた。

「水望ちゃん、お兄ちゃん見なかった?」

 彼女に駆け寄りながら声をかけると、水望はいつもの明るい笑顔で振り向いた。その笑顔に、白花は少しだけ安心感を得る。水望は本当に優しく元気で、まるで姉のような存在だ。

「色葉? ごめん見てないや」

「そっか……ありがとう」

 白花は水望が手にしている書物を見やった。

「それって魔術書?」

「うん。これから魔法の指導で使うんだ。指導っていっても、私が教えてもらう時も多いけどね」

 私もまだまだだよ、と笑う水望だが、彼女の知識は侮れないものがある。彼女自身も独学で魔法を学んでいたらしく、藤神家に仕えてからは、屋敷の秘蔵書にも手を出しているそうだ。

 そういえば色葉も、屋敷にある秘蔵書ならたいてい読み込んでいる。

「色葉だったら、何か知ってそうなやつがあっちにいるよ。今は寝てるけど」

「……道風さんだね、ありがとう水望ちゃん」

 白花はそう言って、水望が指し示した中庭に向かって歩き出した。

 

 

 

「道風さーん!」

 見つけた。中庭の隅のほうで寝転がっている。廊下を走りながら白花は名前を呼んだ。

「……その声は、白花ちゃん?」

 眠そうな目をこすりながら、道風はゆっくりと起き上がった。そして白花の姿を見つけた途端、輝くような笑顔を見せる。だが白花は、そんな道風を見て深い溜め息を吐いた。

「寝てる暇があるんだったら、早く仕事しましょうか」

「……僕ってさ、そんなに仕事してないように見えるかな〜」

 力なくうなだれる道風の視線の先には、山のように積み上げられた草の塊があった。

「水望ちゃんにも同じ事言われたんだよ〜?」

「それは……道風さん、いつも寝てるし」

「だってさ〜、僕だけ肉体労働なんだよ〜。か弱い子供に何させてるんだろうね〜」

「か弱いって……」

 確かに、いつも外で訓練を行っている陸を除いて、道風だけは机に向かっている所を見た事がない。確かに不思議に思ったが、そもそも道風が真面目に机に座る事自体考えられない。

 その様子を想像してしまい思わず吹き出しそうになった白花だが、慌てて表情を引き締める。そんな白花に、道風は微笑を湛えながら問いかけた。

「で? 僕に何か用があるんじゃないの?」

「そうそう、お兄ちゃん見なかった?」

「色葉か〜」

 道風が珍しく考え込む素振りを見せた。その様子に、白花は多少の期待を滲ませた顔を道風に向ける。だがその彼ははだらしなく笑うと、両手を広げながら首を傾げた。

「見てないや、へへっ」

「へへっ、じゃないよ! ……期待した私が間違ってた、ありがとう」

「それはひどいよ〜。まあいいや、僕はもう少し寝るね〜」

 もう一度中庭で昼寝を決め込むらしい。道風は白花に手を振ると、木の幹に身を任せて目を閉じた。

「……やっぱりこれが道風さんだ……」

 その呟きには、どこか感嘆するような響きが含まれていた。

 

 

 

(お兄ちゃん、どこ行っちゃったんだろ……)

 ここまで来ると少し心配になってきた。兄の事だから、命の危険がどうとまでは無いと思うが、もしもの事も無いとは言い切れない。前例があるので心配なのだ。

「あ、私馬鹿だ」

 ふとある手段を思い立った。廊下の中途に立ち止まって深呼吸をする。

 兄の気配を探ればよかったのだ。疲れるのであまり使いたくは無いのだが、今は緊急事態だと割り切ってやってみる。

「…………あれ?」

 だがどれだけ意識を集中させてみても、兄の気配が全く感じられない。もしかすると、自らの気配を隠しているのかもしれなかった。

「お兄ちゃん……」

 その時。

「色葉の場所なら、私、知ってますよ」

 背後から聞こえた声に、白花は顔を輝かせた。

 

 

 

 雲が流れている。

 白く、きれいな雲が、風の流れに乗ってまたどこかへと去っていく。

 果てしなく広がる空に、そっと手を伸ばした。

 そういえば、数ヶ月前にも同じように空を眺めた時があった気がする。あの時も、こうして流れていく雲を見ては、何のとりとめもない思考を巡らせていた。

 同じだ。

 自分が今何をしたいのか。何をするべきなのか。何を望んでいるのか。数ヶ月経った今でも、考える事は同じだ。

 だが、あの時とは自らを取り巻く環境が変わった。正直言うと、まだ慣れない事の方が多いし、面倒くさい事も多々ある。それでも、特に嫌な気分にはならないのだ。

 これが、昔憧れていた生活なのだろう。長年憧れた、「普通」の生活。ようやく普通を手にする事ができた。

 だがその度に、自分に問いかける。

 

 本当にこれでいいのか。

 

「……まだ、答えは出せそうにないな……」

 色葉は伸ばした手を下ろした。大きく息を吸い込んで、またゆっくりと吐き出す。

 とにかく今は、自分に与えられた責務を果たすだけだ。

(そろそろ戻ろうか)

 そう思って体を起こす。するとその時、丘の麓から向かってくる白花が見えた。彼女は色葉に気が付くと、手にした料紙を抱えて走り出した。

「……怒られる……」

 迫ってくる白花の表情を見て、色葉は引き攣った笑みを浮かべた。

「何笑ってるのかな、お兄ちゃん」

 目の前に仁王立ちした白花が、薄く微笑みながら睨んできた。最近、白花が厳しくなったように思うのは気のせいだろうか。だが、一年でも長く生きている色葉の方が上手のはずだ。

「ほら、今日もいい天気だから──」

「知らないよ。はいこれ」

 弁明しようとした色葉をばっさりと切り捨てた白花であった。負けてはいないのだが少し微妙な心境になった色葉は、苦い顔で白花が差し出したそれを受け取った。

「ほら、例の設計図。今朝職人さんからもらって来たんだ」

「ありがとう白花。今日も冴えてるね」

 などと、割とどうでもいいお世辞を口にしながら、色葉はその紙に視線を落とした。

「……なるほど、これは…………ならここをこうして……」

 ぶつぶつと独り言を漏らす色葉に、白花は呆れたような笑みを浮かべた。兄が集中し始めると、もう何を言っても聞こえないのだ。早く戻ってよ、と声をかけて丘を降りていった。

「…………これなら、いける……!」

 ひとしきり考え込んだ後、ようやく色葉は顔を上げた。すでに妹の姿は無く、彼女が立っていた場所にはただ風が流れているだけだった。当たり前かと頭をかく。

「それにしても、なんでここが分かったんだろ」

 誰にも見つからないように屋敷を出て、それから完全に気配を消していたのだが。この計画には寸分の狂いもなかったはずだ。それなのになぜ。

 考えても仕方ない事なのでやめた。幹にもたれかかって、再び空を仰ぐ。そこにはさっきと変わらない景色が、やはり当然のように広がっていた。

「……戻るか」

 一声呟いて、色葉は立ち上がった。

 

 

 

「いたいたー。どこ行ってたの色葉、白花ちゃんが探してたよ?」

 屋敷に戻ると、玄関を入ってすぐの所で水望に出くわした。つい先ほどの白花の表情が脳裏に浮かび、色葉は苦笑いを浮かべる。

「ちゃんと発見されたよ。少し怒られたかな」

「だって白花ちゃん、結構心配してた感じだったよ」

「心配……俺を?」

 心外そうな顔をした色葉に、水望はそうだよと頷いた。

「この間も屋敷の外で倒れてたでしょ」

「倒れてないよ。あれはうっかり寝ちゃったんだって」

「それを倒れるって言うんだよ」

 数日前の話だ。屋敷の外にとある用事で出かけた際、その帰りに睡魔を打ち負かす事ができず寝てしまったのだ。仕事やら自身の稽古やらの無理がたたった結果だ。他にもしなければならない事が山ほどあるので、それからは適度に仕事を休むようにしている。

「睡眠が足りてないんじゃない? 大変なのは分かるけど、少しは他の人にも──」

 そこまで言って、水望は言葉を切った。不自然な沈黙に色葉は首を傾げる。

「他の人にも、何?」

「あのさ、なんで私達がこんなに働いてるのかな。普通、文官の人とかもっといるでしょ? それかもっと年齢が上の人とかさ」

 その疑問に色葉は僅かに目を瞠り、その表情を曇らせた。

「ここは完全な実力主義だしね。能力の高い者が上に立ってこの家を良い方向に導いていく。それに……」

 水望の顔を見た色葉は、心情を読み取らせまいと微笑を浮かべた。

「いや、信頼されてる証拠だよ」

「でもさ、年下に大きな顔させてたら、良い思いしない人もいるんじゃ……」

「違うよ」

 色葉は微笑を浮かべたまま振り返った。水望に背を向け、廊下を歩いていく。

「年なんか関係ない。必要とされてるのは、実力だけだから」

 その低い呟きに、彼を追おうとしていた水望は足を止めた。それを背後に感じながら、色葉は自嘲的な笑みを広げる。

「……実力しか、必要とされてないから……」

 同じ言葉を、いつか自分は言った事がある。相手は誰だったか、もう名前も忘れてしまった。

 そう、忘れたんだ。全部、何もかも。

 

 今日はやけに昔の事を思い出す日だ。

 忘れたと思い込んだ記憶は、ふとした時に蘇る。それは真に記憶から消えていない証拠だ。過去の存在を消す事は、本当にできないのだろうか。

 願いを一つ思いついた。

 

「──過去の記憶を、消し去りたい」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ