プロローグ 1話
────どうして?
どうして、あなたは泣いているの?
「オフィーリア」
突然名前を呼ばれ、私は振り向いた。
湖のほとりに立っていた男と目が合う。
レンズ越しに見える紺青色の瞳は、まるで真冬の夜の海のように冷えきっていた。
「国王陛下殺害の罪により、女神オリビア様の名の下に溺死刑を執行する」
白い革手袋に包まれた指先が、静かに上がる。
「落とせ」
その瞬間、世界が反転した。
宙に浮いた身体は、満月を映す湖へと落ちていく。
あなたが、私の名前を呼ぶ。
けれど、その声は水音に掻き消された。
凍りつくような湖水が全身を貫く。
息を奪われ、肺が悲鳴を上げた。
──泣かないで。
そう思っても、手を伸ばすことすらできない。
縄で縛られた身体は、重りに引かれて沈んでいく。
あなたの声も、月明かりも、もう届かない。
深い湖の底で、私は願った。
──オリビア様。
あなたが本当に存在しているなら、どうか。
どうか私の代わりに、彼を────
×××××
「……………ん」
ゆっくりと意識が浮上する。
重たい瞼を開くと、見覚えのない生成色の天井が広がっていた。
瞬きを繰り返す。
けれど、やはり広がっているのは、生成色の天井だった。
「………え、」
私は身体を起こし、辺りを見回した。
「え?」
瞼を擦り、もう一度辺りを見回す。
だって、
「ここ、どこ……?」
必要最低限の家具。
規則的な秒針の音。
微かに香る石鹸の香り。
物も音も匂いもほとんどない、見知らぬ部屋にいたから。
(ていうか、何でここに?さっきまで、自分の部屋で小説を読んでたは、ず……………)
ふと最悪の可能性が頭を過ぎる。
まさか──
「誘拐……?」
口にした瞬間、背筋が冷えた。
「…い、いやいやいや!ありえないって!」
自分に言い聞かせるように、大きな声を上げた。
(だって、私、ただのOLだし!親もサラリーマンと専業主婦だし!)
「誘拐するなら、もっと金持ち狙うでしょ〜!あははは、は………」
笑い声が段々と小さくなり、部屋が静まり返る。
(でも、だったら、どうしてここに……?)
秒針の音が、拭いきれなかった恐怖を加速させる。
ゴクリと唾を飲み込んだ。
「と、とりあえず、ここからっ…」
出てみよう。
そうベッドから降りようとした瞬間、
「いっ!?」
足に激痛が走り、床に崩れ落ちた。
「たぁ…!」
何か踏んでしまったのだろうかと、足元へ視線を向けた。
すると、捲れた裾から──
「………何、これ……」
痣だらけの足が見えていた。
自分のものとは思えない…いや、思いたくないほど惨たらしい足に、血の気が引いていく。
(………出てみようじゃない。出なきゃ駄目だ。ここにいたら、)
「殺される…っ」
震える足で立ち上がり、扉へ手を伸ばした。
ここを出られれば家に帰れると、そう思い込んで。




