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葉を見ず、花を見ず  作者: 喜世
第7章 愛慕
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【最終話】一河の流れを汲むも他生の縁

 新年度の忙しさを乗り越えて、無事に連休を迎えた。

お疲れ気味の結子さんを誘って温泉へ。のんびりと過ごすことに決めた。


 まだ明るいうちからお酒を飲みながら、互いに近況報告。


「企画開発部は、白石学園との仕事に着手し始めた。

裏で翔くん召喚工作を進めてる」


「……ありがたき幸せ」


 でも、やっぱり俺はまだぐるぐるしてる。

 帰れるのか? 帰りたい。でも……

 の繰り返し。


「うちの部と経理部は連休明けから中途採用始めるんだけど、

これも優秀な原くんが前例作ってくれたおかげです」


「よかった……」


 この前一緒に飲んだとき、『早く帰ってきてください!』って泣き付かれたっけ。


「研究部は白石学園との共同開発がメインだけど、

新薬開発もしたいみたいで、社長がラボにいる時間が増えてきた」


 ということは、あの人は新居さんや菊池さんみたいに、白衣着てるのかな……


 結子さんはニヤニヤして言った。


「白衣姿の社長の写真、見る?」


「見た……くないです」


 見たいと言いかけた俺、白衣姿を易々と妄想できてしまった俺、

それにドキッとした俺……


 我ながら少し引いた。


「えー? 通常版、眼鏡クールモード版、もあるのに?」


 は?


「……誰がなんのために撮ったのそれ?」


「表向きは、SNSとウェブサイト用。真の目的は『梅村くんを釣る餌』by 菊池さん」


「言い方…… 菊池さん、脚本書かずに何やってんの?」


 『書けない!』って一言のみのメールを、休み前に受け取ってる。


「結末だけだって、書けないの」


「二人は極楽で永遠に幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。でいいじゃん」


「適当すぎるよ、流石に。原因はあなたと蓮見さんにあるんだから。

仲直りさせたいってみんな思ってるんだから」


 仲直りとか、そんな簡単な話じゃない……


「やっぱり写真じゃ釣れないか。本物じゃないと」


「うん、そりゃ……」


 げっ。釣られかけた。


「ちょっと! 何言わせるんですか!!!」


 ケラケラ笑う結子さん。酒が回ったんだろうか。

そんなに弱くないはずだけど。


 でもそんな心配は吹っ飛んだ。


「冗談はこれくらいで。……社長、最近様子がおかしいの」


 どういうことだろう……


-------------------------------------------------------------------------

「どうおかしいんです?」


 結子さんは指を折りながら、例を挙げ出した。


「残業が激しい。社長決裁が遅くなった。机が片付いてない。

浅井部長としょっちゅう喧嘩」


「は? 喧嘩って」


 小池専務と喧嘩ならわかる。

物静かな浅井部長とってどういう状況だ?


「浅井部長は、先代社長のトラウマがあるから、倒れられたら困るってうるさいの。

新しい秘書を取れって社長に進言するたびに大喧嘩」


「社長はそれに対して、なんて?」


 結子さんは、素直に教えてくれなかった。

俺に聞かせたくないんだろう。

 でも俺は聞き出した。


「……自分一人でできる。……秘書は二度と取らないって」


「そうですか……」


 最終的に、ヘブンス社長命令で俺はあの人の秘書に戻るかもしれない。

 でも、あの人は俺を拒否するだろう。

 そしたらあの場所は地獄でしかない。


「……翔くん以外の秘書が嫌だから、そう言ってるんだと思う。気にしないで。

浅井部長が神経質になるのも無理はない。

遅刻の頻度が上がったし、週一くらいで社長室で寝落ちして、会社に一泊したりしてるし……」


 会社に一泊って……

 正太が会いに行ったらしい日も、夜中に近かった。

 仕事をしてるってことだ、社長室で、一人で……


「このままだと、本当に身体壊すし、そのうち対外的に大きいミスをする気しかしない……」


 ……大丈夫だろうか?


 でも……

 一人で全部できるから、俺なんか要らないから、あの人は俺を帰したんだ。


 でも……

 俺がいないから、流石にキャパオーバーになったんだ。


 ぐるぐるぐちゃぐちゃな俺。


 ダメだ。釘を刺さないと。


「……百合子さんとは?」


 あの人の一番近くに居てくれる人。居るべき人。


「大丈夫。円満」


「よかったです」


 百合子さんが傍にいれば大丈夫。

 俺が!なんて思いあがった考えだ……




 結子さんは笑いだした。


「梅ちゃんと一緒だねー。やっぱり」


「え」


「あの子とおんなじこと言ってる、かんがえてる、してる」


 しょうがない。だって


「……元は同じ魂だから」


「……だったら、梅ちゃんとおんなじように、ちゃんと伝えなさい。

自分がどう思ってるのか、どうしたいのか」


 正太は伝えて幸せを掴んだ。


 俺は……

 どうだろう……


-------------------------------------------------------------------------

 休みが明けて数日経ったある日の午後、社長に突然仕事に関係ない話を振られた。


「健ちゃん、限界来そうだって」


「……限界、ですか?」


「LOTUSの専務さんから舞を介してまた嘆願があってね、梅村君をすぐに秘書として返して欲しいって。健ちゃん本人は必死に頑張ってるし、限界だって認めようとしないらしいけど、

社員から見るとだいぶまずいらしい……」


「……左様ですか」


 結子さんの言ってた通りだ。


「百合子さんからも舞に相談があった。ストレスがだいぶ溜まってるって。

……社員には隠し通せてると思ってるらしいけど、バレてるみたいだね」


 大丈夫かな……

 本当に、身体に触らないといいけど……


「ということで、今から意地悪社長演じるけど、許してね」


 え? 何をどうする気だ?


「……かしこまりました」


 社長はスマホでどこかに電話を掛けた。


「あ。健ちゃん。お疲れ様」


 あの人だ。

 電話の向こうに、あの人がいる。

 怒鳴られてもいい。声が聞きたい……


 そう思った自分の心を抑えつける。


「そうそう、今度の金曜日、開いてる?

近くに寄るから、行ってもいいかな?

……うん、ありがとう、13時ね。ではよろしくお願いします」


 電話が終わった。俺の仕事はこれから。


「……金曜日、13時ですね」


「ううん。前日、木曜日の13時に突撃」


 何考えてるんだ?


「恐れ入りますが……」


 社長は意味深に笑った。


「……LOTUSの蓮見社長のアポミス。……いいね?」


 これが、意地悪社長か。


「大丈夫。裏であちらの専務さんたちと調整済だから」


「……かしこまりました」


 親戚だしこっちの会社の方が親に当たるからギリセーフか。


「ちょっと健ちゃんには可哀想だけど、これはみんなのためだから」


 詳細はわからないけど、社長と小池専務の計画に従おう。

 スマホのカレンダーに、『木曜日13時LOTUS』と入力した。

 次の俺の仕事は手土産の手配。


「……蓮見社長には何がいいかな?」


 そう聞かれた俺は答えた。


「どら焼きはいかがでしょうか」


 あの人の好きな、あの店の。

 あの人は、羊羹の方が好きだけど……


「その心は?」


「お忙しいご様子なので、手軽に召し上がれるものがよろしいかと」


 どうだ? OKか?


「お願いします」


 よし。合格。


「蓮見社長にもう一つ手土産持って行きたいんだけど、いいかな頼んでも」


「かしこまりました。何にいたしましょう」


「『秘書の梅村君』」


 ……え? 俺?


「その場で渡さないけどね。卒業試験まだだから。では、当日、同行をお願いします」


 久しぶりのLOTUSだ。


「……かしこまりました」


 あの人と向き合う時が来た……


 正直、怖い。

 また怒鳴られたら、また睨まれたら……


 でも……


 俺の中には、優しかったあの人がまだ消えずに居る……


 顔が見たい。

 声が聞きたい。


 逢いたい。


-------------------------------------------------------------------------

 LOTUS訪問日の朝が来た。

 工藤さんと揃って社長に朝の挨拶をすると、社長が俺の様子に気付いた。


「おはようございます。梅村君イメチェン?」


「はい」


 髪型を変えた。CM撮影の時の物を参考に、手入れしやすいものに。


「いいね。カッコいい」


「ありがとうございます」


 社長の目線が俺の服装に行く。


「工藤さんに見立ててもらった?」


「はい。選び方も伝授してもらいました」


 今の俺が手を出せる、ワンランク上の物。

 スリーピースのスーツ、革靴、ネクタイ、ネクタイピン、腕時計……


「……さすがですね、工藤さん」


 工藤さんはにこやかに答える。


「お褒めいただき光栄です」


 社長は工藤さんに全幅の信頼を置いてる。

 工藤さんはその信頼を絶対に裏切らない仕事をする。


 ……俺も工藤さんみたいな秘書になりたい。

 あの人に信頼される秘書に。




 出発の時間が来た。工藤さんに背中を押された。


「怖がらずに自信を持って」


「はい」


「LOTUS社長様に、成長した姿を見せてきなさい」


「はい。今まで、ありがとうございました。これからも、よろしくお願いします」


「行ってらっしゃい」


 いざ、LOTUSへ……


-------------------------------------------------------------------------

 玄関先で小池専務に出迎えられた。

社長には緊張が見られる顔で丁寧に挨拶をしたけれど、俺には前と同じ接し方をしてくれた。


「お久しぶりです。小池専務」


「見違えたぞ。こりゃ、あいつには勿体無い立派な秘書だな……」


 ニヤリと笑ったその顔には何か企んでるようだった。




 主のいない社長室に通された。

俺は驚き思わず声に出してしまった。


「ひでぇ……」


 社長も同じことを思ったらしい。お上品につぶやいた。


「ワイルドだね……」


 社長の机は書類の山。一部が崩れてる。

 俺が使ってた机には、本や雑誌が乱雑に置かれている。

 飲み掛けのペットボトルや、夜食のストックらしきインスタントの物も乱雑に……

 来客用のテーブルとソファはかろうじて無事。


 社長室のここまでの惨状は、初めてだ。


「申し訳ありません。さすがに少し片付けようと思ったのですが……」


 小池専務が謝るのを、社長は穏やかに宥める。


「いえ。ありのままを見せてもらえて好都合です」


 俺が入院してた時でも、こんな事にはならなかった。

 やっぱり、限界ってことか?


「……片付けてもよろしいでしょうか?」


 がまんできない。


「今日は客なんだから座っててくれ。俺がやるから」


「いえ、手伝います」


 片付けが終わると、小池専務が不可解な指示を出した。


「梅村、あいつが来たら、指示があるまで給湯場に隠れてろ。いいな?」


 大人しく素直に従った。




 あの人にここでお茶の淹れ方を教えてもらった……

 その思い出をぶち壊すかのように、綺麗じゃない給湯場。

 洗ってないコップや、コンビニ弁当のゴミ……

 生ゴミだけはかろうじて処分してある状態。


「えっ」


 俺のマグカップ。

 処分されず、定位置に置かれたまま……


 それに手を伸ばした時、声をかけられた。


「先輩、お疲れ様です」


 原だった。


「お疲れ。今日外回りじゃなかったんだ」


「先輩が来るって聞いたら、出るわけには行かないですよ」


 可愛いこと言ってくれる後輩だ。


「今日めっちゃカッコいいっすね」


 嬉しいこと言ってくれるけど、勝手に写真を撮るんじゃない……


「……片づけましょっか。ひどいっすね、ここ」


 給湯場の片付けに着手した。


 ……あの人はまだ来ない。


-------------------------------------------------------------------------

 片付けを終えて、社長にコーヒーを出しても、あの人は来なかった。


「……蓮見は何してる?」


 小池専務が原にそう聞くと、原は口籠った。

 ヘブンス社長が居る前で、自社の社長の事を言うのが憚られるんだろうか……


「大丈夫だ。ありのままを言ってくれ」


 原は口を開いた。

 

「『なんで許可なく社長室に通したんだ!』と、部長の小宮に問い詰め、

その理不尽さに小宮が怒り、喧嘩になりました。それを部長の寺田が仲裁しています。

それがまだ終わらないのではないかと……」


 小池部長は大きな溜息、社長は苦笑。


「だいぶ荒れてますね……」


「はい。お恥ずかしながら…… 原、蓮見を呼んで来てくれるか? いくらなんでもお待たせしすぎだと」


「かしこまりました……」


 その時、社長室のドアが開いた。

 俺はすぐに給湯場の奥に身を隠した。


「お義兄さん、お待たせして申し訳ありません」


 久しぶりに聞く声。心臓が音を立てた。


 あの人の声だ……

 やっぱり声に疲れが出てる……


「やっと来たな。片付けたぞ、原と俺で」


 俺もだけどね。でもそれは言えない。


「すみません…… 本当にお恥ずかしい……」


 謝り続けるあの人に、社長は穏やかに話し続けている。


「アポミスとか珍しいね、健ちゃんが」


 いや、社長ですからねわざと一日ずらしたの……


「……申し訳ありません」


「大丈夫? 疲れてるみたいだけど」


「ありがたいことに忙しいので、少し疲れが出てきたみたいです」


「そう?」


 社長は本題に入らない。




 原がきた。


「……なんで隠れてるんですか?」


「……小池専務の指示だ」


 首を傾げた原だったけど、お茶はちゃんと淹れてくれた。


「俺、これで下に帰ります。後で絶対に寄ってくださいよ。

松田さんずっと楽しみにしてたんですから」


 松田先輩、会いたい……


「……わかった。じゃあ、また後で」


 原は行ってしまった。

 俺がここから出られるのはいつだろう……


-------------------------------------------------------------------------

 しばらく世間話をしていた社長が、突然本題へ入った。


「今日はね、健ちゃんにプレゼント持ってきたんだ」


「……プレゼントですか?」


「俺の社長就任の時、お祝いくれたでしょ。それの御礼だと思って」


「そうですか。ありがとうございます」


「健ちゃんのために、秘書を連れてきてあげた」


 あの人は今、どんな顔してるんだろう。

 なんて返すんだろう……


 息を詰めて、耳を澄ませた。


「……お言葉ですが、お義兄さん。私は秘書は要りません」


 わかってた。こう言うって。

 覚悟してた。そう言うって。


「どうして?」


 社長が聞くと、あの人は感情の聞き取れない声で言った。


「全て自分一人で出来ますので」


 そうだよな……


 社長が穏やかに、諭すように話し始めた。


「……出来てないじゃない。部屋はぐちゃぐちゃ。遅刻はする。アポは間違える。

挙句の果てに、社員に怒鳴って、喧嘩してって」


 あの人は黙ってるみたいだ。小池部長もだんまり。


「専務さんに心配掛けさせて、こうして取引先の社長にまで心配かけさせて、

挙句の果てには百合子さん悩ませて」


「……プライベートは混ぜないでください」


「いいえ。白石学園は取引先。仕事です」


 黙ったあの人に、社長は優しく諭した。


「……健ちゃん。強がってもいい事はなんにもないよ。

素直に認めた方がいい。今、仕事が思ったように、やりたいようにできてないって」


 小池部長が久しぶりに口を開いた。


「……そうです。皆、社長を心配してるんです。

お言葉に甘えて、秘書を受け入れてください」


 あの人はまた怒りを抑えた声で拒否した。


「秘書はもう二度と採るつもりは無いと、何度も言ってるじゃないですか。

たとえ、御社からの命令でも、私は秘書を採るつもりはありません」




 俺のせいだ。

 あの人が秘書というものが大嫌いになったのは。

 スパイとして派遣された俺のせい。

 いても意味がなかった、迷惑ばかりかけた、俺のせい。

 

 ……でも、もう俺はあの頃の俺じゃない。

 訓練した。勉強した。

 今の俺を見て、判断してほしい。


「大丈夫だよ。身元はちゃんとしてるし」


「ですから、お義兄さん!」


「会ってあげて。絶対に気にいるから」


 社長はあの人が並べる拒む言葉を、全部無視し、俺を呼んだ。


「秘書さん、こっちに来てください」


 行かないと……


-------------------------------------------------------------------------

 俺の姿があの人の視界に入った途端、あの人は顔ごと目を逸らせた。

 悲しくなったけど、感情を抑え、頭を下げた。


「秘書を仰せつかりました。梅村翔太と申します。よろしくお願いいたします」


 俺の挨拶は見事に無視された。

最初に来たあの日より酷い。あの日は、目を見てくれた。挨拶はしてくれた。


「お義兄さん、一体何を考えているんですか? 他社の社長室に、社員を忍び込ませるなどと。

親戚でも、協力会社でもやっていいことと悪いことがありますよ」


「社長。これは私の提案です。梅村に隠れていろと命じたのは私です」


「小池専務。一体貴方はなにをしているんですか?

第一、貴方が専務の任務を全うしてくれればいいものを……」


 冷たい声、怖い顔、人を責め、優しさの欠片もない。

 こんな人だったっけ……


 いや、前世の旦那さんを十五年見てただけだ。俺はこの人をまだ二年弱しか見ていない。

 やっぱり、俺が好きだったのはこの人じゃなくて、旦那さんだったのかもしれない。


 俺の前で俺を通り越した会話が続く。

 まるで俺はここにいないかのように。

 

 結局、話は決裂して終わった。


「私に秘書は不要です。どうぞお引き取りください」


 この結果は、わかってたはずだ。


 でも今度こそ完全に心が折れた。


 もう諦めよう。もう忘れよう。

 この人のこと。永遠に。


 今度こそ消そう。全部捨てよう。


 嘉太郎さんに正太として愛された、幸せだった記憶。

 嘉太郎さんに引っ張られてた健一さんに、優しくしてもらった、楽しかった記憶。

 この人から贈られたボールペン、名刺入れ、メッセージカード。

 この人にもらったメール。

 この人が写った写真。

 この人の連絡先……


 なにからなにまで、この人を思い出すものは、全部……


 社長が決断を下した。


「……わかりました。三ヶ月間、君の秘書にするために訓練させてきたけど、仕方ないね。

梅村君は今日付で、正式に私の第二秘書にします」


 挑発なのか、本気なのかわからない。

 でも、あの人は返事をしなかった。


「……梅村君。行こうか。ほんとごめんね。無駄足運ばせて」


「……いえ、お気になさらず」


「じゃあ、健ちゃん、うるさく言ってごめんね。でも、身体にだけは気をつけて。またね」


 あの人はそれに答えもしない。


 やっぱり、これは俺の好きなあの人じゃない。

 俺の知らない人だ。


 なんかもう、悲しさ虚しさを通り越して、むしろスッキリした気分だ。


 もう二度と、過去は振り返らない。


 そう心に決め、社長室を後にした。


-------------------------------------------------------------------------

 会議室に通された。

 小池専務が社長に頭を下げた。


「お見苦しいものをお見せし、大変申し訳ありませんでした」


「……いえ。健一くんが相当荒んでるのはよくわかりました。

不味いですね、どうしましょうね」


「相談させてもらえますか? お時間よろしいでしょうか?」


 社長の視線が俺に来た。


「……本日この後、なにもご予定はありません」


「……ありがとう。では」


 小池専務は社長に断りを入れて、俺を廊下に連れ出した。


「すまなかったな。なんであいつがああも頑なにお前を拒否するかがわからない……

あんなに可愛がって大事にしていたのに……」


 あれは旦那さんだったんだ。

 俺の中の翔太を愛してただけ。

 あの人はそれに毒されてただけ……


「事務室にいってくれるか? みんな待ってるから」


「はい」




 下に降り事務室にいくとみんなに温かく出迎えてもらえた。

でも今日の結果を報告すると、部屋ごと静まりかえってしまった。

 そして各々仕事に戻っていった。


 一番肩を落としていたのは、松田先輩だった。


「そのうち出来のいい素直な可愛い後輩、入ってきますよ……」


 先輩は別の島の井川さんと原が、二人で何やら相談してる様子を眺めて言った。


「……俺は、お前と仕事がしたかったんだ」


 ……そう言ってもらえたのは、悲しいけどやっぱり嬉しい。


「ありがとうございます。すみません……」


 頭をぐしゃぐしゃされた。


「お前は悪くない。俺の力不足だ…… 一人で精進するよ……」


 寂しそうな先輩の笑顔が苦しかった。



 社長から、そろそろ帰るよって、メッセージが来た。

 とうとう別れの時間が来てしまった。


「では皆さん、これにて失礼いたします…… 本当に、短い間でしたが、お世話になりました。

ありがとうございました」


 再度の別れは、なんだか前より辛かった。


-------------------------------------------------------------------------

 玄関で社長と落ち合った。


「……荷物すごいね。タクシー呼ぼうか」


 残ってた荷物もあったけど、あれを持っていけこれを持っていけって、皆さんがいろいろくれた。

そのせいで両手が塞がっている。


「いえ、大丈夫です」


「……俺、疲れた。駅まで歩きたくない。ちょっと贅沢しようよ」


 たまにこういうわがままを言われる。

工藤さんからは無理難題でない限り、従うようにって指導されている。


「かしこまりました。手配いたします」


「お願いします」


 タクシー手配完了。

二人で外で待ちながら風にあたっていると、社長は遠くを見つめたまま切り出した。


「どうする?今後。俺の秘書するか、他の部署か……」


 やっぱりあれは挑発だったんだ……

 でもあの人は乗らなかった。


 他の道は、転職か、結子さんの最終手段に乗っかるか……


「工藤さん、あと八年かな? 定年退職。その跡を継いでもらって、第一秘書になるコース。

他の部署希望なら、空きを探してもらう……」


 どうしたもんか……

 今すぐこの場じゃ決めるのは無理だ。


「少し考えてみて。いろいろ疲れただろうから……」


「……お気遣いありがとうございます」




 風が気持ちいい。

この環境の良さも、このヘブンスの魅力だった気がする。

 明日からまた大都会の高層ビルでの仕事の毎日だ。


「……あ。……ごめん」


 突然、社長が玄関に引き返した。


「いかがされました?」


 そろそろタクシーが来る頃だけど……


「忘れ物した。ちょっとそこで待ってて」


 え。


「何をお忘れですか? 私が取りに行きましょうか?」


「大丈夫、大丈夫」


「かしこまりました」


 誰もいない静かな玄関先に一人残された。

 思い出したくない記憶がポツポツと出て来る。


 ここで、遅刻してきたあの人を出迎えたっけ。

 ここで、あの人を庇って刺されたっけ。


 全部忘れないと……


 その時だった。


 突然、誰かに背後から拘束された。


-------------------------------------------------------------------------

 首の下に左腕がある。

 右腕が、俺の腰回りに。


 不覚だ。気配に気づかなかった。


 でも……


 この両腕に悪意は感じられない。


 それに……


 この肩の重みには記憶がある。

 このほのかに香る香水の匂いは知っている。


「振り向かないで……」


 耳元で囁くこの声、聞き間違うはずがない。


「……なにをなさっているのですか?」


 答えない。


 溢れ出そうになる感情を押さえつけ、腕を振り解こうとした。

 訓練の成果も虚しく、この人の体格と体力には敵わなかった。


「……ごめん。……最後だから、少しだけこうさせて」


 最後ってなんだよ。


「……翔太」


 なんで名前を呼ぶんだよ今更。


 ダメだ。

 力が入らない。


 忘れようとしたのに……

 捨てようとしたのに……


 今更何なんだ、この人は!


 俺を拘束、いや、これはバックハグってやつかもしれない……

 したまま、話しだした。


-------------------------------------------------------------------------

「ごめん。嫌いになったわけじゃない。憎くなったわけでもない」


 だったら、なんで俺を……


「……なぜ私を捨てたんですか」


 言ってしまった。

顔を見られないのをいいことに……


「……捨てたんじゃない。束縛から解き放ったんだ」


 束縛って……

 解放って……

 

「前世で正太を束縛して、将来と可能性を奪った。傷つけて、不幸にした。……殺した。

なのに懲りもせずわがまま言って、生まれ変わって、また翔太を傍に引き寄せた。

自分勝手に束縛して、心も身体も傷つけた。……殺しかけた」


 抱きしめる力が強くなった気がする……


「……もう、前と同じ過ちはしたくない。……だから、翔太を解放した」


 勝手だな、ほんと……


「……でしたら、新しい秘書、どうして取らなかったんです?」


 俺の後釜が居れば、諦めがついたのに。

悩まなかったかもしれないのに。


「……翔太を思い出すから」


 は?


「嘉太郎が居なくなったら、翔太がそばに居なくても平気になるって思ってた。

……でも、違った。何かある度に翔太を思い出した。

翔太に会いたくて、顔が見たくて、声が聞きたくて、辛かった……」


 一緒だ。俺と。


「……でしたら、なんで社長室の私のマグカップ、捨てなかったんです?」


「……無理だった。……翔太にもらったネクタイもネクタイピンも、写真も、履歴も、全部。

翔太に係るもの、全部捨てようとしたけど、一つも出来なかった」


 俺もそうだった。


 でも、嬉しい。

 旦那さんに引っ張られてたんじゃなかった。

 この人自身が、俺を欲してくれてた。


「でも、今日、翔太の元気なかっこいい姿見られて、声を聞けて、嬉しかった。

一生分、充電させてもらった」


 ……は?


「今度こそ、俺一人でちゃんとする。翔太に負けないように頑張る」


 はぁ?


 何勝手に自己完結してんだよ!

 何一人で宣言してんだよ!


「……今まで本当にありがとう。翔太」


 顔も見ずに、そんなこと言うなよ!


「……さあ、もう行って。……振り向かずに」


 何カッコつけてんだよ!

 身勝手すぎる!


「……はい」


 嘘だ。

この人を油断させるための。


 手の力が緩んだ隙を突いて、振り向いた。


「……なんて言って、大人しく従うなんて、本気で思ってるんですか?」


-------------------------------------------------------------------------

 すごい速さで踵を返したその人の腕を掴んだ。


「逃げないでください!」


 進路に立ち塞がり、行手を阻んだ。


「なんで俺を無視するんですか!?

なんで俺の話を聞こうとしないんですか!?」


 逃げるのはやめたけど、何も言わない。


 俺は捲し立てた。


「俺は、貴方の物じゃない! 俺は一人の人間です!

自分こそ、思い込んで突っ走ってるじゃないですか!

勝手に決めつけてるじゃないですか!

俺の気持ちも知らないで!」


 俺がぎゃんぎゃん言うのを、素のこの人は怖がる。


 しまった。

 萎縮させてしまった……


「……申し訳ありません。取り乱しました」


 ……あれ?


 大声出したのに、守衛さん飛んで来ない。

 そういえば、忘れ物取りに行った社長は全然戻ってこない。

 呼んだはずのタクシーもなぜか来ない。


 どうなってるんだ?


「……落ち着いた?」


「……はい。申し訳ございません」


「確かに俺、勝手をしすぎた。翔太の話を聞かずに一方的に追い出した。

ごめん…… 翔太はどうしたかった?」


 まだこの人は自分の気持ちを抑えてる。

 過去形で聞くのはそう言うことだ。


「……現在形で言わせてもらってもよろしいですか?」


「……うん」


「私は、この会社で皆さんと仕事がしたいです」


 何も言わずに微笑んでくれた。


「私は、社長の貴方の秘書でいたいです」


 瞳が揺れた。


「……蓮見さん、俺はそう簡単には死にません。怖がりすぎです」


 かつて俺を助けるために手をつかもうとしたこの人は、今度は俺の為にって手を離した。

 でも、俺は離してほしくない。


「俺の幸せ不幸せ、勝手に決めないでください。

俺は現世でも、健一さんの傍にいたいです」


 俺の幸せは、俺が決める。


-------------------------------------------------------------------------

「ありがとう、翔太」


 これでも、俺を解放するっていうんだろうか、この人は。

 でも、この人の意思は尊重したい。


「……聞いてもいい?」


「はい。何なりと」


 健一さんは右手を差し出し、キリッとした態度と口調で言った。


「梅村翔太君。我が社の社員に、私の秘書になってくれますか?」


 嬉しい。

 答えは決まってる。


 差し出された手を握った。


「はい。喜んで。お願い致します」


 ホッとした、嬉しそうな笑顔だった。




 かっこいい社長、の姿は一瞬だった。


「お義兄さんに謝って頭下げないと……」


 不安げだ。


「頑張ってください」


「『梅村君を僕にください!』って言った方がいい?」


「……何を仰ってるんです?」


「……ごめん。ふざけた。……でさ、いつから来られる?」


 笑ってしまった。


 ほんの少し前、俺を拒んでガン無視したのに、

俺を解放するだなんてカッコつけてたくせに。


「秘書特訓卒業試験に合格して、ヘブンスの退職手続きしてからです」


「わかった。こっちはどうにでもするから、早く受かって早く辞めてきて」


「頑張ります」


 明日からのヘブンス勤め、やる気が出た。



「……わがまま、言ってもいい?」


「なんですか?」


 健一さんの右手が俺の頬に触れた。


「……俺より先に逝かないで」


 ほんとにわがままだ。


「……健一さんこそ、前みたいに早く俺を置いてったら、絶対に許しませんから」


「……お互い頑張ろ。おじいちゃんになるまで」


「……はい」


 二人で笑い合った。



 健一さんの目が俺を真っ直ぐ見てくれる。


「もうひとつ、わがまま言ってもいい?」


「なんですか?」


 両手で俺の顔を挟んだ。


 この人はやっぱり俺の顔を触るのが好きらしい。

 でも、俺はこうやって触ってもらえるのが嬉しい。

 この暖かい手が好きだから。


「……死ぬまで絶対に離さない」


 死ぬほど嬉しい。

 手に手を重ねた。


「……一生健一さんの傍から離れるつもり、無いです」


 健一さんは柔らかく微笑むと、俺をしっかりと抱きしめてくれた。


「翔太」


 俺もその身体に手を回し、抱き返した。


「健一さん」



 俺の太陽は、健一さんだ。



<完>

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