第9話 祈っていた
別の、独房。
シエルが座っていた。
頬に傷があった。
腕に痣があった。
粗末な布が血で汚れていた。
しかし、シエルは笑っていた。
「だいじょうぶ」
シエルは自分に言い聞かせた。
「私、強い、から」
シエルは目を閉じた。
暗闇の中で誰かの顔が浮かんだ。
お母さん。
ローズ。
優しい、目をしていた。
「お母さん」
シエルが呟いた。
「私、まだ、泣いてないよ」
リオ。
五歳の、弟。
大きな、緑の瞳。
「リオ」
シエルが呟いた。
「私、ちゃんと、笑ってる」
「だから、安心して」
扉が開いた。
クラウスが立っていた。
クラウスは椅子を引き寄せた。
シエルの、向かいに座った。
長く、シエルを見ていた。
「シエル・ローレン」
クラウスが言った。
「お前は、強いな」
シエルは笑った。
頬に皺ができた。
「私、強くない」
シエルが答えた。
「強くない、けど」
「泣かない、だけ」
「お母さんと、約束したから」
「ノアを、助けたいのか」
クラウスが訊いた。
「うん」
シエルが答えた。
「お前が、泣けば、ノアが、目覚める」
クラウスが言った。
「お前の涙が、ノアの能力を、引き出す」
「だから、泣くな」
「泣けば、ノアは、暴走する」
「うん」
シエルが頷いた。
「分かってる」
クラウスは立ち上がった。
扉に向かった。
しかし、止まった。
クラウスの中で声がした。
──クラウス、覚えておけ。
父の、声だった。
五年間、聞いていなかった、声。
──合理は人を救うための、道具だ。
「やめろ」
クラウスは呟いた。
──人を救えない合理はただの、暴力だ。
クラウスは首を振った。
声を振り払った。
扉を開けた。
出て、行った。
ノアの独房。
ノアは座っていた。
ずっと、考えていた。
シエルのことを。
シエルは強かった。
ノアより、強かった。
誰のために、強かった。
自分以外の、誰かのために、強かった。
「シエルの、強さは」
ノアが呟いた。
「世界を、許す、強さだ」
「世界に、許されない、目に、遭ってきたのに」
「世界を、許して、いる」
「俺は」
ノアが続けた。
「許せなかった」
「ずっと、世界を、許せなかった」
「だから、世界を、消そうとした」
「だが」
「シエルは、許している」
「俺も、変われるかも、しれない」
窓の外で夜が深まっていた。
灯火が揺れた。
「シエルが、必要だ」
ノアは呟いた。
「シエルが、必要なんだ」
処刑の朝が近づいていた。
ノアの中で何かがゆっくり、目を覚ましていった。
夜が明けた。
処刑の朝だった。




