ケイレブ編 8話
「お待たせ致しました~!こちらで当店のケーキ、全種類でございます!」
甘い香りが漂うカフェの中、ケーキで埋め尽くされたテーブルを見て、私はゴクリと唾を飲み込んだ。
声のする方へ視線を向けると、先程ケイレブに頭を下げていた青年が立っていた。コックコートを身にまとい、満面の笑みを浮かべている。
「先程は本当にありがとうございました。お代は結構ですので、どうぞお召し上がりください」
「では、ごゆっくり」と、青年はまたしても頭を下げ、厨房へ戻って行った。
遠ざかる彼の背中から目の前のケーキへ視線を戻す。喉の奥から酸っぱいものが込み上げてきた。
(ゔっ、見てるだけで胃もたれしそう…)
思わず口を手で覆う。
「これ食べ切れますか、ね………」
顔を上げると、向かいの席に座っていたケイレブは、先程と同じように目を輝かせながら、机の上に並んだケーキを見つめていた。
ショートケーキへ手を伸ばし、目の前に置く。
『はいはい、プリン食べられたくらいで喧嘩しな〜い』
『じゃあ、クッキーの件か。悪い、美味しそうだったからつい』
不意にテディとジャックの言葉が脳裏に浮かんだ。
(もしかして、こいつ…)
ケーキの先端に、フォークを垂直に刺す。
手前に倒すように切り取ると、それを口に運んだ。
(めちゃくちゃ甘いものが好きなんじゃ……)
いつもへの字に曲がっている口が、ふにゃりと緩む。その顔を見たら、
「…ふっ、ははは」
つい笑い声がこぼれてしまった。
その声に肩を揺らし、ケイレブは顔を上げた。眉間に皺を寄せ、こちらを睨みつけてくる。
「…んだよ」
「いえ、美味しそうだなぁと思って」
「………は?」
「私も好きですよ、ショートケーキ」
深紅の瞳が見開く。
まるで白湯でも飲んだかのように食欲を取り戻した私は、目の前のケーキへ視線を移した。
(さぁてと、何食べようかな~)
同じ光景のはずなのに、先程とは打って変わって輝いて見えた。
今にも鼻歌を歌い出しそうになった瞬間、
「ん」
頭上から声が聞こえ、またしても顔を上げた。
そこには、
「……やる」
顔を背け、フォークで突き刺した苺を差し出すケイレブの姿があった。
「えっと、苺苦手なんですか?」
「だったら食わねぇわ。つーか、俺に苦手なもんなんてねぇっつってんだろうが」
「では、何故…?」
「………お前がいなかったら、この店に入りづらかったし。そもそも昨日死んでたかもしれねぇし。だから……その──」
苺のように真っ赤な瞳に、戸惑う私が映る。
「た、助か…った…」
それは、店内の喧騒に掻き消されてしまいそうなほど小さな声だった。
「……………」
言葉が出てこない。理解できなかったからだ。こいつが、私に、感謝したという事実が。
瞬きを繰り返す。ようやく五文字から四文字へ変換できた私は、ゆっくりと口を開いた。
「………驚きました。あなたって、感謝できるんですね」
「できるに決まってんだろ。ったく、失礼な奴だな…。ほら、早く食え」
「…ふっ、はいはい」
髪を耳にかけ、私はテーブルに身を乗り出した。
言われた通り、差し出された苺を食べると、ケイレブはピタリと動きを止める。そして、次の瞬間、
「なっ」
何故か、顔を真っ赤に染めた。
「ん〜!」と頬に手を当てる私の前で、彼は俯き、プルプルと震え始めた。
「美味しいです。ありがとうございます」
「なっ、なっ、」
「な?」
私が首を傾げた。その直後、
「何で(俺の手から)食べてんだよ!!!!」
「えええええ!?」
ケイレブが勢いよく顔を上げ、声を荒げた。今まで見た中で一番眉毛が吊り上がってる。
「いやいやいや、ケイレブ様が食べろって言ったんじゃないですか!…あ、言っておきますけど、吐けって言われても吐きませんからね!」
「言う訳ねぇだろ、そんなこと!俺が言いてぇのは、何でっ………」
「なんで??」
「何で………もねぇよ!いいから黙って食え!!」
「どっちですか、もう……」
ため息混じりに呟きながら、私は目の前のケーキへ視線を戻した。
少し悩んだ末、近くにあったモンブランを手に取り、目の前に置いた。
今度はカトラリーが入っている細長い籠へ手を伸ばすと、ケイレブの手元が視界に入った。
何故かケーキを食べず、握り締めたフォークを睨みつけている。
「?ケっ…」
名前を呼ぼうとした瞬間、カランカランと鈴の音が聞こえてきた。
視線を向けると、開かれた扉から女性が入ってきた。レジに立っていた女性スタッフが顔を上げる。
「いらっしゃいませ……って、あら、珍しいわね。あんたが昼間に来るなんて」
どうやら常連客だったようで、スタッフは砕けた口調で女性に話し掛けた。
「そりゃあ二日前から無職ですから。それに、今日は早起きしてミサに参加したんだ〜」
『あそこのオーナーとうちの店長、一緒に日曜のミサへ行くほど仲が良かったから』
昨夜聞いた男性スタッフの言葉が、脳裏を過ぎる。
よく見ると、女性の手には聖書と十字架が握られていた。
「え?あんた、女神派だったっけ?」
「違う違う。女神なんて信じちゃいないわよ」
「ちょっ…バカ!女神派に聞かれたら殺されるわよ!」
「だって、女神とその加護を受けた聖女だけ聖なる力を使えるとか嘘くさくない?」
「ま、まぁ、それはそうだけど…。なら、どうしてミサに?」
「亡くなったオーナーが女神派だったのよ」
「…ああ。仕立て屋の」
仕立て屋という単語に、ビクリと肩が跳ねる。
フォークの隙間から見える深紅の瞳が、鋭く研ぎ澄まされた。
「そう、『あいつらの死を女神様に伝えて成仏させてくれ~』って、オーナーの親戚から頼まれてさ。短い間とはいえ、お世話になったから断れなくて」
(仕立て屋のオーナーも女神派……)
「ということは、犯人の狙いは女神派なんでしょうか…?」
何となく声を潜めて話し掛けると、ケイレブはフォークから私へ視線を移した。
「いや、それはねぇ」
「?何故ですか?」
「傭兵のおっさんが反女神派だったからだ。昨日、担がれた時、服が捲れて背中の刺青が見えた」
(この国で刺青を入れているのは反女神派だけ…。だったら、犯人の狙いは一体…)
「はぁぁぁ…」
私の思考を遮るように、女性が大きなため息を吐いた。
「そんなことより、新しい仕事探さなきゃ…」
「あれ?そろそろ仕事辞めて、結婚したいって言ってなかった?」
「言ったよ。だから、あの店で相手探してたの。あれのお陰で貴族のお客さん多かったし」
「あれって……ああ、」
「スペス?」
その言葉を聞いた瞬間、店内に陶器と金属がぶつかる音が響いた。
振り向くと、食べかけのショートケーキの皿に、少し曲がったフォークが転がっていた。その皿の前に座るケイレブの手には何も握られていない。
「ケイレブ様?」
名前を呼んでも、彼は口を閉ざしたままだった。
顔が見る見るうちに青ざめていく。まるで、砂糖という名の毒に蝕まれたかのように。




