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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第一部 紅い玲瓏 第七章 鏡が映すは弓姫(ゆみひめ)
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鏡が映すは弓姫(ゆみひめ)第三章「一芸の優劣」

登場人物

双剣士であり陰陽師でもある赤ノ宮紫苑あかのみや・しおん、神剣・青龍せいりゅうを持つ炎の式神・出雲いずも、神器の竪琴・水鏡すいきょうの調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾しょうらん、強大な力を秘める瞳、星晶睛せいしょうせいの持ち主で、「水気」を司る玄武げんぶ神に認められし者・露雩ろう

帝の一人娘で、神器の鏡・海月かいげつの使い手・空竜くりゅう姫。




第三章  一芸の優劣



 空竜が留風るふ旅館りょかんでの紫苑の料理に対抗意識を燃やして、森の中で昼食を作ると言い出した。

 毒キノコを入れないように、全員で見張ることにした。

「やりにくいわねえ……」

 空竜は言ったそばから、人参にんじんをすりおろしにかかった。

「ちょ、ちょっと待って空竜! 何を作るつもりなのか、教えてくれない?」

 慌てて紫苑が空竜の両手を握った。

「え? 野菜の汁物だけどお」

 まな板の上には、大根とセロリが転がっている。

「まさか、全部すりおろすつもりなの?」

「当然よお。野菜の嫌いな子でもこれなら食べられるんだからあ!」

 空竜がそれなりにある胸をらした。

「全部ドロドロの野菜汁……うええ……」

 出雲が想像しただけでやつれた。

「空竜! 鍋にしょうゆ入れすぎよ! これじゃしょうゆの飲み物になっちゃうわ!」

 紫苑が飛んで空竜のしょうゆ入れをつかんだ。

「果たして食べる物ができるのだろうか……」

 出雲は「食べない」という選択肢を、昼食で取るべき行動につけ加えた。

「ねえ空竜、野菜はぜんぶすりおろさなくても大丈夫だよ。ボク、どんな野菜が入っているか知りたいな」

 野菜をどうしてもすりおろそうとして紫苑と人参にんじんを奪い合っている空竜に、霄瀾がとっさに口を挟んだ。

「えー? 子供が食べられるようになるってとこが、紫苑より上手うわてになれるところだったのになあ」

 空竜はあてが外れて口をとがらせた。

「大人のことも考えろ。いつも勘で料理作りやがって、先が思いやられるな」

「何よお出雲!」

「……お前な、ハッキリ忠告してやる奴なんて普通いないぞ。感謝もできないのか」

「(出雲は直言しすぎるのよね)」

 紫苑は傍観しながら思った。

「あっ空竜! そんなに小麦粉入れちゃだめ! 粉っぽくなるわよ!」

「え? すくって食べられると思って!」

「その野菜としょうゆの汁の底にへばりついたものをこそげ取って食えというのか!! その料理の目的は何だ!! 誰にどんな幸せを与えたいのかまったく見えん!!」

 出雲が絶望的になった昼食に向かって叫んだ。


「お前さ。……いっぺん自分の料理食ってみろおおおっ!!」

 昼食を一口食べた出雲は、お椀をぶちまける代わりにさじを空竜の口へ突っこもうとした。

「キャー!! 何すんのよ、あんたと間接チュウなんてダメよ!! 私の唇は露雩のものなんだからあっ!!」

「その露雩を口から殺してんじゃねえっ!!」

 露雩は未知の味に意識が飛んでいた。

「周りをよく見てみろ! 体力のある式神のオレしか、まともに生きてねえぞ!!」

 紫苑も霄瀾も、未知の味を飲みこむのに手一杯で、仰向あおむけに倒れていた。

「みんな、大げさなんだからあ! もう毒は入ってないんだよっ! ほおら、ぱくうっ!」

 空竜は自分の作った野菜やさいしょうゆ粉汁こじるを一口食べた。

「うん、しょうゆの味が生きてる。これはこれでありね」

 ぱくぱくとよどみなく野菜やさいしょうゆ粉汁こじるを食べていく空竜を、出雲はあぜんとして見つめた。

「お前……平気なのか、しょうゆをお椀一杯も飲んで。オレでもさすがにしねえぞ」

「しょうゆだけじゃないっ! 私、まずくても食べられるからいいかって思う人間なの! だからいろんな料理に挑戦しても、残したことはないわよ! 出されたものは基本的になんでもおいしいって思うし!」

 良く言えば従順、悪く言えば料理の腕がまったく進歩しない、あるがままの適当人間。

「いつもうまいもん食べてるであろう姫にしては、珍しい舌だな。料理長は楽だったろう」

「一度、作り甲斐がいがないって酒に酔って叫んでたわ」

「……忠臣は大切にしろよ。お前の役に立たなかったとしても……」

 暖熱治療陣だんねつちりょうじんで、紫苑たちが復活した。

「うーん、私がよくても毎回みんなが倒れるのは困るわよね。ねえ紫苑、提案があるんだけどお……」

 空竜が、留風るふ領で仕留めた鴨の、つやつやした羽根を取り出した。

「私が織姫で、衣装作りの名人っていうのは、もう知ってるわよね。あのさ、私が紫苑に服飾の技を教えるから、その代わり、私に料理……、教えてくれないかなあ?」

 空竜が羽根の隙間から、上目遣うわめづかいをした。

「いいわよ。お互い、これから楽しみね!」

 紫苑は、ちょんと羽根をつついた。


 昼食の口直しに木の実をりに出かけた紫苑を、露雩が追って来た。

「どうしたの?」

「どうしたの、って……」

 露雩は木の実をもぎながら、紫苑を手伝い始めた。

「紫苑、オレに内緒で何か決めただろ」

「……」

「どうしてオレを信じてくれないんだ」

「信じてるわ、誰よりも」

「でも、話してくれないじゃないか」

 子供のように返してきたので、紫苑は一瞬驚いたが、平静を装った。

「全部話していいことばかりじゃないわ」

 露雩が紫苑に向かって強く何かを言いかけたとき、上空を黒い影が過ぎた。

 長いくちばしが、紫苑の扇をくわえていた。首長鳥の巨体魔物だった。首と同じくらいの、異常に長いくちばしを持っている。

「扇を取られた!!」

「紫苑!」

 駆け出した紫苑の後を、露雩が追った。

 つかず離れず飛ぶ巨鳥に飛びかかりながら、紫苑が何度目かに飛び上がったとき、巨鳥が急に振り返った。

「え?」

 下に土はなかった。

 深い底を持つ崖から、紫苑は飛んでいた。

「え……きゃ……!!」

「紫苑ッ!!」

 露雩が長身をめいっぱい伸ばして、紫苑の腕をつかんだ。しかし重心がずれて、腰まで崖からはみ出し、足の力だけで全体重を支えていた。

「クッ!!」

「離して露雩!!」

「だめだ!! 絶対離さない!!」

 巨鳥の魔物が露雩の足を巨大なかぎ爪で蹴った。血がほとばしり、露雩に苦痛の表情が浮かんだ。

「露雩ッ!!」

「離さない……君を守り抜く!!」

 巨鳥が再度突撃したとき、一度目のかぎ爪の攻撃でもろくなっていた崖が崩落し、紫苑も露雩も落下していった。

 崖から落ちたところを狙おうとした巨鳥は、どしゃ降りの雨が降りだしたのに気づいた。

「フン、やんだら殺す」

 と、翼が濡れないように巣へ帰って行った。


 紫苑がはっと目を覚ますと、パチパチという音と、暖かい光を感じた。

 露雩が黒い外套を脱いで、焚火たきびに木をくべていた。

「やあ。どうだい、体の調子は。骨折とかしてない?」

 紫苑の体は節々が痛むだけだった。

「あ……、私たち、崖から落ちて……。よく二人とも助かったわ」

「下が川になってたんだよ。気絶してた紫苑を運んで、このほら穴に入ったんだ。他の動物のねぐらじゃないみたいだから、安全だよ」

「露雩、ありがとう」

「いいよ。それよりあの巨鳥だ。紫苑の扇を取り返さないと。……うっ!」

 露雩が両足を押さえた。引っかかれたあとから、血がにじんでいる。

「露雩! ごめんんさい、扇がないと暖熱治療陣が出せないわ。薬草を今、つけるから!」

 露雩の下半身の服の下から、たくましい脚が現れた。無残に傷つけられているのが自分のせいだと思うと、紫苑は胸がしめつけられる思いだった。

「あとで治療の陣で必ず治すから」

 露雩の硬い筋肉にそっと手を触れて、紫苑が露雩の目を見つめた。

 二人の間に沈黙が流れた。このは何か起こる前触れのような気がして、紫苑は急いで外に目を向けた。外は雨が勢いよく降っていた。

「雨がやんであいつの羽が乾いたら、ここに来るかもしれないわね」

「ほら穴の入口が狭すぎて入ってこれないよ。それより、今はこっちが凍死しないことを考えるのが重要だよ。紫苑の服もオレの服も濡れてるよ。オレだけ脱ぐのは変かと思って遠慮してたんだけど……はっくしょん!」

 露雩は我慢していたくしゃみをした。

 紫苑は自分の服が確かに全身濡れていることに気づいた。そんな服で気絶していてよく死ななかったものだ。

「本当はその服乾かしておこうかと思ったんだけどさ、紫苑は女の子だし、やっぱりオレが勝手に脱がすのはどうかと思ったんだ」

 紫苑はホッと一息ついた。

「じゃ、見てないのね」

「え? 何を? 紫苑の裸ならもう知ってるよ」

 紫苑は露雩に構わず、火のそばへ寄った。

「私、着たまま乾かすわ」

「だめだよ紫苑! 熱でも出たらどうするんだ! オレはずっと後ろ向いてるから、服を脱いで! ちゃんと乾かさなくちゃだめだよ!」

 しかし紫苑は、火のそばから動かなかった。

「気遣ってくれてありがとう。でも、どうしても見せるわけにはいかないの」

 露雩は、ここまでかたくなになる紫苑の真意をはかりかねた。

「オレに……もう二度と見せたくないの?」

「……っそ、そうじゃないわ……」

 寂しそうな露雩に、紫苑は苦しそうに返事をした。

「……紫苑が絶対に熱を出すってことが、目に見えてる」

 露雩は立ち上がると、紫苑の後ろにまわり、そのまま後ろから紫苑を抱き締めた。

 服の上からでも、たくましい筋肉が紫苑を包んでいるのがわかった。

「えっ……」

 自分の知らない世界に入りこんだようで、紫苑の心臓の鼓動が早まった。

「前が乾いても後ろが水びたしで寒くちゃ、意味がないだろ。オレが後ろを温めてあげる」

「だめよ露雩! あなたが体温を奪われちゃうわ!」

「いいから。二人で温めあえば君の服もきっと早く乾くよ」

「……ッ」

 紫苑は怒ったように口を閉じた。露雩のバカ。私のために――。

「……絶対、前を見ない?」

 前を向いたままの紫苑が聞いた。露雩はうなずいた。

「うん」

「わかった」

 紫苑はスルリと両肩を出し、上衣を脱いだ。冷えきった背中が露雩の前に現れた。きめ細かいみずみずしい肌が、寒さで白磁のように白い。

 露雩も上衣を脱いで、紫苑の脇腹から手をまわし、厚い胸板を紫苑の白い背中に密着させた。

 人の体温を早く高く上げるものの一つは人肌とはいえ、愛しい男とこの状態で、果たして自分の理性はもつだろうかと紫苑は真剣に考えていた。

「ちょ、ちょっと露雩、お腹にまわしてる腕が、どんどん上に、胸に当たっ……」

「紫苑の胸が大きいからだよ。ずっと触りたかったんだ」

「ぐはあ!! 今私を殺そうとしたな!!」

「おっと! 石に頭をぶつけたらもっといろいろしちゃうよ!」

「しまったあ!! 罠にはまったッ!!」

 不覚にも後ろを取られてしまったのだと紫苑は気づき、服を取ろうとお尻から飛んでもがいた。

「本当に紫苑は胸が大きいね」

「しまったあ!! 二重の罠だッ!!」

「空竜よりあるよね」

「ちょっと! 私以外の女の子の胸見ちゃダメじゃない!」

「紫苑が勝ってるとなんかオレ、嬉しいな」

「……。んもうっ!」

 紫苑は行き場のない怒りを、最後に大きく胸で打ちつけた。

 本当は、彼が望むなら、自分でも自信のある裸体を、見せてもよかった。

 だが、紫苑の裸体は、もう彼が以前目にした裸体と同じではなかった。

 露雩を避けようと思ったのも、そのためだ。

「(私は命を穿うがたれかけている)」

 紫苑は胸の中央に手を置いた。

「(余命の跡が見える私の裸を、もう彼には見せられない)」

 無意識のうちに、露雩の腕に腕を重ねた。

「(露雩はきっと私の命を見て残念に思うだろう。今までと同じには、接してくれなくなる。あなたが私から離れてしまうことが、たまらなく恐ろしい。だから、私の方から――)」

 その手を、露雩の手がつかんだ。

「ねえ……、紫苑は、女の子の口づけ、嬉しいの?」

「え?」

「だって、男装するといつも女の子に声をかけるじゃないか。オレ、紫苑にあんな風に言われたことない」

 思いつめたような表情の露雩に、紫苑は顔だけ振り返りながら思った。まるっきり恋人同士の会話です、と。

「えーと……、女の子を好きになったことは一度もないから、安心して! 声をかけるのは、私がきれいなものが好きだからかな! 女の子って、きれいな子たくさんいるでしょ! 男はだめね、かっこいいが前面に出ちゃうから。そこらへんが男装女子の私の求めてる感覚なのかな」

 紫苑は正直に話した。男装するたびにこれからもきっと女の子に声をかけるであろうことは、あえて言わない。

「オレは? きれい?」

 紫苑の胸の下にまわす彼の腕が、緊張したように締めつけてくる。

「今まで見知った人の中で一番、綺麗きれいよ」

 紫苑は露雩の鼻をちょんと突いた。

「本当かい!?」

 露雩が火よりも明るい顔を見せた。

「じゃ、女の子に声をかけるより、オレに声をかけなよ!!」

 ぎゅううっと抱き締めてきて、紫苑は露雩のかわいさに赤面しつつ、物理的に息が苦しくなって青くなった。

「う、うん……露雩が女装したら考える」

 肺を助けるために、紫苑は露雩の力が抜けることを言った。

「気分転換したいの?」

 露雩は不思議そうな顔をした。

 パチ、パチ……。

 焚火たきびをぼんやり眺める。暖かい。

 背中には、温かい露雩の胸。

 肩には、こちらに顔を向けて寝息をたてている、露雩の頭がのっている。暖かい息が、紫苑をくすぐる。

 何も持っていない、男と女のような錯覚を覚えた。

 パチパチと燃える焚火が、すべてを火種にして燃やし、うつろにしていくようだった。

 ああ、少しの間だけなら、このまま時が止まっても悪くない――。彼女には、そう思えた。

 紫苑は露雩を起こさないように胸の間に露雩の頭をのせると、ゆっくりと横たわった。

 露雩の背中は、少し冷えていた。

「ありがとう、露雩。次は私の番ね」

 露雩の背中を温めるように、抱き締めた。


「暖かい、光だ……」

「彼」は知らなかった。

 本に載っていなかった、あるものを。

「しかしそれは存在が許されるのか?」

 答えを知るために、「彼」はその光に「彼」の刻印を刻みつけた。他の光たちの中から、この光だけをすぐに見つけだせるように。いつまでも見護みまもれるように――。

 露雩は目が覚めた。

 夢を見ていた。体が、ずっと暖かかった。あの夢の中の光は、強く触れればもろく壊れそうな、それでいて芯だけはしっかりしているような、そんな気がした。あの光はなんだったのだろうか。考えこむ前に、くしゃみが出た。

 いつのまにか火は消えていて、朝の光がほら穴に差しこんでいた。紫苑もいない。

「顔を洗いに行ったのかな」

 そのとき、露雩の耳に、遠くで鳥の羽ばたく音と刀の斬りつける金属音が届いた。

「紫苑!!」

 湖で、裸の紫苑が慣れない剣姫の刀を一本振り回して、昨日の巨鳥と戦っていた。

 紫苑の美しい肌に、血のほとばしる傷が無数についている。

 巨鳥の、首と同じ長さの異常に長いくちばしが、紫苑を突き殺そうと繰り出される。

「くっ!!」

 湖の中に潜ってかわすが、長いくちばしは容赦なく水面下に届く。

「死ね!! 剣姫!!」

 不幸にも、そのセリフはいつも紫苑が水に潜っているときに発せられ、紫苑には聞こえなかった。聞こえていたら、「自ら」の危機に、剣姫になれたはずである。

「くうっ! うっ!!」

 紫苑は、刀の重さに振り回されて、攻撃を弾くというより、敵の勢いに刀ごと弾かれるということを繰り返していた。

「死ねえ!!」

 巨鳥の突進に耐えかねて、刀が紫苑の手から離れて、宙を舞った。

「ああっ!!」

 刀が地面に突き刺さるのと、巨鳥のくちばしが紫苑の心臓を目前にしたのは同時だった。

神流剣しんりゅうけん!!」

 露雩の水の技が湖から巻き上がり、紫苑の目の前で巨鳥に巻きついた。

「ギャッ!! 水に濡れる!!」

 巨鳥が懸命にもがいた。

「露雩!!」

 紫苑は、はっとして胸の中央を隠した。

 露雩が、そのまま神流剣の技で巨鳥を湖に引きずりこみ、溺死させた。

「ありがとう、助かったわ」

「……ねえ紫苑、どうして胸じゃなくて胸の中央を隠してるの?」

 紫苑はギクッとしながらも、平静を装った。

「隠してないわ、痛いだけ」

「……黒い部分が見えた」

「え? それは、ほくろかもね」

「そんなほくろ、前見たときはなかった」

「うーん、最近できちゃって……きゃ!」

 露雩が紫苑の両手首を押さえつけて、倒れこんだ。

 そして、さっと顔色を変えた。

 豊かな両胸の真ん中に、どす黒い穴が穿うがたれていたのだ。

「どうしたんだい、これ……! 紫苑、病気だったのかい! どうして言ってくれなかったんだ!」

 遂に見られてしまった。紫苑は観念して目を閉じた。

「すぐに都に戻ろう!! 名医にてもらって……!!」

「そうじゃないの露雩」

 紫苑は穿たれた穴を自分でも見つめた。

「この穴は、出雲に穿たれたの」

 露雩には、わけがわからなかった。

「陰陽師は、式神を使役することができる。そのとき、式神に自分の命を分け与えるの。そうして初めて、式神は命を得て動けるようになるの。

 陰陽師は式神を好きな数だけ使役できるわ。でも、それにはちゃんと規律があって、もし式神が陰陽師の力を超えたら、その陰陽師は式神の活動のために、命を根こそぎ奪われて死ぬの。だから陰陽師は自分の力、つまり命の力より強い式神は使役できないの。もし使役できたとしても、一人のみとの契約で、長くは生きられないわ。

 ……これまで、私は赤ノ宮紫苑として、出雲の力にまさってきたわ。だけど、出雲は都で炎の精霊と契約して、私なしで式神召喚できるようになった。出雲が自分の道を歩み始めたのは私にとっても嬉しいことだわ。だけど、そのことで、出雲は私の力を超え始めているの。その証が、この黒い穴よ。出雲が、私の命を食い始めた証拠なの」

「そんなことって……! 出雲に炎の精霊との契約をやめてもらえば!」

 露雩が黒い穴を見つめたまま、呆然と叫んだ。

「だめよ。やっと見つけた、出雲の自分だけの道なのよ。私は、見守ってあげたい」

「だって、そうしなきゃ、紫苑が! もし出雲が青龍せいりゅう神に認められたりしたら、この穴は……!!」

「私を貫いて、私の命を奪うでしょうね。そのとき、私は出雲か私か、決着をつけなければならない。そう覚悟してるの」

 それは出雲と命を賭けて戦うということなのか。露雩は、その一言が聞けなかった。

「でも、私もやれるだけのことはやろうと思うの。だって、私、出雲をこの世に呼んだ責任があるんだもん!」

 絶対に諦めない顔で笑う紫苑に、露雩は勇気づけられた。

 露雩はそっと、紫苑を抱き起こした。

「オレも手伝うから。出雲は大切な友達だ。二人とも、助かる道を探そう!」

 露雩も紫苑を絶対に諦めず、支えることを決意した。


 合流した出雲たちは、傷の心配でいっぱいだった。

「結局扇を取られたままで、治療の陣が使えないの」

「新しいの、次の領地で買うしかねえな」

 それを聞いて、露雩が話に割りこんできた。

「扇のあてがあるから、オレに任せてもらえないかな」

「そんなことより、二人で一夜を共にしたんでしょ!? 何もなかったでしょうねえ!?」

 空竜が手に汗握っている。

「うーん……」

「なんだ!? そのためらいは!!」

 出雲も手に汗握った。

「一つ覚えていることは……紫苑の背中がすべすべだったってことかな」

 空竜と出雲の時が止まった。

 紫苑は、あーあと額に手をやった。

「ナ・ニ・ヨ・そ・れー!? ななな何があったのお!! 紫苑、白状しなさい!! 言わないと決闘よお!!」

「露雩!! お前紫苑に何したんだー!?」

「え、だから……」

 紫苑は露雩のそでを引いた。

「それは二人だけの秘密。ねっ?」

 かわいく首を傾けて笑う紫苑に、露雩もつられて笑った。

「あ、そうだね。はは」

「はは、じゃねー!! 言え!! 言うんだ露雩ー!!」

 大騒ぎの四人を見ながら、霄瀾が涙を流した。

「どうでもいいから、紫苑、おいしいお昼ごはん作って! 空竜の毒と出雲のなんでも焼くだけの簡単すぎる料理で、ボク、もう何がまずくておいしいのか、わかんないよ!」


 露雩と出雲の仕留めた野牛を、傷だらけの紫苑がなんとか厚く切って焼いて、一同はまともなものを食べていなかった丸一日から、脱出した。

 五人は一息ついてから、次の揚通あげどおり領内へ入った。

「さて、私は扇が欲しいけど……、露雩、どこかいいお店を知ってるってこと?」

 紫苑が傷だらけの自分の体を見ながら尋ねた。

「紫苑にだけ教えてあげるよ。二人で行こう」

「それは愛会まなえ!?」

 出雲と空竜が露雩に詰め寄った。

「私も行くう!」

「あんまり人が多いと、気が散るというか……」

「その職人さん、すごく集中する人なんだね」

 霄瀾が声をかけた。

「ぬう、気難しい職人なのか……くっ、仕方ない……」

「その代わり、すぐ戻って来てよ!」

 出雲と空竜が、二人を苛々(いらいら)しながら見送った。

「ここらへんにしようか」

 露雩が泉の見える丘で立ち止まった。

「あら、こんなところに扇職人がいるの?」

「職人はオレだよ」

「えっ?」

 露雩は、以前、都で紫苑の助けになるかもしれないと思って買っておいた、両面白地の扇を取り出した。

 そして岩絵の具を広げた。

 紫苑は、これからどうするつもりなのだろうと、わくわくしながらのぞきこんだ。

 露雩の絵筆はまず、黒に浸された。そして、扇の表面の中央に、「玄」と達筆で書きつけた。

「玄」は、玄武の「玄」で、「黒」という意味である。

「玄武神、お願いします」

『神紋を克服しうる者にならよかろう』

 玄武との会話の後、露雩は術の力をこめながら、「玄」の字の上から玄武神紋を描いた。

「玄武神と、神剣・玄武の使い手のオレの力を込めたよ。この扇は最初から水気を持つことになる。術を使うとき、もし水気の技を出したら、きっと玄武神紋が浮かんで、紫苑を助けてくれるよ」

 紫苑は、露雩から渡された「玄」の扇を見て、大きく目を見開いた。

「そうか、これだわ!!」

「気に入ってくれた?」

「これで出雲に勝てる!! やったあー!!」

 滅多にないことに、紫苑が露雩に飛びこんで抱きついてきた。

「おぶっ! 勝てるって、どういうこと?」

 紫苑の大きな胸が一瞬肺を圧迫して、露雩は口から息が出たが、この機会を逃すまいと紫苑を同じくらい強く抱きしめた。

「あのね、陰陽師が式神に命を穿うがたれないためには、陰陽師が式神を自由自在に使役し続けることが必要なの。自由自在に使役するっていうのは、木火土金水の式神に自由自在に変えることでもあるわ。今、もし出雲の力が私の力と同等以上になってしまったとしても、出雲の炎より上の力になるよう、私は炎以外の力、木土金水の力をつけ足していけばいい。つまり、出雲の炎の力に対して、私の炎に加えて私がこれから身につける木土金水の力の合計が出雲を超えれば、私はずっと出雲より強いまま、穿たれなくて済むわ! いつか青龍せいりゅう神に出雲が認められたとしても、木土金水の力をもっと鍛えれば、出雲の力と均衡を保てるに違いないわ!」

「別の気の力を借りて、出雲より上に行くつもりなんだね。なるほど、既に紫苑の炎の力は頭打ちになりかけてる、このままだと出雲の成長に自分の成長が間に合わない、だから木土金水の力を身につけようってことか。考えたね!」

「ええ。ありがとう露雩、あなたの水気の扇のおかげでひらめいたわ! これから私に、水気の訓練、つけてくれないかしら!」

 紫苑と出雲の二人の命が助かるかもしれないと喜んでいた露雩は、そこで紫苑と抱き合っていることに気づいた。

「ふっふっふっ、これからたびたびオレのお願い聞いてくれたらいいよ」

「うっ……?」

 紫苑を抱く両手に力が入り、ちょっとワルい人のように笑う露雩を間近で見て、紫苑が恐れと未知で体を震わせたとき、

「オレに紫苑の絵を描かせてよ」

 とっておきの、希少な「光り色」の岩絵の具を全部出しながら、露雩が満面の笑みを見せた。

 愛しい少女の、岩に腰かけた絵を、自分の持っていた黒水晶の本の無地のページに描きながら、露雩はその喜びと同時に、出雲のことが妙に頭の隅に引っかかって、離れなかった。

 もし出雲が紫苑の命を穿つ時が来たら、そのとき自分は――。

 それに何より、紫苑の胸の黒い穴が目の前にちらついた。

「紫苑に最初に消えない傷をつけたのは出雲」というのが、どうもくすぶっていた。

 露雩の絵筆から放たれる赤が、燃えたつような塗りを見せた。

 彼女の髪は、まろやかに光を反射する泉を思わせる、美しいルビー色の髪である。火の水があったらこのような姿をしているだろうか、と、露雩はこの世ならざるものに絵筆を持つ手を止めてみとれた。

 美しい顔と相まって、彼女がこの世に存在していること自体が、自分にとって幸運に思えてくる。露雩は、つまらないことを考えていたと、純粋に思った。

「最近きれいになったよね、紫苑」

「え?」

 露雩は絵と彼女を交互に見て、絵筆を動かす。

「前からきれいな玉が、さらに磨かれて、尋常じゃない――いや――、本来の美しさを見せつつあるような、そんな気がする」

 紫苑には、思い当たることがあった。露雩が、彼女の剣姫を救ってくれたからだ。剣姫を心のどこかで憎み、悲しむ心が感謝へ変わり、同時に彼を明確に……愛しいと思うようになったのだ。救われた人間が、かたくなだった心を開いた、それこそが、輝きを解き放てた理由なのだろう。

「みんな、あなたのおかげよ」

 紫苑は、光のこぼれる笑顔を向けた。露雩はまぶしそうに眺めた。

「紫苑の裸にこんな輝く髪がまとわれていたら、女神様だね」

 自分の裸を好きな人に連想されて、紫苑は顔を赤らめた。

「髪、伸ばしたら。足より長くてもいいな」

 紫苑は言葉に詰まった。

 長すぎる髪は、剣姫の邪魔になる。

「……露雩は髪の長い女の子が、好き?」

「うん。お姫様みたいだから」

 紫苑は真逆の殺戮剣姫である。

「……そっか」

 紫苑は髪の毛を一回いじって、両手を後ろに組んだ。永久に髪の触れない場所に。

「きっとオレが君を一生守ってあげるから」

「え?」

「だから、伸ばしていいよ。きれいな髪を」

 露雩はそばまで来て片膝をつくと、紫苑のルビー色の髪を手でいた。なめらかな指通りに、光の輪が走る。

「あ、ありがとう、だけど……」

 本当は、紫苑は心の底から嬉しかった。彼にこう言ってもらえるのはきっと自分だけだろうと、勝手に思ってもいる。

 だが。

「私の幸せは、この世界の行く末を決めてから考えたいの」

 どうしても、その言葉が出てきた。

 それが力ある者の義務なのだ。

 露雩の目は、何か心の中で動きがあったような目をしていた。女として見てもらえなくなるかもしれない。……他の女に、目が移るかもしれない……。

 紫苑の心の中とは正反対に、露雩は満足そうにうなずいた。

「ごめん紫苑、オレもだよ」

「え?」

「オレも、途中で自分だけ幸せになろうとは思わないよ。でも、きれいな紫苑を目の前にすると、つい手を伸ばしたくなってしまうんだ。世界のことが終わったら、二人でそれから先のことを考えようね」

 愛欲の河の老人は、星方陣せいほうじんを成した以降のことは、自分に任せるはずだ。露雩はそう考えて、紫苑に笑いかけた。

 紫苑も、なんだか何かの約束をしたみたいで、全身が上気し、露雩にされるがまま、髪をかれていた。


「ちょっと紫苑! どうしてどこの武器屋にもいないのよ!? 出雲と霄瀾と三人で一日中駆け回ったんだから!!」

 集合場所の宿屋で、空竜たちが走り疲れていた。

「へえ、三人で一日領内をまわってたの! 仲良くなって良かったわね!」

「「……へ?」」

 空竜と出雲が目をぱちくりさせた。

「だって、二人ともけっこう口喧嘩してたから。一日もったなら、仲良しさんだわ!」

「ええー!!」

「ぎええー、ちげえよ紫苑、オレ、お前より他の女と親しくなんか、ならねえから!」

 二人が一斉に手を左右に振った。

 その手にぶつかって、露雩の岩絵の具のかけらが落ちた。

「あーっ、そうだ露雩、私を絵に描いてよ! お好みの姿勢、なんでも来いっ!」

 空竜が猫の手のように手を軽く握り、しならせた。

 紫苑が、かわいい空竜の仕草にはらはらして無言の露雩を見た。

 露雩は、無表情に言った。

「絵って、興味のあるものじゃないと描く気がしない」

「がーん!!」

 空竜は思わず口で衝撃の深さを表した。

 ほっと体の力を抜いた紫苑に、出雲が真面目な顔で近づいた。

「それでな紫苑。この領地をかなり走りこんでわかったんだが……」

 通常、領地の一角にしかない貧困地区が、この領地ではほぼ全土に拡がっていて、普通の職を得て食べていけるのは領主の館勤めと役所に勤めている者のみであった。まともな商業活動は、ほんの一握りの、領主の子飼いの大商人しかしていない。

「大多数の人々は、何をしているの?」

 そのとき、泥にまみれた着物を着た十才から十三才くらいの子供が四人、近寄ってきた。

「お金、めぐんでください」

 出雲が目で合図した。紫苑は、それが答えだと理解した。

「話を聞いたの?」

「いや、まだだ。とりあえず領内をまわって確かめただけだ」

「みんなそろったし、話を聞きましょうよ。お金をあげればいろいろ話してくれるでしょう。いくらがいいかしら。一人一万イェンくらいかな?」

 空竜が無造作に財布からお金を出そうとするのを、霄瀾が素早く止めた。

「なんの仕事もしないのにあげたら、きりがなくなるよ。それにあげたって、この人たちはお金をうばいあって、たいへんなことになるよ!」

 空竜はお金をもらう仕事をしてきた子供の剣幕に驚き、考えた。

「それもそうね……。そういう混乱は、一番いけないわよね」

 そこで物乞いの子供たちに、一人一回、芸をしたらお金をあげると伝えた。

 子供たちは、昔学校で演じたのだろうか、影絵を見せてくれた。

 見物料を一人千イェンとして、五千イェン受け取った子供たちは、気を許して、地面に座った。

「オレたちは農家なんだ。土地に縛られて、移住を禁止されてるし、仕事も変えられないんだ。この領地は、やせた土地で、領主が作れと言って勝手に決めた量の作物なんて、育たないのに」

 一番年上らしい、四人のうちで一番背の高い子供が、あちこちに小さなつぎあてのある袋に、お金を大事そうにしまった。

「今仕事をしてない人たちは、ほとんど農家の人だよ。特に今年は、やせた土地でほぼ何も実らなかったから、物乞いになるのは、しかたないんだ。年貢で持っていかれて、オレたちは毎日食べる物に困っている。物がなくちゃ、何も作りようがない。まず食べ物を扱う商人が、商売ができなくなったよ。お金を生み出せなきゃ、物は買えない。食べ物の商人から始まって物が買われなくなって、その取引相手に連鎖したりして、食べ物以外の他の店もどんどん仕事がまわらなくなって、売り上げが落ちて、休業して……。今じゃ、まともに暮らしてるのは、他国との商売で儲けてきた大商人と、役人だけだよ。もうこの領内で領主に税を払っているのは、大商人だけさ」

「領主に会う必要があるわね。土の品質を調査する学者に何もさせないし、新しい産業をおこそうとするでもない。自分の周りだけ富ませて、恥ずかしいと思いなさい!」

 空竜が憤然として立ち上がったとき、他の人々が押し寄せてきた。

「子供のあんな芸で金をくれるんだ、当然オレたちにも恵んでくれるんだろ!?」

「頼みます、子供が熱で……!!」

「まあ、そうなの?」

 空竜がすぐに同情すると、霄瀾が鋭く叫んだ。

「空竜! だめだよ! はたらける能力を持ってる人にめぐんじゃだめだ!」

 人の尊厳を傷つけることになるし、その仕事と真面目に向き合わなくなるからだ。それを広める空竜が、「悪」になってしまう――。

 それに気づいて、空竜は恐ろしくて紫苑を振り返れなかった。

 人々の目は、血走っていた。

「子供にあれだけ金をやっといて、本当に困っている大人にやらないなんてことはないよな!?」

「くれないことはないよな金持ちのお嬢ちゃん!!」

「余ってるならオレたちに分けろ!!」

 空竜につかみかからんばかりに、押し寄せてきた。

「キャー!」

「たいへんだ! この人たちもうお金しか見てな……!」

 二人が押し潰されそうになったとき、

かつ―ッ!!」

 紫苑の言霊が飛んだ。

 人々は、言霊の威力で一瞬硬直した。

「し……紫苑!」

「紫苑!」

 空竜と霄瀾はホッとした。

「他人の好意にこんな形でしか応えられないのか!」

 剣姫のような強い口調で、紫苑が怒った。剣を抜かなかったので、出雲と露雩は胸をなでおろした。

「生きてく苦労も味わったことがないガキのお前なんかに、わかってたまるか!!」

 己の情けなさを恥じて、人々は忍び泣きをした。

せた土地でろくに作物が育たないのに、年貢が変わらなかったんだ。オレたちは作物以外の物で税を取り立てられて、もうすべてを捨てて逃げ出すしかなかったんだ」

 着ている物以外に何も持たない人々は、涙混じりに話した。

 紫苑がその場にいる全員に声をかけた。

「まず病人のある家は名乗り出てください。合う薬があれば、お分けします。それから、この国のことをもっと詳しく聞かせてください」

 揚通あげどおり領の領主は愚かな男で、自分の気に入った、一芸に秀でた者だけを登用し、重宝していた。

 詭弁きべんの才、変顔をする才、骨を外して関節と逆に曲げる才、昼寝を何の目覚ましの道具もなしで、三十分で起きる才……。

 利用価値の高い度合いに応じて階級を作ることもなしに、彼らは同列に扱われ、しかも貴族並の待遇を受け、領主の館に住んでいた。

 彼らにならって領主に気に入られようと、人生において貴重な時間を、それを費やすにふさわしくない芸を磨くことに使い、無駄に人生を使い潰していく者が、一般人の中にたくさん出てしまった。

 その羨望の的の一芸に秀でた者たちも、一芸で引き立てられただけなので、領地を守る志も何もない、凡庸ぼんような者たちであった。そのため、貴族も兵士もこの者たちを疎ましく思うようになったが、領主が周囲の意見を聞かず、自分を楽しませるためだけに相変わらず重用したので、貴族の中で優秀な者は別の国の引き抜きを受けて、領地から脱出していった。

 つまり、今館に残っているのは、文字通り「残りもの」だけであった。それらに貴族の称号を与え、代わりに働かせていた。

 そんな平凡な人間たちだけで、領地全体の困難を乗り切れるわけがない。

「自分たちの米蔵こめぐらが空になったら、大変だから、税金を上げることしかしない。オレたちは、支配階級の奴隷じゃない! 金をもらうなら、オレたちを守ることをちゃんとしろ! 仕事もしねえで、金がどっかから出てくるもんだと思ってやがる!」

「オレたちは、『馬鹿』に馬鹿にされるのはもうごめんだ!」

 人々は地面を殴りつけた。

「領主の館へ行きましょう。――時間の問題だわ」

 暴動が起これば領地が混乱し、各地を動揺させる。

 空竜姫は早足で領主の館へ向かった。


「あ、そーれ! タッコでっすぞ、タッコでっすぞ!」

 手拍子とともに、ひょっとこと同じく口を横に尖らせた変顔の男が、タコのように体をくねらせながら、皆の前で踊っている。

 一芸を持つ者たちが百人、一人につき一人女中を侍らせて宴会をしている。しまりのない顔で笑う領主・妥幕倉だまくらの両脇は、大商人たちが占めている。妥幕倉だまくらの動かす盃に、一滴もこぼさず酒をぐ一芸の者が、後ろに控えている。

「何用か! 揚通あげどおり領主の館に、みだりに押し入るとは!」

 外が騒がしくなった。

「なんだ、騒々しい!」

 妥幕倉だまくらが不機嫌に怒鳴りつけたのと、障子が勢いよく開かれたのは同時だった。

「あんた、民を飢えさせて自分は宴会だなんて、恥ずかしくないの!?」

 空竜が立ったまま、座っている妥幕倉だまくらを睨みつけた。

「なんだこの女は! おい、お前たち、つまみ出せ!」

 一芸の者たちが次々に立ち上がった。つかみかかろうとするその手を、出雲と露雩が刀のさやで打った。

いてえ!!」

「オレをぶったな!!  オレをぶったな!!」

「領主様ぁー!!」

 自分の力で生きていく覚悟のない者たちは、無意味なことしか言わなかった。

「なぜ民を救わない。お前は、それでも人の上に立つ者か!」

 剣姫を抑えて、紫苑が空竜の横に出た。

 妥幕倉だまくらはその美貌に一瞬我を忘れて、一芸として採用できると思った。

「お前、オレの隣に来い! しゃく女中にしてやるぞ!」

 紫苑は剣姫にならないのを自分でも不思議に思いながら、妥幕倉だまくらを社会的に殺す決意を固めた。

「あくまでも己の快楽のみで生きていくつもりなのだな。ではお前ではない者に語ろう。

 人は労働の価値以上に富も地位も得てはならない。社会の秩序を乱し混乱の乱世を作り出すのは、無能が持つ大きすぎる力だ。人はよく、強権を持つ暴力的な独裁者を非難したがるが、それは少数の事例であって、大多数はこの無能が引き起こす混沌によって民は苦しめられるのだ。人を正しく評価することが、人を認める真に公平で平等な社会なのだ。一芸を持つことを悪くは言わない。だが、使う場所を考えろ。それぞれが輝ける場所を探せ。その道の上でならともかく、多くの道の上に立つべきでない芸もある。自分がどの人間を救えるか、考えろ。自分を知らない者が自分の本来在るべき場所にいないなら、社会は崩壊するだろう」

 しかし、妥幕倉だまくらには、自分の好きな連中を悪く言われて不愉快だという感想しか、生じなかった。

「この領地を魔族の侵攻もなく平和にしてやってるのはオレだ! 領民を、オレを喜ばせるために使って、何が悪い! この領地が暴動もなくうまくまわっているのは、みんなオレというかなめが、商業も何もかも、手続に許可をしているからだ! みんなオレの手柄だ! オレがいなくちゃ、この領地は制度が崩壊するぞ! それでいいわけないよな! だから領民は領地を支えているオレに感謝して、オレの命令に逆らってはいけないんだよ!」

「たった一人で支配できる国など、どこにもない。お前一人がいなくなっても、この領地が崩壊することはない。権力を握った者ほど、その愚かしい妄執に取り付かれる。自分の代わりがいくらでもいることを、忘れてしまうのだ」

「なんだと!?」

 怒りのあまり妥幕倉だまくらが青筋を立てたとき、空竜も青筋を立てて一歩出た。

妥幕倉だまくら、帝の姫に挨拶もなく、美人を口説くとは、無礼にも程があるわね。領内にいる者たちから既に話は聞いているわ。無策のお前に、もはや領主の資格はない。すぐに免官の手続をして、新しい領主をここへよこすわ。一芸のお前たちも免官、妥幕倉だまくらと同じ道をたどりなさい! 新たな文官も呼び、この揚通あげどおり領を立て直す!」

 妥幕倉だまくらは、そこで初めて、今、目の前にいるのが帝の一人娘、空竜姫だということに気づいた。そして、姫が世直しの旅に出たという噂を聞いたことを、思い出した。

「お、お待ちください! 私めの何が至りませぬか! 領内で死者が出ましたか!!」

 空竜の足にすがりつこうとする妥幕倉だまくらを、出雲が刀で止めた。

「命より大切な、人々が『為せたはずの人生なにか』を奪った……!」

「……!!」

 出雲の刀の力の入れ具合で、妥幕倉だまくらは、もう自分は微塵みじんも許してもらえないのだと悟った。

「くそっ……わからねえ奴らめ!! 兵士ども!! こいつらを殺せ!! 姫なんてかまうこたあねえ、魔物のエサになったとでも言って、帝に送りつけりゃあいいんだ!! 魔族を討伐して仇は取りましたって言やあ、へへ、感謝した帝に領地を増やしてもらえらあ! さあ、こいつらを殺しちまえ!!」

 妥幕倉だまくらが空竜を平気で指差した。

「汚い言葉が移ったのか。そうやって自分の欲に染まっていったんだな」

 出雲が静かに妥幕倉だまくらを観察した。

「お前はお父様を侮辱した。そして、今、明白に帝室に弓を引いた。都で極刑になるわ。覚悟しなさい!」

 しかし、空竜姫に襲いかかる兵士は、一人もいなかった。

「何をしてやがる、早く斬り殺せ!!」

 妥幕倉だまくらが叫んだ。しかし、紫苑たちの話を聞いていた兵士は皆、この人たちの言う通りだと思って、妥幕倉だまくらたちがいなくなった方がいいという結論を出していた。

 それに、こんなつまらない男のために、帝国の逆賊になるだなんて、つきあってられなかった。

 妥幕倉だまくらは人生を捨ててまで、ついて行ける男ではない。

「ちくしょうなんでだ! なんで兵士たちは動かねえ!!」

 盃を投げつけた妥幕倉だまくらを見て、一芸を採用された者たち百人が、代わりに刀を抜いた。

「結局自分が目をかけてた奴らしか味方にならないってことか。兵士たちまで食わせてると思ってたところがまだ愚かなんだなあ。食わせてもらってるのは領主おまえの方だったのに」

 出雲が刀を腰のあたりで引いて、左足を出した。

「うおらあー!!」

 一芸の者たちが、刀を振り上げて突進してきた。

 刀の素人である。

 それでも、出雲は斬った。

 紫苑は空竜と霄瀾を守りながら炎で仕留め、露雩は出入口をふさぎ、わらわらと逃げ出す者たちを水で部屋へ押し戻す。

 空竜は、弓を手にしたまま、硬直していた。

 目の前で飛ぶ血飛沫ちしぶき

 都の処刑人の手でなく、今行われる処刑。

 このまま見ていれば、いずれ勝てる状況。

「甘ったれるな!!」

 そのとき怒鳴った出雲の声に、空竜は心臓が跳ねた。

「お前の国だろ! 汚いことしねえで人の上に立てると思うな! 民のために自ら汚れてやろうと思えないなら、お前に人族の王たる帝の一族の資格はねえっ!!」

 人を殺すのを心のどこかで恐れていた空竜は、目が醒めた。

「きれいなものだけに囲まれていたら、私は妥幕倉だまくらと同じ阿呆あほうだわ。民を正しく裁くためには、汚いものに触れなくちゃいけない……!」

 空竜は弓に矢をつがえた。

「わかったわ出雲! 私、目が覚めた!」

 空竜の弓は、妥幕倉だまくらの額を貫いた。

 妥幕倉だまくらが死ぬと、一芸の残りの者たちは庇護者ひごしゃを失い戦う理由もなくなって、武器を捨てて逃げ出していった。

 兵士たちは歓声をあげて、空竜にひれ伏した。そして、死体を片付け始めた。

「紫苑。すぐに代理の領主と文官と、土壌に詳しい学者を呼ぶわ。十二支式神「とり」(鳥)を。……私の旅がばれてもいいわ。私の名前を出しましょう」

「ははっ」

 紫苑がとりの体に文面を書き、空竜が空竜だけの印を手書きした。

 とりを放ってから、紫苑は、弓で息絶えた者たちに目をやった。

「本来なら臣下の務めであることを……。清らかな姫に血の穢れをつかせ、申し訳ありません」

「いいのよ紫苑。私、何のために戦っているかやっとわかった。民のために戦っていたのね。魔族とだけじゃなかったんだわ。もう弱いままではいられない。早く六薙ろくなぎ完璧に使えるようになって、みんな守らなくちゃね!」

 空竜の目は、見つけた何かを明確に見つめていた。

「旅の間、極力お守りいたします」

 紫苑は心安らかにそれを見つめた。

「危ないときは、お願いね」

 空竜は紫苑に片目をつぶった。

 そして、出雲にもそっと、

「出雲……ありがとう」

 と、うつむいて呟いた。出雲は苦笑した。

「言ったろ。オレが一人前の帝の娘にしてやるって!」

「……うん」

 なぜか空竜の顔に複雑な影が入った。

「一芸で地位をやるなんて、お前放っといたらやりそうだよな。こういう領主がいて勉強になったろ」

 それに気づかず、出雲が腕組みした。

「う……やったわよお。しかも霄瀾がいなかったら一芸なしでお金あげようとしてたし」

 空竜が痛いところを突かれたように顔をしかめた。

「紫苑、あのときは助けてくれてありがとう」

 空竜は、紫苑の頬に口づけをした。

 驚く一同に対し、空竜はわざとえばったように、それなりにある胸をらした。

「し、紫苑はかわいい女の子が好きなんでしょ! だから今日はお礼にしてあげるう!」

「うおー、姫様のくっちづけっ、額縁モンだー!」

 いつのまにか男装して、紫苑は大はしゃぎしていた。自分の口づけでここまで喜ぶちょっとかっこいい紫苑を見ながら、空竜は心臓がいやにドキドキしていた。

 心のどこかで、あの口づけには出雲への分も入っているのだと気づいていた。

 どの王も、流血なしに大陸を統一することはできない。血を知らない子孫は、必然的に何も知らない「子供」で、弱くなる。

「すべてを知っている『大人たにん』に、操られるな」

「すべてお前が経験したうえで、すべてを決めていけ」――。

 出雲は今日、それを空竜に教えてくれたのだ。

「でも、スキになるのはちょっとだけだからね!」

 紫苑に空竜は声をかけた。

「いいよ! もっと好きになること、してやるから!」

「何をする気だろうね? 紫苑」

「はっ、露雩!」

「ずっりーぞ空竜、オレだって紫苑にあんな……ほ、頬にしたことないのに!!」

 男二人がゆらりと紫苑を取り囲んだ。

「え? 何かな諸君? あ、あれ? 清く正しい道を歩もうではないか! なぜそんな殺気立っているのだい! ははっ、おにーさんにはとんとわからないなあ!」

「お前が清く? 正しい道を? そのためには『女』に戻ってもらわなきゃなあ。なあ、露雩」

「その通りだよ。おにーさんたちはね、おイタが過ぎた『子供』に、今からおしおきをするんだよ」

「え……? あれっ? 何を……!?」

 美形二人は、引きつった紫苑の両頬に、ちゅうーっと口づけした。

「ふぎゃああ!! なんじゃこりゃあああ!!」

 悲鳴をあげる紫苑の様子を、空竜が駿足しゅんそくな足さばきで様々な角度から目に焼きつけていた。

「すごいわ!! なんて羨ましいの!! だけど男が三人!! なんてなの!! すごいわ!! こんな劇、都でもなかったわ!!」

「劇じゃねー!!」

 絶叫する男装紫苑を、霄瀾が言葉にできない何か激しいものを見るで見ていた。


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