山砕きの海神
グランディル山岳王国、最深層。
山脈内部そのものが脈動していた。
ズ……ン……。
ズズズズズ……。
巨大過ぎる何かが蠢く度、岩盤が軋み、都市全域へ振動が走る。
避難民達の悲鳴。
崩落。
警鐘。
赤く染まる古代灯火。
終末のような光景だった。
その中心で。
“目”がこちらを見ている。
山より巨大な赤黒い瞳。
それだけで空気が濁る。
精神を圧迫するような威圧。
生物としての格が違う。
ミーコは全身へ冷たい汗を流していた。
「……なんなのよ……あれ……」
獣王家の本能が理解してしまっている。
勝てる相手ではない。
生き物の尺度から外れている。
ユキも青ざめていた。
「空間そのものが歪んでます……」
フィルニアが奥歯を噛む。
「冗談抜きで国崩し級だぞ……」
タマですら笑えなかった。
「……デカいとかそういう問題じゃねぇ……」
その時。
巨人王が低く呟く。
「完全覚醒まで時間が無い」
「どうすりゃ止まる?」
トシオが問う。
王は険しい顔で答えた。
「本来なら不可能だ」
短い沈黙。
「主核は山脈そのものと融合している。破壊すればグランディル全域が崩落する」
「じゃあ放置したら?」
「大陸北部が消える」
タマが顔を引き攣らせた。
「規模おかしいだろ……」
その時だった。
ミツコがふらりと前へ出る。
彼女の耳には、まだ聞こえていた。
助けを求める声が。
『……たすけて……』
幼い。
震えている。
苦しみに擦り切れた声。
「……まだ生きてる……」
ミツコが呟く。
「この中に……誰かいる……」
巨人王が目を見開いた。
「封印核内部の意識体か……?」
すると。
山脈全体へ、再び巨大な振動が走った。
次の瞬間。
岩壁が内側から弾け飛ぶ。
轟音。
崩落。
そして――。
“腕”が現れた。
山を掴めるほど巨大な黒腕。
空間が軋む。
指先が動くだけで岩盤が崩壊していく。
「来るぞ!!」
巨人王の怒声。
黒腕が振り下ろされた。
避難都市へ。
直撃すれば数万人規模で終わる。
ミーコ達が動こうとした、その瞬間。
前へ出たのは。
トシオだった。
「じーちゃん!?」
ミーコが叫ぶ。
だがトシオは振り返らない。
ゆっくり。
一歩前へ出る。
その背中から、異様な圧力が溢れ始めていた。
空気が震える。
空間が唸る。
ゴォォォォォ……。
それは海鳴りだった。
深海から響くような重低音。
蒼い雷光がトシオの身体を走る。
筋肉が膨張。
傷跡だらけの肉体から、暴風のような魔力が噴き出した。
ミーコが息を呑む。
「……なに……これ……」
トシオ自身にも、理由は分からなかった。
だが。
異世界へ来てから時折感じていた“海鳴り”が、今は全身で唸っている。
この世界へ渡ったあの日から、自分の奥底へ眠っていた何か。
それが今。
星喰らいを前にして、目覚めようとしていた。
フィルニアが絶句する。
「……神格顕現……?」
巨人王の瞳が揺れた。
「海神系統……まさか……」
トシオが拳を握る。
その瞬間。
周囲岩盤へ無数の亀裂が走った。
圧力だけで。
「……お前」
トシオが黒腕を睨む。
静かな声。
「泣いてるガキ利用して暴れてんじゃねぇ」
次の瞬間。
踏み込む。
地面が爆発した。
超加速。
空気を置き去りにして、トシオが黒腕へ突っ込む。
拳を振り抜く。
ゴ ガ ァ ァ ァ ァ ァ ッ !!!!!!
山脈が揺れた。
黒腕が捻じ曲がる。
超巨大質量が吹き飛び、岩壁を数キロ単位で粉砕した。
「はぁぁぁ!?」
タマが叫ぶ。
だが終わらない。
黒霧が噴き出し、腕が再生を始める。
すると。
巨大な“顔”が岩盤から浮かび上がった。
目。
口。
無数の歯。
それが怒声を上げる。
『ァァァァァァアアアアア!!!!!』
衝撃波。
避難都市の建物が吹き飛ぶ。
ユキが即座に結界展開。
ミーコとフィルニアも防御へ回る。
だが。
トシオだけは止まらない。
「うるせぇ」
低い声。
そして。
もう一歩。
拳。
ゴ ォ ォ ォ ォ ォ ッ !!!!!
顔面が陥没した。
岩盤ごと吹き飛ぶ。
その光景を見て、巨人族達が絶句していた。
「……殴ってる……」
「星喰らいを……?」
「素手で……?」
だが。
敵も規格外だった。
山脈各所から無数の黒腕が出現する。
十。
二十。
三十。
都市を覆い尽くすほど。
「数が!」
ミーコが叫ぶ。
するとトシオがニヤリと笑った。
久々の。
豪快な笑み。
「なら全部ぶっ壊すだけだ」
次の瞬間。
蒼雷が爆発した。
轟音。
トシオの身体から巨大水流が渦を巻く。
海流。
嵐。
雷鳴。
全てが混ざり合っていた。
巨人王が目を見開く。
「……古代海神術……!」
トシオに理屈は分からない。
だが身体が自然と動く。
異世界へ来てから、少しずつ馴染み始めていた力。
海と嵐の神性。
それが星喰らいへ、本能的な敵意を向けていた。
トシオが腕を振る。
すると。
蒼い激流が山脈内部を貫いた。
ゴ バ ァ ァ ァ ァ ァ ン !!!!!
黒腕群がまとめて吹き飛ぶ。
再生前に蒸発。
黒霧そのものが浄化されていく。
フィルニアが呆然とした。
「浄化まで……?」
ミツコが気付く。
トシオの力。
それは破壊だけじゃない。
“侵食を押し流している”。
まるで荒れ狂う海が穢れを洗い流すように。
すると。
星喰らい本体が怒った。
山脈全域から無数の目が開く。
空間歪曲。
重力異常。
黒い稲妻が降り注ぐ。
「まずい!!」
巨人王が叫ぶ。
「暴走形態へ移行する!」
次の瞬間。
山そのものが立ち上がった。
「……は?」
タマが固まる。
違う。
山ではない。
山脈内部に埋まっていた“本体”が起き上がっている。
超巨大。
空間を埋め尽くす黒い肉塊。
腕。
口。
目。
翼のような何か。
その全てが歪だった。
存在するだけで世界が軋む。
フィルニアが震える。
「……こんなの……勝てる訳……」
その時。
ミツコが前へ出た。
「あなた」
トシオが振り返る。
ミツコは静かに笑った。
「思いっきりやってきなさい」
優しい声。
「後ろは、みんなで守るから」
トシオが笑う。
「あぁ」
短く。
だが力強く。
そして。
トシオの身体から、さらに巨大な蒼光が溢れた。
空間が震える。
海鳴りが増幅する。
その瞬間。
トシオの背後へ、巨大な海神の影が完全顕現した。
蒼龍。
いや違う。
もっと古い。
もっと荒々しい。
嵐そのものみたいな神格。
巨人王が膝をつきかける。
「……神威……」
圧倒的格上。
それほどの存在感だった。
トシオが空を睨む。
星喰らい本体を。
「終わりだ」
その瞬間。
トシオが跳んだ。
山脈を蹴り砕きながら。
超高度へ。
そして。
拳を振りかぶる。
蒼雷収束。
激流圧縮。
空間が悲鳴を上げる。
星喰らいが咆哮した。
黒い奔流が放たれる。
だが。
トシオは止まらない。
真正面から突っ込む。
そして――。
ゴ ォ ォ ォ ォ ォ ォ ォ ッ !!!!!!!!
世界が揺れた。
蒼い光柱が山脈を貫通する。
超巨大衝撃。
数秒遅れて轟音が来た。
ミーコ達は目を開けていられない。
吹雪。
暴風。
岩石雨。
そして。
星喰らい本体へ、巨大な穴が空いていた。
『ア……ァ……』
断末魔。
黒い肉塊が崩壊を始める。
侵食が消えていく。
空の裂け目も閉じ始めた。
だが。
ミツコだけが見ていた。
崩壊する黒核の中心。
そこに。
一人の少女が居た。
銀色の髪。
白い衣。
かつて幻視で見た女性に似ている。
少女は泣いていた。
長い長い時間。
ずっと閉じ込められていたように。
ミツコは駆け出した。
「ばーちゃん!?」
ミーコが叫ぶ。
崩壊する瓦礫の中。
ミツコは少女へ手を伸ばす。
「もう大丈夫」
優しい声。
「帰ろう」
少女が震える。
『……かえ……る……?』
「うん」
ミツコが微笑む。
「あなた、一人で頑張り過ぎたのね」
その瞬間。
少女の身体が光になった。
暖かい光。
そして。
空へ溶けるように消えていく。
同時に。
星喰らい本体が完全崩壊した。
黒霧消滅。
侵食停止。
山脈の揺れも収まっていく。
静寂。
長い長い戦いの終わりだった。
そして。
崩れ落ちる岩盤の向こうから。
トシオが戻って来る。
肩で息をしながら。
だが笑っていた。
「……終わったな」
ミーコ達が駆け寄る。
「じーちゃん!!」
「トシオ!!」
「おっさん!!」
トシオは苦笑した。
「なんだお前ら、そんな泣きそうな顔して」
すると。
ミツコがそっと抱きついた。
「お疲れさま」
トシオが少し照れ臭そうに頭を掻く。
その時。
山脈の奥から朝日が差し込んだ。
灰色だった空が、少しずつ青へ戻っていく。
巨人王が静かに跪いた。
「……感謝する」
低い声。
「グランディルは救われた」
だが。
トシオは肩を竦める。
「俺達だけじゃねぇよ」
そう言って。
家族を見る。
ミーコ。
タマ。
ユキ。
フィルニア。
そしてミツコ。
「みんなで勝ったんだ」
吹雪が止む。
長く閉ざされていた山岳王国へ、静かな光が降り注いでいた。




