『海底神殿』
『じじばばにゃんこと異世界奇譚』
第一部『レヴァナスタシア』
ルメリアの朝は、
霧に包まれていた。
港の鐘も。
市場の喧騒も。
今日はどこか遠い。
白い霧が、
海と街の境界を曖昧にしている。
宿の食堂では。
トシオが、
焼き魚を食べていた。
「脂乗っとるのぉ」
「朝から三枚目だぞ?」
タマが呆れる。
その横では。
フィルニアが、
巨大な貝汁を飲んでいた。
「海の街最高だな!!」
「お前ずっと食ってんな」
「旅は食だろ!!」
「その理論誰の影響だよ」
トシオが、
のんびり笑った。
その時だった。
宿の扉が、
勢いよく開く。
海風と霧が流れ込む。
立っていたのは、
ギードだった。
だが。
様子がおかしい。
険しい。
片目の古傷が、
さらに鋭く見えるほどに。
「……来てくれ」
短い声。
食堂の空気が変わった。
⸻
港中央。
海人族達が、
騒然としていた。
船員。
漁師。
港警備。
皆、
沖を見ている。
タマが眉をひそめた。
「何があった?」
ギードは、
低く答える。
「島が浮いた」
沈黙。
フィルニアが、
素っ頓狂な声を出す。
「は?」
ギードは、
真顔だった。
「沖合百里地点」
「今朝突然、
海底から島が浮上した」
ルメリア周辺に、
そんな島は存在しない。
だが。
実際に、
海上監視塔から確認されている。
しかも。
問題はそれだけじゃなかった。
ギードが、
さらに低い声で言う。
「近付いた監視船が戻ってねぇ」
ミーコの耳が動く。
「黒穴?」
「分からん」
だが。
ギードは海を睨んでいた。
漁師の勘だった。
良くない。
本能がそう告げている。
その時。
トシオが、
ぽつりと言った。
「行ってみるかの」
タマが、
天を仰ぐ。
「最近それしか言ってねぇ!!」
⸻
船は、
昼前に出航した。
霧はさらに濃い。
海も静かだった。
不自然なくらいに。
波が無い。
風も弱い。
海鳥すら飛んでいない。
ユキが、
小さく呟く。
「……海、
眠ってるみたい」
その表現へ。
ギードの顔色が変わった。
「昔、
爺様が言ってた」
全員が見る。
「“海が眠る時、
底の門が開く”とな」
フィルニアが、
わくわくした顔になる。
「門!?」
「お前そこ喜ぶ所じゃねぇ」
タマが即ツッコむ。
その時だった。
船員が叫ぶ。
「見えた!!」
霧の向こう。
巨大な黒影。
近付くにつれ、
全員が言葉を失った。
島だった。
だが。
普通の島じゃない。
岩肌が、
建造物みたいだった。
塔。
石柱。
巨大な円形構造。
まるで。
海底都市が、
そのまま浮かび上がったみたいだった。
ミーコが、
静かに目を細める。
「……遺跡」
⸻
上陸した瞬間。
空気が変わった。
静かすぎる。
波の音すら遠い。
石畳には、
びっしりと古代文字が刻まれている。
誰も読めない。
だが。
不思議と、
見ているだけで寒気がした。
フィルニアが、
辺りを見回す。
「すげぇ……」
珍しく。
少し声が小さい。
その時。
ユキが、
足を止めた。
「……人」
前方。
崩れた石柱の陰。
誰か倒れていた。
駆け寄る。
監視船の船員だった。
生きている。
だが。
意識が無い。
そして。
全員同じ顔をしていた。
怯えきっている。
まるで。
“何か”を見たみたいに。
ミツコが、
そっと額へ手を当てる。
柔らかな光。
命紡ぎ。
すると。
船員の一人が、
びくりと震えた。
そして。
ゆっくり目を開ける。
「……ぁ……」
ギードが、
肩を掴む。
「何があった!!」
船員は、
震えていた。
唇が青い。
「眼が……」
「下から……」
「ずっと、
見てた……」
ミーコが、
静かに遺跡中央を見る。
巨大な円形広場。
その中央だけ。
地面が黒い。
まるで。
穴みたいだった。
⸻
遺跡中央。
そこには。
巨大な縦穴があった。
底が見えない。
暗い。
そして。
妙に湿っている。
フィルニアが、
石を落とした。
だが。
音が返ってこない。
「深っ……」
その時だった。
風が吹く。
いや。
違う。
下から空気が流れてきた。
そして。
聞こえる。
歌。
低い。
遠い。
知らない言葉。
だが。
どこか悲しい。
ユキが、
ミツコの袖を掴いた。
「怖い……」
ミツコが、
優しく頭を撫でる。
「大丈夫よぉ」
その時だった。
ズズズズ……
穴の奥。
何かが動いた。
ギードが、
剣を抜く。
「来るぞ!!」
次の瞬間。
黒い腕が、
穴から伸びた。
巨大だった。
人の形に近い。
だが。
指が多すぎる。
眼が埋まっている。
身体中に、
黒紫の亀裂。
フィルニアが叫ぶ。
「うおっ!?」
異形は、
ゆっくり這い上がってくる。
重い。
巨大。
その姿だけで、
空気が軋む。
タマが、
顔を強張らせた。
「黒穴の奴か……!」
だが。
違った。
異形は、
苦しそうだった。
まるで。
身体の中で、
何かが暴れているみたいに。
トシオが、
静かに前へ出る。
異形の眼が、
一斉に向いた。
その瞬間。
異形が止まる。
震えた。
怯えるように。
ミーコが目を見開く。
「……反応した」
異形の奥。
黒紫の亀裂が、
激しく脈打つ。
ドクン。
ドクン。
そこから。
別の“何か”が、
出ようとしていた。
トシオの目が細まる。
「寄生されとるんか」
その瞬間。
異形が絶叫した。
空気が震える。
同時に。
黒紫の肉塊が、
異形の胸を突き破って飛び出した。
眼。
牙。
触腕。
黒穴由来の寄生体だった。
フィルニアが、
紅槍を構える。
「キモっ!!」
突撃。
紅槍が閃く。
だが。
寄生体が、
肉を変形させて受け止める。
グニャリ。
「うわっ!?」
タマが、
即座に援護へ飛ぶ。
双剣。
連撃。
だが。
斬っても再生する。
黒紫の眼が、
一斉に開いた。
瞬間。
頭痛。
圧迫感。
ユキが膝をつく。
「……っ」
ミツコが、
前へ出た。
柔らかな光。
命紡ぎ。
優しい光が、
全員を包む。
すると。
圧迫感が和らいだ。
寄生体が、
嫌がるように後退する。
その時だった。
異形本体が、
突然トシオを見た。
無数の眼。
だが。
そこに敵意は無い。
助けを求めていた。
トシオが、
静かに息を吐く。
「もう十分じゃ」
次の瞬間。
踏み込み。
石畳が爆ぜる。
拳。
ただそれだけ。
ドゴォォォォォン!!!
寄生体が吹き飛ぶ。
遺跡壁面へ激突。
巨大な亀裂が走る。
だが。
まだ再生する。
黒紫の肉が、
蠢く。
その時。
ミーコが叫んだ。
「核!」
全員が見る。
寄生体中央。
小さな黒い眼。
そこだけ。
再生が遅い。
トシオが、
静かに構えた。
寄生体が、
恐怖したように震える。
そして。
正拳。
ゴッッッ――――!!!
空気が消えた。
次の瞬間。
黒い核が砕ける。
寄生体全体へ、
亀裂が走った。
絶叫。
そして。
黒紫の肉が、
光になって崩れていく。
静寂。
残されたのは。
巨大異形だけだった。
だが。
その身体からも、
黒い侵食が消えていく。
眼の色が変わる。
濁った紫から。
澄んだ青へ。
異形は、
ゆっくり空を見上げた。
まるで。
長い悪夢から、
ようやく目覚めたみたいに。
ミツコが、
静かに目を細める。
「頑張っとったんやねぇ」
その瞬間。
異形の身体へ、
淡い青白い光が走った。
崩れるように。
砕けるように。
巨大な身体が、
粒子へ変わっていく。
海風が吹く。
青白い光が、
空へ舞う。
まるで。
魂が還っていくみたいだった。
ユキが、
小さく呟く。
「……綺麗」
異形は、
最後に一度だけ。
トシオ達を見た。
そして。
静かに散っていった。
青い粒子となって。
空と海へ、
溶けるように。
歌も消える。
黒い侵食も消える。
遺跡を覆っていた、
重苦しい空気も消えていく。
その時だった。
遺跡中央。
巨大縦穴の奥から。
ドクン――
脈動。
全員が止まる。
深い。
遥か下。
もっと巨大な“何か”がいる。
トシオが、
静かに穴を見る。
底の見えない闇。
その奥で。
無数の紫眼が、
ゆっくり開いた気がした。
ギードの額へ、
冷や汗が流れる。
「……まだいるのか」
ミーコが、
静かに頷いた。
「しかも、
今までのより大きい」
沈黙。
風が吹く。
浮上遺跡全体が、
低く唸るように揺れた。
その時だった。
フィルニアが、
紅槍を担ぎながら笑う。
「じゃあ、
もっと強い敵って事だろ?」
タマが、
呆れた顔をする。
「なんで嬉しそうなんだよ……」
だが。
フィルニアの赤い瞳は、
真っ直ぐだった。
恐れていない。
前を見る目だった。
トシオが、
ぽりぽり頭を掻く。
「難儀な世界じゃのぉ」
ミツコが、
小さく笑う。
「でも、
お腹は空くんよねぇ」
空気が少しだけ緩む。
その時。
霧の向こうから。
ルメリアの鐘の音が、
微かに聞こえてきた。
世界は壊れ始めている。
だが。
それでも。
まだ。
笑える者達がいる。




