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じじばばニャンコと異世界奇譚  作者: こいたろ


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133/150

王女の名前



 アクアリア=ヴァル=レイシス。


 その名が告げられた瞬間から。


 グレイヴェル水路区の空気は変わっていた。


 誰も大声を出さない。


 ざわめきはある。


 だが。


 それは恐怖ではなく、困惑と驚きだった。


「本当に……?」


「王女……?」


「生きてたのか……?」


 避難民達が小声で話している。


 兵士達も落ち着かない。


 監督官など、完全に顔色が消えていた。


「そ、そんな……」


 ミーコは静かに周囲を見る。


 久しぶりだった。


 “王女”として人前へ立つのは。


 けれど。


 不思議と怖くはなかった。


 隣に皆がいるからだ。


 その時。


 トシオが薪を放り込んだ。


ゴ ッ……


 鍋の火が大きくなる。


 空気が少し戻った。


 フィルニアが吹き出す。


「じーちゃん通常運転すぎんだろ」


「腹減るぞ」


「そこなのかよ」


 タマも笑う。


 張り詰めかけた空気が、少しだけ緩んだ。


 その間。


 監督官はまだ混乱していた。


「ほ、本当に……王族……?」


 シェリスが静かに前へ出る。


「偽名で王族騙る方が問題でしょう」


「っ……!」


 監督官が詰まる。


 完全に立場が逆転していた。


 周囲の兵士達も困惑している。


 だが。


 その中の一人が、ゆっくり膝をついた。


「……失礼しました」


 若い猫獣人兵だった。


 その姿を見て。


 他の兵士達も続く。


 監督官だけが立ち尽くしていた。


 ミーコは静かに言う。


『誰も責めるつもりは無いわ』


 監督官が顔を上げる。


『でも』


『止める前に、見てほしかった』


 ミーコは周囲を見る。


 避難民。


 補修中の水路。


 働く人達。


 炊き出し。


 笑顔でスープを食べる子供達。


『この人達は、怠けていた訳じゃない』


『生きる場所を失っていただけ』


 監督官は言葉を失う。


 その時だった。


「監督官殿!!」


 別の兵士が駆け込んでくる。


「西水路側、崩落止まりました!!」


 空気が変わる。


「なに?」


「補強組んだおかげで、水流逸れました!」


 兵士の顔は明るかった。


「橋下側も荷運び再開出来そうです!」


 監督官が絶句する。


 本当に改善していた。


 タマが感心したように呟く。


「じーちゃん、こういう現場ほんと強ぇな」


「漁港と一緒だ」


「規模違ぇだろ」


 フィルニアが笑う。


 その頃。


 避難民達も変わり始めていた。


「次どこだ!?」


「木材運ぶぞ!!」


「縄足りねぇ!」


 もう待っているだけではない。


 動き始めている。


 ミツコはその様子を見ながら、小さく笑った。


「元気出てきたねぇ」


 ユキも静かに頷く。


「……顔違う」


 さっきまで疲れ切っていた人達に、少しだけ生気が戻っていた。


 その時。


 マルダが大声で笑った。


「ほら見な!!」


「動けば街も動くんだよ!!」


 避難民達から笑い声が漏れる。


 監督官は呆然とそれを見ていた。


 やがて。


 ゆっくりミーコへ向き直る。


「……申し訳、ありませんでした」


 深く頭を下げた。


 ミーコは静かに首を振る。


『今は謝る時じゃないわ』


『動く時よ』


 監督官が息を呑む。


 その言葉は。


 責める声ではなかった。


 王女の言葉だった。


 その時。


 フィルニアが小声でタマへ言う。


「ミーコ、やっぱすげぇな」


「まぁな」


「昔からああだった」


 ユキも静かに頷く。


「……前に出る時は強い」


 その横で。


 トシオは大鍋を見ていた。


「スープ減ってる」


「追加だな」


「空気読めよじーちゃん」


「飯無ぇとまた揉める」


「間違ってねぇのが困る」


 フィルニアが吹き出した。


 少しずつ。


 水路区の空気が変わっていく。


 重苦しさだけじゃない。


 人が動き始める空気。


 それが戻り始めていた。


 その後。


 監督官も作業へ加わる事になった。


 最初は戸惑っていた。


 だが。


 ミーコに名指しされた。


『監督官』


「は、はい!」


『あなたはこの区画を把握しているのでしょう?』


「え?」


『なら指示を出して』


 監督官が固まる。


 タマが吹き出した。


「逃がさねぇ」


 フィルニアも笑う。


「働け偉い人」


「ぐっ……」


 だが。


 監督官も途中から変わり始めた。


「そ、そっち資材を回せ!」


「崩落側優先だ!!」


 元々能力はあったのだろう。


 ただ。


 責任を恐れて止まっていただけだった。


 シェリスが静かに呟く。


「……少し戻りましたね」


『えぇ』


 ミーコも頷く。


 レイシスは壊れかけている。


 けれど。


 全部が終わった訳じゃない。


 まだ。


 動ける人間がいる。


 その時。


 橋の上から、小さな声が聞こえた。


「アクアリア様ー!!」


 昨日の子供達だった。


 手を振っている。


 ミーコが少し驚く。


『あら』


「スープうまかったー!!」


「また来る!!」


「ちゃんとお手伝いするんだぞー!!」


 フィルニアが笑った。


「完全に常連じゃねぇか」


「食い盛りだからな」


 タマも笑う。


 ミツコは優しく手を振り返した。


 トシオは静かにその光景を見る。


 壊れた場所でも。


 人は笑える。


 腹を満たして。


 働いて。


 支え合えれば。


 まだ前へ進める。


 その時。


 ミーコが空を見上げる。


 グレイヴェルの空。


 曇っている。


 けれど。


 昨日より少しだけ明るく見えた。


 王族として。


 王女として。


 やるべき事は多い。


 王都へ戻れば、もっと厳しい現実も待っている。


 侵食。


 貴族対立。


 崩れかけた政治。


 簡単には終わらない。


 それでも。


 ミーコは静かに前を見る。


 まずは一つずつ。


 目の前から。


 レイシスを。


 もう一度、立ち上がれる国へ戻すために。

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