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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第一部 紅い玲瓏 第一章 白き炎と剣の舞姫
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白き炎と剣の舞姫第二章「孤独な力」

登場人物

赤(あか)ノ宮(みや)紫(し)苑(おん)。双(そう)剣(けん)士(し)であり陰陽師(おんみょうじ)でもある。

出雲(いずも)。紫苑の炎の式神(しきがみ)。

赤(あか)ノ宮(みや)殻(から)典(のり)。紫苑の父で、赤(あか)ノ宮(みや)神社(じんじゃ)の宮司(ぐうじ)。

月(つき)宮(みや)。帝の弟で、千(せん)里(り)国(こく)を治める国守(こくしゅ)。シオンの数少ない理解者。

山(やま)脇(わき)。千里国の将軍。

華(はな)椿(つばき)雪(ゆき)開(ひら)。陰(かげ)の国守(こくしゅ)と噂(うわさ)されるほど、一族が政治に食い込んでいる。




第二章  孤独な力



 一(いち)夜(や)明けて、殻典、シオン、イズモは国守殿(こくしゅでん)へ入った。

 戦いの跡(あと)も生々(なまなま)しい砂利(じゃり)はそのままだったが、武士も野(や)盗(とう)も魔物も、死(し)骸(がい)は既に片(かた)付(づ)けられており、ただ血が草むらのように、砂利に描かれているのみだった。

 月宮は武具を外(はず)し、昨日と同じ緑色の衣を着ていた。小姓(こしょう)に着替えさせる手間を惜(お)しんで、裏庭の片付けの手伝いへ、小姓を向かわせたのだろう。

 殻典はいたく感動していたが、シオンは別(べつ)段(だん)何とも思わなかった。

 上に立つ者なら、当然だと思っていたからである。

 人間の世界をまだよく知らない、子供なのだろうか。

 それとも、理想を高く設定し、それ以下の悪を見つけては、どんな人間も斬りたくて斬りたくて仕方(しかた)がないからなのだろうか……!

 だからシオンは、月宮がどんなに民を優(ゆう)先(せん)しても、何とも思わなかった。当(あ)たり前(まえ)のことだし、道に外れれば自分が斬るまでだと思っていたからだ。

 そもそも、為政者とはそういうものである。

 見返りを求めてはいけない。

 人の上に立つ者は、民を導(みちび)く義務があるし、権力を使って私利(しり)私欲(しよく)に走ったり、民を危険に曝(さら)したりするなら、死をもって償(つぐな)うべきなのだ。

 民を導くとは、人の命と、人生を預(あず)かることだからだ。

 それが、権力を持つ者の責任だ。

 月宮は「普通(ふつう)」なので、剣姫が発動しないまでのことであった。

「剣姫(わたし)を止められない人間は、主(あるじ)ではない」

 シオンは、心のどこかでずっとそう思っている。

 だから、周りがどんなに月宮に心酔(しんすい)しても、シオンは常に冷静(れいせい)であった。

 それを周りから聞いても、月宮は笑って流している。

 さて、月宮と、そのそばに控(ひか)える山脇将軍しかいない部屋へ、殻典たちが一礼して入ると、さっそく月宮がシオンを労(ねぎら)った。そして、剣姫になる条件の推(すい)測(そく)をし始めた。

 山脇が、最初に変身できなかった状(じょう)況(きょう)を述べた。

「武士は助けませんでした。命の重みが軽いと、思っているのでしょうかね」

 訓練を積(つ)ませ手(て)塩(しお)にかけて育てた部下を失った怒りを、顔にこそ出さなかったが、皮(ひ)肉(にく)を言わずにはおかなかった。自分にも落ち度はあるが、やはり使うべき力を使えなかったシオンへの恨(うら)みはある。

 次に殻典が、変身時の様子を述べた。

「野盗が為政者にあるまじき勝手な振(ふ)る舞(ま)いを予告したので、シオンが怒り、剣姫化いたしました」

 シオンは聞いていて心が沈(しず)んだ。

 人の物理(ぶつり)的な命よりも、心が殺されそうになったときだけ、力が発動している。

 これでは、死亡した武士たちに合わせる顔がない……。

「誇(ほこ)り高く戦う武士には、剣姫は要(い)らない。しかし、強(きょう)者(しゃ)に弱(じゃく)者(しゃ)の誇りが踏(ふ)みにじられるなら、剣姫は戦わなければならない」

 ふっ、と、イズモが呟(つぶや)き出した。

 全員がイズモを見ると、瞳を開いた焦点(しょうてん)の遠いイズモが、どこを見るともなく、誰に言うともなく、口を動かしていた。また、「恐ろしいイズモ」になっている。

「戦う術(すべ)を知っている者には、手を貸(か)さない。誇りに懸(か)けて勝てと言う。戦えない弱者のために剣姫がいる。世を拉(ひし)ぐ悪を、善人のために滅殺(めっさつ・意味『殺して滅ぼす』)せずにはいられない」

 ここでイズモは元に戻った。

 一同は、ほお……、と思わず溜(た)め息が出た。

「悪がいるから倒すわけではないのだな。虐(しいた)げられた者がいるから、戦うのだな。そうか、そうだったのか……」

 今までの殺戮(さつりく)の結果や実験から、悪(あく)即(そく)斬(ざん)だと思ってきた剣姫が、実(じっ)体(たい)は少し違うことがわかって、月宮はイズモに感心した。

「鋭(するど)い観察(かんさつ)眼(がん)だな。記憶が戻らないのが残念だ。多くのことを語り合えたろうに」

 イズモがうつむいたままなので、シオンが代わりに答えた。

「私も己(おのれ)の力の出る条件を、これまであまり考えたことがありませんでした、剣戦(けんせん・意味『剣での戦い』)に集中してしまうので……。イズモが私の式神であることを、喜ばしく思います」

 月宮は、山脇将軍を見た。

「剣姫は最重要機密。このことは他言(たごん)無用(むよう)ぞ」

「はっ……」

 月宮に一礼して、将軍はシオンに力を込めた顔を向けた。

「……悪かった。部下の誇りを尊(そん)重(ちょう)していたのだな。力ある者と言われ、あの世の部下たちも死を誇りに思えたであろう」

「将軍たちが戦ってくださったことを、忘れません。私も、一人でも多くの人を救いたいと思うのは、将軍たちと同じです」

「うむ」

 山脇は、シオンへのわだかまりを捨てた。

 殻典が、考え込んで呟いた。

「しかし、いつのまに野盗と魔族が結(けっ)託(たく)していたのか……。襲(しゅう)撃(げき)は予(よ)測(そく)できなかったのですか?」

 視線を向けられて、山脇は殻典に答えた。

「私の部下が潜(せん)入(にゅう)していたのですが、昨日は賊(ぞく)の中に見かけませんでした。間者(かんじゃ)と知れて殺されたか、拷(ごう)問(もん)にあって賊の巣に縛(しば)られているか、どちらかでしょう」

 今日は貴族から解放された遊撃(ゆうげき)部隊が、副将軍の指(し)揮(き)のもと、野盗の隠れ家に攻め入り、壊(かい)滅(めつ)させるために動いている。

 山脇将軍も、貴族への報告が終わり次第(しだい)、合流することになっている。

「野盗のことだが、お前たちに申しておきたいことがある」

 月宮が声を潜(ひそ)めて、一同を見回した。

「私の命を、兄上が狙っているらしいのだ……」

 山脇たちに衝(しょう)撃(げき)が走った。二人いる兄のうち、わざわざ月宮を殺す兄は、一方しかいない。

「まさか、帝が!」

「シッ!」

 つい口走ったイズモを、殻典が言葉で押さえつけた。

 次男の帝は妾(めかけ)腹(ばら)である。正妃から産まれた長男は病弱だから放っておくだろう。しかし、同じ正妃から産まれた弟の月宮だけは、唯一、彼の帝位を脅(おびや)かす存在として、無事に生かしておくことができないのであろう。

 加えて君主のような賢(けん)明(めい)さと慈(じ)愛(あい)に満ちた月宮は、民からの信頼も厚いため、帝の目に危険人物として映(うつ)ったとしても、それは当然の結果と言えよう。

「それでも表立って軍を出せないから、野盗を捨てゴマに使って、私の命は取れなくとも、こちらの警備と対応を計(はか)ったのだろう」

 苦しそうに月宮は呻(うめ)いた。

「私は帝位を奪(うば)おうなどとは、考えたこともないというのに……」

 そういうことか、とシオンは昨日の野盗を思い出した。弱い奴らが居(い)丈(たけ)高(だか)になるときは、強力な人間が後(うし)ろについたときだけだ。

「だがもし兄上がこれからも戦いを仕(し)掛(か)けてくるなら、戦って勝たねばならぬ。そうであろう、シオン」

「はっ。己の欲のために多くの兵の命を犠牲(ぎせい)にするなら、許してはおけません。私が戦場で刈(か)ってご覧(らん)に入れます」

 月宮は、シオンの答えを聞いて、ほっと一(ひと)安心した。

「お前が味方なら、これほど頼(たの)もしいことはない。山脇、そのときはシオンを頼むぞ」

「ははっ」

 将軍が両拳を床板につけて礼をすると、風に乗って貴族たちのざわめきが聞こえた。

「集まったようだな。一応、昨日の件(けん)を貴族に告げねばならないのでな」

 月宮が立ち上がり、貴族たちのいる大広間へ向かう後(うし)ろに、山脇将軍のみが続いた。シオンたちは月宮が去るのを待ってから、退(たい)出(しゅつ)した。


 大広間で席(せき)次(じ)を争(あらそ)う貴族たちは、昨日と違う衣、束帯(そくたい)をつけて、装(よそお)いのだらしない者がいないか見回しては、ささやきあっていた。

 少しでも昨日の慌(あわ)ただしさを感じさせる着崩れた衣で恥ずかしい振る舞いをしようものなら、全員に攻撃され、出世競争から脱落させられる。

 仕事の能力ではなく、雅(みやび)かどうかで価値が決まるのだ。

 昨日、遊撃部隊を止めたことなどおくびにも出さず、素(そ)知(し)らぬ顔で月宮を伏して迎えた。

「(人の命も救えない者が雅? 笑わせるな! そんな遊びは、やることをやった人間だけがしていいことだ! 一流を自(じ)任(にん)するだとか、酒(しゅ)色(しょく)だとか、無能は遊びにばかり力を入れる!)」

 山脇は貴族たちを険(けわ)しい表情で睨(にら)みつけたが、面(おもて)を上げた貴族たちは、平然と月宮に顔を向けた。

 一部(いちぶ)始終(しじゅう)を月宮から聞かされると、貴族たちは、野盗を野放しにしていた責任をなすりつけあい、野盗の死骸は野ざらしにすべきだと、好き勝手なことを言っていた。

「それは後(あと)でよい。それより、野盗と魔族がなぜ手を結んだのかを考えよ」

 月宮が口を挟(はさ)んでようやく収まったが、権(けん)勢(せい)に通(つう)じ国政の危機に疎(うと)い貴族たちに、考えが浮かぶはずもなく、武士たちが聞き込みをすることで話がついた。

 貴族たちは昨日のことを咎(とが)められることもなく、解散した。

 兵を止められたという山脇の伝えた事実を、月宮は信じてくれていた。だが、

「今、罷免(ひめん)すれば、シオンに全員殺される。あんな馬鹿(ばか)どもでも、一気にいなくなれば、政府が空白でまわらなくなったと他に誤(ご)解(かい)を与える。今回の野盗のように攻め込まれる。

 古くからの血筋の者もおり、簡単(かんたん)にはいかない。少しずつ非をあげつらって、免(めん)職(しょく)につなげていくしかない。その後(あと)釜(がま)には武家を入れる。それで許してくれぬか」

 と、山脇に説(と)いたのだ。

 主人にこうまで言われては、将軍は引き下がるしかなかった。

 無(む)能(のう)なくせに、ただその家に生まれたからといって富と権力を代々手に入れ、他者を見下す貴族の世界に、山脇は唾(つば)を吐きつけたくなった。

「(こいつらよりも尊(とうと)い命が、たくさん失われたのだ! こいつらさえ邪(じゃ)魔(ま)しなければ、守れた命だ! 本当に命を懸けて守るべき相手とは、実(げ)に少ないものであることだ!)」

 山脇は月宮の言葉を信用し、貴族の代わりになれる武士の名(めい)簿(ぼ)を作るため、今から思案をめぐらせた。

「(もはやこの国の、口先と血筋だけの政府にあって、月宮様しかまともとは思えない。いくら国守が叫んでも、周りがあれでは潰(つぶ)される。私がお守りしなければ……!)」

 月宮を守る決心を固めた山脇は、副将軍のもとへ急ぐため、武具を簡単に装着しながら、厩(うまや)へ向かった。


 一方、解散した貴族のうち、黒色の束帯を着ていた白髪(しらが)の老人は、屋敷へ戻ると人(ひと)払(ばら)いをした。

 この国の政府の役人に一族を最も多く輩(はい)出(しゅつ)している、政権内の首(しゅ)領(りょう)、華(はな)椿(つばき)一族の長(おさ)、華(はな)椿(つばき)雪(ゆき)開(ひら)である。

 長い眉毛を重々しくそろえ、動くたびに対象を凝視(ぎょうし)する目は、鋭い眼(がん)光(こう)を発している。政局を見抜き一族をまとめあげ、政治に深く食い込ませるその手(しゅ)腕(わん)から、陰(かげ)の国守と噂(うわさ)されていた。

 深い皺(しわ)に、追い落としたこれまでの人間の怨嗟(えんさ)を刻(きざ)みつけて、誰もいない部屋で雪開が座っていると、ネズミが音もなく現れた。

 雪開は眉一つ動かさず、召(めし)使(つか)いが出していったお茶をすすった。そして、おもむろに口を開いた。

「こちらの手(て)駒(ごま)の実力は見せたぞ」

 すると、ネズミが鼻とヒゲを小(こ)刻(きざ)みに動かした。

「確かに強い。これならうまくいくでしょうね」

 雪開は不動のまま続けた。

「また新しい数値が欲しければ言うように。手配する」

 前(まえ)脚(あし)を口に当てたネズミは、目を細めた。

「ヒヒヒ、そりゃありがとうございます……!」

 ネズミはいつのまにかいなくなった。

 雪開がネズミの消えた方角へ、視線を逸(そ)らさず、静かにお茶を飲んだ。


 シオンとイズモは、町へ食材の買い出しに出ていた。

 野盗の襲(しゅう)撃(げき)はあったものの、町の中は守られたので、死亡した武士の家族以外は、普段(ふだん)とあまり変わらないように見える。

 子供たちが毬(まり)を追って駆(か)け回っている、犬が飼い主の後(あと)をついていく、洗(せん)濯(たく)物(もの)を洗いに川へ向かう女たち、討ち取った鴨(かも)を三、四羽ぶらさげた狩人(かりゅうど)。

 大通りには何百という店が集まり、肉、野菜、魚、日(にち)用(よう)雑(ざっ)貨(か)がすべて揃(そろ)う、市が立っていた。

「今日は何にするんだ?」

「そうねえ……。ホタテの貝(かい)柱(ばしら)をほぐしたのと春(しゅん)菊(ぎく)を、塩入りとき卵(たまご)で混(ま)ぜて焼いて、太鼓(たいこ)みたいに丸く厚(あつ)く仕(し)上(あ)げたのはどう? かわいいわよ。重ねて二個置いたり皿の縁(ふち)に並(なら)べたりしたら!」

「うん、見た目は美(お)味(い)しそうだな。あとはしょうゆでもなんでも、好きにかけていいんだろ?」

「そうだけど……、素(そ)材(ざい)の味を損(そこ)なうの好きねえ、イズモ」

 この大陸は統一と同時に流通(りゅうつう)網(もう)が発(はっ)達(たつ)し、あらゆる資材や食材といった品物が、あらゆる町に運ばれるようになっている。

 特に帝と二人の国守の住まう町は、普通の店だけでなく近郷(きんごう)近在(きんざい)・遠(えん)方(ぽう)からも旅商人が集まり、大変な賑(にぎ)わいぶりだった。

 シオンが大通りに並ぶ市へ入りながら、食べ物の集まる区画(くかく)へ目を走らせた。

「あら、お魚が安いわね。まぐろと野菜の盛り合わせも作って、酢(す)じょうゆでいただきましょうか」

 魚屋へ向かうシオンに、イズモは抵(てい)抗(こう)した。

「もっと他の料理も作ってくれよ! 甘い玉子(たまご)焼きとか、甘い煮豆(にまめ)とか……!」

「子供か! もっと他の体にいいものも食べさせたいわ! 私は!」

 シオンに歯を剝(む)き出して叱(しか)られ、イズモは、

「旨(うま)いもん作れるのに作らないなんて、殺生(せっしょう)だぜー!」

 と、子供がよくやる「えー」というがっかりの口で、首と両手を互い違いに揺(ゆ)らした。

「そーねえ……、じゃあ今度の試験で百点取ったらね」

 にっこり笑うシオンに、次はイズモが歯を剝き出す番だった。

「なんの試験だよ! 自分の式神だからって、お前オレに何をさせようとしてんだ!」

「学校ネタにのってこないか……」

「当(あ)たり前(まえ)だッ!」

 クスクスと、軽(かる)く握(にぎ)った人差し指をあごに添(そ)えて笑うシオンは、普通(ふつう)に笑う一般的な少女と、なんら変わらなかった。

「こんなに軽口(かるくち)を叩(たた)けるのに、みんな友(とも)達(だち)にならないから、こいつのいいところ、わからないんだよな」

 と、イズモは残念そうに唇を下げた。

 こうして大通りに出れば、一人や二人、友達に出くわすものである。

 だが、シオンに声をかける者は誰もいない。

 彼女の周りには常に、人が避(さ)けることでできる空白地帯があった。

 皆、剣姫に殺されるのが恐いのだろうか。

 悪を為(な)さない人間はいないがゆえに。シオンは剣姫で命を削(けず)ることを条件に、悪を斬る権利を得たのだとしたら、「絶対(ぜったい)善(ぜん)」のシオンの前では、誰も逃げられない……。

「おじさん、まぐろ頂(ちょう)戴(だい)」

 シオンの言葉に、今まで威(い)勢(せい)のいいかけ声を出していた魚屋は、顔を強(こわ)張(ば)らせた。

「……おう」

 そのとき主婦が割(わ)り込んできた。

「ちょいと源(げん)さん、聞いとくれよ! うちの亭主ったら昨日とんでもないことして……」

 しかしシオンに気づき、はっと止まった。

 そしてそのまま、

「い、忙(いそが)しいみたいだから、じゃあ!」

 と、逃げるように去っていった。シオンに聞かれれば、亭主を殺されると思ったのだろうか。

 魚屋の周(まわ)りでは、主婦たちが声を潜(ひそ)めてヒソヒソと話しあっている。

「見た? まったく、あの子がいるとおおっぴらに馬鹿話もできやしない」

「斬るのが悪人ばっかりだから、殺人罪で捕まえられないんだってさ。役人のうちの亭主も頭を抱えてて……」

「これじゃ一生あの子に監(かん)視(し)されてるのと、変わらないじゃないか」

「法を守っているのに、どうしてそれ以外のことまできっちり守らなくちゃいけないんだろう!」

「なんにせよ、関(かか)わらない方がいいね」

「そうさね。人間を平気で殺せる奴なんか、信用できないよ」

「今に見ていてごらん。きっとあたしらを裏切るよ。あたしらが社会の一員にしてやってる恩(おん)を忘れてさ」

 その間、シオンは無表情で、何の感情もイズモにはわからなかった。

 すべての食材を仕(し)入(い)れた帰り、シオンと同(おな)い年(どし)くらいの少女たちが、きれいな振袖(ふりそで)を着て、おしゃべりしながら装(そう)飾(しょく)品(ひん)の店に向かうのが見えた。シオンには、あんな風(ふう)に一緒にいてくれる女の友達はいない。思わずシオンが見つめていると、そのうちの一人と目が合った。

「ねえ、ちょっと……! あの子!」

 その女の子は口元を隠して仲間にささやいた。他の子たちも気づいた。

「あっ! あれが噂(うわさ)の殺人鬼!」

「シッ! 声が大きいよ! 聞こえたら殺されるよ!」

「自分の好き勝手な基(き)準(じゅん)でどんどん殺しちゃうんでしょ? 絶対に近づくなって、お父さんが言ってた」

「知ってる? あの子、人間じゃないらしいよ」

「え? じゃ、魔物?」

「違う違う! 化(ば)け物(もの)!」

「「「やだー」」」

 全員が薄(うす)高(だか)い声を上げて笑った。

「近寄ったら殺されるよねー!」

「こっち来ないでほしいよねー!」

 女の子たちが子供ゆえの恐いもの知らずで嘲(あざけ)りながら店に入っていくのを見て、無表情なシオンでも、つい小さな溜(た)め息が出た。イズモは女の子たちに言い返してやりたかったが、シオンの表情を読み取りかねて、黙(だま)っているしかなかった。

 土手まで来て人に聞かれる心配がなくなったとき、

「人の世で生きていきたいと思っているのに、人の世では死んでいるようなものだ……」

 シオンはふとうつむいて、独(ひと)り言(ごと)を呟いた。

 するとイズモは眉を撥(は)ね上げて、シオンの前に回った。

「じゃあ、そう言えばいいじゃないか! なんで哀(かな)しいとか怒ってるとか、言わないんだよ! オレは怒ってる! お前のことをわかりもしないくせに、勝手にお前を遠ざけてる人間どもを!」

 シオンは真(ま)っ直(す)ぐイズモを見つめた。

「力を持つ者は、力を振るうべきとき以外で、その威力を私的に使ってはいけない。悪人を倒したからといって私を敬(うやま)えなどと言う者は、正しい者ではない、悪人だ」

 イズモは買ったものを包んだふろしきを持つ手に力を込めた。

「だからオレは怒ってるんだ! 自分の弱さをお前になすりつけるあいつらを、何も言わないお前を! どうして剣姫にならないんだよ! 立派な悪じゃないか!

 どうしてお前は、自分が踏(ふ)みにじられても、いいんだよ!!」

 血が上(のぼ)るイズモの頭を、シオンはそっとなでた。

 イズモの、夜の海色に染まる藍色の髪が、星(ほし)月(つき)の光がぶつかりあうように、さらさらと波打って光った。

 戸惑った表情のイズモに、シオンは優しく笑った。

「私が人間だからかな」

 しかしイズモは納得しなかった。

「なんだよそれ! 訳(わけ)わかんねえよ! お前、そんな一言で、全部の感情を清(せい)算(さん)できるのか! なんでだよ! わかんねえよ!!」

「世の中には様々(さまざま)な人間がいる。いちいち怒っていたらきりがない。これが人の世だと思い知れば、力のない弱者をどうして怒れようか」

 シオンの言葉に、イズモは反(はん)発(ぱつ)した。

「それは悪人を斬らない英雄と同じだ! 矛盾(むじゅん)している!」

「私は私を理(り)不(ふ)尽(じん)に傷つける者を、斬ることはできない。なぜなら、いちいち斬っていたら……」

 シオンは微(び)動(どう)だにせず口を動かした。

「この世には私一人しかいなくなってしまうよ」

「そこまで世界を見(み)限(かぎ)れるのか……!!」

 イズモの瞳と目を合わせているのに、誰も見ていないかのような遠い焦点の目をするシオンの肩を、イズモは強くつかんで、顔も真(ま)向(む)かいに近づけて叫んだ。

「なんでもわかったふりして死ぬなシオン! オレが守ってやる! 誰からも拒(きょ)絶(ぜつ)されても、心は死ぬな! オレがお前のそばにいる! だから、もう耐(た)えないでくれー!」

 シオンはイズモの顔を真正面にしても遠い前を見つめたまま呟いた。

「ああ、こうでも言わなければ、私は自分を保(たも)てない」

 シオンの赤いルビー色の髪の束(たば)が、秋風に乱(みだ)れなびいた。


 その風が急に毛(け)羽(ば)立(だ)ったような気がして、イズモはサッとシオンを離(はな)し、風上に視線を投げた。

 マントヒヒが体だけ真(ま)ん丸(まる)くなった、直径二メートルの球(たま)のような魔物が、シオンたちの進行方向に三匹、縦(たて)一列に並んで、じっとこちらを見ていた。

 人間と魔物はこの百年大きな戦争はしていないが、野生レベルや兵(へい)卒(そつ)レベルでは、互いに弱い人間や魔物を襲い、人間の食料や魔物の爪・牙・毛皮を奪い、数を少しでも減らすことに力を注(そそ)いでいた。

 戦いに勝ち、征(せい)服(ふく)後の反乱も防(ふせ)ぐ手っ取り早い方法は、武器で刃(は)向(む)かってくる兵士を戦争のうちに多く殺しておくことではない。反(はん)撃(げき)できない幼(おさな)い子供を軒(のき)並(な)み殺して、未来の兵士が育たないようにすることだ。

 人間も魔物もそれを心得(こころえ)ていて、「右も左もわからない子供」を捕(つか)まえては、片(かた)っ端(ぱし)から殺していた。

 それで、少なくとも人間は早(そう)熟(じゅく)になった。

 シオンの年(とし)十五才は、既に世の中の知識(ちしき)を粗(あら)方(かた)詰(つ)め込まれた、立派(りっぱ)な大人である。

 マントヒヒの魔物たちは、シオンたちと、イズモが落としたふろしきを交(こう)互(ご)に見ている。

「なるほど。食料が欲(ほ)しいのに加えて、オレたちが殺せる相手かどうか、値(ね)踏(ぶ)みしてやがるな?」

 ふろしきをシオンの足元に寄せると、イズモは刀を構えた。

「シオン! 封印解除だ!」

 その声と同時に、魔物たちが球状の体を回転させながら、土手の一直線の道を、三体連続で転がってきた。

 荷物(にもつ)もシオンも守るには、真(ま)っ向(こう)から受け止めるしかない。

「炎(えん)式(しき)イズモ、律(りつ)呂(りょ)降(こう)臨(りん)!!」

「おっしゃあああー!」

 四角い陣が一瞬で大地から上空へ走って、黒髪の式神イズモが姿を現した。

「じゃ、援(えん)護(ご)頼(たの)むぜえ! シオン!」

「ええ!」

 イズモが、回りながら突進してくる魔物たち以上の速度で駆け飛んで、一気に間合を詰めた。

 そして左足で飛び込みながら刀の刃を上に向けて、右足の草履(ぞうり)で刀の背を押さえつけると、先頭の魔物を地面から足の力で斬り上げた。

 回転する球が切れ味の良い刃に飛び込んだときのように、魔物は縦半分に真っ二(ぷた)つに裂(さ)けた。

 続く二体目の勢いを削(そ)ぐ助走をつけている時間はなかったので、イズモは土手の土を押さえる岩の一つを蹴(け)り飛ばし、二体目との間に転がした。

 案(あん)の定(じょう)二体目が岩で大きく跳(は)ねたので、それをイズモは右足で左に蹴り飛ばした。

 二体目は威嚇(いかく)の声を上げると、回転数をつけられるジグザグ走りをしてきた。

 イズモは二体目と逆向きにジグザグに走り出した。

 いつぶつかっても、最大の踏み込みで斬りつけられるからである。

 しかしついに接触というところで、魔物は予想に反して跳ね、イズモを下(した)敷(じ)きにしようと迫(せま)った。

「イズモ!」

「大丈夫だって! こんなザコ!」

 イズモも跳躍(ちょうやく)し、二体目の下から上へ刀を刺し貫いた。

「昨日のバッタ程度(ていど)だな!」

 刀を振り下ろして、川の方へ投げる。

 二体目は土手の斜面を、地面に地(じ)響(ひび)きを立てながら川原(かわら)まで転がっていった。

 三体目はそれを見て岩を避けようと斜(なな)め向きになったところを、「炎(ほのお)・月命陣(げつめいじん)!」の、シオンの炎の衝(しょう)撃(げき)に跳ね、イズモにさらに水平(すいへい)蹴(げ)りをされ、二体目と同じ川原へゴロゴロと転がっていった。

 マントヒヒの魔物たちは、転がるときは速(はや)くても、歩くときは巨体のため遅(おそ)い。

 土手の坂を上がるために転がれない魔物たちは、鈍(にぶ)い動きで巨体を揺(ゆ)らしながら、一歩一歩、ゆっくり登ってくることしかできない。

「よし、これならあとは簡単(かんたん)だ。荷物とシオンに辿(たど)り着く前に、オレが倒してきてやるよ!」

「頼んだわ!」

 イズモは、土手を先に上がってくる二体目に向かった。

 二体目は止まり、威嚇の声を上げた。

 そして、イズモが近づくのを待っている。

 体の割(わり)に手足が短いこの魔物は、手足を使うよりも、その体で押し潰す攻撃を主(しゅ)体(たい)としていた。

 だから、この魔物に対して正面から戦いを挑(いど)むのは、得(とく)策(さく)とは言えなかった。

 横に回りこもうとするイズモを、魔物は、それだけは素早い動きで常に向きを変え、防いでいた。

 イズモは気が立ったが、一方でイズモが必ず坂の上の位置を保(たも)っていたので、魔物の方も苛立った。

 坂の下に来れば、確実に押し潰せるからである。

 どんなにこちらに剣の腕があっても、相手の得意な攻撃に飛び込むのは達人(たつじん)のすることではない。

 いかに向こうに得意な攻撃を出させず、無傷で勝てるかが、達人かどうかの条件だ。

 イズモが、互いに動きの止まったこの状況から、刀を顔の横に地面と水平に構えて次の一(いっ)手(て)を繰(く)り出そうとすると、別の地響きがイズモの後(こう)方(ほう)から感じられた。

「!」

 見ると、三体目が土手を登りきろうとしていた。シオンに突進(とっしん)できる間合が、十分にある。

「させるかよっ!」

 イズモは土手の岩を、三体目の頭に蹴り上げた。

「ピギャー!!」

 頭に一(いち)撃(げき)を食らい、怒った三体目が、土手に上がりきらないままイズモに方向転換して、転がってきた。

 それを見て、二体目も何メートルか後(うし)ろに転がって下がり、回転数をつけられるジグザグに道を進む方法で、坂を急回転して登ってきた。

 回転の回数を見抜かれると隙(すき)だらけになるので、さっきまで使わなかったが、仲間と挟(はさ)み撃(う)ちにすれば、相手は混乱に陥って成功すると踏(ふ)んだのだ。

 魔物二体を激(げき)突(とつ)させられればいいのだが、あいにく三体目の方が速く、イズモに到(とう)達(たつ)する時間がずれる。

「炎(ほのお)・月命陣(げつめいじん)!」

 そのときシオンの声と共に、三(み)日(か)月(づき)形(がた)の、脇差(わきざし)ほどの大きさの炎が空を裂き、三体目に激突した。

 そのとたん炎が広がり、三体目を激(はげ)しく燃やした。

 シオンの炎の術で、三体目の動きが鈍(にぶ)り、二体目と時が合った。

「! 行くぜ!」

 イズモが上空へ跳(と)ぶと、二体はイズモのいた場所で互いに斜めにぶつかり合い、宙(ちゅう)に弾(はず)んだ。

 そこで、イズモはまず二体目を上から突き刺し、自分の体重で刀を下に回して半月に斬り下ろすと、引力に引かれて刀が下に二体目から抜けたと同時に、再び下から刺して、振(ふ)り被(かぶ)って斬り裂きながら川に放り投げた。そして体の火で土手の草に火事を広げている三体目に跳び、炎の術を出した。

「火空散(かくうちる)!」

 無数の炎の玉が次々に三体目を燃やし尽くし、真っ黒に固まった塊(かたまり)は、そこらの石のように無表情に土手を転がり落ち、血で川を汚(よご)しているもう一つの塊と並んで二つ、川に浮いて流れていった。

「へへっ、今日はオレの大(だい)活躍(かつやく)だな! 援護ありがとよ、シオン!」

 イズモが藍色の髪に戻って、シオンに笑いかけた。

「シオン、イズモ! 早く火を消すのだ!」

 その声と同時に、たくさんの兵士が川へ駆け下りていった。

 土手の草むらは、魔物の通った跡に沿(そ)って、パチパチと火の粉を飛ばしながら静かに、しかし確(かく)実(じつ)に燃え広がっていた。

「うわっ、やべ!」

「大変!」

 イズモとシオンが慌(あわ)てて少しの火を踏み消している間に、兵士たちが、脱いだ兜(かぶと)に水を汲(く)んで、あちこちに撒(ま)いてくれたので、大事(おおごと)にならずに済んだ。

「炎の術は水の術を覚えてから使うものだと、殻典殿は申されなかったのか? 五行説(ごぎょうせつ)でも『水(すい)克(こく)火(か)』で、つまり水が火に克(か)つと聞いた覚えがあったが」

 黒馬の馬上から、山脇将軍がシオンを見下ろしていた。

 五行説とは、木(もく)・火(か)・土(ど)・金(ごん)・水(すい)の相関(そうかん)のことである。木は刃物の金に負け、火は水に負け、土は土の養分を奪う木に負け、金は火に鎔(と)かされて負け、水は土に塞(せ)き止められて負けるということを、「相(そう)克(こく)」という。他には「相生(そうしょう)」があって、これは、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生むことを表している。相性(あいしょう)のいい組み合わせのことだ。

「ありがとうございました、将軍。川がそばにあるので、つい……」

 シオンが頭を下げるのを、山脇は手を前に出して軽く振った。

「いや、魔物を一匹でも多く倒してくれているのには、こちらも頭を下げねばなるまい」

 本当に、山脇はシオンと普通に接してくれる。自分の生(い)き様(ざま)に自信があるのだろう。

「野盗の巣(そう)窟(くつ)の討伐(とうばつ)隊(たい)ですね」

 シオンは山脇の後(うし)ろの、武具に身を固めた一団を見つめた。彼らはとたんに彼女から目を逸(そ)らした。

 怒鳴りつけようとするイズモの腕を、シオンはグイッと摑(つか)んで引いた。

「弱者に怒ってはいけない! 私はそれしか思わない!」

 早口で、しかし確かに怒りと苦しみを捨て去るシオンに、

「(……誇りだけだ)」

 イズモは思った。

「(この女は、誇りだけで立っている!)」

 他人が虐げられるときには守ろうとしても、自分のときにはすべてを斬ってしまうがために、その前に自分を止めねばならないのだ。

 イズモは、力に翻(ほん)弄(ろう)され、その上(うえ)人々に忌まわしさから締め出され、心を殺すシオンを思い、胸が痛んだ。

 イズモにしか聞こえない会話を終えると、シオンは無表情に、山脇に尋(たず)ねた。

「うまく掃除(そうじ)できましたか」

 悪人を人間以下に扱うシオンに、武士たちはますます戦(おのの)いた。

 しかし山脇はそれに動じることなく、

「ああ。残(ざん)党(とう)も奪われた宝も、残らず捕(とら)えることができた。幸い、こちらの間者も救出できたしな。奴らの巣は焼き払ったから、もう別の人間が再び根(ね)城(じろ)にすることはできまい」

 と、重々しく答えた。

「そうですか……それはよかった」

 シオンは無表情に視線を落とした。少しもよかったように見えないのは、野盗たちが魔族との関係を尋(じん)問(もん)されたあと、用(よう)済(ず)みになったとき、斬るのが自分だとわかっているからだ。

「それにしても、普段のお前は本当に強くないな……」

 焼けた土手を見て、山脇は馬上で体を揺らして、半(なか)ば呆(あき)れたように笑った。シオンは目を薄く開けて腕組みした。

「仕方(しかた)ないじゃないですか……、そもそも剣姫が強すぎるだけです。私だって、陰陽師としての腕はかなり上の方だと、これでも自信を持っているんですけどね!」

「フフ、悪かった。イズモを召喚した時点で、それはもう皆知っておる。式神の持続(じぞく)時間を延(の)ばすために、お前が自分の術の力を抑(おさ)えていることもな……」

「え?」

 唇を閉じて呟いた山脇に、シオンは聞き返したが、山脇将軍はそれには答えず、あたり一面の焦(こ)げた草むらに目を細めた。

「……剣姫に、ならなかったのだなあ……」

 その顔が無表情だったので、シオンも真(ま)面(じ)目(め)に答えた。

「私は魔族を悪だと思ったことは、一度もありません。ただ人間とのこの世界の奪い合いにおいて、覇権(はけん)を握らせるわけにはいかないから、戦っているまでです。敗者は奴隷(どれい)になるのが世界の鉄(てっ)則(そく)ですから。でも私は、人間が勝っても魔族が勝っても、双方奴隷にさせまいと思っています」

「悪徳(あくとく)でない人と魔族が虐げられたとき、剣姫が発動してしまうからか」

 シオンはそれには答えなかった。

 魔族のために剣を振るえば、人間の裏切り者だ。明(めい)言(げん)を避けたのは、良い選択であった。

 山脇将軍はそれを察(さっ)し、口を引き結び、顎(あご)の下の肉に皺(しわ)をつけながら、うなずいた。

「ぜひとも人間の方が勝てるように、お互い力を尽くそう。じゃあな、我々はまだ任(にん)務(む)の途(と)中(ちゅう)だ」

 と言って、武士たちと国守殿(こくしゅでん)へ帰っていった。

「……お前は悪徳しか斬らないんだよな。もしかして、お前……、人と魔族が共(きょう)存(ぞん)してもいいと思ってるんじゃ……」

 こちらを見やるイズモに、ようやくシオンは口を開いた。

「私は善(ぜん)のためにしか戦わない。しかし、戦い続ける私は長く生きられるとは限らない。私は私の失(う)せたあと、この世界が勝者を善の者にするのを危(あや)ぶむのよ」

 そして、剣に手を添(そ)えた。

「人か魔族か、どちらか一方の世では、真(しん)に善人は救われないからね」

 シオンはふろしきを拾(ひろ)い上げた。

「本当に、人が百年しか生きられないというのは、短いことね」

「……永遠の命で人を救い続けても、地獄(じごく)なだけさ。オレが神(かみ)様(さま)だったら、いつまでも進化しない人間に怒って、滅(ほろ)ぼしちまう」

 イズモもふろしきを抱(かか)え上げた。

「神様だったら、そうする前に誰かを送りこむんじゃない――」

 ふろしきについた土を払って、二人は家を目指した。


「一大事でございます」

 国守殿での政務(せいむ)中、山脇将軍が月宮のもとへ参上(さんじょう)した。

「こちらが野盗に潜(もぐ)らせていた間者が、自殺いたしました」

「なに……!?」

 居(い)並(なら)ぶ貴族たちは、扇をひらひら翻(ひるがえ)して互いに顔を見合わせ、うごめいている。

「詳(くわ)しく話せ」

 月宮に促(うなが)され、山脇将軍は続けて話した。

「野盗に間者と知られ、拷問にあっていたので、とても話を聞ける状態ではありませんでした。しばらく休ませてから、野盗がどうやって魔族と手を結んだのかを聞くことにしたのですが……。

 診療所(しんりょうじょ)で食事をさせ、口が利(き)けるようになった頃に訪(おとず)れますと、突然、私が門にいてもはっきりわかるほどの大きな声を出して――」

 山脇将軍は顔を顰(しか)めた。

「彼は――『国も魔族も裏切ることはできない』と叫(さけ)んで、私が駆けつけたときには、舌を嚙み切っていました」

 月宮たちに衝撃が走った。人間が心半分でも魔族に寝返ったという、あり得ないことが起こったからである。

「そんな心の弱い人間を間者にするなど、どういうつもりだ! 責任を取るのであろうな!」

「生きておれば貴重な情報源となったであろうに……!」

「目の前で自殺をされたのと同じだ! 山脇、責任を取る覚悟はできておろうな!」

 責任を取らせることしか言わない貴族たちに代わって、月宮が尋ねた。

「山脇、所持品(しょじひん)からは何もわからぬか」

「ははっ。拷問のあとゆえ、身(み)一(ひと)つでした。望みは捕えた野盗どもの尋問ですが、料理人や見張りの子供といった者ばかりで、多くの情報は得られないかと……」

 山脇将軍は恐(きょう)縮(しゅく)して畏(かしこ)まった。重要参考人に死なれるというのは、大(だい)失(しっ)態(たい)だ。

 貴族たちがざわめく中、月宮が大きな声を張り上げた。

「人間が魔族に接触したということは、新たな間者を魔族に直接ぶつけることも可能ということだ。まだ探(さぐ)る手立てはあろう。新たな策(さく)を待っているぞ」

「ははっ」

 助け舟(ぶね)を出してくれた月宮に、山脇将軍は両拳をついて礼をした。

「フン、また魔族に寝返らない者にせよ!」

 貴族たちは嫌味(いやみ)を言って、山脇将軍を外に解放(かいほう)した。

「部下を救ってやれなかった……!」

 山脇は眉を険(けわ)しく寄せ、肩に力をこめながら、背中を丸めて国守殿を出て行った。


 夕闇(ゆうやみ)迫る華椿の屋敷には、一部屋のみの、華道(かどう)を極(きわ)める離(はな)れ家(や)があった。

 そこで雪開は華道にふけるのを口(こう)実(じつ)に、政治の裏(うら)取引をする人物と会ったり、賄賂(わいろ)を受け取ったりしていた。

 秋の虫が外の草むらで鳴(な)く中、十五センチ大のろうそくの炎に菊(きく)の花をかざしながら、雪開はついたての向こうの人物と会話していた。

「手(て)際(ぎわ)のよいことだ。さすが私に仕えているだけのことはある」

 雪開は顔の中で口だけしか動かさずに、菊の花を見ている。

「すべては華椿様のためにございます」

 ついたての向こうの雪開の間者は、くぐもった声で答えた。平伏(へいふく)したままなのだろう。

「人に聞こえるよう最後に叫んだのは、こちらの物(もの)真(ま)似(ね)でできるとして、舌を嚙み切らせるのは骨が折れたであろう」

 パチ、と雪開は菊の茎(くき)を切った。

「舌を金具で引(ひ)っ張(ぱ)り、頭の上から木(き)槌(づち)で叩けば切れます」

 ついたての向こうの声に、雪開は、っほっほっほっと、上体を動かした。

「血(ち)腥(なまぐさ)いことは、貴族もそちたちにはかなわぬわ。間者が吐く前に、始末できたのならよしとしよう。こちらの準備を知られるわけにはいかぬでな……」

 雪開は再びパチ、と菊の茎を切った。

「これからも他人に気(け)取られぬよう注意して動けよ……」

「はい」

 ついたての向こうの間者は去った。

 和室内のろうそくの火は音もなく減り続けていたが、雪開はしばし目を閉じ、和室の外の虫たちの声も聞かず、ただ自らの思(し)索(さく)にふけっていた。

「剣姫を使うのは……我々だ」


 その夜、月明かりの下で、シオンは神社の裏にある滝の水が、上から下へ流れ落ちていくのを、ぼうっと眺(なが)めていた。

「今日は、魚屋と女たちと武士たちが生きていた……」

 他人事(ひとごと)のように呟くと、滝が落下する音を聞き、しばらく無(む)を味わっていた。

 シオンはいつも、心が傷を受けたとき、この場所で自分を癒(いや)すことにしていた。

「(なまじ普通の人間だから困るのだわ)」

 シオンは帯に手をやり、扇の位置を整えた。

「(通(つう)常(じょう)の状態にあるとき、もしかしたら普通に暮らせるのではないかと、期待(きたい)してしまう。いっそ狂(きょう)戦士(せんし)の剣姫のままでいれば、苦しむこともなかったのに。自分を避ける人々には慣(な)れているけれど、それよりその前で、平(へい)然(ぜん)としているふりをするのが、辛い)」

 もともと持って生まれた能力に気づくにせよ、ある日突然目醒めるにせよ、目醒めた力というものは、「それを使わざるを得(え)ない状況」に、当人を追い詰(つ)めていく。

 英雄を成長させるために、悪役も強(きょう)大(だい)になっていくのと同じことである。

 目醒めた力は、当人を救いもするし、蝕(むしば)みもする。

「ああ、なんという理(り)不(ふ)尽(じん)。先に私を蝕んだのは目醒めた力の方なのに、それが私に善を救いたいという新たな夢を見せ、私を救うとは」

 当人は目醒めた力に包囲され、退路なし、逃げ場なし、運命の用意した一本道を歩かされるのみ。

 シオンは歯を食いしばった。

「私から生きる自由を奪った神を、私は決して許さない。生きる理由がわかって良いではないかと、人は思うのか? この己の目に映ったものしか救えない中途半端な力で、一体何が成(な)せようか!」

 シオンは世界のすべてを救えない自分の弱さ、神が与えた百年の寿命の短さに激(げき)怒(ど)していた。

「私は、私を殺戮(さつりく)に引きずる『聖なる』力に支配され、心を蝕まれ! なのにその力に縋(すが)って、救いを求めることしかできないのかァーッ!

 なんという理不尽、許せん許せぬこんなに怒りに震えても!」

 シオンはヒッ! と高く息を吸い上げた。

「抗(あらが)えない私がァーッ!!」

 そして勢いよく両膝をつき、両拳を地面に叩きつけた。

「神に与えられた夢を、

 運命を、変えたいーッ!!」

 姫は滝と共に慟哭(どうこく)し、天の月空(げっくう)はその跳(は)ね返った音の露をどこまでも空に吸い上げるのであった。


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