過去2 惨劇
前回のあらすじ
魔女πに導かれたルスキニアは月斗の過去を覗く。
幼い月斗は悪魔ベリトに騙され、惨劇への扉を開いてしまう。
「さあ、本当の儀式の始まりだぜ!」
ベリトの声に、もっとも大きく広がっていた裂け目のひとつが臨界点を超え、世界の皮膜がシャボン玉のように割れた。
誰かがあげた警告の叫びが月斗の耳に届くのと同時に、裂け目から筒状の肉塊が飛び出し、門を抑えこもうとしていた術者の女性を頭から飲み込んだ。
「晴恵おばさんっ!」
食いちぎられた足首だけがその場に残されていた。肉塊は芋虫のようにのたうち、逃げ遅れた人間を叩き潰す。
「うあぁぁあああああ」
他の裂け目からも次々と魔物が飛び出し、門を閉じることに手一杯で無防備な人々に襲いかかる。
護符で結界を張ろうとした女が空中から飛来した四本足の巨鳥が吐き出した酸に半身を溶かされた。
兄弟を庇った男が炎の腕に抱き込まれ後には人型の墨が残った。
絶望の悲鳴とともに中年の男が青白い触手に腸を食い散らかされた。
黒い霧に巻き込まれた女性が全身の毛穴から血と蛆を噴き出し倒れた。
「やめろ……」
ひと所に逃げ結界に守られている子供たちの前に、眼球のないロバが立っていた。
ロバは嗄れた老人のような声で鳴くと光の壁を素通りし、その結界を作っている呪札を食べ始める。
男の子が止めようとすると、ロバはその手に噛み付いた。男の子はガクガクと震え失禁すると、血走った目で苦しそうに喉をひっかく。皮膚が破れ血が出て肉が裂けても手は止まらず、ついには自らの喉を潰してそのまま倒れる。
その間にもロバは別の呪札を食べ終え結界は消え去った。
守るものがなくなった震える子供たちを悪鬼の群れが襲う。
まるで着せ替え人形の手足をもぐように、小さな身体が垢まみれの爪に引き裂かれた。
悪鬼たちは刈り取った頭を砕きその中身を啜り、千切った手足にかじりつき肉を頬張る。
「あぁぁあぁああ! なんでぇえぇ! もうやめでよぉおおおおおおお!」
「いいね~、そのシャウト! オレ様の魂にビンビンくるぜぇ~」
ベリトは飛んできた女性の太ももを掴むと、ギターを掻き鳴らす真似をしながら激しく腰を振った。
術者の数が減り惨劇は加速していく。抑えのなくなった裂け目からは次々と神魔が現れ、空と大地を絶望で満たす。
その元凶たる月斗にベリトは近づき、にやりと笑いかける。
「なに泣いてんだ、マイフレンド。お前の大っ嫌いな屑ゴミどもが、本物のゴミ屑になって血だまりのゴミ箱に叩きつけられてるんだぜ。愉快痛快に笑っちまえよ!」
ベリトは親しげに月斗の肩に手を乗せると、耳元で囁く。
「お前の力はまだまだ価値がある。つまんねえ人間なんてやめちまって、こっち側に来いよ」
「い、いやだ!」
月斗は涙をちぎるように首を振り、ベリトの手を振り払った。
よろよろと大げさに後ずさったベリトは、ぐるりと首を回す。
「まあ、急な別れで凹んじまってるから、ちいとばかしアレなんだろ。アレ。でも大丈夫だ。オレ様に身を任せれば、世界をぶっ壊した後悔も最高の昂ぶりに変わるぜ。その後はもう楽しいだけのバラ色の人生だ!」
「お前の仲間になんてなるものかぁあああ!」
激高のままに印を結んだ月斗は、ベリトに向かって両手を突き出し光の独鈷を飛ばした。
ベリトは飛来する光の独鈷を事も無げに掴むと、ゆっくりと握りつぶした。
「……嗚呼、悲しいぜマイフレンド。鍵が手に入らないってことは、めんどくせえ錠前ごとぶっ殺さなきゃならねえってことだ」
右手で目元を覆い大げさに落胆してみせたベリトだったが、おもむろに振った左手の爪が刃物のように伸びていた。
震える脚を無理やり動かして後ずさる月斗に、ベリトは軽い足取りで近づき凶悪な爪を向ける。。
「月斗から離れろっ!」
銀光が閃き月斗を襲おうとしていた赤い爪がまとめて断ち切られた。
「兄さん!」
刀を構えた兄の陽爻が、月斗を背中にかばい、ベリトとの間に割って入った。
「こいつは俺に任せろ! お前は門を閉じるんだ!」
有無を言わせぬ力強さで命じた陽爻は、すさまじい殺気をベリトに向かって放つ。
「無理無理無理、そして無意味だねー。世界が融合する前にここいらの奴らはみんな死ぬ」
「そんなことはさせない、我が身に宿れ武御雷!」
陽爻は得意の憑依術で雷の力をまとうと、裂帛の気合を放ち突っ込んでいく。
「チッ」
力の凄まじさを感じたのか、ベリトは後ろに飛び退り斬撃を躱す。
虚空を斬ったかに見えた刃だったが、迸った雷撃がベリトの右腕を焦がし爛れさせていた。
「待っててくれよ、マイフレンド。大嫌いな兄貴と仲良く死体を並べてやるからな!」
「死ぬのは貴様だ!」
ベリトは繰り出される刃から逃れ、背後の森へと下がっていく。陽爻もそれを追い、木々の間を駆けていった。
二つの大きな力と入れ替わるように、今度は森の直上の裂け目から、一対の白い光と黒い炎が絡みあうようにして飛び出してきた。
『ちょっといつまで追ってくるのよ、しつこいわね! 人間世界の管理者を気取るなら、なんかわけわかんないことになってる時空間をどうにかしなさいよ!』
白と黒は激しくぶつかり合い破壊の波動を放っていた。すれ違っただけで馬の妖かしが消し飛び、裂け目から伸びていた巨大な手に風穴を開けるほどだ。
『私に与えられた命令はあなたの追跡と抹殺です。現在遭遇している事態は管轄外です』
放たれた白いレーザーと赤黒い炎が干渉し合い、上空の空間が歪む。逸れたレーザーが神社の背後にそびえる山の頂を吹き飛ばし、曲げられた赤黒い炎が陽爻とベリトが戦っている鎮守の森を燃え上がらせた。
支えを失った裂け目たちは広がり続け、さらに強力な神魔を呼び込み始めている。
抗うはずの歴戦の術師たちは悲惨な躯となり累々と転がっていた。どこからか湧きだした餓鬼や小型の魔獣が、その屍肉をあさり魂すらも汚そうとしている。
まさに地獄、まさに終末という光景を前にし月斗は力なく涙をたれ流し、立ち尽くしていた。
「兄さん、門を閉じる方法がわからないんだ……。このまま僕のせいでみんなが……」
つぶやく月斗の頬をぎこちない平手が打ち据えた。
「何を情けないことを言っているのです、月斗! それでも草薙家の男ですか!」
叱り飛ばした母は、月斗がいままで見たことがないほど凛とした表情をしていた。普段は柔和な母の激した声に月斗は呆然とする。
「母さんの言うとおりだ、月斗。お前が責任をとらねばならん」
重々しく言った父は腹に内臓が見えそうなほどの重傷を負っていた。しかし、その目は未だ力を失わ
ず、声は威厳に満ちている。
「父さん、母さん……責任ってぼくはどうすれば……」
両親の言葉に希望を見出した月斗の精神は、ぎりぎりの所で踏みとどまった。
「時間がない、始めるぞ慶子」
「はい、太一さん」
二人は質問には答えず月斗を挟む形で、それぞれ二メートルほど離れ印を結んだ。
「「十二天将陣!」」
ぴたりと重なる掛け声に十二角形の陣が月斗を囲みこむ。
「始めるってなにを?!」
突然のことに月斗は戸惑った。両親から並々ならぬ危険な決意が感じられたからだ。
「玄武!」「天乙!」「青竜!」「六合!」
父から母へと掛け合いが始まった。北の玄武から始まり、それぞれが司る方位に対応する結界の十二の頂点が力ある声に呼応し、光の柱を上げていく。
「匂陣!」「騰蛇!」「朱雀!」「太常!」
「ねえ何するつもりなの! 答えてよ!」
月斗は声を枯らして叫ぶ。ただ事ではない力の高まりが伝わってくる。
術者の端くれである月斗には、二人が危険なほどに霊力を引き絞っているのだとわかってしまった。
「白虎!」「大陰!」「天空!」「天后!」
ついに十二本の柱が揃い、まばゆい光が異界と化した周囲を照らし出す。
「十二天将よ、我らが命をもって!」
母の声が響き――、
「あまた異界への扉を封じ込めたまえ!」
父の声が結んだ。
光の柱が結界ごと急速に狭まり、月斗に迫り始めた。結界の面積が狭まるのに同調し、周囲に百以上も存在する裂け目が一斉に閉じ始めた。
「これって? ぼくの中に封印が?」
ちっぽけな魂を依代として、封印が形作られていくのが月斗にもはっきりと分かった。
不甲斐ない自分に代わって、父と母が事態を収めてくれたのだ。
顔を上げた月斗は感謝を口にしようとした。しかし、その言葉は喉元から先に出ることはなかった。
「生きるのよ……月斗……」
「それが……お前の贖罪だ……」
張り詰めていた糸が切れるように、二人は崩れ落ちた。伸ばした手は狭まる結界の光に阻まれ虚空すらもつかめない。
「父さん、かあさぁああああああん!」
極彩色の仮面の邪霊が父の首を刈り取り、上空から舞い降りた獅子頭の鳥が母の肉体を鉤爪で切り裂きその肉をついばみ始めた。
「ああぁあああああああああああああああああああ!」
意味を喪失した絶叫が喉の痛みを伴い、膿みのごとく溢れだした。
その絶望の匂いを嗅ぎつけたのか、赤い影が森から飛び出してきた。
「チッ、あがきやがって人間が!」
ぎょろりと動く眼球で狭まる結界と裂け目を確認したベリトは焦りに口元を歪ませると、月斗に向かって駆け寄ってきた。
「封印が定着する前に依代さえ、ぶっ壊しちまえば!」
ベリトは両手を振り、ぼろぼろに折れていた爪を生え換わらせた。
封じの術は未だ完成せず、狭まった光の結界は月斗の動きを封じていた。
逃げることも、戦うこともできない。
「ごめんなさい、僕にはっ!」
死を覚悟した月斗は責めて恐怖だけは表に出すまいと、ベリトを睨みつけた。
「さよならだ、マイフレンド!」
突き出される爪。鮮血が飛び散る。
月斗に痛みはなかった。
「がぁっっ!」
飛び出した陽爻がベリトの左手を切り落とし、右の爪をその身体で受け止めていた。
「兄さん!」
陽爻の左胸を貫いた爪を伝わり、月斗の目の前に兄の血が糸をひくように滴っていた。
「邪魔するなゴミが!」
ベリトは爪を引き抜こうとするが、そうはさせまいと陽爻がその左腕を掴んでいた。
「すまん、月斗……守ってやれなくて……」
血に濁った声が妙にはっきりと月斗の耳に届いた。刀を放した右手が弱々しくも印を結ぼうとしていた。
「兄さん、やめて! お願いだ、逃げてぇえええ!」
「貴様ぁあああああ!」
激高したベリトが折れた爪で陽爻の喉元を突こうとするが、それより先に術が完成する。
「爆ぜろ、火之迦具土っ……」
小さなつぶやきとは裏腹に、膨大な力が噴火のごとき爆炎となってベリトを、父と母の死体をあさる魔物を、そして神社さえも飲み込んだ。
荒れ狂う炎の中で結界を作る光の柱は月斗に重なっていった。
魂に封印が刻まれ裂け目が次々に消えていく。
星の瞬く夜空が人の世に戻りつつあった。終末をもたらす危機は去った。
しかし、月斗にとってはもはや大きな意味をもってはいなかった。
「にい……さん……」
泣きたいのにこれ以上の涙が出ない。それでも兄を弔いたいと、月斗は結界に転がり込み炭にならずにすんだ兄の右腕を掴もうとした。
「やりやがって! あの糞ゴミ虫がっ!」
罵声とともに焼けただれた右腕が地面から飛び出し、月斗の喉を掴んだ。
兄の死をもってしても悪魔ベリトは倒せなかった。
月斗に刻まれた封印はどうなってしまうのか。
次回は明日の18時頃、投稿予定です。
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