黄色の薔薇
兄が国に捕らえられた。王女を弄んだ挙句、身勝手に捨てたという罪で。
そんなことをする人ではないのに、罪をなすりつけられた。
どうしてこんなことに、なんて。私のせいにきまっていた。
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アルエット公爵家は、ヴァンタリア王国の貴族で一番古い歴史を持つ名家だ。
いまの王家には二人の王子様がいて、二人の母は正妃様と第二妃様と、それぞれ違う。
この国では長男が王位継承権1位になるが、著しく優れていた第二王子が王位を継いだ例もある。一つしか年が違わないこともあって、二人のどちらが王位に就くかというのは、多くの思惑が巡らされることになった。二人の婚姻相手は長らく決まっておらず、候補となりうる娘はみんな婚約者も決めず、王家から声が掛かることを待っていた。
私は――アーリエ・アルエットも、その一人だった。皆と違ったのは、アルエット公爵家の娘である私は、王子の妻となることを望むのではなく、正妃か側妃かはともかく、どちらかの妃には確実になるだろう、ということだけ。
私が特別なわけではなく、優れているのでもなく。アルエット公爵家の後ろ盾には、それだけ価値と力があった。
そんな立場だからだろうか。
例えば友人達とのお茶会で、王太子のハーゲン様と第二王子のクロード様の、どちらが素敵かと話すとき。どれだけ親しい友人達に眉目秀麗な王子様たちの素晴らしいところを挙げられても、どちらの王子様の妃になりたいとも、一度も思えた事はなかった。
だってもし、王子様の片方を好きになって、なのにもう一人と結婚することになったなら。私は抱えた恋心を、どうすれば良いのだろう。感情は急に捨てられないし、夫の兄弟に焦がれるなど、なんて寂しいことだろう。
何よりも夫となる方に失礼だ。家族にも迷惑をかけるに違いない。
私の家族は、両親とたった一人の兄は私を愛してくれているし、私も両親と兄を愛している。あの人たちを心配させたくないと、心から望んでいる。
年とともに自分の立ち位置を理解した。夫が決まるその時までアルエット家の令嬢として相応しく振る舞い、決まればその方を愛せるように努めるべきだ。
そう決めたのは十五歳の、デビュタントの直前だった。
それから四年が経った、春のころ。ある夜会に呼ばれた。
季節外れのその夜会は、シュナイザー家という王太子様の側近の方の家が主催したもので、アルエット家で私だけに招待状が送られていた。
送り主は何度か舞踏会で顔を見たことはあったけれど、大して話した覚えもない。家族に相談すると、兄は招待状を三度読み返して、眉を寄せた。
「夜会の誘い自体はともかく、主催はこいつか。あんま評判が良くないんだよなぁ」
「そうなの? でも、王太子様の側近をなさっているんでしょう。なら、問題ないと思ったのだけれど」
「それは王太子が……。いや、やめておこう。アーリエはどうしたい? いつも勉強とかいろいろ頑張っているし、この夜会が気晴らしになるなら、参加するのも良いと思う。もちろん不安なら、俺がついて行くから」
「ありがとう、お兄様。なら、お願いしてもいい?」
もちろんだ、エスコートは任せてくれ。そう笑いかける兄に、もう一度ありがとうと伝えた。
あんなことになるとは少しも知らず、呑気に。
だからこれは、全て私のせいだった。
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その夜会は、主催者の屋敷で行われるものだった。煌びやかな会場は荘厳な音楽と、夜の花の香水で満ちている。
規模は大きくないし、知り合いも多くない。ホールを見回してすぐ、あることに気がつく。
いつも参加する夜会では、顔を見ない人が多くいた。
たとえばいま三人の男性とにこやかに話しているのは、昨年不貞によって夫と離縁されたと聞いた元男爵家の夫人だし、ホールの隅で口元を隠して何か話している男性は、仕入れてはいけない薬草を仕入れていると騎士団に目をつけられているはずの子爵家の当主だった。
いつもより――。我が家や友人の家で行う夜会よりも、少し空気が違うようだった。兄も同じことに気がついたのか、私にしか聞こえない声であまり俺から離れるなよ、と呟く。頷いて、前を向いた。
――壁にはぽつぽつと肩に届くくらいの大きさの花瓶が置かれて、色とりどりに飾られた花のなかには、必ず黄色の薔薇がある。白く眩く揺れるシャンデリアの光は、きっと炎ではなく魔法によるものだろう。楽団も音楽家の人数に対して壮大で華やかな音を奏でていて、きっと何かの魔法がかかっているか、楽器が魔道具なのだとわかる。
この家は代々王太子様の側近を務めているから、こんなに魔法を使えるのだろうか。そう考えながら、兄の手を取ってダンス・フロアに歩を進めた。
離れるなと言ったのは兄なのに、夜会が始まってしばらくして、あの人は知り合いらしい人数人に連れられて姿が見えなくなってしまった。
一人で壁の花になったとき、私に声をかける人がいた。
「素敵な夜だね、アルエット公爵令嬢。一人かい? ……君とこうやってきちんと話すのは、初めてだね」
目を見開く。
この家が代々王太子様の側近を務める以上、彼がいてもおかしなことではない。
それでもいつの間に、会場に入っていたのだろうか。
王家の方々に受け継がれる金髪と、鮮やかな緑の瞳。華やかな正装に身を包んだこの国の王太子、ハーゲン・シュルヴォル様は、いつの間にか隣にいて、にこやかにこちらに話しかけてくる。慌てて頭を下げた。
「そんなに畏まらなくて良い。今日は無礼講というものだろう? 俺も君も、ただの夜会の参加者だ。どうだい、シュナイザー家のもてなしは。君のお眼鏡には叶ったかな」
朗らかそうに、緑の瞳が細まった。
「とても素敵です、殿下。王家の開かれる舞踏会以外で、こんなに多くの魔法を使っている夜会は初めて参加しました」
「そうか、それは良かった。……アーリエと呼んでも良いかい? シュナイザー家は王家とのつながりが深いからな、王家が与えた魔道具も多くある。よければこの家の魔道具を、見せてあげようか?」
あいつの家は俺の家のようなものだからな、保管場所もよく知っているんだ。にこやかに彼は言葉を続けた。
確かに、魔法を見れる機会は貴重だ。普段は王家が管理していて、関わる機会はそう多くない。
ーーこの国では、一万人に一人ほどの割合で、魔法を使える人間が現れる。多くは十歳ほどで魔法が発現し、彼らは空を飛ぶ、指先に光が灯るなど、常人にはない力を扱うことができる。国はそういった子供たちを集めて、魔法局という専門の部署で働くよう要請する。
魔法士と呼ばれる彼らは国の指示のもとで国内の各地で魔法の力を振るうが、その見返りは破格だ。魔法士たちの長である筆頭魔導士など、公爵家である我が家に比類するほどの富を得ている。
もっとも魔法士は新しい疫病が流行った時には、特効薬を見つけるより早く病を治すことができる。農地を拓く時には地下の水脈をみて、どこを掘れば一番水の出る井戸になるかが分かる。魔力を込めれば唯人の理を外れたことを起こせるような魔法の道具、魔道具を作り出すことだって。
国に与えられる利益より遥かに多くの恩恵をもたらす、それが魔法士という存在だった。
魔法を管理する王家の人間であるハーゲン様が、これを言い出すのはおかしくないのだろう。
けれど――どうしてだろうか。彼の視線が、振る舞いや弧を描く口元が。
すこし、変な感じがする。うまく言葉にすることは出来ないけれど、私のことを値踏みしているような。
「いえ、それは……。ありがたいお言葉ですが、兄も来ているので……」
「なら君のお兄さんには、俺の従者から伝えておこう。彼も魔道具に興味があれば、あとで合流しても良いな」
「そ、の。シュナイザー家の方にも、急に申し訳ないので」
「そんなことを気にしているのか? 俺がしたいと言っているんだ、シュナイザー家が否ということはないよ」
「そ、それでも……!」
「――頑固な女だな。俺が着いてこいと言っているのに」
その声が、目の前の人から吐き出されたと理解するのに、何秒か必要だった。皆に美しいと評される容姿に笑みを浮かべたまま、その表情を少しも変えることなく。彼は侮蔑を吐いた。
そうして、言葉を続ける。
「黙って従えと言っているんだ。どうした?変な顔をしているな、顔色も悪い。……そうだ、少し休んだほうがいいんじゃないか? 休憩できる場所に案内しよう」
そう言って、私の手首を掴んだ。
人に、それも男性に肌を触れられるなんて、こういった社交の場でダンスをするか、兄や父に階段などで手を差し出される時だけだった。一番近しい家族は、いつも丁寧に私に触れる。だから上背のある男性に手首を掴まれると振り解けないことを、初めて知った。
手首が痛む。彼は私を、どこかに連れて行こうと引きずる。足がもつれた。高いヒールでは、立ち止まることすら難しい。
「離、し……。どこに行こうとされているのですか、殿下……!」
「すこし休んだ方がいいと言っているだろう。黙って着いてくると良い」
腕の力は強く、振り解けそうにない。ついにホールを出て、階段に続く廊下に出てしまう。
逃げなきゃ、でもどうやって? 大声を出して、王太子様の気を害したら。どうすれば――。
「アーリエ! ここにいたのか」
聞き覚えのある、兄の声。私たちを追いかけるようにして扉から現れたのは、息を切らせた兄だった。
同じ銀の髪と紫の瞳に、心の底から安心した。王太子様の腕の力が緩んだのを良いことに、振り解いて離れる。そうして庇われて、頭一つ高い背に隠れる。
暗い廊下で、兄と王太子様が相対した。
「チッ……。久しいな、アルエット次期公爵。アーリエは体調が悪くなったようでな、休める場所に連れて行こうと思っていたんだ。ここは俺に任せて、夜会に戻るといい」
「……それはそれは、誰のせいで具合が悪くなったんでしょうね? 王太子であるあなたが、わざわざこんなところまで連れて行ってくださらなくとも良かったでしょうに」
「文句があるのか? それともわかりやすく言ってやろうか、とっとと失せろ」
「あ゛? 人の妹に何かしようとした分際で――」
「い、行きましょう兄様!」
どんどん険悪になる空気。
頭を下げることも忘れて、兄の腕を引いた。
さようならの一言だけで、走るようにその場を離れ、二人で家に戻る馬車に乗った。




