深層封印区画
ゴ ゴ ゴ ゴ……
重い音を響かせながら、深層封印区画への扉が開いていく。
神殿内へ蒼い光が流れ込んだ。
空気が違う。
さっきまでの封書庫とは別世界みたいだった。
冷たくない。
むしろ少し温かい。
ミツコが目を細める。
「……ほんまに、うちの台所みたい」
トシオも鼻を鳴らした。
「潮の匂いもするのぉ」
フィルニアが首を傾げる。
「遺跡なのに?」
老人の幻影がゆっくり頷いた。
『始まりの民は、旅の途中で必ず火を絶やさなかった』
『火は命を繋ぐ』
『食卓は種族を繋ぐ』
『だから深層区画は、“暮らす事”を前提に作られていた』
アークが周囲を見回す。
「遺跡っていうより、拠点だな……」
その通りだった。
奥へ続く通路は、今までの石造りとは少し違う。
壁面には柔らかな曲線が多い。
無機質な遺跡というより、
“人が暮らす事”を前提に作られた空間だった。
さらに。
天井には淡く光る結晶灯。
青白い灯りが静かに揺れていた。
ミーコが小さく呟く。
「……落ち着く」
ユキも頷いた。
「なんか怖くないね」
老人が静かに目を閉じる。
『本来、ここは安らぎの場所だった』
『侵食が届くまでは』
その言葉で空気が少し沈む。
だが。
ミツコは普通だった。
「じゃあ掃除せなねぇ」
「掃除?」
フィルニアが聞き返す。
ミツコは当然みたいに頷く。
「汚れとるんやもの」
全員が周囲を見る。
確かに。
黒い侵食痕が所々残っていた。
ミーコが苦笑する。
「ばーちゃん、それ遺跡相手に言う事?」
「お家は綺麗な方がええよぉ?」
その返答に。
老人が少し目を細めた。
『昔を見ているようだ』
「ん?」
『侵食で荒れた拠点へ着く度』
『まず掃除を始めていた女がいた』
トシオが吹き出した。
「やりそうじゃのぉ」
「だって気になるやない」
その会話に。
張り詰めていた空気が少し和らぐ。
やがて一行は深層区画へ足を踏み入れた。
奥は広かった。
ただの書庫ではない。
食堂。
休憩所。
調理場。
寝台。
旅人達が長く滞在できる構造になっている。
しかも。
保存状態が異様に良い。
シェルファが壁へ触れる。
「結界保全……?」
「これ、数千年単位で維持されてます」
フィルニアが棚を開ける。
「うわっ」
食器だった。
しかも綺麗。
割れていない。
タマが目を丸くする。
「すげぇ……」
その時だった。
ユキが小さく立ち止まる。
「あ……」
視線の先。
古い壁画。
七種族が描かれていた。
獣人。
竜人。
森精。
鳥人。
海霊。
魔導人。
巨人。
そして中央。
二人の旅人。
大きな背中の男。
優しい手をした女。
ミツコが小さく息を呑む。
「……あの童話」
老人が頷いた。
『はじまりの火』
静かな声だった。
『後世では童話になったが、本来は記録だ』
全員が壁画を見る。
そこには。
争う種族達へ鍋を差し出す女。
竜を殴り飛ばしている男。
同じ火を囲む七種族。
全部描かれていた。
フィルニアが目を丸くする。
「本当に殴ってる……」
トシオが頭を掻く。
「豪快じゃのぉ」
ミーコがジト目になる。
「じーちゃん、人の事言えないからね?」
だが。
老人の表情はどこか遠かった。
『彼らは戦うためだけに旅をしていた訳ではない』
『閉じた世界を繋ぐために歩いていた』
ミツコが壁画を見上げる。
鍋を囲む姿。
笑っている子供達。
自然だった。
まるで。
今の自分達みたいだった。
その時。
タマが別の壁画を見つける。
「おい、これ」
そこには。
巨大な門が描かれていた。
空へ伸びる光柱。
そして。
黒い霧。
シェルファが顔を険しくする。
「閉じる者……」
老人が低く頷いた。
『奴らは“繋がり”を嫌う』
『海を断ち』
『空を裂き』
『種族同士を孤立させた』
アークが腕を組む。
「だから今の世界はバラバラなのか」
『そうだ』
短い返答だった。
『世界は元々、一つだった』
静かな沈黙。
その時。
ミツコが調理場を見つめていた。
「……使えそう」
全員振り向く。
「まだ飯作るの!?」
フィルニアがツッコむ。
ミツコは当然みたいに頷いた。
「せっかく立派な台所あるんやもの」
トシオが笑う。
「確かに勿体ないのぉ」
老人が目を閉じる。
『……好きに使うといい』
『ここは本来、そのための場所だ』
数分後。
深層封印区画から良い匂いが漂い始めた。
フィルニアが鼻をひくつかせる。
「魚!?」
ミツコが頷く。
「今日は海鮮スープよぉ」
タマが跳ねた。
「うぉぉ!!」
ミーコが苦笑する。
「アンタ本当に分かりやすいわね……」
調理場は広かった。
鍋も大きい。
しかも。
古代設備なのに普通に使える。
シェルファが驚いている。
「魔導加熱炉……生きてる」
火を使わない。
青白い魔力炎。
だが温かい。
ユキが目を輝かせる。
「すごぉい……」
その時だった。
フィルニアが棚から何かを取り出す。
「ん?」
古びた木箱だった。
鍵は壊れている。
開ける。
中には。
乾燥香草。
保存瓶。
古い料理器具。
そして。
一冊の手帳。
ミーコが受け取る。
「レシピ帳……?」
表紙は古い。
だが。
中身は綺麗だった。
そこには様々な料理名が書かれている。
獣人向け。
竜人向け。
森精向け。
海霊向け。
種族ごとに味付けまで変えてある。
ユキが感心する。
「すごい……」
老人が静かに言った。
『種族によって食べられぬ物もある』
『だから彼らは必ず全員が食べられる料理を考えた』
ミツコが優しく笑う。
「ええ人達やねぇ」
ページをめくる。
その途中。
ミーコの手が止まった。
「……え?」
そこに書かれていたのは。
スープの名前。
始まり鍋。
材料。
魚介。
香草。
根菜。
塩。
そして最後。
『皆で囲むこと』
数秒沈黙。
フィルニアが吹き出した。
「料理名じゃねぇだろそれ!!」
だが。
老人は笑っていた。
『それで良いのだ』
『彼らにとって、最も大事なのは味ではない』
『誰と食べるかだった』
静かな空気が流れる。
ミツコが鍋を混ぜる。
ぐつぐつ。
温かな音。
不思議だった。
さっきまで侵食獣と戦っていたのに。
今は。
妙に落ち着く。
その時。
トシオがふと奥を見る。
通路の先。
さらに深い区画がある。
暗い。
だが。
何か気配がした。
老人も視線を向ける。
『まだ先がある』
『最奥封印区画だ』
シェルファが息を呑む。
「まさか……まだ?」
『始まりの民が最後に残した記録が眠っている』
空気が変わる。
フィルニアも真顔になった。
「最後?」
老人は静かに頷いた。
『閉じる者との最終戦争』
『その記録だ』
全員が黙る。
ミーコが小さく聞いた。
「……勝ったの?」
老人は答えない。
沈黙だけが落ちた。
それだけで十分だった。
ユキがミツコの袖を握る。
ミツコは優しく頭を撫でた。
「大丈夫よぉ」
だが。
その表情は少しだけ険しい。
トシオも奥を見つめている。
深層封印区画。
そこには。
まだ知らない過去が眠っていた。
そして。
始まりの民が何故消えたのか。
その答えも。




