白き炎と剣の舞姫第一章「最終兵姫(さいしゅうへいき)」(絵)
登場人物
赤ノ宮紫苑。双剣士であり陰陽師でもある。
出雲。紫苑の炎の式神。
赤ノ宮殻典。紫苑の父で、赤ノ宮神社の宮司。
月宮。帝の弟で、千里国を治める国守。シオンの数少ない理解者。
山脇。千里国の将軍。
完結は第七部までを予定しております。挿絵と曲もつける予定ですが、小説をすべて書き終えてからにしたいと考えております。かなり先のことになると思われますので、「挿絵と曲がそろってから読もうかな」という淡い期待は抱かないでください。
(注意)
この作品は四巻まで女主人公の独善的な正義が続きます。耐えられない方はその部分に深く入りこまないでお読みください。
また、ときどき作者独自の創作単語や、読者が推測可能だけれども辞書に載っていない単語が出てきます。()内にふりがなと意味を載せてありますので、ご安心ください。
挿絵
「小説が完結いたしましたので、挿絵を始めます。」
この作品の絵は、他の作画家が描かないような、鼻や人中、唇、しわなどもなるべく丁寧に描こうと思っています。なぜなら、私は、この作品のキャラクターに、しっかりと生きてほしいと思っているからです。皆さんは、他の作品のアニメやマンガのキャラクターのような、親しみのあるキャラクターを想像されていて残念に思われたかもしれませんが、私は、この作品のキャラクターたちに命をあげたいと思っています。どうかこのキャラクターたちが泣いたり笑ったり怒ったり喜んだりするところを、一緒にその場で見ていてあげてください。私も、精一杯描かせていただきます。どうか、恋愛の対象としてではなく、ここに生きている人だと思って、戦いを応援してあげてください。それが作者である私の望みです。ではこれからよろしくお願いいたします。
挿絵のある章には、章のタイトルの横に「(絵)」と書かれています。
また、画像の回転のしかたがわからないほどパソコンに不慣れです。逆立ちしている絵もあります。驚かないでください。
挿絵のタイトル(一巻全五枚)
一、「表紙・星方陣撃剣録」(一章)
二、「燃ゆる遙」(四章)
三、「剣姫紫苑」(四章)
四、「男装舞姫紫苑」(六章)
五、「燃ゆる遙の最期」(六章)
序章
かの者は迷っていた。
「開けるな!」
「開けるな!」
「開けるな!」
「開けるな!」
開けざるべきか否か。
「開けないで!」
「開けるな!」
「開けるな!!」
「開けるなァァ!!」
この扉を。
かの者は手を伸ばす。
「開けて!!」
光が起こり、遍く世界に拡がった。
そしてすべてが降り下りる世界となった。
すべてはかの者が
扉を開けたことから始まった。
この物語は
運命に穿たれた者たちが
宿命に翻弄されながらも道を信じ
戦い抜いていく様を記した記録である。
幼い少女は青年の膝の上に赤い髪の頭をのせ、赤い瞳を閉じていた。
そこは色とりどりの花が咲き乱れ、柔らかな日差しが優しく包む、すべての争いが止まる場所。
青年に頭をなでられて気持ち良さそうな顔で頬を光らせながら、少女は話しかけた。
「ねえお兄さん、どうして世界は狭くて広いの?」
青年は頭をなでる手を休めない。
「お兄さん、わたしは世界中どこへ行っても同じ人間しかいないことに気づいてしまったよ。そして、こんなにたくさんいるのだから、どこかにわたしを理解してくれる人が現れるかもしれないっていうことも。ねえお兄さん、どうして世界は狭くて広いの? ……わたしは……、憎みきれないよ……」
青年は相変わらず、頭をなでる手を休めない。
「でもね、いいの。今はお兄さんがいてくれるから! あのね、わたしね、ずっとこうしていたいな! だってね、わたしね、お兄さんのことが――」
そこで、少女の世界は停止した。
第一章 最終兵姫
血飛沫のあとが、木々の幹に踊っていた。
濃い霧がじっと動かず、すべてを重く押さえつけている。
その地面には、時が凍ったかのように動かない無数の塊が散らばっていた。
濃い霧の薄れた間から、切れ切れにその塊――人間の断片が見える。
「さすが最終兵姫……。犯罪者の罪状がわかったとたん、三十人をあっという間に斬り伏せてしまった」
「これはいい……。敵を倒すまで、どんなに傷を受けても戦いをやめないのだからな」
「この力があれば、魔族にも勝てる……」
遠巻きに戦いを観賞していた、立烏帽子に狩衣の貴族たちや鎧姿の武官らは、屍どもの中心で双剣を手に微動だにせず立っている、血まみれの少女へ一斉に視線を向けた。
燃えるルビーのように赤い、流れるしなやかな肩までの髪。ガーネットの光彩を秘めたかと思える赤い眉。紅葉の盛りの紅葉のように赤く映える瞳、六角錐水晶のように、先も高さもほどよくとがり形作られた鼻。赤いサンストーンのように太陽の明るさを内に秘めた口唇、慎みを湛えたムーンストーンのような白い歯、そしてクリスタルが透き通ったような白さの肌。
彼女――赤ノ宮紫苑の姿は、まるでそれが石のように永遠に輝きを失わないでいるかのようだった。パワーストーン、力ある石たちの加護を受け、彼女はその石のように硬く時の止まった美しさを身にまとい、何かをずっと待ち続けているようだった。
それが何なのか、彼女自身にもわからないというのに。
ヒュウウ……と、シオンが血の中で深く息を吐き切るのを待ちかねたように、輿に乗った身分の高い男が声をかけた。
「よくやったシオン。近う寄れ」
シオンは屍を踏みながら人々の集まる方へ歩いたが、彼女が近づくと、貴族たちは色めいて、波のようにうごめき、堂々と立っていることはできなかった。
「月宮様。ただいま血で汚れておりますゆえ、ここでご容赦願いとう存じます」
シオンは五メートルばかり離れたところで片膝をついた。
真っ白の着物と袴は、返り血と己の血で、染まらずに済んだ箇所が背中しかない。
敵に背中を見せなかった証である。
刺繡の華やかな緑色の衣の二十五歳の月宮は、若く勢いのあるとがった顔を上げながら、上機嫌で黄色地に橙色丸の扇を開いた。
「よい。さすが剣の舞姫の異名を取るだけのことはある。そちの勇猛ぶり、心強く思う。この世界には、悪がまだまだ栄えておる。共に戦い、必ず打ち倒そうぞ」
「ははっ」
戦いを終えたシオンが血の汚れを祓うため下がり、場から去ると、遠くにいた貴族たちは、ほっと肩をなで肩に下げた。
「ほんに、恐ろしい女じゃわ」
「まだ年十五というに、あの魔性!」
「今は飼えても、最後まで言うことをきくかどうか……!」
わっと月宮の周りに集まって、口々に騒ぎ立てるのを、月宮は扇で一払いした。
「静まれ。聞こえれば命はないぞ」
貴族たちはとたんに口をつぐんだ。
「あの者の良さは、私が一番よくわかっておる。万事私に任せ、余計なことはするな」
「ははっ……」
秋の風が吹く中、貴族そして武官たちは、一礼した。
全世界を構成している大陸を支配する皇帝は、自分の領土を息子三人に分けた。
正妃から産まれた長男は病弱だったため、西半分の名浄国をもらうのみで、帝位にはつけなかった。
そのため妾腹の次男が残りの領土の北半分、攻魔国をもらい、帝となった。
三男は正妃の息子だが、最後の南半分、千里国を治めることになった。これが千里国の国守・月宮である。
月宮は王族の王子にありがちな愚鈍・放逸・酒色が一切見られず、常に民のことを優先し、賢明な国守として、内外から尊敬を集めていた。
だから最終兵姫は反乱を起こさず、今日まで月宮に従っていたのだ。
「シオン! また血だらけじゃないか!」
シオンが自分の家である神社の裏手から戻ると、痛々しそうな目を向ける、シオンと同い年くらいの少年が、青い衣に黒の袴をつけた姿で、出迎えた。
夜の暗い海が星月の光で照り輝くような藍色の髪の毛に、刀の精霊の刀身のようにほどよく曲がった眉と目、銀の雫を受けたかのような瞳、精霊が住む山のような、すっきりとした形の鼻、花の精霊の加護を受けたかのようなきりっとしてかつはかなげな口唇、真珠の精霊にもらったかのような白く並んだ歯、そして海の精霊がついているかのように透明感のある肌をしていた。
シオンの式神、炎式の出雲である。
目鼻立ちのすっきりした、端整な顔が心配の一色に染まっている。
「仕方ないわ……。正しいことが踏みにじられ、弱き者が泣き叫ぶのが見えたとき、私は“力”が発動するんですもの。一旦目醒めたら、悪を全滅させるまで、もう自分でも自分を止められないわ」
苦笑しながら、なんでもないように境内の脇を流れる川で、双剣の血糊を洗い流すシオンの手を、イズモは苛立ってつかんだ。
「そんな剣なんかどうでもいい! オレの目はごまかされないぞ! お前、ケガしてるだろ! いつもなら無傷なのに!」
シオンの目を間近で睨むイズモから、夏の青い空の、爽やかですがすがしい匂いがした。
それをかいで、どこかシオンはほっとして、自然と顔をほころばせた。
イズモはまともに美しいシオンのそれを見て、さっと頬に朱が差したが、急いで態勢を立て直し、シオンの双剣をブンブン振り、水気を切る動作でごまかした。
「飛び道具で至近距離から射られたの。こういうときこの力、不便よね。休むこともやめることもできないから、こっちが死ぬか、向こうが死ぬかのどちらかしかない。まるで戦いの途中で、私が倒れ死にしても構わないみたい……」
川の中で着物を着たまま体中の血を洗い流すシオンに、イズモは剣を持ったままの両拳を下に突き出した。
「お前な! 他人事みたいに言うな! 主の帰りを待つこっちの身にもなれ!」
「じゃ一緒に来れば良かったのに」
「こいつ……できないとわかってるくせに……! もうオレは先に戻る!」
イズモは双剣を鞘に収めると、シオンの着替えを置いて、足音荒く神社へ入っていってしまった。
それを見届けてから、シオンは血に染まった衣を、両肩から静かに水面に落とした。
血の洗い流された、水晶のように輝く白透明な体が、太陽の光をいっぱいに浴びている。元気に大きく上に向かうたわわな胸、ぐっと引き締まった腰、形よく張り出したお尻。
女性として恵まれたその体の脇腹部分に、矢の傷が生々しくついていた。美しい彼女の体にあって、そこだけは赤黒く醜く変色していた。
「夢の中のお兄さんに、嫌われちゃうかな」
シオンは苦笑して、イズモの置いていった着替えの中から扇を取り出すと、開いた。
赤地の中央に、墨で何か呪術めいた、複雑な紋様が描かれている。
「暖熱治療陣!」
シオンが扇を体の傷口に当てて術の名を唱えると、その黒い紋様が光り、暖かい熱が送られて、傷口がみるみるふさがっていった。
「これで二、三日もすれば元に戻るわね」
パチンと扇を閉じて、シオンは安堵した。
赤ノ宮家は代々、陰陽師と神職双方の術を修め、赤ノ宮神社の宮司を務めてきた。
特に陰陽師として式神を使役し、様々な呪術を使いこなし、時の為政者を陰日向になって助けるのが、その使命であった。
しかし、シオンはこれまでのどの子供とも違っていた。
陰陽師としての腕がありながら、正義から外れる悪に気づくと、必ず剣で殺さずにはおかない魔の性質、「魔性」を見せたのだ。
呪術を使わず双剣のみを使う即死攻撃が行われる様は、神憑りのように強烈で、さながら剣舞のように華麗であった。
いつしか人々は悪を即殺すシオンの前で「殺戮者」と呼ぶのがはばかられ、「剣の舞姫」、もしくはそれを縮めて「剣姫」と呼ぶようになった。
血の汚れを嫌う貴族たちは、シオンを人間扱いせず、「最終兵姫」と名づけているが、月宮は早くからシオンの力に注目し、悪人を殺されては仕事がなくなる役人や、殺されてはたまらない悪人たちから目の敵にされていたシオンを、庇護してきたのだった。
「夢の中では、あんなに穏やかでいられるのにね」
光に溢れる世界と現実で自ら血に溢れる世界とを比べて、シオンは重しが加えられたようにうつむいた。
「あんな世界、私が現実で叶えるのは難しい……」
清い塩で体を磨き、そしてそれを洗い流す水垢離をすることは、血の穢れを浄化する。シオンの肌は塩で清められ、鏡のように煌めく光を放っている。もちろん、血で穢れに穢れた体だからこそ、塩という最上の浄化にも、皮膚が耐えられるのだが。
シオンが水垢離を終えて神社へ戻ってくるのを、イズモが木刀で剣の稽古をしながら待っていた。
「傷は治したのか?」
木刀で素振りをしながらイズモが尋ねた。
緋色の袴と象牙色の単の祝女服に身を包んだシオンは、扇を差し込み、さらに左右に一本ずつ双剣を差した帯をさすった。
「まあね。こういうとき陰陽師でよかったって思うな」
「人の気も知らないで呑気な……」
これから一言言いたそうにイズモが素振りをやめたとき、風が吹いた。
シオンの髪が揺れて、シオンの、暖かい日差しに包まれた、春だと自然に笑みがこぼれる風の匂いがした。
それを吸い込んで、イズモは怒る言葉が脳内で暖かく包み込まれて、言う前に失せてしまった。
「まったく反則だぜ……。こんな戦意を削ぎそうな奴が、一番殺意を秘めてるなんて……」
イズモは独り言を呟くと、現在の季節である秋の風が紅葉を重なり合わせる音を聞いて、しばし心の動揺を整えた。そして整理がつくと、今度は別の人間を怒り始めた。
「それにしても最近、剣姫で戦ってばかりいないか? 月宮はシオンを試しすぎてる! 今日の犯罪者戦だって、牢獄から一日でいっぺんに出せばいいのに、数十人ずつ数日に分けて、武器まで持たせて……。まるでシオンが戦闘兵器で、性能を試されてるみたいだ!」
フフ、とシオンは苦笑した。
「仕方ないわ。私だって、この力の全貌を知らないし、体力がどのくらいかとか、どの武器の相手に弱いかとか、よくわからないんだもの。月宮様がいろいろな状況下で試験してくださるのは、私にとっても、自分を知る上でありがたいわ」
「オレを操るときみたいに、お前自身の力で封印と解除が自在にできるといいのにな……」
式神に見つめられ、シオンも力なくうなずいた。
「そうね……。それができれば一番良かったんだけど……」
そして、つい一箇月前に初めて自分の式神にしたイズモを見やった。
式神というのは、精霊の一種である。塚に封印されていて、陰陽師にその印を解かれると、その陰陽師を主として使役されるようになり、陰陽師が死ぬと塚に還る。
使役されている間の式神は通常の状態と戦闘用の状態があり、陰陽師の封印解除の陣によって戦闘形態に変わる。主の陣なしに、式神が戦闘形態化することはない。
イズモはこれがシオンにも適用できれば、突然剣姫に変身することもないのにと言っていたのである。
陰陽師とは、方位を見て方違えを助言したり、一筆書きで五芒星になる木・火・土・金・水の五行に、世界は陰と陽に分かれたとする陰陽説を結びつけた陰陽五行説を使って、易や暦法を作り出したり、災難や霊の障りを除く呪符を書いたり、式神を使役したりと、呪術に関して達人である者のことをいう。
だが、その陰陽師の知識でも、己の力の暴走を止めることができないために、シオンはお手上げの状態なのだった。
シオンは、イズモを赤ノ宮神社の隅の塚から召喚したとき、少なからず期待していたことは否めない。
もしかしたら、剣姫の自分を止められるほど、強いかもしれないと。
そもそも、この炎の式神イズモは、「いわくつき」だった。
世界の覇権をめぐり人族と魔族は相争い、百年前には紅葉の舞い降り続ける紅葉橋で、大戦争「紅葉橋の戦い」を起こしたが、そのとき人族側の陰陽師長である、綾千代という男の式神だったと言われている。
紅葉橋に出撃した主力の人族軍も魔族軍も、黒い半球に覆われて中が見えない状態で全員戦死したので、真偽のほどはわからないが、綾千代が死亡したため、塚に還ったようだ。
以来百年、人族側も魔族側も、大きすぎた被害のために矛を納めて、兵力の回復を待ち、再戦のための力を蓄え続けてきた。
人族側は紅葉橋の戦いで唯一の目撃者であるイズモを復活させて、百年前何が起こったのか聞き出そうと考えた。それこそ魔族側も百年が経っても再戦に躊躇する理由だったのだが、陰陽師なら誰でもあらゆる式神を使役できるわけではない。陰陽師の力量が足りなければ、力量の高い式神は塚からの封印解除すらできないのだ。
こうして百年の間、名乗りをあげた陰陽師たちがイズモの塚に挑んだが、いずれも失敗に終わっていた。
シオンが挑戦したのは、全くの偶然からだった。
そもそも剣姫として強いシオンに式神はいらない、むしろその殺戮が式神に悪影響を与えるという理由から、当初はどんな式神も喚ばない方針だった。
だが、シオンの父、赤ノ宮殻典が病床に伏せった折、この地を守る陰陽師の家系として、自分亡き後、シオンがイズモの封印解除の霊なる言葉を知らないのは、無責任に過ぎると思い、シオンの夫となる者に教えようと思っていた封印解除の言葉を、シオンに教えたのだ。言葉を伝えるべきシオンの母は、既に亡くなっていたからだ。
霊なる言葉を得て、間違っていないかどうか、シオンがイズモの塚で試したところ、封印がそのまま解かれ、イズモがシオンの式神になったのだった。
これで紅葉橋の戦いの真相がわかると殻典は思ったが、なぜかイズモの記憶はほぼ失われていて、戦争のことはおろか、綾千代のことさえ、憶えていなかった。
さらに言えば、奇妙なことに、何一つ斬れない真っ青な刀を一振り、腰に差していた。
そこで、イズモの記憶を取り戻すため、殻典は様々な呪術を試していた。
シオンにしてみれば、紅葉橋に連れて行けば一発で思い出すだろうと思ったのに、なぜか上層部の許可が下りなかった。
紅葉橋は大陸の西にある。式神イズモを紅葉橋に連れて行くということは、主のシオンも共に国外に出すということだった。
なぜかシオンが国外、いやこの町の外に出ることすら、一度も許可されない。
自分が道中悪を斬ったとき、各国の間で問題になるからなのだろうか、とシオンは考えている。
外の世界に行きたいシオンは、その命令がもどかしかった。
一生カゴの鳥でいていいのだろうか。この世には倒すべき悪人も、守るべき人々も、覇を譲れない、戦うべき魔族たちもいるというのに。
私はいつ戦えるのだろうか。いつ自分の力を制御できるのだろうか。それとも制御してはいけないのだろうか……。
なぜなら式神が封印解除されれば本来の自分に戻るように、自分も、勝手に封印解除して暴れる剣姫こそが、本来の自分に戻った姿なのかもしれないからだ。
今「普通」に暮らしているシオンは、仮の姿なのではないか……。
それがシオンにはとてつもなく恐ろしく思えた。
本能の赴くままに自我が暴走する剣姫が、赤ノ宮シオンではない。
平和に暮らしたい今の私が本当のシオンだ。
しかしこの剣姫こそ、本当の私の生まれてきた意味に直結するのではないか?
中途半端な力なら、人生のうえで黙殺できた。だが周りを変えるだけの力を持っているならば、使いこなさなければならないのではないか? そしてそれを人の役に立てるのが、使命なのではないか?
剣姫を待つ人々がいるならば……!
シオンが己の力への恐怖を叩き伏せるその言葉を胸に、きっ、と顔を空へ上げると、鳥居から月宮の小姓が転げるように走りこんできた。
「たた大変でございます! 野盗の群れが国守殿に攻め寄せてまいりました! 剣姫様、赤ノ宮様、月宮様のお召しにございます!」
その声に黄色の直衣を着た、彫りの深い顔立ちの、シオンの父・殻典が飛び出してきて、シオンとイズモを伴い、月宮のいる国守殿へ、裏道から急いだ。
国守殿は、二階建ての朱塗りの館で、防御に適しているという判断から、山の上に建っている。山から下りた平地に、平民の町が広がっていた。
町の入り口は堅固であり、常に軍隊の一部が警戒しているため突破しにくいが、今回野盗の群れは警備の手薄な、国守殿の裏の急な崖から攻め寄せたようである。
裏道から国守殿へ入り、貴族たちがあわわわ、あわわわと無目的に走り回っている廊下を早足で通り過ぎ、殻典たちは月宮のいる間へ、取り次ぎなしに入り込んだ。
「よし。殻典は私のそばへ。山脇、説明いたせ」
武具に身を固めた月宮は部屋を出た。矢を何本も背負った、がっしりとした体格の、初老のいかつい顔の山脇将軍がその前に出て先を歩き、月宮を守るため周囲に目を配る。殻典、シオン、イズモが二人を追う。
山脇が移動しながら口を開いた。
「もともとこの国守殿の裏の山は広大で、多くの魔物が住んでいた。だがいつからか、世間の外れ者にとっても、絶好の隠れ家となった。それでも今まで討伐しなかったのは、山が広すぎたためと、魔族まで刺激したくなかったためと、国守殿の裏が急な崖で、簡単には攻め込めないという理由があったためだ」
「それがなぜ今になって……。いずれは討伐されるとわかっているからですか。山を出ない限りこちらは手出しできないと知ってはいても……」
殻典の言葉に月宮はうなずいた。
「国守殿は野盗に後ろをさらし、いつ攻めこまれるかと不安の日々。一方野盗はいつ討伐隊に全滅させられるかと怯える日々だった。お互いが相手を不安視している以上、こうなることは火を見るよりも明らかだった。だから町の門に軍の一部を置いていたのだ。――町の門から来ると思っていたからな……」
「何か崖を登る手段を考えついたのですか」
シオンの言葉に押されるように、山脇将軍が月宮の先を何歩も走り、手で制した。もうその廊下の角を曲がれば、崖に面した国守殿の裏庭だ。
「月宮様。そろそろお控えください。すぐにも跳んでまいります!」
「跳ぶ?」
シオン、イズモ、殻典が口をそろえたとき、わっという男どもの喚声が上がり、武士が二人、水平に放られ、裏庭を囲う壁に叩きつけられた。
殻典が月宮の前に出て月宮を守る体勢をとり、山脇将軍とシオン、イズモが角から飛び出した。
敵が来れば音でわかるように白い砂利を敷き詰めた美しい裏庭が、血にまみれていた。
広大な裏庭のそこかしこで、立派な武具に身を固めた武士と、簡単な胸当てにはちまきをしただけの、土汚れのひどい野盗が、刀で斬り合っている。
野盗だけで、四十人はいるだろう。
訓練を積んだ武士が、弱い相手にしか向かわない野盗風情の剣技に負けるはずがなかったが、武士は圧倒的に不利に立たされていた。
馬並みに大きく、バッタのような形をして跳ね回る魔物たちが、武士たちを撥ね飛ばしていたからである。魔物とは動植物を土台に破壊力が進化した、知能もある存在である。
魔物の強い力を人間が直接食らえば、二階から落ちたときのように、骨折はまず免れない。
壁に激突し、既に死亡している者もいる。
バッタの魔物十数匹は、野盗を避け、武士だけを狙い撃ちにしている。
「魔物が野盗と手を組んだのですか!?」
髪を振るほど勢いよく、シオンは山脇に顔を向けた。
山脇は険しい表情で刀を抜いた。
「そうだ。そしてあのバッタどもの背に乗って、野盗どもはこの崖をあるいは飛び越え、あるいは跳び上がって来たのだ!」
そして、向かってきた野盗の一人を叩き斬った。
「あり得ない……! 紅葉橋の戦い以降の、“人族と魔族両者侵すべからず”という不文律を破るなんて……! 人間はともかく、魔族が!」
「背景は後でいくらでも調べればよい! なれるか、剣姫!!」
武士たちの死に際の叫びが、あちこちから聞こえる。悪徳の野盗を、許すわけにはいかない。のだが……。
シオンは辛そうに頭を振った。
「だめです。剣姫は発動しません」
自分の胸に聞いてみる。しかし、心は静まったままだ。
山脇将軍は、クワッと目を吊り上げた。
「貴様!! 国を守る兵たちが殺されても、怒らないというのか!! この偽善者め、悪徳を討つなどと、偉そうに!!」
シオンにつかみかかる将軍を、イズモが抑えた。
「シオンはまだ力を制御できない! オレが行く! 冷静に戦える分、将軍の指示通り動けるから、オレの方が使いやすいはずだ!」
自分の式神にこんなことを言わせて、シオンは主として情けなく思ったが、力のないシオンにはどうすることもできなかった。
「シオン! 式神の封印解除を!」
「わかったわ!」
なぜ剣姫が発動しなかったのか、今は考えているときではない。シオンは赤地の扇を開くと、イズモにかざした。
『強き魂よ 我こそ誘う 輝きの方陣に
束の間に歩み止め 現世のうたかたに身を委ねよ
我こそ踊らんこの光の螺旋、汝はたどらん我が命の螺旋!!
出でるがよい!! 炎式イズモ、律呂降臨!!』
シオンが霊なる言葉を唱え終わったとき、扇の黒い紋様が輝き、イズモの足元に同じ紋様の四角い陣を描いたと思うと、それが上空へ走り、一瞬で消えた。
その中から、藍色から変化した黒髪をなびかせ、水色の襟に白い衣、そして水色の袴を身に着けた式神イズモが、颯爽と姿を現した。
左の二の腕には、水色の編み紐が二本、左の襟から伸びて、十字に合わさっている。式神の、主への縛りを表す証である。
「フン、今のシオンよりかは役に立ちそうだ」
山脇はシオンを怒りの目で睨みつけると、封印解除を受けたイズモに、指示を出した。
「常に各所を警戒している各部隊は、自分の持ち場を離れて警備を手薄にすると、別の敵が侵入するかもしれないので、動けない。よって今、主に戦っているのは、裏庭を守る部隊だ。援軍の遊撃部隊も加わる予定なのだが、遅れている……。我々で倒すしかないと思え!」
山脇はまた、別な怒りの目をして、歯を嚙みしめた。イズモは説明を求めた。
「なぜこの急なときに来れないんだ! あんたの部下だろ!」
山脇は急に声を落として、イズモと肩を組んだ。
「遊撃部隊は貴族に阻まれ、貴族を守るよう命令されて動けないようなのだ!」
目を見開いたイズモに、山脇は苦りきった表情でうなずいた。
「お前が戦いの相棒で良かったかもしれん。シオンが知ったら貴族たちは殺される」
イズモがそっとシオンを窺うと、シオンは自分の力を懸命に引き出そうと、一点を見つめて集中していた。
「月宮様に知れたら!」
「格下の武士は格上の貴族には逆らえん。貴族の言葉の方が信用もある。月宮様が、貴族たちも襲われそうになったとかなんとか言う嘘を信じられたら、我々は終わりだ」
「人の命を救う指示は出せないのに、自分の命を救う指示は私的にいくらでも出るんだな」
イズモと山脇は飛び出した。
武士と野盗と魔物、三者が疲れた頃合いを見計らって、元気な者が攻めに入るのは、戦闘の常套手段である。
「お前は魔物を頼む! 私は部下たちを助ける!」
「おう!」
イズモは魔物へ跳び、刀を振り被ると、横腹から一刀両断にした。
それまで武士の刀疵しか受けなかったバッタの魔物たちは、突然現れた強敵に、一斉に照準を合わせ、イズモに襲い掛かった。
「集まったな! ちょうどいいから食らいな! 火空散!」
瞬間、イズモの刀から炎の玉が無数に生じ、密集したバッタたちに次々に激突した。
空に火の花が飛び散るように、炎の玉が広がった。
五匹は墜落し、残りもところどころにやけどを負って動きが鈍った。そこをすかさず、イズモの日頃鍛えた剣技がなで斬りにしていく。
イズモは難なく、バッタの魔物たちを倒した。人間より高い身体能力を誇っている魔物も、魔物に匹敵する式神に出会えば、いともたやすく倒されるのである。
「シオンの代わり以上だな。……時間制限さえなければ」
山脇将軍は、主人の術力の続く限りしか封印解除で動けない式神を、野盗を斬りながら見やった。
そして山脇とへろへろの武士たちが、ようやく野盗たちを倒し終えようとしたとき、
「ヒューイヒューイヒューヒュー!」
と、何かはやすような男どもの声が聞こえてきた。
「空から聞こえる!?」
将軍が空を見据えたとき、生き残っていた武士の一人が、素早い何かに倒された。
「何!!」
「ヒューイヒューイヒュー!!」
嘲るように、楽しそうに、バッタの魔物に乗った別の部隊の野盗が、百人近く続々と、飛び跳ねながら裏庭に降り立ってきた。
「新手か……!」
唇を嚙みしめて、山脇は味方にちらと目をやった。魔物に痛めつけられて、もう十人ばかりがやっと立っているにすぎない。
最初に先遣隊に戦わせて兵を疲れさせ、そこを新しい部隊で叩く。さきほどイズモと山脇が取った作戦を、敵に大人数でされてしまったのだ。
「おい、こんなに悪党を野放しにしてた責任、あとで取ってもらうからな! シオンのこと言えねえぞ、お前!」
いつ術が切れるか知れない式神イズモが、敵から目を逸らさず山脇に顰め面をした。
「確かにシオンを責める資格は私にはなかったな……。謝ろう。金銭が手に入らないことと政治はいつも乖離してしまう。もっと強く討伐を進言していたら……」
野盗たちは、バッタの魔物を新しい玩具のように乗り回し、裏庭の白い砂利を魔物の脚が玉散らすたびに、歓声をあげている。
そのうち野盗の頭が降り立った。ほぼ裸の上に鎧を着ている。
「へえ、この大事なときに、守りはたった十人ちょっとか。軍隊作る金がないのかねえ」
野盗たちはげらげら笑った。
「我が軍を侮辱することは許さん! 別の場所から侵入させないために、動けなかっただけだ!」
将軍の言葉に、頭は口をへっと歪めた。
「そうだ。せっかく警備の薄い場所から攻め込んで、この国をかく乱して奪ってやろうと思ったのに、兵士が全然動かなくて、当てが外れたぜ。町に火をつけて、オレが王だと知らしめる予定だったのによ!」
「徹底的に痛めつけなきゃ、奴ら言うこと聞かないしなー」
野盗どもは、ちっと舌打ちした。
「仕方ないから全軍裏庭へ集結して、月宮だけでも殺して国守殿を奪えば、なんとかなるだろうって話だ。な? そう思うだろ?」
「お頭サイコー!」
「ついていくぜー!」
山脇は怒りに震えた。こんな短絡的思考の馬鹿のせいで、尊い部下の命が奪われたのか!
「魔物も俺たちの味方だし、もうサイキョー? だぜ!」
「だぜー!!」
盛り上がる野盗たちに月宮が叫んだ。
「待て貴様ら。どうやって魔族を引き入れた! 魔族の恐ろしさを、人との対立を忘れたわけではあるまいに!」
野盗の頭は、物陰から出てきた月宮を見て、ニタアと歯を剝き出した。
「そんな近くにいたのかよ。こりゃ、探す手間が省けたぜ」
「質問に答えろ!」
「言う必要ねえよ! 魔族の力を借りて、てめえの国を乗っ取ってやるってことだ! 逆らう奴は皆殺しだ、国中の財産をみんな使ってやる、足りなくなったら町の奴らを人買いに売ればいい、民衆を治めてやる国王様は偉いから、民衆はその国王様が贅沢できなくて困っていたら、金も命も差し出さなきゃいけねえんだよ!」
野盗たちはどっと笑った。魔族という強力な後ろ盾を得て、もう恐れるものは何もないのだ。
「それが政治……」
「それが政治かァーッ!!」
月宮が怒るより早く、怒りで大気を震わせる者があった。
「……シオン! うっ!」
胸を押さえて、イズモが片膝をついた。
シオンが目を歪めて歯を食いしばり、内から湧き上がる力の片鱗を、呼気に混じらせていた。
「享楽のために力で弱者を搾取するのか! 己の人生を、生きながら死に至らしめる権利が貴様にあっても、他人の人生まで押し潰す権利など、誰にもない! 力を拝む野盗ども、より大きな力で殺さずには、」
シオンは腰を落とし右足で踏み切った。
「いられないー!!」
百人の中へ突っ込みながら、双剣を抜き払う。
「出た! 剣姫!!」
味方からも野盗からも声が上がった。
襲い掛かる野盗どもの刀をかいくぐり、シオンは次々と野盗を斬り伏せていった。
野盗たちはシオンの一振りごとに二、三人が薙ぎ倒され、剣圧の強さに歯が立たない。
まるで冬の地面にある枯れ葉のように、いともたやすく風圧に舞っていた。
シオンはその枯れ葉を一枚たりとて見逃さず、穴をあけ、真っ二つに斬り、散り散りに斬り捨て、数枚まとめて刺した。
「何をしてやがる! 矢を使え! 刀の相手は抵抗できない!」
野盗がシオンを仕留められずに次々と数を減らしていくのを見て、頭は苛立って叫んだ。
それを合図に、シオンの周りにいた野盗たちが、一斉に間合を取り、弓をつがえた。
今日傷を受けた飛び道具である。二度同じ戦術に負けるわけにはいかない。
シオンは素早く両拳に気を集中した。
矢が放たれるのと、シオンが双剣を、地面と平行に片方半円ずつ円を描いたのは、ほぼ同時だった。
シオンの刀から白き炎が生じ、それが円を描いて周りの弓矢を焼き尽くしながら伸び、射手の命まで焦がした。
「チッ! 炎まで使いやがるのか!」
頭は仲間が半数まで減らされているのを見た。
剣姫の戦闘能力は機密情報の一つだった。
町で噂にしか聞くことができなかったが、まさかこれほどとは。
「人間の力じゃ勝てねえ! おい、お前らに任せるぜ!」
頭は魔物たちをシオンに向かわせた。
だが、イズモのときよりも激しく、魔物たちは一振りで次から次へ斬り裂かれていった。
もはや自分とシオンを隔てるものが、魔物から噴き上がる血潮だけになったとき、頭は初めて恐怖した。
魔族がいるから勝てると踏んだのに、その魔族をいとも簡単に倒すコマがいたことに。
「お、おい! お前ら! あの女を殺せ! 早くしろ!」
頭は生き残った野盗の群れの後ろに隠れたが、しかし野盗たちも尻込みしていた。
「じょ、冗談じゃねえ! 絶対勝てるって言うから来たんだぜ! こいつがこんなに強いなんて、聞いてねえ!!」
「お前が行け! 斬られてる隙にオレが女を斬るから!!」
「バカ言ってんじゃねえ! お前が行け!!」
野盗どもが、互いを前へ出そうと、押し合い圧し合いしているのを見て、シオンは青筋を立てた。
「覚悟も志もない者が、人の命を奪い人の上に立てると思うのかァーッ!!」
そして双剣をばらばらに振り回し、五十人の野盗をあっという間に血の塊にした。
頭はバッタの魔物に乗って逃げようとしたが、シオンに魔物を斬られ、砂利に落下した。
シオンが近寄ると、両手を前に出した。
「ひえええ、た、助けてくれ! そうだ、オレの仲間にならないか! オレの知能とお前の力が合わされば完璧だ! ねぐらにある宝も半分やろう! この国を支配するんだ! どうだ、楽しいだろう!」
媚びるような半笑いの口で目は恐れに見開かれたまま、頭は必死にシオンを味方にしようとした。
しかしシオンは冷徹な目で、真向かいに尻をつく頭を見下ろした。
「心ない力で支配したものはいずれ心ない力に倒される。力で人を従えたとしても、人の真心がなければ支配者は民に心を教えることができず、心ない配下に人生を覆されるであろう」
「じゃあ国民を、それに気づかなくなるくらい阿呆にしてしまえばいい!!」
頭の口をついて出た言葉に、シオンは目を歪め、頭の腹を突き刺した。そして腹の中を引っ掻き回した。
「ガッガァァァ!!」
「己のために他人の強さを奪うのか! ますます生かしておけん!」
「ウギャアアアアー!!」
「人より力を信じる者の末路など、こんなものだ」
そして剣を引き抜いた。
剣を振り滴る血を撥ね飛ばし、シオンが双剣をしまうときには頭はゆっくり倒れ、絶命していた。
うおー!! と、兵士たちが喜びの声を上げた。
野盗も、魔物も、すべて倒された。
死亡した武士もいたが、生き残った武士たちは、皆手を取り合って、肩を叩き合った。
だが、誰一人シオンに駆け寄る者はいなかった。
イズモは胸の痛みがようやく治まったので、返り血だらけのシオンのもとへ向かった。
剣姫を囲うようにできた、人の空白地帯の円の中央で、シオンはぼうっと血の現場を眺めていた。
「助かったシオン。ありがとう」
友として心から礼を言ってくれるのは、イズモだけだった。
シオンは血の飛んだ頬を向けながら、微かに笑んだ。
「皆の者、よく戦ってくれた。礼を言う」
月宮の言葉に、全員が平伏してかしこまった。
「滅相もございません。我らの激励のために、かような場所へお越しいただきましたこと、深く御礼申し上げます」
山脇将軍が代表して返答した。
月宮がここへ来たのは、恐いもの見たさのためではない。命懸けで戦っている武士たちを、鼓舞するために来たのだ。
常に戦場の先頭に立ち、民のために行動する月宮は、とても素晴らしい国守だ、と皆は思った。
人々が死体の後片付けをする中、シオンは再び川で清い塩の水垢離をし、血糊を洗い流していた。
「まったく、いくら着物があっても足りないな。お前ばかり戦わされて……!」
イズモが、新しい、さきほどと同じ色の祝女服に着替えて現れたシオンに愚痴をこぼした。
「イズモと二人で戦えば、安心なのにね」
主を案じる心を見透かされ、イズモはちょっと落ち着きなく動いたが、すぐに口をとがらせた。
「オレが戦おうとしても、お前が剣の舞姫になると、胸が痛くなって全然戦えなくなっちまうの、知ってるくせに! 思うんだが、オレの生命力吸い取ってんじゃねえのか!?」
「ま、式神は主に従うものだしねえ」
「お前な……」
主としての優越感をわざわざ表現するために、うふふあははと目を細めるシオンを見て、イズモはむきになって叫んだ。
「ということは、剣姫はお前の命を削って発動してるんじゃないのか!?」
シオンから笑みが消えた。
しまったとイズモは思ったが、もう遅い。
彼女は、ずっとそれを心のどこかで気にしていた。
しかし、意図して深く考えないようにしていた。
なぜなら、己の人生を見通したとき、死ぬことよりもどう生きるかを考える方が、よっぽど為すべきことだと気づいたからである。
「私は死ぬのは恐くないわ。でも、成すべきことを為さずに死ぬのは恐い。だから、生きているうちに、いつ死んでも悔いがないように、全力で駆け抜けたいの」
「成すべきこと……?」
尋ねるイズモに、シオンは刀に手を置いた。
「この剣姫の力を持って気づいたの。“悪は倒せるものが斬らねばならない”って」
刀をそっとなで、続ける。
「よく、悪人を斬らずに、打ちのめして追い返すだけの『英雄』がいるけど、あれは偽善よ。なぜならそうして助かった悪人は、『英雄』のいないところで、弱者に対してまた同じ悪事をして弱者を苦しめるからよ」
刀のそばを冷たい秋風がそよいでいった。シオンは口を動かし続けた。
「弱者は思う、『英雄が悪人を殺しておいてくれれば、こんな目に遭わなかったのに。なまじ強者が弱者をいたぶるものではないという英雄気取りが英雄にあったがために、英雄は人殺しをしなくて済んだけれども、その代わり我々弱者が、再び同じ悪人にいたぶられる結果となった。
英雄は、自分はいいことをしたと思っている、独り善がりの偽善者だ』、と」
川のせせらぎと、川に沿って生えている木々の紅葉が、風にさらさらと小さな音を立てている。
シオンはそれを聴くように、目を閉じた。
「弱者は思う、『英雄が憎い。自分だけ満足している。本当の英雄は、自分が罪を負ってでも、悪をこの世から消し去るものだ。
他人のためにでなく、自分が救われるためにしか力を使わない奴は、英雄でもなんでもない。命を助ける代わりに悪人の次の犯罪を止める言葉もかけられないなら、悪人を野放しにする悪党だ!』と」
シオンは不揃いのうろこ雲の広がる空を見上げた。
「私は悪人を許さない。正義に戻る機会は、他人を見習えばいくらでもあったのに、それをしなかった。悪によってまっとうに生きる者が踏みにじられるのを見る度に、私は殺意がたぎるのよ。この命を落としても、必ず殲滅せずにはいられない」
それが成すべきことなのか、とイズモは目を見開き、焦点を絞った。
「確かに、死ぬことより、成したいことが為せずに生きることの方が、恐いだろうよ」
イズモの視線がシオンの瞳の奥まで貫くようだった。
「お前は力にどうしても理由が欲しいからな……」
見開かれた無表情のイズモの瞳が、とても恐ろしくて直視できなくて、シオンは自らの焦点の震えを隠すために、イズモに背を向けた。
イズモはときどき、何かに憑かれたように、瞳を凝視させることがある。
普段は友達のようにしゃべるシオンも、このときばかりはイズモが恐ろしい。
ひたすらにシオンの隠している心を、見透かすからだ。
式神にしてから一箇月経つが、未だにこのイズモのことがわからない。
しばらくして、イズモの瞳が穏やかに戻った。
「でもな、シオン。みんなお前みたいな心は持っていても、折り合いをつけて、大人の世界で生きていくんじゃないのか?」
声の調子からそれを察して、シオンは、ほっとしたように振り返った。シオンの暖かい日差しの匂いが香った。
「もちろん私もそのつもりだったわ。だけどね……、一旦義憤の心が起こると、心変わりして、自分でも止められなくなるの」
「どうしてそんな力が……」
思わずイズモがシオンを痛ましく見つめたが、シオンはきっぱりと言った。
「私にしか私の理想は貫けないからよ……こんな戦い方だとしても。この力がなかったとしても、私は悪を許さない理論に到達していたでしょうし、そうでなければ、私の存在価値はないの。これが私なの。そして、ただの殺戮者ではない、本当の私がそこにいるの。力を極め、力を使う心を極めた先に、何かがある。私は、いつもそれを信じてる」
その、希望を信じる瞳に、イズモは安心した。
「わかったよ……、しょうがないから一緒にいてやるよ、ご主人様」
シオンは声を立てて笑った。
「主が死んだら式神も塚に還るんだもの、当たり前じゃない!」
「こいつ……、せっかく美談にしてやろうと思ったのに……」
二人は上を向いて笑った。
その夜、雲が空を覆う暗闇の中、正方形の舞台の四方に、一メートルのたいまつが一本ずつ配置され、炎で舞台の影を揺らしていた。
その中で一人の祝女が、腰に双剣を差し、神鈴をゆっくり振って、静かに舞っていた。
顔の右半分に、目の穴も口の穴もない完全な半月の仮面をつけ、左半分に白粉を塗り、紅をさしたシオンである。
己の最も美しい姿を神に捧げるのが、神職につく者の務めである。
ここは赤ノ宮神社の聖域で、神に奉納する神聖な舞を舞う場所である。
シオンはその踊りの美しさから、「舞姫」とも称えられていた。
少なくとも神鈴を使った優雅な舞からは、血の匂いは微塵も感じられなかった。
剣で人を斬ったとき、舞を奉納することが、シオンの穢れを清め祓うのに必要だと、シオンは考えていた。
これから天と地の気を循環させる舞を舞うのだ。白き炎に代表されるシオンの剣姫としての力を「送る」儀式を、「陰陽師のシオン」として執り行うのだ。この力が神のものか、悪のものか、シオンは知らない。だが、古来より、「死霊憑き」だけでなく「神憑き」にも、その力を降ろした後帰っていただく儀式は存在した。どちらに憑かれても、その人間は強すぎる負荷に耐えきれず、体力を消耗して病気にかかりやすくなってしまうからだ。だから、シオンは剣姫の力の源が判明しないけれども、どちらも送れる舞を舞うのだ。どちらも憑いていなかったのだとしても、それがわからない以上は。
たいまつの油が失われ、軸の部分が燃え出したとき、シオンは急に仮面を逆さにし、顔の左半分につけかえた。顔の右半分には白粉のみが塗られている。
そして、祝女の着物を脱ぎ払った。下から、茜色の綾織りの、豪華な貴族服が現れた。
男装である。
男装のシオンは腰の双剣を一気に引き抜くと、剣を素早く突き、払い、飛び上がり、激しく動き始めた。
剣舞奉納の儀に移ったのだ。
「女は神鈴、男は剣で」奉納の舞を舞うのが、この大陸の古くからのしきたりであった。それぞれ陰陽和合、神の聖霊降りを表している。
シオンは女であるが、双剣を使うため、男装もして剣舞を行い、剣の殺戮を清めようとしていたのである。
舞うと、滞っていた体の霊なる気の波動が、力を取り戻すのが感じられる。
一人静かに激しく舞うシオンの夜は、たいまつが燃え尽きるまで続いた。
題名は、「世界の希望・星方陣を中心に展開する撃剣の記録」という意味です。
主人公が自分の魔性の運命にどう決着をつけるのか、お楽しみください。