第19回 民の笑顔、国の宝
第二章 過去の清算と訣別
「お屋形様、一揆軍との戦いは、インフェリス側が圧倒的な勝利を遂げましてございます」
「ほう……、兵力差は倍以上と聞いていたが、何か秘策でもあったのか?」
家臣の報告を聞いた男は興味深げな顔をした。ここは城の王室である。国主である男は木製の地味な、そこら辺の食堂にある安物と同等の椅子に座っていた。あまり贅沢を好まないようで、王室自体はそれなりに広いが煌びやかな調度や飾り気はなく、質素な感じがする。
国主は年の方は五十代半ばほど。それまでの人生が苦労の連続であるかの象徴のように、頭は真っ白なもので埋め尽くされている。二メートルほどもあるガッシリとした体に、傍らには大振りのグレートソードを帯びていた。堂々とした佇まいと精悍な体つき、そこから滲み出る貫禄が年齢的な衰えを見事なまでに払拭している。逆に言えばまだまだ現役として、第一線で動けるほどの余力を備えていた。
「はっ。実は王女で、次期王位継承者であるメルフィという少女が帰国し、一揆軍鎮圧の際に大健闘したそうでございます」
「何! メルフィが戻ったのか!」
男は思わず椅子から立ち上がった。反動で椅子が倒れそうになる。
「いかにも。それともう一人、どうやら陸上人のようなのですが、シオザキ リュウセイという少年が、此度の戦におけるインフェリス軍を指揮したとのことです」
「ほほう、メルフィに続いてもう一人の強敵か。こりゃますます面白くなって来そうだな。そのリュウセイという小僧、なかなかの知略者ではないのか」
「詳細はまだ分かりませぬが、全指揮をとったことから並の者ではなさそうです」
男は艶のある顎をなでた。そして、一呼吸の間、目を閉じる。
「そのリュウセイという小僧、もっと詳しく知った方がいいな……。よし、インフェリスに忍びを放て。その小僧がどういった人物か徹底的に調べてくるのだ」
考えがまとまったのか、男は目を開けた。
「はっ」
小さく返事をすると、家臣は王室を出て行った。後には静けさだけが残る。
「メルフィに、そのリュウセイという小僧……。ゆくゆくは俺と戦うことになるだろうな。今から腕が鳴るわい」
男は根っからの武人であるのだろう。愛刀であるグレートソードの柄を力強く握った。
「今回の戦で勝てたのは、龍星様のおかげですわ!」
評定の間で家臣一同を集めた涼夏は、龍星を褒め称えた。家臣全員から羨望の眼差しが降り注ぎ、思わず龍星はたじろいでしまう。
「ああ、いや……、別に俺などは……」
手を振って否定するが、逆に謙遜と受けられてしまったようで、家臣達の龍星を見る目がますます絶世の美女を眺めるようなものになっていた。
これまで、ほとんど他人と接して来なかった龍星は、こういう雰囲気が正直苦手であった。上がり症というわけではないが、大勢から一斉に見られるというのはどうも肌に合わない。
「龍星様、今回の一番の功労者は貴方なのです。もっと胸を張って下さいな」
涼夏は口に手を当てて笑った。緊張感がこの笑顔でいくらか和らぐ。
「ああ……、っと、たまたま上手く行ったようなものですから、次も上手く行くとは限りませんが、まずはお疲れ様でした。あの作戦は皆さんあってのものです」
龍星はあまり天狗になりたくないので、穏便にその場を済ませるべく、労いの言葉をかける。しかし―、
「おお! 我らにあのような言葉をかけて下さるとは!」
「さすがシンシア様がお連れしただけのことはある!」
「これで我が国は安泰だ!」
などと、ますます家臣達は感銘を受けた。龍星はもう苦笑いをするだけであった。
数日後、龍星は涼夏と共に自分達が設立した施設に来ていた。裏通りで路上生活の人々に、住まいと食事を提供する場所である。もちろん、風呂のようなものもある。
「浮浪者がいるということは、それだけ治安が悪化し、政治も混乱している裏返しですわ。善政とはこのように、民一人一人を大切にする心構えから始まるものだと思っています」
涼夏は現場を見渡す。地べたにわらで編んだ敷物を敷いて、長方形のテーブルについている浮浪者達に、二十歳くらいの若い女性達が食事を振舞っていた。
与えられた浮浪者達は皆、いい笑顔で「ありがとう」と言っている。
「ありがとう、と言える人に悪人はいませんわ。あの方達は、本当は心が清らかですもの」
龍星は涼夏の心の広さに感動した。ただ単に書物を読んだ知識を発揮すると言うのではなく、涼夏の民に対する慈悲深さが感じられる。
「こうして生きる活力を身につけ、また社会に復帰して頂きたいのです」
「いや、立派立派。まさに君主たる者の器だね」
「別に……、当然のことをしたまでですわ」
涼夏はほめられてくすぐったいのだろう、視線を合わせようとはしない。
「いや、猛将好きの君のことだから、闘技場でも建てたりするのかと思ったよ」
と、思わずからかう。
「龍星様、そのお言葉はだいぶ勇気ある発言だと言うことがお分かりですか?」
にこやかな表情の涼夏だが、拳をボキボキ鳴らしながら言うその様は鬼気迫るものがあった。
その後、二人は城下町を歩いていたが、どこか落ち着かない。自分達の服装である。
このインフェリス王国は、某有名RPGを連想させる異世界である。要するに西洋ファンタジーの世界であるのだ。当然着ている服もそれにちなんだものになる。対して自分達は学校の制服なのだ。ここが自分達と同じような世界であれば特に気にならないが、先ほどから龍星はすれ違う人々の視線が気になって仕方がなかった。
「いかがされました?」
自分の仕草に気づいたのだろう、涼夏が妙な目で見る。
「いや、何だか……、こう……、俺達浮いてないか?」
実際、涼夏も服装の点でかなり視線を受けていたのだが、見られてもまるで気にしてないようで、平然と往来を歩いている。
「気にすることありませんわ。さ、行きましょう」
と、そこで涼夏が自分の手に腕を絡めてきた。その瞬間、傷に触れ再び痛みが走る。龍星は苦痛に思わず顔を歪めた。
「ああっ! ごめんなさい、わたくしったら……」
慌てて離れる涼夏。そして、龍星は傷の痛みで再び命のやり取りをする場所に来ているという現実を知らされ、またもや沈痛な表情になった。
「龍星様?」
涼夏が不安げな表情になる。
「いや、何でもないよ……」
この世界に来た以上、この前のような戦いよりも遥かに大きな規模の戦いが繰り広げられるだろう。死が身近で、昨日の友が今日の敵であるこの世界。龍星は軍師として今後もうまくやっていけるかどうか、急に不安になった。
「大丈夫ですか、龍星様?」
涼夏の声で我に返る龍星。確かに不安は尽きないが、いつまでもマイナスの感情に打ちひしがれているわけにはいかない。それに、凹んでいる様子を涼夏には見られたくなかった。
「ああ、すまない。大丈夫だよ」
それに涼夏の声を聞いていると、不思議と不安が和らぐような気がしたのだ。傷の痛みと心の痛みに対して、一番の特効薬は涼夏の優しさと笑顔であるような感じがした。
「メルフィさま~」
涼夏は自分を呼ぶ声に顔を上げた。幼稚園児くらいの女の子が駆け寄ってきて、涼夏の足にしがみついた。人懐っこい子らしく、涼夏にしがみついたままニコニコしている。
「とっとと……、元気ですわねー」
涼夏はその女の子を抱き上げた。女の子は涼夏を王女ではなく、姉のように思っているのだろう。姉に懐く妹のようにキャッキャッとはしゃいでいる。そこへ女の子の母親がやって来た。
「あら、王女様。どうもすみません……」
一介の平民が王族に抱っこしてもらうなど分不相応だと思っているのだろう、母親が申し訳なさそうな顔をする。しかし、涼夏は特に気にも止めている様子はない。
「よいのです。わたくしは王族や平民といった身分による優劣は嫌いですもの。むしろこうして私に懐いて下さって嬉しいですわ」
そう言う涼夏は女の子と共に笑顔になっていた。子供と接する涼夏の笑顔……、その光景はどこから見ても立派な目の保養になるだろう。涼夏は武将としての素質にも長けているようだが、保母さんのような大らかさも有しているように思えた。
女の子は龍星にも両手をバタつかせてきた。突然のことに思わずたじろぐ。龍星は一人っ子であるため、小さい子と触れ合ったことなどまったくなく、どう接したらいいのか分からない。
「手を握って差し上げればよいのですよ」
涼夏の言う通り手を握る。小さく、ほんのりした温かみが指先に伝わってきた。
「ウー、ウー」
女の子は笑いながら龍星の手をいじくり回す。
「何だか新しい親子みたいですわね、王女様」
「お、親子!?」
途端に涼夏の顔がトマトのように真っ赤になった。
「な、何を言われるんですの! 誰が龍星様のような人と!」
と、自分に人差し指を突きつけ否定した。
「…………」
そんなに強く否定しなくても……、と思ったがこういう状況下では、何かを言えば言うほど泥沼になることはよく分かっている。
「もう! からかわないで下さいませ!」
涼夏は赤面したまま母親に女の子を渡した。
「これはまた失礼しました。でも、今の王女様とこちらの方、とても微笑ましく見えましたよ」
からかい口調ではなく、本心といった感じに母親は言った。
「もう! 行きましょ、龍星様! 失礼致しますわ!」
涼夏に手を引かれ、無理矢理その場を去った。去り際、女の子の方を向くと笑顔で小さく手を振ってくれた。思わず龍星も笑みがこぼれる。
人の笑顔……、いいものだなと龍星はふと思ったのだった。




