灰街の朝市
翌朝。
グレイヴェルの街は、日の出前から動き始めていた。
ゴ ン……
ゴ ン……
遠くで鐘が鳴る。
まだ薄暗い空。
石畳には昨夜の雨が少し残っていた。
宿の窓から外を見下ろしながら、ミーコは静かに息を吐く。
『……早いわね』
通りには既に人が多かった。
荷車。
商人。
兵士。
水運び。
市場準備。
避難民達まで動いている。
この街は、止まれない。
止まったら回らなくなる。
そんな切迫感があった。
その時。
「腹減った」
後ろからタマの声がした。
朝だった。
『起きて最初がそれ?』
「大事だろ」
フィルニアも毛布から顔を出す。
「俺様も腹減った」
ユキがぽつり。
「……通常運転」
ミツコがクスクス笑う。
「朝ご飯食べに行こうかねぇ」
その一言で空気が動く。
数十分後。
一行は朝市通りへ出ていた。
グレイヴェル名物、西部朝市。
巨大だった。
「うわぁ……」
フィルニアが素直に声を漏らす。
肉串。
焼き魚。
香草スープ。
果物。
干し肉。
雑貨。
鍛冶道具。
薬草。
人の熱気と匂いが混ざり合っている。
タマは既に屋台を見回していた。
「絶対うまい店ある」
『まず落ち着きなさい』
「無理」
即答だった。
トシオは市場中央を見る。
魚市場がある。
かなり大規模。
ミツコが苦笑する。
「見つけたねぇ」
「魚は大事だろ」
シェリスが静かに言った。
「分かりやすいですね」
ユキが小さく頷く。
「……目変わってた」
トシオ本人は否定しない。
その時だった。
「焼き立てぇ!!」
「西部鹿串だ!!」
フィルニアの耳がピクリと動く。
「串!!」
タマも反応した。
「肉!!」
次の瞬間。
二人同時に走り出した。
『ちょっ――』
止める前に消えた。
ミーコが呆れた顔になる。
『速いのよ……』
ユキが静かに指差す。
「……あそこ」
既に屋台前で揉めていた。
「俺様こっち!!」
「いや俺こっち!!」
「同じだろ!!」
「違う!!」
店主が爆笑している。
その間。
シェリスは周囲を観察していた。
兵士配置。
監視位置。
流通状況。
かなり細かく見ている。
ミーコが小声で聞く。
『どう?』
「……良くありませんね」
シェリスは市場全体を見る。
「物資量は多い」
「ですが偏っています」
「西部貴族側が流通管理をかなり握っているようです」
タマとフィルニアが肉串を抱えて戻ってきた。
「うまっ!!」
「これヤバ!!」
話聞いてない。
ミーコが呆れる。
『少しは緊張感持ちなさい』
「持ってるぞ」
「飯は別」
「別問題」
ユキが小さく息を吐く。
「……いつもの」
だが。
その空気に救われている部分もあった。
今のレイシスは重い。
張り詰めている。
だからこそ。
この騒がしさが、妙に安心感を生む。
その時だった。
「おい聞いたか?」
「南側また封鎖だってよ」
近くの商人達の会話が耳へ入る。
シェリスの目が細くなる。
「南?」
「王都方面か?」
「いや違う」
「旧鉱山区画だ」
タマが反応した。
「侵食か?」
「らしい」
商人は嫌そうな顔をした。
「最近ほんと多いぞ」
「昨日も巡回隊戻ってねぇって話だ」
空気が少しだけ重くなる。
フィルニアが肉串を齧りながら呟く。
「どこ行ってもそれだな」
ミーコは市場を見る。
皆、普通に暮らしている。
笑っている人もいる。
商売している人もいる。
だが。
その裏側で、少しずつ世界が削れている。
そんな感覚があった。
その時。
「……アクアリア様?」
突然、声がした。
全員の空気が変わる。
三人同時に振り返る。
そこにいたのは、一人の狐獣人女性だった。
旅装束姿。
二十代後半くらい。
そして。
三人の顔を見て、完全に固まっていた。
「……やっぱり」
タマが目を見開く。
「え、リュナ!?」
ユキも驚いていた。
「……うそ」
女性の目に涙が浮かぶ。
「グラディオ様……」
「セレフィーナ様まで……」
ミーコは静かに相手を見る。
数秒後。
『……リュナ』
その瞬間。
リュナが泣きそうな顔で笑った。
「本当に生きてた……!」
次の瞬間。
ミーコへ飛び付いた。
『ちょっ――』
「死んだって聞かされてたのよ!?」
ミーコは完全に固まっている。
どう反応していいか分からないらしい。
フィルニアが小声でタマへ聞く。
「誰?」
「っか、アクアリア? グラディオ? セレフィーナ?」
「え??」
「誰だよそれ!?」
完全に混乱していた。
タマが苦笑する。
「俺達の本名」
「は?」
フィルニアが固まる。
次の瞬間。
「待て待て待て!!」
「急に情報量多すぎんだろ!!」
ユキがぽつり。
「……今さら」
「今さらじゃねぇよ!?」
その横で。
ミツコも目を丸くしていた。
「えぇ?」
「本名あったのかい?」
『いやあるわよ!?』
ミーコが思わず突っ込む。
トシオも腕を組む。
「初耳だな」
「じーちゃんまで!?」
タマが吹き出した。
フィルニアがまだ混乱している。
「待て!!」
「ミーコ王族なのは知ってた!!」
「でもお前らもそっち側なの!?」
タマが肩を竦める。
「護衛血族側」
「まぁ幼馴染だな」
フィルニアが呆然と三人を見る。
「……マジかぁ」
その横で。
リュナが涙を拭う。
「本当に……戻ってきたんですね」
ユキが静かに頷く。
「……うん」
だが。
リュナの表情は途中で曇った。
「でも、ここで会うのは危ないです」
シェリスの目が細くなる。
「……どういう意味です?」
リュナは周囲を警戒する。
市場。
兵士。
監視塔。
そして。
小さな声で言った。
「今のグレイヴェル、王族の話は危険なんです」
空気が変わる。
ミーコ達も真顔になる。
リュナは続けた。
「西部側がかなり強くなってる」
「王都への不信も広がってる」
「今、誰がどっち側か分からない」
タマが腕を組む。
「……やっぱ相当ヤバいな」
「えぇ」
リュナは小さく頷いた。
「だから」
「絶対に軽々しく正体を出さないでください」
市場の喧騒は続いている。
笑い声もある。
商売声もある。
けれど。
その裏側では、確実に何かが軋み始めていた。
レイシス王国。
それは今、静かに崩れかけている国だった。




