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REPLAYER - 未解決の1% -  作者: 二晴


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第3話 事勿れ主義の壁と猟犬①

 12月31日、午後0時50分。


 世田谷区内の住宅で発見された4人の死は、警視庁の会議室に持ち込まれた時点で、すでに血の匂いを失っていた。


 机の上に並べられているのは、鑑識写真、簡易見取図、通報記録、現場速報、関係部署から上がった照会メモ。コピー用紙の端には、刷り出されたばかりのインクの匂いが、まだ残っている。現場で床板に染み込んでいた血は写真番号を振られ、壁に飛び散った血痕は見取図の上で小さな印に変わっていた。


 午前10時56分ごろ、110番通報。


 近隣に住む男性からの通報内容は、短い文章に整理されている。


 《空き家のはずの建物の中から、女性の悲鳴のような声が聞こえた》


 その通報から、すでに二時間近くが経っていた。


 初動は午前中から途切れずに動いている。最初に臨場した警察官が住宅内で倒れている4人を発見し、ただちに応援要請がかかった。現場保存、通報者の聴取、周辺住民への聞き込み、鑑識の臨場、捜査一課への連絡、報道対応。正午前後に第一報が流れるころには、事件はもう、床の上だけのものではなくなっていた。


 会議室の前方に置かれた大型モニターには、住宅の簡易見取図が映し出されていた。古い木造住宅。中二階を含む複雑な構造。浴室、子ども部屋、階段、台所、ロフト。部屋ごとに番号が振られ、遺体の発見位置だけが赤い丸で囲われている。


 一階付近、男性1人。


 中二階の子ども部屋、少年1人。


 中二階付近、女性1人、少女1人。


 報告役の捜査員は、抑えた声で読み上げていた。事実、確認中、未確認、照会中。その線を崩さないために、声だけが平板になっている。


「4名はいずれも現場で死亡確認。身元については確認中です。現段階では、同一世帯の家族とは断定していません。」

「住人じゃない可能性があるのか?」

「断定できない、という段階です。居住実態の確認が取れていません。生活痕に見えるものはありますが、継続的な居住を示す資料として扱うには未確認の点が残っています。所有者、管理状況、直近の出入り、電気・水道の使用履歴、近隣証言を照会中です。」

「通報者は空き家と言っているんだったな。」

「はい。当該建物を「空き家のはず」と認識しています。近隣にも同様の認識がある可能性があります。」


 報告役は一度、手元の紙へ視線を落とした。


「空き家と見られていた建物の中で、4人が死亡していた。誰が、いつ、どのように建物へ入ったのか。現在確認中です。」


 空き家のはず。


 その言葉だけが、会議室の空気の中で浮いていた。


 人が住んでいないと見られていた建物に、なぜ4人がいたのか。その問いは、現場の凄惨さとは別の方向から事件を不自然に歪ませていた。


 誰かが書類の端に、赤ペンで線を引いた。だが、それ以上は追わない。少なくともこの場では、通報者の認識、近隣の認識、建物の管理実態の食い違いは、まだ事件の中心に置かれていなかった。


「男性遺体。1階階段付近。刃物によるものとみられる多数の損傷。現場付近に大量の血痕。床、壁面に争った痕跡あり。」


 画面が切り替わる。


「少年遺体。中二階の子ども部屋とみられる室内。二段ベッド下段付近。目立った出血は少なく、首を圧迫されたような痕を確認。」


 さらに次の写真。


「女性1名、少女1名。中二階付近で発見。衣服および周辺に血痕あり。刃物によるものとみられる傷を確認。詳細は司法解剖待ち。」


 報告役は、次の写真へ切り替えた。


「なお、ロフト部分にも血痕を確認しています。採取済みですが、発見された女性および少女のものかは鑑定待ちです。」

「ロフトにも?」


 中ほどの席にいた捜査員が顔を上げた。


「遺体の発見位置は中二階付近だろう。」

「はい」

「ロフトで負傷して、その後に中二階付近まで移動した可能性は?」

「自力で移動した可能性と、死後に移動させられた可能性の両面で確認中です。ロフトから中二階付近までの血痕分布、衣服の付着状況、床面の擦過痕を照合しています。現段階で、明確な引きずり痕は確認されていません。」


 会議室の空気が、重くなった。


 女性と少女は中二階付近で見つかった。だが、ロフトにも血がある。本人たちが動いたのか、誰かが動かしたのか。それとも、発見位置とは別の場所で一度襲われていたのか。


「女性と少女の移動可能性は、別項目で整理しろ。」


 上座の男が言った。


「血痕分布、床面、衣服、発見時の姿勢。鑑定待ちのものは鑑定待ちとして扱う。現時点で結論は置かない。」


 報告役は頷き、次の資料を開いた。


 画面に、古い事件の見取図が映る。


 日付、侵入経路、遺体位置、凶器、負傷部位。そこに今回の世田谷事件の情報が横並びで重ねられていく。


 12月30日深夜から31日未明にかけて。


 中二階浴室の小窓。


 外された網戸。


 中二階の子ども部屋。


 1階階段付近の男性。


 中二階付近の女性と少女。


 刃物による傷。首を圧迫された痕。ロフト部分の血痕。明確な侵入・逃走経路の不透明さ。


 中ほどの席にいた捜査員が、今度は画面から目を離さなかった。


「遺体の発見位置が、過去の事件そのままじゃないですか。」


 報告役は答えなかった。代わりに、鑑識課の職員が手元の資料をめくった。


「現段階で一致を確認しているのは、発生日、侵入想定箇所、屋内構造、発見位置、損傷の傾向です。外観と住所は当然異なりますが、内部構造と遺体位置の対応はかなり近い。」

「近い、では済まないでしょう。」


 別の声が落ちた。


「建物の内部構造まで合わせにいっている。外側だけ似せた模倣じゃない。」


 誰もすぐには否定しなかった。


 過去の有名な未解決事件と、今回の事件は、似ているという段階を越えていた。


 外観や細部に違いはある。住所も、建物そのものも、当然同じではない。それでも、中二階を含む内部構造、浴室窓からの侵入経路、子ども部屋の位置、1階階段付近の男性、中二階付近の女性と少女という配置は、過去の現場図を現在の住宅へ写し取ったように重なっていた。


 少なくとも、単に発生日や凶器が一致したという話ではない。


 建物の構造と、そこに置かれた死の位置までが一致している。


「報道向けには、過去の未解決事件との共通点がある、という表現までです。」


 広報担当の声が入った。


「断定は避ける。過去の事件名も出さない。現時点で模倣、関連、連続性のいずれも確認されていない。」

「確認されていないだけで、重なってはいる。」


 現場側の捜査員が言った。


 広報担当は反論しなかった。


「分かっています。ですが、名前を出した瞬間に報道はそちらへ走る。後続犯を刺激する。捜査より先に、社会が事件の形を決める」


 冷たいが、間違ってはいなかった。


 別の資料が配られる。


 そこには、警察が同じ線上に置き始めている複数の類似事案が表にまとめられていた。死亡事件だけではない。失踪、強盗、誘拐未遂として処理されているもの、事故か事件かの判断が揺れているものも含まれている。


 事件種別は揃っていない。


 それでも、発生日、手口、現場条件の一部が、それぞれ別の過去の未解決事件と対応していた。


「今回の世田谷も、この枠に入れるんですか?」


 若い捜査員が言った。


「入れる。」


 上座の男は、即答した。


「公式に関連ありとはしない。だが、照会から外す理由もない。発生日、侵入経路、建物構造、発見位置、損傷。これだけ揃っている以上、同じ形式で情報を集める。」


 会議室の空気が沈んだ。


 慎重さと責任回避は、同じ椅子に座っていた。


「未解決事件類似事案」


 広報担当ではない別の男が、資料の余白に書かれた仮称を読み上げた。


「広域照会の名目としては通る。」

「警察庁を通すか?」

「通す。警視庁単独では抱えないほうがいい。」


 単独では抱えない。


 その言葉は、協力のためにも聞こえたし、責任を薄めるためにも聞こえた。


 会議室の隅で、資料をまとめていた職員が新しい件名を入力する。キーボードを叩く音だけが、数秒間続いた。


 《未解決事件類似事案・広域連絡室》


 午後2時40分。


 警察庁から、警視庁、神奈川県警、埼玉県警、千葉県警、その他関係県警へ、一通の照会が送られた。


 件名は、未解決事件類似事案・広域連絡室。


 神奈川県警本部、捜査支援分析センター。


 一覧に流れ込んだ照会の中で、その件名だけが赤く反転した。


 画面の前に座る分析官は、遺体位置の赤丸には触れなかった。


 最初に拡大したのは、中二階の浴室と子ども部屋だった。


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