過去1
前回のあらすじ
屋敷で迷子になったルスキニアは、魔女πに導かれ秘密の研究所へ。
そこは月斗の過去へと繋がる場所だった。
「我はπ。月斗の、そうじゃのぉ、保護者のようなものじゃ」
πと名乗った女の子はパイプを燻らせた。
案内してくれた時の幼さは微塵もなくなり、卓見に富む賢者のような凄みを感じる。
見た目こそ小さな女の子だけれど、下界に降りたばかりのルスキニアより人生経験が豊かなことが所作から伝わってくる。
月斗さんのご両親とお兄さんはすでに亡くなったと聞いている。古くからの家ということは、親戚なのかもしれない。
「どうして、ここへわたしを連れてきたのです?」
「そなたに月斗の過去を教えてやろうと思うてな。あやつがどうして今のようになったか知りたいじゃろ?」
寝台の脇に置かれた機械の腕を、πは指先で撫でながら言った。
「それはもちろん知りたいのです……でも……」
ルスキニアは視線を落とし自分の指先を見た。すぐにでも飛びつきたい話だけれど、ご両親とお兄さんのことを教えてくれた時の川岡さんの重い表情が脳裏をよぎった。
「躊躇うことはないのじゃ。そなたがもっと月斗と仲良くなりたいのならば知っておくがよい」
πは寝台の後ろに向かってごろんと転がり降りると、部屋の奥に向かって歩き出す。戸惑いながらルスキニアもその手招きに応じた。
奥には一抱えほどある大きな壺が置かれていた。透けるような茶色で、温かみのある不思議な質感をしている。蓋の部分は赤い紙で封がしてあり、その上から縄が巻かれていた。
「あやつの魂を一時的に保存しておいた琥珀浄瓶じゃ。記憶の残滓が見れるぞ」
πがフーっと紫煙を吐きかけると、壺の口を縛っていた縄が解け、赤紙の封が溶けるように消える。封と呼ぶには心もとない木蓋だけが残されていた。
「さあ、開いて中を覗き込むのじゃ」
頭の後ろが痺れるようなπの言葉に促され、ルスキニアは木蓋に手をかけた。
取り返しのつかないことをしているのではないか。
心が警鐘を鳴り響かせながらも、手は蓋の重みを感じていた。
「あれ? なにも入ってませんよ」
壺の中は空だった。πにからかわれた。
そう思った次の瞬間、壺の奥で小さな光が灯り、その粒がヒュンとルスキニアの鼻の穴へ飛び込んでいった。
「んん?!」
反射的にルスキニアが鼻を摘むと、視界がくるくるチカチカと動転を始め意識が遠のいていった。
そこは地図に乗っていない隠れ里。
深山幽谷に囲まれ、資格なき者は決して辿りつけぬよう結界に守られていた。
もとは都での政争に敗れた陰陽師の草薙家当主が一族郎党を連れ移り住んだ地である。
里に住む者達は全て草薙家に連なる者達であった。類まれなる力を持った彼らは代々魔物退治や卜占を生業とし、再び国の裏側から政に関わるようになっていった。
しかし、武士の世から銃弾飛び交う戦争と時代は流れ、不便な里に住む者は少ない。
それでも数年に一度だけ草薙の一族が集まる日があった。小正月である1月15日、その年に11歳を迎える子供が一族の前で霊力を示し、正式に草薙家の一員と認められる元服の儀式だ。
その年に元服を迎える者は二人いた。
ひとりは草加家長男の信彦、そして草薙家次男の月斗である。
洋の東西を問わず術を取り込んでいる草薙一族にあって儀式で披露する術は問われないが、本家筋だけは降魔の術だと決められていた。
儀式は草薙家の氏神である倭健命を祀った里の社で行われる。
本家筋の者が元服するということで、いつになく多くの人間が集まり里は賑わいを見せていた。
式当日の夕刻、それまでの飲めや歌えやのお祭り騒ぎは一転し厳かな雰囲気のなかで行われる。
まず前座である草加信彦のお披露目がつつがなく進行し、トリである月斗の順番が来ようとしていた。
控えの間で待機していた月斗は、ぐっと拳を握りしめたまま用意された水も飲まず、一点を見つめていた。
三日前からの穀断ちと湧き水で身を清めたことで霊的な力が高まっていることも相まって、高揚感とも緊張感とも判然としない心持ちだ。
「大丈夫だ月斗、キミなら式をやり遂げられるよ」
猫と鼠を混ぜたような姿をしている飴色の毛玉が月斗に喋りかけた。
「そうだね、スネコスリ。いっぱい準備したもんね……」
月斗は震える指先でスネコスリの背中を撫でた。ゴワゴワした毛が指の動きにあわせて渦を描く。
外から感嘆混じりのざわめきが聞こえてきた。どうやら草加家長男は無事にイッポンダタラを降魔し、操ってみせたようだ。降ろす神魔は事前に知らされているので観客も驚きはないが、それでも新たな術者の誕生に喜びの声は漏れてしまう。
「月斗様、そろそろご準備お願い致します」
ふすま越しに神主が聞こえてくる。月斗は分かったとだけ答え立ち上がる。
なれない狩衣に裾を踏んづけて転びそうになるが、なんとか堪えた。
「じゃあ、いってくるね」
振り返った月斗はスネコスリに言った。
「キミの才能は誰よりも素晴らしい。さあ、今からそれを証明して、取り巻く世界を変えてくるんだ」
スネコスリの言葉に背中を押され、月斗はふすまを力強く開けた。
控えていた矢薙に案内され、月斗は神社の正面に向かう。
途中で式を終えた信彦がやってきた。すれ違いざま彼は月斗へだけ聞こえる声で「本家さまのお手並み拝見だな」と揶揄するように言った。
廊下を回りこんだところで、松明に照らされる人々の姿が見えてくる。叔父や叔母、分家や里に住む人々の視線が月斗に注がれる。
彼らは本家次男である月斗の晴れ舞台を見るためにこんな不便な場所までやってきたのだ。
全員が月斗の不出来な実力についての噂を知っている。向けられた表情は心配そうであったり、不満そうであったりと、あまり好ましいものではない。
ただ最前列にいる母と兄は励ますように笑みを送ってくれた。
舞台脇に立つ父の横顔はいつもの通り厳しいものだ。
お披露目は神社の前に作られた正方形の舞台で行われる。一段高くなった木造で朱く塗られている。四隅には松明が掲げられ舞台上を明るく照らしていた。
宵闇おりる逢魔が時、月斗は段差を一歩ずつあがり舞台上に進み出た。
森からの風が冷たく頬を撫でていく。
月斗が中央に立ったところで、父が口上を述べ始めた。
「此度はお集まり頂き御礼申し上げます。これより次男、月斗が皆様の前でその力をご披露いたします。まだまだ若輩ゆえたいしたものではございませんが、何卒お見届け頂けますようお願い申し上げます」
朗々たる紹介の挨拶が終わると、月斗は小さく深呼吸をして「できる」と自分に言い聞かせた。
人々が見守る中、月斗は両手で印を結ぶ。両の人差し指と親指を先端で合わせ、中指から小指までを内側に折り込むようにする。
独鈷の印から別の印へと変化させていく。交差する指、絡ませる指、その形が内なる霊力に方向性を与える。簡単な式神程度は、実力者なら印ひとつでも呼び出せるのだが、月斗の結ぶ印は20を超えても続いた。
「月斗、何をしている!」
真っ先に異変に気づいたのは父だった。降魔のための印にしては過剰だ。
本家当主の叱責に他の参列者たちも、どよめき始めた。
月斗は儀式を止められてなるものかとさらに手の動きを速め、印を結び続けながら父に答えた。
「僕の力がっ! 兄さんや父さんにも負けないってことを! これでっ!」
最後に両の掌を手を胸の前で打ち合わせると、一陣の風が吹き抜け爆ぜるように燃え上がった松明が激しく火の粉を撒き散らした
「認めてもらうんだぁあああああ!」
月斗はその手を星々の輝きが舞い始めた空に向かって高々と開いた。
夜の幕が裂けるように、空間に亀裂が走った。
ひとつやふたつではない、天に張り付く星々を消し去るように十、二十、百とその数を次々に増やしていく。
千年以上続く儀式の歴史において、一度として記されていない異常事態に場は騒然となっていた。
「ほら見てよ」
月斗の声が弾む。自分を侮り陰口を叩いてた連中を黙らせるのは、最高の気分だった。
今まで遊んだどんなゲームよりも楽しく、どんな映画よりも興奮する。
もっと見せてやろうと血が滾っていた。
「この裂け目ひとつひとつが別の世界に繋がっているんだ」
月斗が人差し指と中指を向けると、裂け目のひとつが大きく広がった。その内側から一本足の青黒い牛が現れ、上下に跳ねるようにして空を飛び回った。
牛は雷鳴のような声で鳴くと、別の裂け目へ吸い込まれるようにして消えた。
「お前の力はよく分かった!」
舞台に向かって進み出た父が怒鳴る。
その言い方に月斗はムッと眉を寄せたが、父が脅威に感じているのだと分かりすぐに気を取り直した。
「すごいでしょ。三千世界の全てに通じてるんだ!」
「ああ、素晴らしい力だ。歴代の当主でもここまで出来た人間はそういない」
あの厳しい父に最大限の賛辞を送られた月斗は、今すぐに叫びだしたいほど内心で喜んでいた。
「だが、これほどの数はあまりにも危険過ぎる。すぐに繋がりを断つのだ!」
父は切羽詰まった様子で言った。異界への門を息子が制御しきれないと思っているようだ。
月斗はまた見下されているように感じ、わずかに声を荒げる。
「まったく、父さんは心配症だな」
とりあえず、一族の連中に力を誇示するという目的は達した。
スネコスリが言ったように、今日から世界が変わるだろう。なら、これ以上無駄に力を使い続けても仕方ない。
「これでいいんだろ?」
月斗は再び両手を打ち合わせると、そのまま指を組み封環の印を作った。
これで門は全て閉じ――。
「あれ……」
封じの力を送ったはずだが、手応えがなかった。
手順を間違えたかと思い、もう一度封環の印を結ぶが門は閉まらない。
それどころか、急速に裂け目が広がりだしていた。
「閉まれよ! しまれぇええ!」
虚しい叫びに応えるように、裂け目から覗く表面が泡玉のように膨れ始めた。
次元の皮膜の向こう側ひとつひとつに力が殺到していた。
悪血のように赤く濁った瞳や緑の炎を滾らす腕、腐った肉を寄せ集めたような触手、黒光りする甲殻。
人間の魂の気配を感じた神魔たちがこちら側に押し寄せようとしてた。
「この数の門が一度に開けば人間界は災禍に沈む! 全員で押さえ込むのだ!」
騒然としていた列席者たちも、当主の言葉に動き出す。
全員が魔物退治を生業にする者ではないが、幼き頃にその資質は開花させている。霊力を高め印を結ぶと、異界への門に向かって封じの力を送り込んだ。
「ぐっ……」
常人ならざる霊力の持ち主がおよそ百人。それに対する門の数は三百を超えていた。命を削るが如く苦悶の形相で力を使い続けたが、均衡を保つことすら困難だった。
「あ……あぁ……」
今まさに崩壊の時を迎えようとしている世界を前に、月斗は立ち尽くしていた。
動転した頭の中は恨みごとしか吐き出せないでいた。
「なんで! どうして! 教えてもらったとおりにやったのに、なんで閉じないの?!」
「キヒヒ、水の押し寄せる堤防と同じだ。一度穴が開いちまえば、人間ごときの力で簡単に閉まるわけがないだろ!」
嘲った答えは足元から聞こえてきた。月斗はその声にハッとして視線を落とす。
「なっ、なに言ってるのさ、スネコスリ。それじゃ、最初から失敗する可能性があったみたいに……」
月斗の縋りつくような言葉を、魔物は大口を開けて笑い飛ばした。
「イヒヒヒヒッ、可能性じゃねえよ。力を利用されたってわからねえのか、マイフレンド。才能があっても、それを使うだけの用心深さがちいと足りなかったな!」
スネコスリの背中が鉈で斬られたように割れると、飴色のゴワゴワとした体毛がズルリと剥け黒い影が姿を表した。影は高さ180センチほどの大きさになると人間の輪郭をとり固まった。
「それとな、オレ様の名はベリトだ。いつまでも下等な妖怪と一緒にするんじゃねえ」
現れたのは猫背の男だった。
場違いな真っ赤なスーツ姿をしている。黄金を思わせる瞳の色をしていて、はっきと分かるほどに右の目だけがぎょろりと大きかった。
「さあ、本当の儀式の始まりだぜ!」
もっとも大きく広がっていた裂け目のひとつが臨界点を超え、世界の皮膜がシャボン玉のように割れた。
元服の儀式で一体何が起こってしまったのか。
次回は明日の18時頃、投稿予定です。
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