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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第一部 紅い玲瓏 第七章 鏡が映すは弓姫(ゆみひめ)
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鏡が映すは弓姫(ゆみひめ)第四章「どら焼とおかめ」

登場人物

双剣士であり陰陽師でもある赤ノ宮紫苑あかのみや・しおん、神剣・青龍せいりゅうを持つ炎の式神・出雲いずも、神器の竪琴・水鏡すいきょうの調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾しょうらん、強大な力を秘める瞳、星晶睛せいしょうせいの持ち主で、「水気」を司る玄武げんぶ神に認められし者・露雩ろう

帝の一人娘で、神器の鏡・海月かいげつの使い手・空竜くりゅう姫。




第四章  どら焼とおかめ



「ねえ、二人の口づけどうだった? どうだった?」

「……あのね空竜、みんな聞いてるわよ」

「しーっ」

 霄瀾が人差し指を口に当てた。

 次の領地、譲恵じょうけい領の図書館で、星方陣せいほうじんのことについて調べている最中である。

 どうだったのかものすごく聞きたいが、出雲はぐっとこらえて紫苑を眺めた。

 もし空竜が紫苑の剣姫さえ受け止められる器になれれば、紫苑は星方陣を成した先に、この世界に居場所があるような気がした。

「あのっ、私とお話してくれませんか!」

「どら焼の詰め合わせです、一緒に食べてください!」

「どら焼の茶店ちゃみせ、おいしいところ知ってます! 二人で行きたいです!」

「私と一緒にどら焼作ってください!」

 女の子たちの群がる先に、案の定、露雩がいた。図書館という場所であることを忘れて、自分の魅力を見せるのに夢中だ。

 妙に「どら焼」が頻出するなと思いながら、紫苑は机の角を蹴って、女の子たちを飛び越えて露雩の上に落下した。

 反射的に仰向あおむけの紫苑を抱きとめた露雩は、その頬に口づけした。

 女の子たちがどよめく中、露雩と、露雩の首に両手をまわした紫苑がそれに向かって笑った。

「オレたち、結婚してるんだ。悪いけど、他の男に声をかけてくれないかな」

 女の子たちは、ため息をつきながら、露雩の美しい顔を諦めきれない様子で振り返りながら、去っていった。

「ちょっとお出雲、これどういうことよおっ!!」

「しょーがねーだろ……。女たちの阿鼻叫喚あびきょうかんなんて、何度も見るもんじゃねえ」

 騒ぐ空竜の顔の前に、苦虫を嚙みつぶしたような顔の出雲が、てのひらを出した。

「お前がもし露雩と結婚したいなら、露雩も自分も守れるくらい、強くならなくちゃいけねえぞ。人から好かれるっていうのは、大変なんだ」

 出雲が拳を握りしめて紫苑を強く見つめているのを見て、空竜は露雩に視線を向けた。

「力」は、様々なものを引き寄せる。それを中心にして、渦になる。

 そのとき、周りのものすべてを導けるのか。

 それとも、周りの力に押し流されてしまうのか。

 力ある者にふさわしく、渦の中で一人立てるのか。

 これは、すべての「力」に共通することである。

 なぜか露雩の美貌が、空竜が都で着る、姫の正装の豪華な十二単じゅうにひとえに重なった。

 一行は、女の子たちが去ってもまだ露雩と紫苑へのささやき声がまない図書館を出た。

 出雲が伸びをした。

「やっぱりまだ攻魔国こうまこくの領内だから、神器と神殿に関する記録は、都に及ばないな」

「ボク、おなかすいちゃった」

「そうだね。じゃ、お昼にしようか。ねえ、紫苑」

 夫婦のふりで手をつないでいる紫苑に、露雩は嬉しくて仕方ない様子を隠さずに、うきうきと話しかけた。

 それに向かって、出雲と空竜が目から火花を発射した。

「(露雩ったら、私に口づけしたのが、そ……そんなに嬉しいんだ……)、いいわよ。何食べたい?」

 血の雨が降らないように、紫苑はなるべく嬉しい表情を抑えて、平静を装った。霄瀾がお腹をさすりながら、喜び勇んで通りを見回した。

「うん! 何にしようかな……えーと……あそこはどら焼屋、向こうもどら焼屋、向かいもどら焼屋で……あれ!? ここ、どら焼屋ばっかり!?」

 霄瀾は混乱した。ここはどら焼通りなのだろうか?

「そういえば露雩に声をかけてきた女の子たち、みんなどら焼の話してたわね。ここの特産なの? 空竜」

「さあ……、聞いたことないけどお?」

 空竜が紫苑に首をひねった。

「食べてみればわかるわね」

 紫苑は近くのどら焼屋に入り、ざるにどら焼を五個入れると、お会計に持っていった。そして、お会計の終わったどら焼五個だけを自分の持っているふろしきに包んで、持ち帰って来た。

「変だわ。小豆あんのどら焼、一種類しか売ってないの。もなかとか、他にあんこを使ったお菓子があっても良さそうなのに」

 紫苑が不思議そうな様子で店の感想を言った。

「それだけ味に自信があるってことなんじゃない? どんな味なのかしら。いただきまーす!」

 五人は、一口食べた。

「ん? ……普通ね」

「とても専門店とは思えないぜ。これ一つで本当にやっていけてるのか?」

 出雲たち五人は、とりあえず完食してから他の店ものぞいてみると、どこも小豆あんのどら焼のみを売っていて、一店につき一つずつを五人で分けて食べた味は、普通だった。

「全然特産品じゃないじゃない!」

「うーん……料理をしてる身に言わせてもらうと……、慣れた素人が作っている気がする。なんていうか、味に落ち着きがないの。まだ自分の味をつかんでない感じがする」

 紫苑の感想は、どのどら焼を食べても同じだった。

 どら焼屋は、譲恵じょうけい領内の至る所にあり、どら焼以外のお菓子屋が、見当たらないほどだった。

 やっと見つけた飯屋めしやで、食後のお菓子に小さなどら焼が出て、どら焼を食べ続けた霄瀾は、

「どうなってんのこれ!?」

 と、おかみさんに叫んだ。

 おかみさんは人目を盗んで、霄瀾に干しぶどうの入った小皿をくれた。

「ありがとう、おばちゃん」

 小さな声で笑う霄瀾に、おかみさんも秘密だよ、というふうに人差し指を口に当てて笑った。

「あんたたち、旅人みたいだね。悪いねえ、この領内では今、甘いものっていったらどら焼しかないんだよ」

 苦みを効かせた緑茶を新しくぎながら、おかみさんが声をひそめた。

「特産品にするつもりなんですか?」

 空竜に、おかみさんは周りの客を気にする目を見せてから、

「この店を出て左にまっすぐ行くと神社がある。その裏でやってる店の亭主が、全部話してくれると思うよ」

 一行は、おかみさんに礼を言って、神社の裏の店を訪ねることにした。

「さーらっしゃいらっしゃい、できたてのほかほか! とろけるあんこのどら焼はいかがー!?」

「そこのお嬢さん、うちのどら焼おいしいよ! お砂糖ひかえめ、たくさんお食べ!」

「えー恋人同士にどら焼の盛り合わせ、どら焼の盛り合わせはいかがかなー?」

 道すがら、威勢のいい呼び込みの声が、たくさんのどら焼屋の前でそれぞれの宣伝をしているのを聞いた。

「商売一直線だなあ……」

「でも、それなりに店は大きいし、繁盛してるみたいね」

 出雲につられて、紫苑は店を見た。

 とりあえず、どの店も客はそれなりに入っていた。

 参拝者の少ない静かな神社の境内を横に見ながら、紫苑たちは裏にまわった。

 一軒の、さびれた菓子屋があった。

 看板に書かれた屋号は「七押屋ななおしや」で、小さく「領主御用達」と添えてある。また、店先ののぼり旗に達筆で「どら焼」と書いてある。

 大通りの店にはそこそこ客が入っているのに、この店だけ人の気配がない。

 営業しているのかと怪しみながら、紫苑は引き戸に手をかけた。

 背中を丸めて椅子に座っている、白い仕事着の初老の男と、その妻らしき白髪の女が、向かいあってうつむいていた。

「すみません、ここに来ればこの譲恵じょうけい領にどら焼屋がたくさんある理由がうかがえると、飯屋のおかみさんに聞いたのですが」

 飯屋のおかみと聞いて、ようやく主人が頭をもたげた。

「なんだ……、領主様じゃないのか……」

 そしてまた、うつむいた。

「領主が、ここをどら焼しか作っちゃいけないようにしたの? だったら、罰しなくちゃ!」

「領主様は悪い人じゃねえ! 何言ってんだ!」

 空竜に対して、主人はえらい剣幕で怒った。

 そしてそれで力が体に行き渡ったのか、はあと一つため息をつくと、五人に椅子をすすめた。

「誰も悪くねえんだ、ただ不幸が重なっちまって……」

 主人は、「オレは七代目・押之助おしのすけだ」と、自己紹介した。そして、語り始めた。

 この譲恵じょうけい領の領主、厚三あつみは、どら焼が大好物で、この七押屋ななおしやの小豆あんのどら焼がお気に入りだった。

 よく供の者数名で買いに来てくれた厚三あつみが、あるとき、いつもおいしいどら焼を作ってくれる七押屋に恩返しがしたいと思い立った。

 そこで、旗に自らの筆で「どら焼」と書いて立てさせる一方、「領主御用達」と看板に書く許可を、七押屋に与えた。

 そのおかげで、隠されていた名店として、七押屋はお客が集まり、繁盛した。

 いつもおいしいものを食べている領主様がおいしいと言うんだからまちがいなかろうとか、一度食べてみようとかで、どんどんお客の数が膨れ上がった。

 そこまではよかった。

 それからは、厚三あつみへの贈り物はみんなどら焼になって、貴族同士の贈り物もどら焼になるし、どら焼ばかり売れるので、しまいに領内中の菓子屋が、どら焼しか売らなくなってしまった。

「なぜそうなる!?」

 厚三あつみは頭を抱えた。

 たまには違うものも食べたいと言おうにも、どら焼以外の店がないのだから、言ってもしょうがない。

 実は、貴族たちも領民も、困っていた。おつかい物もおやつもみんなどら焼では、ありがたみがなくなってしまうのだ。

「でも、領主様がお好きだし、そういうものなら贈られた側も、嫌とは言わず納得してくれるだろうし……」

 と思って、仕方なくどら焼を買い続けていたのだった。

 厚三あつみはしかし、こういう庶民の食べ物に禁止令を出して、自由な商業活動を止めるのは、ためらった。作る作らないはその店の自由だし、売れなくなったら元来の商品の生産に、再び戻るだろうと考えた。

 だが、人々が「間違いのない贈り物」を求め続ける限り、どら焼が売れなくなることはなさそうであった。

 もとをただせば厚三あつみの責任でありながら、哀れにも厚三はこの行き過ぎた生産と消費を止める手だてが思いつかなかったのである。

「それが、かれこれ三箇月前になるんだ」

 七代目・押之助おしのすけが再びため息をついた。

「うちの店は、いつのまにかどら焼屋に鞍替くらがえした、大通りの商売上手な店にされるようになって……。こんな裏通りだし、旅人もうまく呼べない商売下手で、売れないのは仕方ねえ。だけど、あいつらのどら焼は、オレの味より劣ってる! いい味を出すには手間をかけないといけないのに、あいつら、早くたくさん売ることだけ考えて、小豆一つとっても、使えないほど古い粒を使ったり、下準備が大変だからって、ゆでこぼしのとき回数や時間をいろいろ省略して、手を抜いたりしてんだ! しっかりしてないどら焼がたくさん作られてるなんて、我慢ならねえ! これが譲恵じょうけい領のどら焼か、大したことねえなと、旅人に思われるのも我慢ならねえ! 厚三あつみ様も、恥をかく! 恩人を困らせる奴は、許せねえ!」

 七代目・押之助おしのすけは、そこまで言いきって、荒く息をついた。

「くそっ、でもオレじゃ、客引きなんてできねえ……。この道一筋四十年、オレは菓子作りしかできねえ男だ……」

 また、力なくうつむいた。

 紫苑は、ここで客引きの手伝いをしても、根本的な解決にはならないと考えた。

 どら焼の詰め合わせを買うと、店を後にして、一行は領主の館へ向かった。

 帝の天印てんいんを見せると、衛兵は深々と礼をし、領主の部屋へ案内した。

「なんだ? 今日はもう、書類の整理だけのはずだが」

 巻物を山積みにした机の上で、浅黒い肌の厚三あつみが黒い口ひげと顎ひげを生やした顔を起こした。

 空竜を見て、

「おや……? どこかで会ったかな?」

「まあ、私の顔をじーっと見られるわけないかあ。宴の席でも遠くに座るしね」

「くっ、空竜姫様!? お久しゅうございます……!!」

 厚三あつみはどこか愛嬌あいきょうのある顔を慌てふためかせると、山積みの巻物と一緒に椅子から滑り落ちた。

「ねえ厚三あつみ、今、これを買ったお店で、だいたいのことは聞いてきたわ」

 空竜が机の上に載せた七押屋ななおしやのどら焼を見て、厚三あつみは口元を引き締めた。

「なんの悪気もないし、こんなことになって七押屋ななおしやにも領民にも悪いことをしてしまったと思っています」

 彫刻の施された一枚板の机の周りで、皆は椅子に腰かけている。

「別に好みでないものを贈っても、それはその者の気持ちだから、私が怒ることはないのだと説明するのですが、『どら焼を贈った方が嬉しいでしょう』の一言で、取り合ってもらえないのです。便宜を図ってもらえなくなると思っているのでしょうね。それが商売というものですし、彼らに悪気はないですし、元はといえば私のせいですし。全領地にこの考えが浸透してしまい、もうどうしたらいいのか……。

 私がどら焼を買い続ける限り、皆は私に従わなければなりません。いっそ、甘いものはみんな好きと宣言すべきなのではないかと悩んでいます」

「やめておきましょう。残り少ない食べ物屋がみんな菓子屋になりますよ」

 紫苑が即座に否定した。少なからず驚きながら、出雲が続けた。

「人の言うことにすぐ従う領民なんだな。小豆の輸入を制限してみたらどうだ? 必然的にどら焼の生産量が減るだろ。密輸入したとしても、大っぴらに大量に、売れなくなるんじゃないか?」

「うむ……、確かに小豆の輸入は前年比七倍に迫る。輸入しすぎだと他の領主から槍玉に挙げられた」

 厚三あつみは黒ひげをしゅんと下げた。露雩がしめくくった。

「あとは、あなた自身が、どら焼はお忍びのときに自分で買うからおいしいのだと、側近や召使いに軽い話として言えば、どら焼で困っている人々によって、領内にすぐに広まりましょう」

 それから数日間、紫苑たちは厚三あつみの歓待を受け、七押屋ななおしやの上質なおいしさのどら焼を食べつつ、市井しせいの反応を待った。

 どら焼を作りたくても作れない状況、厚三あつみの、どら焼のおいしい食べ方の話が相まって、貴族たちは、だんだん贈り物にどら焼を贈らなくなり、どら焼の代わりに作られただんごやくずきりなども買うようになっていった。

 そうなると市場は早いもので、売れるとわかるや、それぞれの菓子屋は、ぱっと元の菓子を作る店に戻っていった。

 商売はようやく昔の様相をていし、人々は皆、安堵したのであった。

「やったな!」

 最後に出雲と露雩が、手をパチンと叩きあわせた。

 そののち、厚三あつみは空竜たちとお忍びで七押屋ななおしやへ向かった。

「迷惑をかけたな。すまなかった」

 七代目・押之助おしのすけは、慌ててお茶を持って飛んできた。

「迷惑だなんて、とんでもない! 同業者が増えて冷や汗をかきましたが、また元のように、のんびりどら焼を作っていきますよ」

「うむ。どら焼一つ」

「はい、ただいま!」

 店内が、笑顔に包まれた。


 神社の横の道を歩きながら、空竜が少し深刻な顔をしていた。

「それにしても為政者って、好きなものもうかつに言えないのねえ。簡単に禁止令も出せないし、私この先神経使うわあ」

「国民性や圧政の差異にもよるが……。帝だけでなくその一族の言葉も、基本的に綸言りんげん汗のごとし。一度言ったことは覆せないから、気をつけな。そうならないために、賢者を側に置くんだな」

 出雲が追いうちをかけるように、ちょっと脅した。

「露雩はなってくれるよねえ!」

 空竜がどさくさにまぎれて露雩に腕を絡めた。

「あーっ! 空竜、胸、当たってる、胸っ!!」

 紫苑が上ずった声で指差した。

「だあってえー、私のこと一から十まで手取り足取り導いてもらうんだもん!」

 体をくねらせてますます露雩に密着する空竜に、紫苑は口から泡を吹かんばかりに狼狽ろうばいした。

「くっ、空竜! ど、どきなさいよ! 露雩に変なこと、教えないでよ!」

「なによっ! 露雩は紫苑のものじゃないじゃない! 私にだって、まだ芽はあるんだから!」

「なんですって!?」

 美女二人のつかみあいを、出雲は霄瀾の目に手をかざして、なんとなく隠した。

「あのな、上に立つ者は人事に私情を挟まないもんだ。露雩を採用するより、九字くじ作門さもんたちの方を、大事にしろよ」

「わかってるわよおそんなこと! 夢のないやつ!」

 その通りのことを言われて、空竜はむすっとした顔を出雲に向けて、いーっと歯をむき出した。

「それより紫苑よ! チュウいっぱいしてもらって、結婚してるふりまでして、ずるい! 今日こそは白黒つけてやるわ! 私が勝ったら露雩の妻役は私! いいわね!」

 空竜と紫苑は、お互いの腕や肩をつかみあい、押しあっていた。

「何言ってんの!? 空竜じゃ、半狂乱の女の子たちを止められないわよ! 自分の身も守れない人が、他人を守れるわけないでしょ!」

「私には兵士がいっぱいいるもん! 女の子が一人も入れない城、作ってもいいもん!」

「おい露雩、お前も大変だな。幽閉決定だ」

 出雲が、あ然とする露雩の肩に同情の手を置いた。

「えーと、勝負の方法はねえ……!」

 空竜が大通りにざっと目を走らせた。

 菓子屋の店先に、過去に作りすぎたどら焼が山と積まれて、たたき売りされていた。

 領内の人は誰も買わず、時折、何も知らない旅人が、その幸運にほくほくしながら買っていく程度である。

「これは一石二鳥だわ!!」

 空竜の両目が光った。


「――で、領内中の余ったどら焼買い集めて、どうするんだよ?」

 出雲が、三百個はあろうかというどら焼を、二つの四角く平たい木箱に半分ずつ詰めている、鼻歌まじりの空竜に声をかけた。

「私と紫苑で売り切るのよ」

「えっ!? なんで!?」

「ふふ、この譲恵じょうけい領の人々は、今までずっとどら焼を食べてきたせいで、今どら焼を買おうとする人は、極端に少ないはず。でも、私と紫苑が笑顔で売ったらどうかしら? きっと男の人は買いに来るわ! 笑顔を向けてほしい方にね! これで私と紫苑、どちらが本物の美人かわかるのよ! どら焼の在庫もなくなって、食材救済ー!」

「……ん?」

 一人で熱い空竜に質問したいことがいくつか生じた。

「とりあえず、どら焼が捨てられるのは忍びないんだな?」

「そうよお!」

「で、それをこの領地の人に売りたいと」

「そうよお!」

「そのとき、紫苑と美人勝負をしたいんだな?」

「その通りよお!」

「紫苑にもう百個追加しとけ」

「しっ、失礼よっ出雲!!」

 どうやら空竜と紫苑で百五十個ずつ持って、どちらが先に人気が出て売り切れるか、競いたいらしい。

「お前なー、瞬殺されるぞ」

「そ、そんなことないもん! 私、衣装を替えて本気で売るよ!」

「おいおい……。紫苑もなんとか言ってやれよ!」

 木箱を紐で首からさげて両手で持つ空竜を見て、出雲は紫苑に振り返った。

 紫苑も木箱に手をかけていた。

「本当はみんなで売った方が早いけど、いざというとき交代できるように、私と空竜だけで売るわ。どら焼を捨てずに済むんだし、私、がんばるわ」

 出雲は口を開けたきり、言葉が出なかった。

「今からの残りの午前中と、お昼を挟んで午後まで、売りましょう。紫苑、一人一個だけしか売っちゃダメよ。それじゃ、始めっ!」

 空竜と紫苑は領内の東と西へ走っていった。

 空竜の衣装は上の赤から下の青へ濃さの変わる色で、兎の白い焼き印がところどころに押してある、焼き印のころもだった。

「うさぎのようにふわっふわなどら焼、いかがー?」

 とびきりの笑顔で跳ねるような声を出す空竜。

 その元気な娘の声に、男たちが立ち止まり始めた。

「なになに、“どら焼一人一個まで”……? 買い占めがあるほどうまいのか?」

「正直どら焼は食い過ぎなんだが、売り子もかわいいし、一つ買ってみるか」

 男たちが列を作り始めた。

「このどら焼は、味はばらばらです。でも、売り子の笑顔が入っておりまーす!」

 どら焼を食べた男たちは、その解説に納得した。

「なるほどな、かわいい女の子で残り物のどら焼さばこうってわけか。まあいいか、美人と話せる機会があったのはいいことだ」

 男たちは笑った。空竜は、自分のことをかわいいかわいいと言ってもらえて、鼻高々だった。がぜん、どら焼売りにも熱が入る。

 笑顔をふりまいてふりまいて、昼には五十個を売り切った。

「やったわ! 前半戦は終了! 私の一人勝ちかしら?」

 昼食をとるために集合場所の飯屋めしやに行くと、出雲、露雩、霄瀾が待っていた。

「紫苑は?」

「まだだよ」

 霄瀾が答えた。

「ふっふーん、あんまり売れてないからねばっているのね! これでどっちが本当に美しいか、わかるでしょお? 露雩の妻役は、私の方が適任なのよお! 露雩もこれからは、ちゃーんと私を見てよねえ!」

 空竜がそれなりにある胸をらしたとき、紫苑が空の木箱を抱えてやって来た。

「ふふ紫苑、ようやく戻ったのね。残りの数を隠さなくてもいいのよ、余裕がないのは知ってるんだからあ。この領内中の男はみーんな、私の方がきれいだって思ってるのよ! この分じゃ、午後の後半戦も私の快進撃になりそうねえ! でも私、きっちり白黒つけたいから、手加減はしないわよお! 泣いて頼んでも、もう露雩の近くにはいさせないんだからあ!」

「紫苑……」

 露雩と出雲と霄瀾は、心配そうに紫苑を見つめた。

「……午後に売り切れるよう、がんばるわ」

 紫苑はそれだけ言って、昼食のまぐろの丼を皆と一緒に食べると、西へ向かった。

「ふふふ、どうせまた私が勝つでしょうけどね! なにせ私にはきれいな衣装とこの美貌があるんですものお!」

 空竜は余裕で立ち上がると、百個のどら焼を木箱の中で整えて、東へ行った。

 露雩たちは、かける言葉もなく、見送るしかなかった。

「さあいらっしゃい! お一人につき一個しか買えませんよお! おいしいどら焼、残り百個ですよおー! さあ皆さん、かわいい売り子が売ってますよお! じゃんじゃん買ってくださいねえー!」

 空竜は、かわいい自分の魅力を理解したうえで、それをうまく表示している。話しかけやすさを演出し、人々が気軽にどら焼に手を伸ばせるようにしている。

「(商売は愛嬌あいきょうが必要って、都の商人が言ってたわあ。笑顔、笑顔)」

 空竜の笑顔が、午後三時、木箱の中を空にした。

「やったわ! この時間なら、紫苑に勝ったに違いないわあ! やっぱり私の方がかわいかったんだ! うふふ、露雩、待っててねえ! あなたの奥さんが今、行きまーす!」

 踊るような足取りで、空竜は西へ向かった。

 西の広場に、人だかりができていた。

「ふうん、人を集めてはいるみたいね。だけど、買いたいって人が出なきゃ、私には負けるのよ。ふふふ、いくつ残ってるか見てやろうっとお!」

 空竜は木の植わっている、こんもりと盛られた土の上に立った。

「えっ……!?」

 絶句した。

 そこにいたのは、紫苑ではなかった。

 道化のように異常に白い化粧をし、眉を指の幅二本分も太く描き、頬に赤丸を塗った、紫苑とは似ても似つかない顔が、そこにあった。

 笑みを絶やさないその顔は、おかめのお面に似ていた。

「紫苑じゃないわ! あれは誰!?」

 念のためよく見ると、衣装は飯屋の女中のような服だが、首から紐でさげているのは、まぎれもなく空竜の用意した四角い木箱で、どら焼が入っている。

「私に勝てないからって、最初から他人に頼んだのね!? 見損なったわ紫苑、そんな卑怯な逃げ方をする人だとは、思わなかった!」

 おかめ女からどら焼を取り上げようと怒りながら歩き出した空竜の肩を、誰かが力強く捕まえた。

「行くんじゃない」

 露雩だった。

「露雩! 聞いてよ、紫苑ったら敵前逃亡したのよ! あんな道化じみた白粉おしろいを塗って、顔をごまかした女の子を使ったら、美人勝負も何もないじゃない! 私に負けるのが恐かったのよ!」

 しかし、露雩はおかめから目をらさなかった。

「紫苑は逃げてなんかいない」

「え?」

「あれは紫苑だよ」

 空竜はその瞬間、激昂げっこうした。

「何よそれ! 私に勝つにはあれで十分だとでも言いたいの!?」

 そのとき、空竜の耳に人々の声が聞こえてきた。

「おーいおかめさんよう、昼前の売り子はどこ行ったい? オレはあの子から買いたいんだが」

「どら焼はいかがですかー」

 笑顔のおかめが答えた。

「お前さん芸の一つも見せなさい。もうこの領内には無理矢理どら焼を買う人はいないよ」

「どら焼はいかがですかー」

 笑顔のおかめが答えた。

「あのおかめ、もう二時間立ってるけど、一個も売れねえぜ」

「そりゃそうだ。白粉おしろいの道化のくせに芸もしねえんだからな」

「誰に雇われたんだか知らねえが、かわいそうになあ。あれなら、かわいい女の子の方がまだ売れるよ」

「おーいおかめ、昼前の子と代わってきな! そしたら買ってやるぞ!」

「おう、それがいい! 代・わ・れ!」

「代・わ・れ! 代・わ・れ!」

 見物人たちが代われで大合唱しだした。

「どら焼はいかがですかー」

 笑顔のおかめが答えた。

「な……なんなのこれ! やめさせる! 紫苑の白粉、いてくる!」

 空竜は顔から血の気が引いた。心臓が嫌な鼓動で動いている。走り出そうとする空竜の肩を、露雩は離さなかった。

「自分の発言の結果を最後まで見届けるんだ!」

「え……?」

 露雩は紫苑を見つめていた。

「紫苑は、午前中に化粧なく立った。でも、空竜のように笑顔は見せなかった。オレと同じ阿鼻叫喚あびきょうかんを起こしうるからだ。それでも、……空竜より先に五十個を売り切っていたよ」

「ええっ!? じゃ、なんで私より遅く来たの!?」

「帝の娘に恥をかかせないためだ!」

 空竜は息を呑んだ。

「いいかい空竜、ここの領主の厚三あつみは、もう君の正体を知っているんだよ。この対決がもし彼の耳に届いて、それでいて空竜が臣下の紫苑に負けたと知ったら、どうなる! 陛下と、将来の君の威信にも傷がつくんだよ! 紫苑はこのままだと午後も勝ってしまうかもしれないと思った。だからわざと白粉を塗って、違う人間になって売って、勝負にならないようにしたんだよ。空竜、わかるかい。臣下というのは、君を守るためにこんなこともできるんだよ。その忠誠心を、こんなことで使わせたり、失わせたりして、君は平気なのかい」

「代われ」の呼び声が聞こえる。耳だけ残して空竜はすべてが真っ暗になった。

 自分より美人と言われ、露雩に見つめられる紫苑を、いつか見返してやりたいと思っていた。

 どら焼を売ったとき、笑顔のかわいい自分が人から注目されて、いい気分だった。譲恵じょうけい領の、一番人気の看板娘になった気さえしていた。

 美人美人と言われた紫苑の鼻を明かしてやったと、胸を張っていい気になっていた――。

「バカだ……浮かれてた。私、厚三あつみに何も言う資格がない……!」

 軽はずみな言動で、大切な仲間を失うわけにはいかない。

「私が残りを全部売る!!」

 空竜が目尻の涙を隠したとき、広場からどよめきの声があがった。

「おかめ! そのどら焼、オレが全部買うぜー!!」

 ばあーんとお金を木箱に置いたのは、出雲であった。

「あらお客様、一人一個でございますよ」

「今売ってくれないなら百回変装して買いに来るぜ!」

「……」

 白粉の下の表情はわからなかった。周りがはやしたてた。

「売っとけおかめ! こんな幸運は二度とないぞ!」

「オレたちは見てるだけで買わねえんだから、この言葉に甘えとけ!」

「……皆さんが承諾してくださるなら」

 紫苑の返事でわっと広場に拍手が広がった。

「よかったなあ、おかめ!」

「実はちょっと心配だったんだ!」

 その騒ぎの中、出雲が木箱ごと、どら焼百個を受け取った。

「もう、百個も一人で食べるなんて……。でも、ありがと出雲」

 おかめの白粉の下からでも、かわいい紫苑の声が、出雲の心をとらえた。

「お前の魅力は、オレだけが百まで全部知ってるってことだよ。そのご褒美、くれるよな?」

「え?」

 出雲はおかめの額に口づけした。

 おおー、っと周りが一段と拍手した。

「い、出雲ッたら! なにもおかめのときに……!」

 みんなが私でなくあなたを好奇の目で見てしまう、と、真っ赤になって額を押さえる紫苑に、出雲は自分の額をそこにつけた。

「オレはどんなお前でもいいんだよ」

 びっくりして口を閉じた紫苑と、口が「あ」の字の形で固まっている露雩の視線を浴びながら、出雲は悠々と広場から退場していった。

「あらまあ……、かっこいいことしちゃって」

 空竜の方が顔を赤らめながら、肩の力を抜いた。


 夕方、宿の部屋でおかめの化粧を落とした紫苑は、そっと額に手を触れた。

 ああいうことをするということは、紫苑に対して、特別な感情を――、それとも式神として甘えて――。

「うーん……」

 考えてもわからないので、紫苑は頭の上をぺんぺんと叩いた。

 出雲が急にすぐそばに来ているような気がして、さっと振り返り、誰もいないのを確認して気を抜いてから、湯飲みと急須をお盆に載せた。

 どら焼百個はさすがに一人では食べられないだろうから、連帯責任で紫苑も食べるのを手伝うつもりである。

 とびきり苦い緑茶をれてやるつもりだった。

「出雲。今日の私たちの夕食はどら焼よ。……あら?」

 男性三人の部屋には、誰もいなかった。

「霄瀾まで? 荷物の番をするから、三人同時にお風呂に行くわけないし。私と空竜に言わずに、もう先に夕食にしてるのかしら?」

 そのとき、外が女の子たちの黄色い声で埋まった。

 紫苑が障子窓から声のする方を見ると、女の子たちで黒山の人だかりができていた。

 その中心にいるのは、出雲と露雩と霄瀾だった。長い机を置いて、何やら手渡ししている。

「さーらっしゃいらっしゃい! おいしいどら焼はいかがかな? 今どら焼を買うと、もれなくどれでもお好きな美少年と握手できますよ! さーらっしゃいらっしゃい!」

 出雲の売り文句に、女の子たちがキャー! と黄色い声をあげた。

「私あの人がいいー!」

「名前書いてー!」

「ボク、いくつ? 連絡先教えてくれない?」

「お客様こじん情報は……」

 女の子の鼻息にされる霄瀾を気遣きづかいながら、露雩が出雲に強く囁いた。

「お前が全部食べるんじゃなかったのか!?」

 すると出雲は白い歯を見せて握手しながら、ばつが悪そうに頭を叩いた。

「しょーがねーじゃん。こんなにたくさん甘いもの食ったら、死んじまうよ! 紫苑にはあとで親切な人にもらってもらったって言っとくよ」

「お前な、なら一人で売れよ!」

「三人の方が紫苑にこれがばれる前に早く売り切れるだろ」

「まったく……」

 腕組みする露雩の前で、出雲はどら焼を高く掲げた。

「さー最後の一個だよー! 超絶に幸運なのは誰かなー?」

「わ・た・し・よ!」

 ガシ、と出雲の真後ろにいた女の子が出雲の肩をつかんだ。

 その声がどうも聞き覚えがあって、出雲の顔がサーッと青くなった。

「イ・ズ・モ~!!」

 怒り心頭に発した鬼の面、紫苑の顔がそこにあった。

「げげ!! ばれないように離れたとこで売ってたのに!!」

 肩はガッチリつかまれていて、離れない。

「あんたこんなとこで小遣こづかいなんか稼いでんじゃないわよ!! せっかく二人で食べてあとは厚三あつみさんたちに役人の義務ですって言っておすそわけしていい思い出にしようと思ってたのに!! このアホッタレー!!」

「うわー!! 待って待って!! これはさ、ほら……あれだよ!!」

「なんだー!!」

 出雲はしゃがんで肩から紫苑の手をはがすと、全速力で逃げだした。

「待ちなさい出雲!! どうして私があんたに百個も食べさせるなんて思うのよ!! 心外だわ!! もう……、この、子供!! 最後までかっこよくしてみせなさいよ!!」

「しょーがねーじゃん!! 次からは学習するから、許してー!!」

「お尻ぺんぺんするまで許しません!!」

「ひええー!!」

 二人の姿は見えなくなった。

「あーあ、行っちゃった……」

「これで店じまいだね、霄瀾」

 つきあいきれないといったふうに机を片付けようとした露雩の前に、空竜がちゃっかり並んで立っていた。

「はい、どら焼買うから握手して、露雩! 口づけしちゃダメ?」

「何考えてんの! 便乗するんじゃない!」

 露雩はそれ以上何も起こらないように、最後のどら焼をつかみあげると、食べ尽くしてしまった。

「ああー……」

 女の子たちのがっかりした声が、地面に落下していった。


「ええーい、待てーい!」

「どこまで追ってくるんだー!!」

 体力のある紫苑と出雲の追いかけっこは、その後三時間続いた。


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