白き炎と剣の舞姫第三章「水鏡(すいきょう)の調(しら)べ」
登場人物
赤ノ宮紫苑。双剣士であり陰陽師でもある。
出雲。紫苑の炎の式神。
赤ノ宮殻典。紫苑の父で、赤ノ宮神社の宮司。
月宮。帝の弟で、千里国を治める国守。シオンの数少ない理解者。
山脇。千里国の将軍。
華椿雪開。陰の国守と噂されるほど、一族が政治に食い込んでいる。
霄瀾。旅の一座の、竪琴弾きの子供。
降鶴。霄瀾の祖父。他に四人の男女を含めた、旅の一座を率いる。
第三章 水鏡の調べ
「陰陽道の理破るを好まず、偏る強さを是正する! いざ、陰陽均縛陣!」
殻典の呪文と共に、二つの勾玉を嚙み合わせたような、陰陽の模様が床に広く描かれ、その中心にいる人物に作用し始めた。
「うぅ……うっ!!」
その人物、シオンは、力を押さえつけられながら脱力感に襲われ、体の感覚が混乱して吐きそうになった。
「がんばれシオン! 気を確かに!」
山脇が月宮を庇うようにして前に立ちながら、シオンを見守っている。
しかし、しばらく術の圧力に苦しんだあと、シオンはそれを弾き返し、剣姫として辺りを睨み回した。
そして斬るべき相手がいないので、仕方なく元のシオンに戻った。
「陰陽均縛陣でもだめか……。お前の力そのものを封じずに、陰に突出した力を陽に移して、陰陽の力を均等にならす陣だったのだが」
額の汗をぬぐった殻典が、シオンに近づいた。
この陣を出したのは、世界は陰と陽の気が均衡を図って成り立っているという陰陽説に則った考えからである。どちらかに偏れば、自然界の力関係が狂う。今シオンは陰に偏りすぎた力に陽を増やし、均衡のとれた心身で己の力を操ろうとしていたのだ。ちなみに、陰と陽の代表的なものは、陰が月、陽が太陽である。
ここは、赤ノ宮神社の、呪術用の部屋である。
シオンは自分の剣姫としての力を操るため、父・殻典に封印の術を試してもらっていた。
シオン自身も新しい封印の術を手に入れる度、新月から次の新月へ変わるまで毎日、二十四時間のあらゆる時間帯を試したが、これまで効果のある封印の陣は、一つもなかった。
一人でせずに月宮や山脇たちもいる理由は――
「もう一度お願いします!」
「八時八分。『八』のくくりでやってみるか!」
殻典が構えると、月宮が語りだした。
「都では政治の腐敗が進み、賄賂なしには何もできないと聞く。まっとうな職人は仕事をする機会が奪われ、妻子ともども路頭に迷っている。蔓延っているのは中途半端な能力しか持たない、金のやりくりだけがうまい連中のみだ。そこに真の価値ある仕事はない」
シオンは怒りから剣姫になった。月宮たちは、シオンを剣姫にするため、この世の悪を聞かせていたのだ。
「陰陽均縛陣!」
殻典がシオンの陰の力の一部分を陽にならそうと、再び術を起こした。しかし、またシオンに吐き気を催しただけで、剣姫の力に変化はなかった。
「ハア、ハア……」
シオンが両手を床につけて大きく呼吸したので、殻典は、今日のところはこれで打ち切ることにし、月宮と山脇は国守殿へ戻っていった。
「しばらく休んだら、外の結界の確認をしておくように。私は仕事に入る」
朝の日差しを受ける廊下を通って、殻典も出て行った。
一方で、さっきまで殻典が使っていた陣を自力でもう一度出そうとするシオンを見て、イズモが飛び掛かって止めた。
「何してるんだ! 剣姫でなければ何が封印されるかわからないぞ!」
「だめよ! 次の時間で陣を作れば封印できるかもしれない、陽の差す場所なら、何かの呪術衣装を着ていたら……! なんでも試さずにはいられないのよ!」
今まで剣姫に力を奪われ、動けなかったイズモは、取り乱すシオンの両頬を両手でパン! と挟んだ。
びっくりして止まったシオンに、イズモはぶっきらぼうに言った。
「気に入らない」
「何が?」
「力を封印しようとすることがだよ!」
シオンは目を瞬かせた。
「なんで?」
「殻典さんはいいとして、なんで月宮や山脇がいるんだよ。発動条件はその場で見てればいずれわかるからいいとしても、お前を封印して支配する方法をむやみに他人に教えるものじゃない。
自分の都合のいいときにシオンの力を封印して、操るためとしか思えないんだ」
不機嫌な顔で、イズモが言い放った。
「封印の術なんて、見つからない方がいい。お前、人でありながら、オレみたいに式神と同じにされるぞ。兎角、力のある人間に欲深い人間は群がるものだ。あまり他人にすべてを見せるな。今はいい人でも、人は変わるものだ」
シオンは目を伏せた。
「つまらない人間に使われるなと言いたいのね。だけど、今の恐れられる剣姫のままじゃ、私は塚に封印されて眠る式神と同じだわ」
しかしイズモは激昂した。
「どうしてそんなに人の世界に入ろうとするんだよ! 拒絶されたら許すなよ!!」
シオンは目を伏せたまま、苦しそうに顔を歪め、床に声を撥ねつけた。
「生きているのか生きていいのかと、自分を疑うことがあるの! 他人に姿を認めてもらうことで、私は自分の命を確認しているのよ!」
人は他人がいなければ、生きていることに気づけない――。
「正しいことに力を使えば、きっといつか報われる、私はこの世界で生きていける! 私を確かな存在にしてくれる人々のそばにいられるのよ!」
「縋っているのだ!」
イズモは目に力を込めた。
「やはりお前は、力に縋って、己に埋められない他人の空隙を、耐えているのだ!」
シオンはきつく目を閉じた。
式神イズモがシオンのもとに来る前から、シオンはずっとただ一つ、それを頼りに生きてきたのだ。
「人の世で生きていくなら、人を無視して生きることはできない」
一種、諦めに似た音を混じらせながら、シオンが下を向いて強く一点を睨みつけた。
それを見てイズモは頭を激しく振って、下歯から声を押し出した。
「だからって、そんな連中のために、命を懸けることもないだろうに!」
すると、今度はシオンが大声を上げた。
「人の役に立たなければ、私は人の世界のどこにも居場所がなくなってしまうわ!!」
その瞳から一筋涙が流れた。
「私は、みんなに愛されたかったのよ!!」
今まで言いたくても誰にも言えなかった想いが、集約され、溢れ出た。
人が居場所を作ってくれないなら、自分から作るしか、ないではないか。
誰からも必要とされる人間になれば、人の世界で生きていけるではないか!
たとえ命を削っても――!
それが発動したら最後、最終の一人を斬るまで止まらない、剣姫の真の心情だったのだ。
これがなければ、途中で治療陣を出して、自分の命を何が何でも守り抜くこともしただろう。
「星方陣さえあれば、この剣姫を止めてもらえるのに!」
星方陣。人間の間で、“なんでも願いがかなう”と言われている、伝説の陣だ。しかし、それを見た者はいないし、旅に出て探したくても、シオンは国外へ出ることを許されていない。
「こんなに愛しても、届かないのか」
イズモは、涙を拭って外へ出て行くシオンを、追えなかった。
「イズモにしゃべってしまった……」
しかし、シオンは泣いたことも含めて、なぜかすっきりしたような気がした。人に話したのは、初めてだったからだ。父・殻典には心配をかけるので言えない。
「イズモに背負わせるのは酷だったかしら」
私は今も昔も全部自分で引き受けるけどね、と苦笑しながら、結界の破れたところがないか、シオンが朝の日課として神社周辺を見回っていると、茂みの向こうで何かが躓いて、水がぶちまけられる音がした。
慌てて駆けつけてみると、七才くらいの幼い男の子供が、土の上に投げ出され、痛みを堪えて目を強く閉じている。
傍らには桶が転がり、子供との間に水溜まりができている。
「ボク、大丈夫!?」
シオンが抱き起こしたとき、子供は、はっと驚いて目を大きく開けた。
子供のイチョウ色の髪の毛が風を受けて、黄色の中に光がきらめく美しい瞳を、隠したり現したりしていた。
「あら? どこの国の子?」
シオンは思わず話しかけていた。この大陸で黄色の髪と目を持つ人種を、シオンは知らなかった。
子供は、真っ盛りに色づいたイチョウの葉のように明るい黄色の髪、ススキの穂のように黄色く細い眉、黄色に光がきらめく紅葉の瞳、青々とした若い笹の葉のように程よく先のとがった鼻、紅葉した桜の葉のように赤く色づいた口唇、白い南天の実のように形よく粒揃った歯だった。木々の香が紅葉に凝縮されて落ちたのを、火で焚いたときの、ほのかな木の力の匂いがした。
「……」
子供は、どうしようか窺うような目でシオンを見ながら、恐る恐る立ち上がった。
「水汲みの途中だったの? まあ、膝すりむいてるわ。暖熱治療陣!」
シオンの扇からの光で傷が塞がった子供は、
「うわあ……、すごい!」
と、黄色い目を輝かせた。サラサラな髪に、幼く丸い目が愛らしい。橙色の膝までの着物を着て、それより少し薄い色の細身の袴をはいている。
一段と目を引くのは、背中に背負った、子供の背中をちょっとはみ出すくらいの広さの、形が五芒星の竪琴である。六つの穴に、弦がそれぞれ複数、連なっている。水晶のように透き通り、朝陽を浴びた影で、子供にその輝きを分けていた。
「もう一度、水汲むんでしょう? お姉ちゃんが近道教えてあげる」
桶を拾って川へ下りていくシオンを見ながら、子供は躊躇っていた。
「で、も……」
「そっか、知らない人についてっちゃダメね。じゃ、ここで待ってなさい。お姉ちゃんが汲んできてあげるから」
軽く笑って、走り出そうとしたシオンの後を、子供が急いで追いかけてきた。
「まって! ボクも行くよ!」
シオンは笑って子供の手を握った。子供は緊張しながら、
「もうころばないもん!」
と、石に躓きながら口をぷうと膨らませてみせた。
「私は赤ノ宮神社の宮司の娘、赤ノ宮紫苑よ。あなたの名前は?」
子供は迷いながらも、薄氷の上を一歩一歩進むがごとく、少しずつ自分のことを話した。
「ボクは、霄瀾……。竪琴弾きだよ」
「霄瀾……? 難しい漢字使うのね」
シオンは首をひねった。こんな古い漢字は、もう大陸では人名に使われない。ひと昔前の統一以前なら、話は別だが……。
しかし、人の名前を兎や角言うこともあるまいと、シオンは思考を竪琴に移した。
「竪琴弾きって、音楽のお仕事してるの?」
霄瀾は石をよけながらうなずいた。
「ウン。旅しながら芸を見せる、一座にいるんだ。ボクのおじいちゃんが座長だよ!」
得意気に小さな胸を張る霄瀾を微笑ましく思いながら、シオンは川原の石を踏み締めた。
「じゃあ、とっておきのやつ、教えてあげる!」
桶を川の中にザバッとくぐらせて、水を滴らせながら持ち上げた。
「この桶の木を削るわけにはいきません!」
「……え?」
霄瀾が何か違和感を感じて戸惑っていると、俄に雲が晴れたように、ぱっと気づいた。
「あっ! “桶”と木“をけ”ずるの、しゃれだね! あはっ、すごーいシオン!」
けたけたと、霄瀾が笑った。シオンもにこやかに歯を見せながら、川原の石を拾った。
「まだあるわよー。石の歯医者」
霄瀾が片頬を押さえて震え上がった。
「獣はたわけものをこらしめる」
おおー、と霄瀾が身を乗り出した。
「坂上で競技の参加運営をする」
「ボク走るの好きだよ!」
「森を出たつもり」
「あれっ? 森を出てる!」
シオンが歩きながら目についたものを洒落にしていくうちに、霄瀾はいつのまにか森を出ていた。
「ありがとうシオン、楽しかったよ! ここからはボク一人で大丈夫! またねー!」
無邪気な笑顔を残して、桶を持った霄瀾は去っていった。
シオンも心から楽しかった。自分と普通にしゃべってくれる人は、久し振りだったからだ。
あんなにころころと変わる他人の表情を見たのは、幼い頃以来かもしれない。剣姫と恐れられる前しか、シオンは他人と何の打算もなく話した覚えがない。
剣姫と知られてからは、避けられるか、シオンを手懐けて自分の切り札にしようとする人間に、近づかれるかしかなかった。
ずいぶん殻典が守ったし、ずいぶんシオンも斬った。
それがシオンの殺戮話を広げ、一般人から遠巻きにされる原因になったのだった。
「あの子には、私のもう一つの姿は見せられないわ……」
この町で芸を見せるつもりなら、シオンの噂も聞くかもしれない。あのかわいい子供の、自分を見て恐怖に引き攣る顔を目にするのは、耐えられそうになかった。
「もう二度と会わないようにしよう」
シオンはそう決心すると、結界の確認を終えて、赤ノ宮神社へ戻っていった。
翌日、国守殿では、野盗を完全に退治した戦勝記念の宴が催された。
死亡した武士たちには花と酒が供えられ、他の生き残った者たちは思い思いに飲みあっている。
山脇、殻典、シオン、イズモは、いつ敵が攻めてきてもいいように、酒には一切手をつけない。
ただ豪華な料理を楽しんでいた。
「宴に呼んだ旅の楽士たちが参りました」
取り次ぎの女中にほろ酔いの月宮がうなずくと、廊下から旅芸人たちが静かに入ってきた。
シオンは思わずあっと声を上げた。
一座の中に幼い子供、霄瀾がいたからである。
しかしお互い、公の場で私的な挨拶はできない。シオンは黙って見守った。
「よく来た。今日は祝いの宴だ、ぜひ楽しいものを頼む。名は何と申す。聞こう」
「ははっ。私めは一座の座長、降鶴にございます」
白髪をまとめて頭上でだんごにし、柿色の舟形帽子を被った、柿色の着物の老人が、白い眉と白い口髭を動かして、左手を横に伸ばした。
「こちらに控えますは私の孫・霄瀾、以下一座の者たち四人、名は“右の女・左の女・右の男・左の男”でございます」
橙色の着物の霄瀾と、以下白い着物の二人の男とそれに色つきの布を羽織った二人の女が一礼した。
「白い四人は妙な名だな。芸名か?」
不思議そうな顔をする月宮に、降鶴は一礼した。
「はい。では早速、芸をお見せいたします」
降鶴たちの芸は、曲芸の要素が入っていた。
綱渡り、大玉乗り、複数個のお手玉投げ……。降鶴の軽妙な笛の調子によって繰り広げられる演技に、観客は、はらはらしたり、ひやっ! としたり、感心したりするのであった。
酒が進み、武士たちが酩酊してきたところで、霄瀾が五芒星の竪琴を構えた。
酒を飲む際に、背後に流れる曲にするのだろう、とシオンが竪琴の一音目に聞き入ったとたん、シオンは強烈な脱力感に襲われた。
ガタタッ! と、シオンは膳に激突し、食物をぶちまけた。それでも起き上がれない。
「シオン! どうした!?」
イズモが急いで抱き起こすが、その声も届いていない。ただ霄瀾の竪琴の音のみが、耳から入って頭の中をぐるぐる回り、頭を縛りつけてくるのがわかった。
驚いて霄瀾が弾くのをやめると、シオンはようやく楽になり、周りを確認した。全員が、目を丸くしてシオンを眺めている。
「(見ているだけで、誰も手を貸してはくれない)」
シオンは自分が惨めになって、イズモと共に、逃げるように退出した。
それを華椿雪開は、月宮の脇でじっと目で追っていた。
そして、降鶴もまた、イズモの腰に差してある、何も斬れない青い刀を見つめていた。
「どうしたんだ? めまいなんて心配だ」
シオンの右腕を自分の右肩にかけて支えるイズモが、シオンの顔をのぞきこんだ。
まだ昼時だが、今日の宴は夜まで続く。
「ごめんねイズモ。せっかく美味しい料理出てたのに、途中で終わらせちゃって」
「いいさ。お前の料理の方が旨い」
「いつもしょうゆダブダブにかけるくせに」
「え? オレそんなにかけてるかなあ?」
「……自覚ないのか」
シオンはクス、と笑った。本当に、イズモがいてくれてよかった。一人だったら、泣いていたかもしれない。
「イズモ。いつも、ありがとう」
シオンは目を閉じて、歯をにっと出して笑った。
「ああ。オレがいつもいるから、安心しろ」
かわいいシオンと顔を向かい合わせるのに照れて、目線しかよこさないイズモに、シオンは元気よく声を出した。
「あー! 今日は美味しーい焼鳥、作ってあげたいな!」
「ホントか!? やったぜー!! 唐辛子いっぱい振ろー!!」
「……だからなんで素材の味を損なうの!!」
漫才のように声を張り上げながら、二人は自宅へ向かって歩いていくのだった。
夜遅く、殻典が戻ってくると、宴の席でのことを問い質されて、シオンはイズモと共に、畏まった。
「実は、一座の子供が弾いた竪琴の音を聞いたとたん、急に力が入らなくなったのです」
「えっ? それって……」
イズモが殻典を思わず見上げた。殻典も、厳しい顔をしていた。
「お前の力を封印しているのだな」
上から降る殻典の言葉を、シオンはうつむいて顔でなく頭で浴びた。
正直、早く封印の方法が見つかればいいと思っていた。そのために、今までどんな術にも耐えてきたのだ。
だが、いざ実際に出くわすと、恐ろしさで頭がいっぱいになった。
あの竪琴を弾いた者に、動かすも動かさぬも思うがままに操られる、無抵抗で指一本動かせない無防備な自分という、事実。
悪を斬ってきたのに、竪琴の奏者の心一つで、悪に斬られる可能性もある、恐怖。
「あの竪琴は……危険です。剣姫のすべてを覆してしまう!」
殻典も顔を上げたシオンに、強くうなずいた。
「一度、降鶴殿と話をしてみる必要がある。我々三人だけでだ」
「月宮様にも言わないのですね」
「当たり前だ! 名刀を手に入れた人間は、必ず試し斬りがしたくなって、使いたくなるものなんだ! お前が月宮を主と認めていないうちは、弱点を教えてはいけない!」
イズモが小声で、しかしはっきりと語気鋭く、シオンを諭した。
今まで月宮と山脇が封印を手伝っていたのは、あくまでシオンを剣姫にするためだけのことであった。
最終兵姫とまで謳われた剣姫の弱点を、むやみやたらと触れ回るものではない。
「降鶴殿にはもう一つ尋ねるべきことがある」
殻典は険しい表情で、今度はイズモを直視した。
「気づかなかったか? あの子供の竪琴の音色が流れたとき、お前のその何も斬れない青い刀からも、禍々しい気が流れ出ていたのだぞ」
「え……!?」
イズモは思わず青い刀に手を置いた。
「百年前の記憶が戻るかもしれないのね、イズモ……!」
「剣姫を封印して青い刀の秘密を握る……、何者なんだ、あいつら」
話し込むシオンとイズモを、殻典は急かした。
「情報は一秒でも早く得た方がよい。今から訪ねるぞ。いつどの町に行くつもりかもわからぬからな」
「はい」
三人は、赤ノ宮神社を出発した。
人払いのしてある一室で、月宮は旅の一座の座長、降鶴を、向かいに座らせていた。
宴のあと、武士たちが帰り、一座の者は国守殿の外で待っている。
「お話とは何でございましょう」
静かに話す降鶴に、月宮も言葉を選んだ。
「其の方の孫の弾いた竪琴、あれはどういう謂れのものだ?」
月宮も気づいていたのだ。竪琴の音で、シオンが力を奪われていたことに。
探るような目をしている月宮に、降鶴は静かに微笑んだ。
「さすがお目が高い。あれは大陸統一以前から伝わる、伝説の竪琴、名は『水鏡の調べ』でございます。弦まですべて水晶で作られており、その美しさに並ぶ楽器は、ないと言われております」
うまく答えをはぐらかされて、月宮は眉根を寄せたが、老人の知略にはかなわないとみて、ごり押しする作戦を取った。
「私は水鏡の調べが気に入った。買い取らせてもらいたいと思うが、その場合いくらになるかな?」
「お戯れを。これは大事な商売道具でございますゆえ、お売りすることはできません」
やはりそうきたな、と月宮は息を吸った。
「では、お前たちを国守殿付の芸人に召し抱えようと思う。どうかな? 受けてくれるな?」
降鶴の表情は動かなかった。どうだ、これでどう出る? 月宮は勝ちを確信した。ところが、
「わかりました。ありがたくお受けいたします」
と降鶴が礼をしたので、月宮は面食らった。
何を考えているのかわからない降鶴が退出しようとするのを見て、月宮は折れた。
「わかった……私の負けだ。こちらの情報を出すから、お前も相応の答えをいたせ」
別段何の感情も見せず、降鶴は振り返った。
月宮から剣の舞姫シオンの話を聞くと、降鶴は首をひねった。
「剣姫のことは私も初耳です。あの竪琴にそんな『別の力』があるとは、知りませんでした」
すると、その言葉を月宮が聞き咎めた。
「待て。あの竪琴には、まだあれ以上の力があるのか?」
「私の話を聞き終わりましたら、あの青い衣の少年の青い刀を私めに下賜してくださいませ。そして、ただちに兵を召集してくださりませ。よろしいですね」
月宮がうなずくと、降鶴はぽつりぽつりと、昔の手紙を読み返すように、記憶と整合させながら語り出した。
この大陸が現在のように統治される前は、古代から続く王朝が、大陸を支配していた。
名をラッサという。
王は代々、神官の役割を持ち、あらゆる呪術に秀で、戦争に勝利してきた。
だが、人族に統一王朝があるように、魔族にも強大な国家があった。
両者は、今人族と魔族が互いに排除しあっているように、当時も、いや、そもそも存在したときから、滅ぼし合おうと戦う仲だった。
両者は、大陸の西で紅葉の舞う橋、紅葉橋において、全軍激突した。
そのとき魔族側の切り札となっていたのが、魔族王の息子だった。
「その名は……『燃ゆる遙』!」
降鶴が慎重に名前を口にした。しかし月宮の習い覚えた歴史の中に、その名はなかった。
そのことを問うと、降鶴は答えた。
「その存在を知られては悪用されるからです。剣姫の情報を、あなた様が他国に極力漏らさないようにしていらっしゃるのと同じです」
月宮が黙り、降鶴は続けた。
燃ゆる遙は三重塔に手と足がついたような巨大さで、どの魔物よりも獰猛で、殺意が強かった。それは一切の優しさ・感謝といった温かい衝動を捨て、そこに向かう力を凶暴・破壊性に変換したからである。
殺戮欲を抑えきれない燃ゆる遙は、戦争で一度タガが外れると、人間だけでなく味方の魔族まで殺し始めた。
両軍がすべて覆われるほど巨大な黒い半球で敵味方をすべて囲い、その中にいる全員を虐殺すべく、辺り構わず破壊し続けた。
魔の波動、つまり「魔性」で倍増した力で叩き潰され、人も魔族も、一度死んでも、何度も何度も潰されていった。
暴走したときに燃ゆる遙を縛る、封印の綱を使おうとする魔族を見て、ラッサの王は高位の神官四名を伴い、その綱を使った封印に走った。
綱を用意する間、燃ゆる遙をラッサ王が、神への奉納である剣舞で翻弄した。
魔を清め祓い浄化するのは炎である。その中でも最強の炎に、白き炎があった。なぜか、人間に不信を持つ者のみが、炎を白に変えられた。周りがその者に人を愛する言葉を考えて教え、人のために戦うことを願うためか、その者が人を愛することを自分で見つけたとき、力をどう使うのか神が眺めるためかは、わからない。だが一つ言えることは、剣舞によって白き炎は強まったし、不意に生じすぎる白き炎を散らせるのは剣舞だけだった。ラッサ王は、戦争が終わった後、人々が訪れる平和を維持できるのか不信を持っていた。王者の責任と同じだけ、不定期に白き炎――不信――が噴出するようになった。だがその剣舞は、今、燃ゆる遙の魔性を散らし、力を弱める効果があると、封印の術に長けた王は見抜いていたのだ。
逆に言えば、強烈な魔性で相手を圧する燃ゆる遙に勝てるのは、神聖な白き炎を切っ先にまとう剣舞のみ。
人族も魔族も固唾を呑んで見守る中、ラッサ国の初代帝王が神から降されたと言われる神剣・青龍でラッサ王が舞い、そして王は善戦し、燃ゆる遙を斬りつけていった。
しかし人間の体力は、魔族より先に限界が来る。
燃ゆる遙を倒す前に、王が体力低下で倒れることがわかっていた神官四人は、封印の綱を持ち、魔物の四方を四角く取り囲んだ。
そして、燃ゆる遙の右手を封印する女、左手を封印する女、右足を封印する男、左足を封印する男として術の印を結び、魔物を封印することに成功したのだった。
結果的に魔族も救ってくれたことに感謝したからか、燃ゆる遙が負けたからなのかはわからないが、それ以降ラッサの王がある限り、魔族王が戦いを仕掛けてくることは、なくなった。
燃ゆる遙は、ラッサ王が剣舞での戦いの際に使った、青い刀の神剣・青龍に封印され、王が常に身につけて封印が守られていた――。
この世界には、四方位を護る神獣が存在する。北の、蛇と亀の交合した姿の玄武、東の、龍の姿の青龍、南の、鳥の姿の朱雀、西の、虎の姿の白虎で、四神と呼ばれ、それぞれの神力の宿る神剣が四振りあり、神剣・青龍は、青龍の力を備えた刀である。
「おい……青い刀って、まさか……」
「しっ!」
シオンと殻典が、イズモに向かって唇に人差し指を立てた。
降鶴の居所が月宮の部屋と聞いて、なぜか殻典が盗み聞きをしようと言い出したのだ。
我々のような一介の陰陽師には言わないことも、月宮にならすべて話すだろうというのが、殻典の言い分だった。
シオンも自分に関わる重大な事だったので、どんな情報も得たいと、同意したのだ。
「(人間不信の者に、強大な力が……。なぜだ、なぜ苦しめる、何がしたいのだ、――!!)」
三人は今、床下で土と埃まみれになっている。
その床上では話が続いていた。
ラッサはその後、術の力より武力を主力とする、東方より興った国に倒された。
その際、たとえ武力で人間には勝っても、この新たな国は燃ゆる遙には決して勝てないと知っていたラッサ王は、大陸の西の紅葉橋へ神剣・青龍を隠した。
今の帝国の始祖は、躍起になって封印の刀を探したが、結局見つけることはできなかった。
「なぜいつも紅葉橋なのだ?」
月宮が口を挟んだ。降鶴がまず一般論を答えた。
「もともとラッサの国は西方から興りました。紅葉橋は西方の交通の拠点なのです。ここを押さえれば、人族でも魔族でも、西方を治めることができます」
そう言うと、降鶴は穏やかな顔になった。
「そして、魔族と人族が互いに戦わないことを、言葉に交わさずに約束した場所だからです」
懐かしさを持つ地で、神剣・青龍を守るラッサの民は、時代が移り変わっても、孤独に耐えてきた。黄色い髪と眼が特徴のラッサの民が、何人も白髪になっては新しい命の誕生に立ち会っていった。
そんな中、百年前の「紅葉橋の戦い」が起こったのだ。
「それで、燃ゆる遙の封印を解ける者は誰なのだ?」
突拍子もなく月宮に尋ねられて、降鶴は面食らったが、即答した。
「あの竪琴を正しく弾ける者です」
しかし月宮が鋭く割りこんだ。
「待て! 今の問いは私のものではない!!」
「それだけ聞けりゃ、充分だ!」
突然月宮と降鶴のいる部屋の戸が開くと、青白い顔の武士が、武具をまとったままずかずかと入りこみ、降鶴に刀を向けた。
「抵抗するな。孫の命が惜しければ、大人しくついて来い」
「おのれあの子を人質に!!」
降鶴が歯軋りする横で、身構えた月宮の眉が上がった。
「ん? 其の方、野盗に殺された者ではないか!? そうでなくても、武士風情がなぜこの部屋まで来られたのだ!」
ニヤリと、青白い顔の武士が笑った。華椿家の、椿をあしらった印章を高々と掲げる。
「華椿雪開にもらったのさ! この椿の印章さえあれば、この国守殿のどこにでも、自由に出入りできる! だがな、雪開に言っておけ。情報の出し惜しみをされちゃ、信頼関係はズタズタだとな!」
武士は降鶴を連れて庭へ降りた。
「ラッサの民はいただいていく! じゃあな!」
「おのれ……!」
子供を人質にされていては、降鶴だけ助けても意味がない。人も呼べず、月宮はみすみす武士を取り逃がすしかなかった。
「いいなシオン、我々でなんとしても敵の拠点を見つけ、降鶴さんたちを助け出さねばならない!」
「はい!」
殻典、シオン、イズモは、降鶴を脇に抱えてひた走る武士を、追跡していた。
「確かにあの武士は死んでいたはずだ。それに、華椿の名がなぜ出てくるのか……」
イズモの言葉に、殻典は冷静な表情を見せた。
「魔族とつながっていたのは、華椿雪開だったのだろう。野盗に魔物を宛行い、国守殿を襲ったのも、あの男の差し金だ。野盗に放った間者は華椿によって、正体がばらされたのだ。救出されたとき、その者が国守殿に魔族と通じている者がいると証言するのを恐れて、自殺に見せかけて殺したのだ……」
言ってから、殻典は急いでシオンを見た。
剣姫化しかかりそうではあるが、確たる証拠がないため、華椿を討ちには行けないようであった。
「そうだ。強い力は慎重に使わなければならん」
殻典は自説を続けた。
「百年前の紅葉橋の戦いで、何かの拍子に燃ゆる遙の封印が解かれたのだろう。黒い半球を出しているからな。そして再びその青龍に封印され、イズモが管理することになった……」
「この刀が何も斬れなかったのは、封印の刀だったからか?」
イズモは青龍が腰に差さっているのを確認した。今、魔物に奪われたら洒落にならない。
「降鶴さんたちは青龍を探すために旅をしていて、また青龍を守って暮らしていく気なのね……」
人間を守るためとはいえ、一生を力の犠牲となる人々があっていいのだろうか。
あの子を守ってあげたい――、シオンは黄色く輝く瞳で笑う霄瀾を、目に浮かべた。
殻典はそんなシオンの様子には何も言わず、ただひたすらに武士を追い続けた。
町を出て山の中をしばらく走ったと思うと、武士は立派に聳える、檜でできた館に入っていった。
門には門番はおらず、代わりに複雑な模様が描かれている。
「侵入者を弾く陣だな。館を囲っているようだ」
殻典とシオンはすぐさま紙と筆で陣を打ち消す札を書き、イズモにも渡して、難なく塀から中へ侵入した。
ざわざわと話す声が、館の中央から聞こえてくる。殻典たちが足音を忍ばせて近づくと、中では大小様々な魔族たちが、武具を身に着けているところであった。
「こんな夜中に、出陣の支度とはなあ」
「仕方あるまい。さきほど戻られた骸様に、号令をかけられてはな」
どうやら、多少知能のある魔族らしい。知能が低くて言葉を話せない魔物もいるので、助かると思いながらシオンは聞き耳を立てた。
「人間を六匹も、どうするつもりなんだ?」
「さあな。北の牢屋で拷問するらしいぞ」
それだけ聞くと、シオンは真っ先に北へ向かった。あの子が痛い思いをしたらと思うと、それだけで気が急かずにはいられなかった。
「魔族が戦支度を……! どうする、月宮に報告するか!?」
館の池の脇を走りながら、イズモは殻典に小声でささやいたが、殻典は首を振った。
「いや。骸とかいう奴は、燃ゆる遙を手に入れない限り、戦を起こせはしない。奴は今、“鍵”しか持っていない。お前の青龍さえ無事なら、降鶴さんたちを助け出せれば、こちらの勝ちだ」
月宮に言わなくていいと言う殻典に、イズモは違和感を覚えた。普段は主君月宮に仕え、その行動にいたく感動しているのに、なぜか今回は月宮と降鶴の会話を盗み聞きしたり、月宮抜きで話を進めようとしたり、独断が目立つ。
「いいのか? 無防備な町を危険にさらすぞ」
イズモは念を押したが、殻典の意見は変わらなかった。
シオンに聞かせるわけにはいかないので、イズモはそれ以上会話を続けるのはやめた。
北の地下牢の前には、見張りは誰もいなかった。
「奴め、燃ゆる遙の操り方を独り占めするつもりと見える」
苦々しげに語る殻典の姿を、イズモは距離を置いて眺めていた。
侵入者を弾く陣が再び描かれているのを札で打ち消し、三人は牢の奥へ入り込んだ。
「ウワアアアー!!」
幼い子供の叫び声が聞こえる。
「霄瀾!!」
「やめてえっ!!」
縄で縛られた降鶴や、旅の一座の者たちの絶叫が、カビ臭い石造りの地下牢にこだまする。
青白い顔の武士・骸が、霄瀾の小さな頭を片手で鷲摑みにし、持ち上げていた。
「お前たちが燃ゆる遙の封印を司る者だということは、わかっている! 右の女・左の女・右の男・左の男はそれぞれ燃ゆる遙の両手両足を封印する、四人の高位の神官! そして降鶴お前が竪琴弾きならば、こちらにその封印の曲を教えてもらおうか!
教えなければこの子供の命はないぞ! この中で唯一死んでもいい命だ!」
骸が霄瀾の頭を持つ手に力を込めた。
柔らかい子供の頭蓋骨が変形していくくらい締めつけられて、霄瀾がウワー!! と絶叫して泣き出した。
「ああ!! やめてくれー!! 何でも言うことを聞くからー!!」
降鶴が涙を流したとき、
「貴様のような非道は百度斬り殺してくれるわァーッ!!」
光の一閃と共に、骸の胴体が両脚と完全に離れていた。
「け……剣姫……!」
いつのまに、と言う間もなく、目を見開いたまま、骸は動かなくなった。
「あ……あなたは……!」
降鶴たちには目も呉れず、シオンは急いで霄瀾の頭に扇をかざした。
「暖熱治療陣!!」
扇の黒い紋様が光り、暖かい熱を送ってまだ柔らかい子供の骨を治していく。
「これで成長していくうちに、元の形に戻るわ……!」
その間ずっと泣いていた霄瀾は、治療が終わるとシオンに抱きついた。
「ウワー!! ウワー!!」
シオンも強く霄瀾を抱きしめ返した。
「もう大丈夫よ! お姉ちゃんがやっつけたからね!!」
「ウワーン!!」
殻典とイズモに縄を解いてもらった降鶴たちは、霄瀾を囲うように抱きしめて、おいおいと泣いた。
「ありがとうございます! もしこの子があのまま死んでいたら、私は生きてはおりませんでした!」
何度も地面に頭をこすりつけて礼をする降鶴の肩を、シオンが止めた。
「喜ぶのは後にしましょう。今は早くここから逃れましょう!」
しかしそのシオンの横のイズモに気がつくと、降鶴は素早く叫んだ。
「これからその青龍の悪鬼を封印します。よろしいか!」
シオンたち三人は、一斉にうなずいた。
「その代わり、すべて話していただきたい!」
降鶴たちと並び走りながら、殻典が話を促した。一同は山の奥へと消えていった。
誰もいなくなった無音の地下牢で、剣姫に胴体を切り離された武士の、開かれた目玉が、出口の方へぎょろ! と動いた。
降鶴は百年前の紅葉橋の戦いで、燃ゆる遙の封印が解かれたことを、認めた。
そもそも、封印を解くには、純粋な心を持つ者が竪琴を弾く以外には、ないはずだった。
この竪琴「水鏡の調べ」は、天からこの地に降った、楽器の三種の神器の一つと言われている。水晶の弦で永久に調律のいらない、奇跡の楽器だ。強大な燃ゆる遙の封印の鍵に耐えられるのは、この竪琴しかなかった。
「これが、三種の神器の一つ……!!」
目をみはるシオンたちに、降鶴は続けた。
「古代の王朝ラッサには、あるとき天から降りてきたものが、いくつか集められていたのですよ。ラッサの滅亡と共にそのほとんどは失われてしまいましたが……」
「『天降りの日』のことですね」
シオンが問うた。始原に天から神器が無数に降り下りた日のことだ。それを使って星に住まう命は戦いも感情も覚えたという。必ず奪い合う争いが起きるため、皆は所持していることを隠すか、国家で保管するようになった。この水鏡の調べも、こんな強大な相手でなければ、使われることはなかったであろう。
一般的には、どの封印術にも、それぞれ最低一つは、必ず解く方法が存在する。
其れ故、そのことを封印術に長け誰よりも知っていたラッサ王は、それを逆手に取って、解法を自ら設定した。神器を軽々しく弾く者が出ないように、難しい条件で封印したのだ。
「この竪琴はラッサの血を引く純粋な者……つまり、子供にしか弾けないのです」
「えっ!? じゃあ、霄瀾だけが!!」
シオンたちは目をみはった。危うく封印の鍵となる者が、この世から消え失せるところであった。
「子供は魔の者を操る精神力が続かないので、たとえ大人がその子供を誑かしても、好きに燃ゆる遙をずっと操り続けることはできないのです」
降鶴は走りながら語った。
人族と魔族の主力が紅葉橋に集結したとき、封印を守っていた者たちは隣の山にいて、遠ざかるべきかどうか迷ったが、敷地が結界に守られていたためそれを信じ、動かなかった。
すると、人族も魔族も最初の一撃は、全術者の術力を集中した光砲だった。
巨柱のような光の尾を出しながら、互いの陣地へ突き進む光砲を、人族も魔族も結界を使って跳ね返し、軌道を変えた。
二つの光砲は、全く同じ方向へ向かっていった。
そこに封印の青龍があり、結界を突き破った術力の光砲は、青龍を折りはしなかったが、その封印の術の効力を、根こそぎ空中へ破り散らしてしまった。
破壊された封印から、燃ゆる遙が再び目醒め、紅葉橋へ向かい、殺戮の限りを尽くしたのだ。
光砲の一撃でラッサの神官たちは倒れ、唯一動ける者が青龍を手に紅葉橋へ走り、黒い半球の中で一応、封印はできたようだった。
だが、戦後、神官たちが紅葉橋で仲間の死体を見つけると、懐からはみ出た懐紙に血文字で、綾千代に封印を手伝ってもらった、とだけ書いてあった。
青龍は、見つからなかった。
「燃ゆる遙は、中途半端な術では封印しきれません。青龍を持ち去った者がいるなら、危険です。完全に封印し直し、封印を見守り、燃ゆる遙を悪用するため封印を解こうとする者どもから世界を守るために、我々は青龍を探して旅していたのです」
「そうだったの……! 式神イズモと一緒に塚に封印されてちゃ、わかるはずないわね」
シオンの言葉を受けながら、降鶴は立ち止まった。
「たった一日、封印と鍵の我々が揃っただけで、もうこの争いです。やはり、早く封印しなければ」
少し開けた場所で、降鶴と四人の男女は、封印の陣を石で地面に刻み始めた。
「どう封印するのですか」
辺りに気を配りながら、シオンが質問すると、降鶴は地面に腰をかがめたまま答えた。
「霄瀾が竪琴を弾けば、封印が解かれます。そのまま弾き続ければ燃ゆる遙を操ることもできますが、奴の発する魔の波動、つまり魔性に霄瀾の精神力が保たないでしょう。
そうなる前に我々が燃ゆる遙の四肢を封じ、青龍に再び完全に封印します」
「わかりました。微力ながらお手伝いいたします」
「シオン、お前は無理するな。竪琴で力が抜けるんだろう。オレの後ろにいろ」
式神イズモがシオンの前に出た。
「イズモ……」
「悪かったな」
ボソ、とイズモが呟いた。
「百年前のこと、覚えてないけど、お前を巻き込んでしまった……! お前のことは、オレが命に代えても守る。だから動けなくなっても安心して、燃ゆる遙が封印されるところを見てろ」
ふ、とうつむきながら微笑んで、シオンはそっとイズモの背中に右手を当てた。
「いいのよ。おかげで剣姫を封印できる方法が、見つかったのだから」
霄瀾が戸惑ったような顔をした。
「あのね、この竪琴は魔をはらう力があって、魔性の気を、散らしちゃうんだって。だから燃ゆる遙に封印の術がかけやすくなるんだけど……、シオンも魔物なの?」
この幼気な瞳をできれば守りたい。だが言わなければならないのか。シオンは霄瀾と目を合わせていられなくて、上を向いた。
「最も人間らしいし、最も魔物らしいのかもしれない。人の世で生きなければ人ではないとわかっていながら、正しくない人間の中で受け入れられても、苦しいならば」
霄瀾には、よくわからなかった。
そのときイズモが瞬きもせず無表情に目を大きく開いて、シオンを凝視した。
「人の世で生きたい心と、人の世を受け入れられない心が、せめぎあっているのか。それは愛しているのに人間が愛してくれないから、報われない自分を守っているのだな。希望と拒絶、どちらの側にも体半分引かれる剣姫の心は、片方の哀しみに揺れ片方の苦しみに偏るばかりだ。その矛盾を乗り越えるには、独りでは征けぬぞ」
遠い焦点でシオンから目を離さないイズモが、正鵠を射たとき、降鶴の声がした。
「陣が完成しました。配置につきます」
地面に、頂点がすべて円に接した、一筆書きの五芒星が描かれ、隙間にはびっしりと古代文字が記されている。
神から人間に降された聖なる陣、「星方陣」である。
「それが伝説の星方陣……! “なんでも願いがかなう”と聞いていたけど、封印術だったのね!」
伝説の正体を知って、シオンは、喜びとも感嘆ともつかない声を上げた。
五芒星の上の頂点に霄瀾が立ったのを始めに、四人の男女もそれぞれの名の通り、右と左に分かれて、上二つが女、下二つが男で頂点に立った。
真ん中の五角形にイズモが青龍を置き、陣の外へ出ると、降鶴が霄瀾を守るように傍らに立った。
「始めるぞ!」
イズモと殻典は、シオンを支えるべく、剣姫の両脇に立って、身構えた。